4話 ちゃんと世話するから、この追放者飼っていい? (前編)
追放者食堂、開店前の昼時。
開店準備を終えたデニスは、カウンターの椅子に腰かけて、余った時間で『脱冒険者、飲食店開業マニュアル!第四版』を読んでいる。
そうしていると、アトリエが外から戻ってきた。
アトリエは戻ってくるなりデニスの隣の席に座ると、間髪入れず聞く。
「飼っていい?」
「…………何を?」
突然の目的語の無い質問に、デニスがそう聞き返す。
「犬」
「犬ぅ?」
デニスはそう言うと、カウンターに肘をついて、アトリエと顔を突き合わせる。
「犬って……ちょっと前までウチに居たろ。ほら、オリヴィアが拾ってきたやつ」
「あの犬、デニス様が雑貨商さんに渡しちゃった」
「まあ、元気になったからな。ポルボも番犬が欲しいって言ってたし。ポルボが育てるんだから、あの犬は立派な番犬になるぞ」
デニスはそこまで言ってから、アトリエを見つめた。
「……もしかして、あの犬飼いたかったの?」
こくこくり、とアトリエが二回頷く。
「でも犬飼うったって、どこから貰ってくるんだ?」
「もう拾ってきた。お店の外にいる」
「お前、意外と行動力の化身だよね」
アトリエは【要求】の無表情を浮かべて、デニスの目を真っすぐ見据えていた。
「犬って言ったって……ちゃんと世話するのか?」
「する」
「……毎日散歩する?」
「確実に」
アトリエの即答を受けて、デニスは腕を組んでため息をつく。
どうしたもんか……流石に店の中で飼うわけにいかないし、そうなったら外に小屋も作ってやらないといけないしなあ。餌も用意してやらないといけないし……。
しかしアトリエが何かを強く要求するなんて、珍しいことだし。
アトリエくらいの年齢から犬でも飼って、一度そういう動物との別れを経験させてやるのも大切なことなのかなあ……
「……ちゃんと世話するんだな? 外で飼うことになるぞ?」
デニスの声色に交渉が成功しそうな兆しを感じたアトリエが、コクコクと素早く頷く。
「よし、言ったからな。ちゃんとやれよ?」
「……じゃあ、飼っていい?」
「ああ、しっかり飼ってみろ。もう名前は決めてるのか?」
「うん。ポチ」
「ポチねえ。何の捻りもねえ名前だが……そんじゃ、ちょっとポチの顔でも見に行くか」
アトリエは椅子からパッと飛び降りると、店の外へと駆けて行く。
デニスもそれについて行き、外に出て行く。
外に出てみると、おや? とデニスは思った。
今日は晴れだと思っていたのだが、曇りだったのか?
店から出てみても太陽の日差しを感じなかったので、デニスは空を見る。
曇り……ではない。
むしろ空は晴れ渡り、雲一つない青空模様だった。
何かが日差しを遮っている。
デニスがその方向を見ると、真横に、馬鹿でかい犬が座っていた。
「…………」
デニスの二倍の背丈はありそうな巨大な灰色の犬……いや狼が、真横に座り込んでデニスをすっぽりと包み込む巨大な影を作っていた。
店から出てきたデニスを睨む巨大な犬は、大きな口の端から凶暴な牙を覗かせて、やや威嚇するように喉を鳴らしている。
その狼の横に立ったアトリエが、デニスに言う。
「ポチ。可愛い」
「ぽ、ポチ!? 可愛い!?」
「へえーっ! すっごい! 幻獣種の神狼ですよ! 珍しいの拾ってきましたねえ! 滅多に人界に降りてこない種族なのに!」
追放者食堂の前に座り込む大きな犬……神狼を見上げたビビアが、興奮した様子でそう言った。
嬉しそうな無表情を浮かべながら神狼……ポチの豊かな灰色の毛を撫でているアトリエに、デニスが言う。
「アトリエ」
「?」
「……犬だと言ったよな?」
「犬」
「これは犬ではない」
「ほぼ犬」
「人間の二倍の背がある幻獣を、犬とは呼ばない」
「見て」
アトリエは神狼の毛並みに全身で抱き着くと、デニスに言う。
「とってもモフモフ。とっても可愛い」
「ご、誤魔化すな! なにも誤魔化せてないからな!」
デニスはアトリエがポチと呼ぶ神狼を再度見上げると、腕組みして苦々しい顔を浮かべた。
「しかし……こりゃ一体どうすりゃいいんだ。小屋とかさ……」
「ポチ。小屋、いる?」
アトリエが、ポチに聞いてみた。
『“要らぬ……”』
「いらないって」
「今こいつ喋らなかった!? 喋ったよな!? 脳内に直接伝えてくる系だったよな!?」
ということで。
その後もすったもんだがありはしたものの、人を襲う様子も無かったため、
ポチはとりあえず、追放者食堂の店前に雨除けを立てて、首輪で繋がれることになった。
それから数日経ったある日の昼、鞄を肩から提げたアトリエが、デニスに申告する。
「散歩」
「お、おう……行ってらっしゃい」
昼前、簡潔に用件を言って店から出ていくアトリエを、デニスは見送った。
あれから、アトリエは昼と夕の開店前に一日二回、欠かさずポチの散歩に出るようになった。
「アトリエ様、甲斐甲斐しく世話をなされていマスネ」
店のテーブルを拭きながら、オリヴィアがそう言った。
「ああ……しかし謎だ。あの神狼もアトリエにしか懐いてねえし、というかどうして懐いてるのかもわからねえし、というかそもそもどこから拾ってきたんだ。なんで神狼がこんなとこに居やがるんだ。森の最深部から一生出てこない連中だろ」
「ウフフ、アトリエ様はミステリアスな所がありますカラネ。ミステリアスな人は魅力的デス。人はわかりきった物よりも、ちょっとだけわからない物に惹かれるものですカラ。と、昨日のお客様が言われていマシタ」
「いくらなんでもミステリーすぎる……というかあの神狼どうするかなあ……一度約束した手前、アトリエの言うことは聞くみたいだから飼わせてるけど、どうにかしないとなあ……」
デニスはそう言って、ため息をついた。
なんだか最近、ため息をつくことが多くなった気がする。年かな、とデニスは思った。
アトリエは浮足立つような足取りで、ポチを散歩させていた。
一応、首輪の手綱を握っているのはアトリエなのだが、その手綱が何かの役に立つとは到底考えられない。
小さなアトリエが巨大な幻獣を散歩させている光景は、やはり異様なものだった。
街行く人々も最初はびっくりして怖がっていたものだったが、危害を加えないことがわかると段々とその緊張も解れて、ちょっと奇妙な日常の風景になりつつある。
アトリエは街を横切って離れの草むらまでやってくると、原っぱに腰を下ろして、提げ鞄からデニスに作ってもらったお弁当と、ポチのための大きな包みを取り出す。
お弁当を開けると、大きな包みからポチのためのご飯も用意して、アトリエはその場でお昼を食べ始めた。
ポチもデニスが調理した飯に口を伸ばすと、ガツガツと食べ始める。
人間と一緒にご飯を食べるのは、久しぶりだった。
ふと、ポチは昔のことを、思い出した。
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「やあ、神狼くん! 私はモニカ! 幻獣使いの冒険者、モニカだ!」
森の奥深く。
命知らずにも、神狼たちの住処まで単身で乗り込んできた少女は、そう名乗った。
銀髪の、小さな少女だった。
幼く、それゆえに純真で、まだこの世の何にも汚されていない少女だった。
「うわあ、実際に見るとすごいね! 大きいね! モフモフだね!」
少女は一匹の神狼に、恐れ知らずな様子で近づくと、その毛並みに抱き着いた。
「ねえ、私と一緒に冒険しないかい? 一緒に旅に出ようよ! それで、一緒に世界を冒険して回るんだ! それってとっても素敵で、ワクワクすることだと思わないかい?」
『“人間と共に、旅に出たいだと?”』
神狼の長老はそう言った。
『“血迷ったか、小童。貴様は人間の愚かさを何も知らん。人の世の醜さを何も知らん。”』
永劫にも似た永い時を生きる神狼の長老の毛並みは、もはや灰色ではなく、雪のように真っ白だった。
『“それでもその人間と共に行くというのなら、貴様は二度と我々の世界に戻ることは許されぬ。貴様は種族から、永遠に追放されるのだ”』
それで構わない、と一匹の神狼は言った。
私は少女の大いなる夢に賭けてみようと思う。
その隣を歩いてみようと思う。
『“愚か者め”』
長老は諦念の混じった思念で、そう呟いた。
『“人間は、お前が思っているよりもずっと愚かで、脆弱で、短命なのだ”』
承知の上、と神狼が言った。
『“もう何も言うまい。お前はこれより追放者となる。お前は幻獣の世界から永遠に追放され、人の世にも決して受け入れられないだろう。そのちっぽけな少女が事切れた時が最後、お前は世界と世界の狭間で永遠に彷徨うことになるのだ。行け、愚か者よ。行け、我が息子よ』
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ふと、過去の記憶が神狼の頭を過った。
ずっと昔の記憶だった。
気が付くと、アトリエが神狼のことを心配気に見つめている。
途中で飯を食べるのを止めてしまったのを、心配したのだろう。
神狼はそれに気づくと、飯をぺろりと平らげた。
アトリエは安心したような目を向けると、お弁当と包みを綺麗に片づけて鞄に仕舞い込み、立ち上がった。
アトリエが来た道を戻るために歩き出し、神狼はその後を着いて行く。
自分よりずっと小さな主人に着いて行くというのは、心地良く、懐かしい感覚だった。
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「だーかーらー! 人は食べちゃダメ! わかったー!?」
救いようのない悪人ならば、頭からバリバリいってしまってもいいだろうと思って、モニカによく止められたものだ。
しかしそれならば、この人界で一体何を食べればいいのだ。
「私が買ってあげるから! もー、食費がかさむなー……あー! それもダメ! それ飼い猫だから! 人ん家の猫だから! あーもー!」
そんな風に、
口うるさい小さな銀髪の主人と、いろんな場所を旅したものだった。
冒険があり、成長があり、戦いがあり、
いくつもの焚火を囲み、いくつもの夜を越えて
たくさんの楽しいことがあって、ワクワクがあって、
たくさんの、大切な時間があった。
ずっと一緒にいられるだけで良かった。
人としても冒険者としても、神狼には考えられないような速度で成長していく、この小さな主人の隣を歩いていられるだけでよかった。
しかし…………
「ご、めん、ね……」
小さな体を血まみれにしたモニカは、弱弱しい声でつぶやいた。
「最後まで、いっしょに、いて、あげられなくて……」
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過去の残滓は、不意に訪れては神狼の心を傷つける。
アトリエの後ろを、その小さな歩みを急かさないように注意して歩きながら、神狼は考える。
この銀髪の少女に、かつての主人の面影を重ねたのか。
種族の世界には帰れぬ。
人の世にも馴染めない。
世界との唯一の繋がりを失って、情けなくもまだ温もりを得たいと願うのか。
代えられぬ主人の代わりを、このちっぽけな少女に求めてまで、恥知らずにもあの日の繋がりを感じたいと思うのか。
救いようがない、と神狼は思った。
救いようのない、追放者なのだ。
食堂へと帰る途中の通りを歩く、小さなアトリエと大きな神狼。
その様子を、遠目から眺める二人組がいた。
「あれだ。本物の神狼だぜ」
二人組の一人が、カフェのテーブルで茶を飲みながら言った。
「捕まえれば良い金になる。裏で競売にかけて……」
「いや。それよりも“収集家”に直接売ろう。欲しがってたはずだ」
「“収集家”って……ロストチャイルの?」
「そうだ」
立場が上と思われる色眼鏡をかけた黒ずくめの男が、そう言って茶を舐めた。
「ジョゼフが失墜した今、これからは奴の時代になる。恩を売っておいて損はないさ」
「あいつはただの異常者だ」
一方の男が、そう吐き捨てた。
「ジョゼフは権力欲の強い、扱いやすい男だったが……“収集家”はそうじゃない。何を考えているのかすらわからん、イカレ野郎だ」
「そうだ。奴は異常者だ。だが力を持っている。上手く取り入れば、必ず俺たちを引き上げてくれる」
色眼鏡の男はそう言った。
「『夜の霧団』は解散した。俺たちは躍進の時だ。あの神狼は、そのための手土産としよう」




