3話 開店準備と追放奴隷 (前編)
『銀翼の大隊』本部の存在する王都から離れた土地で、デニスは開店準備を進めていた。
都会とは言えないが、近くにダンジョンが存在するため、冒険者が集まってそれなりに賑わっている典型的なダンジョン街だ。
いいねえ、とデニスは思った。
ちょうど良さそうな場所だ。
雰囲気も悪くない。活気が無いわけでもない。こぢんまりとした食堂を開くには、うってつけの土地だろう。
貯金の金貨を提げ袋にジャラジャラと言わせながら、デニスは諸々の手続きを進めた。
ダンジョン近くの空き家を買い取り、とりあえずは安い家具を揃える。
趣味の良い家具は、店が軌道に乗ってから揃えていけばいい。
何かあったときのために、資金は多めに残しておかなければ。
『大隊』に居た頃に愛読していた、『脱冒険者、飲食店開業マニュアル!第四版』の九頁にもそう書いてあった。
『1.冒険者は金銭感覚が緩い人が多い! 見栄を張って大枚はたいちゃダメ!』
たしかに、デニスが『大隊』に居た頃は金には困らなかった。
命もかかっていたし、必要だと思われるものは値段も見ずに買ったものだ。
しかし、これからは王族すら顧客に抱える世界最強パーティーの料理人ではなく、その辺のどこにでもある定食屋の店長になるのだから。
その辺りの金銭感覚はしっかりしておかないといけないな、とデニスは思った。
「おーっ! すごいなこれ! 氷も無いのにどうなってるんだ?」
雑貨屋で、デニスは中が冷える大きな箱を眺めていた。
やたらに太った雑貨屋の主人は、額の汗を拭きながら笑う。
「ほっほっほ。それは『アイスボックス』ヨ。蒼水晶に氷結魔法が付与されてて、食べ物を保存しておけるんだヨ。飲食店なら必須ヨ」
「便利なもんだなあ! これ一つくれよ! と……待てよ……」
デニスは、『脱冒険者、飲食店開業マニュアル!第四版』の十三頁を思い出す。
『2.その出費、本当に必要!? 初期投資はできるだけ抑えましょう!』
「い、いや……や、やっぱり……いいわ」
「え? いいのかい? みんな買ってるヨ?」
「あ、ああ……よく考えたら俺、氷結スキルあるし……前の店でも自分でやってたわ……」
雑貨屋で必要最小限の物を買って店から出ると、なんだかデニスは誇らしげな気分になった。
『脱冒険者、飲食店開業マニュアル!第四版』を十七周は読み込んだ俺に死角はない。
飲食業界は厳しく、一年かそこらで潰れてしまう店が多いとは聞くが、俺に限ってそんな心配はないだろう、とデニスは思った。
無駄遣いはしない。料理スキルも高い。
店の運営ビジョンは……まあ後で何とかなるだろ。
店の広告方法は……まあ口コミで何とかなるだろ。
他の客に迷惑をかけるような奴は『恐怖の声色』でしばき倒してやればいいし、暴れん坊が来ても『肉切り包丁:衝撃付与』で叩き出せばいい。
ははは! これは楽しい! 夢が広がりまくりだ!
デニスは上機嫌で、新しい街を軽い足取りで歩いた。
その後、空き家を改装してくれる大工や食材を卸す商人などと会いながら、デニスはどこかで求人を出そうと思っていた。
一人で始めてもいいが、給仕の一人でも雇っておいた方がいいだろう。当分の給料を出す余裕はある。
『3.自分で何でもやっちゃダメ! 料理も大切だけど、お客さんのことも大切に!』
『脱冒険者、飲食店開業マニュアル!第四版』の十五頁だった。
町の散策がてらそんなことを考えていると、広場に何やら人が集まっているのが見える。
どうやら、奴隷商のようだ。
王都の近くでは大っぴらには行われていないが、田舎になるとこういった奴隷商が人を集めているのを何度か目にしてきた。
近くでちらりと見てみると、競売にかけられているのは一人の女の子のようだった。
「さあさあ! 今日はとびっきりの上物が入ってるよ!」
小太りの奴隷商の男が、声を張り上げている。
「なんとこの娘は元々、大貴族の令嬢! 親っこさんが権力争いに敗れて追放されて、流れ流れてここまで流れ着いたのさ! さあ、見てみなさい! この高貴な立ち振る舞いを!」
粗末な台の上で立たされているのは、痩せた銀髪の少女だった。
薄汚れた麻の衣服を着せられてはいるが、言われてみれば、そういった高貴な雰囲気があるように見えなくもなかった。
それを眺める周囲の商人たちが、こそこそと話し合っている。
「没落貴族の娘だってよ。本当かよ」
「どうせ、値段を吊り上げるための売り文句だ」
「でも、見た目はかなりいいぜ。非力そうだけど、色々使い道はありそうだ」
それを眺めながら、うーむ、とデニスは思った。
可哀そうだし何とかしてやりたいが、何でもかんでも救ってやれるわけではない。
こういうのは割り切るしかない。この世の不平全てに腹を立てていたら、身体がいくらあっても足りない。
どうしようもないことはあるのだ。
デニスがその場を立ち去ろうとしたときに、ふと少女と目が合った。
少女の瞳は虚ろで、この世の何にも期待などしていないような、無感情な目だった。
かつての自分も、あんな目をしていたのだろうか。
デニスは不意に、そう思った。