14話 追放奴隷と陰謀の法廷 (後編)
「故ファマス卿の遺言には、アトリエ・ワークスタットこそ自身と妻との間に産まれた正当なる当家の跡取りであり、家督を継ぐ者であるとされている。遺言にはさらに、ワークスタット家の『血』と『知』にあたる、『富と権力』と『知識と書物』については、家督を継ぐ幼いアトリエ・ワークスタットが『血』、つまりは『富と権力』を、弟のジョゼフ卿に『知』、つまりは『知識と書物』を分割して相続するとある!」
老法官はそこまでを一気に読み終えると、一呼吸を置いてから、続けた。
「本法廷の目的は、この遺言の正当性について審理することにある!」
「裁判官」
ジョゼフ側の法官が立ち上がり、発言する。
「アトリエ・ワークスタットの血統については、前回の審理ですでに結論が出ているはずです。つまり、彼女はたしかにファマス卿の血を引く娘ではありますが、その妻との間の正式な子供ではないと。彼女はファマス卿の気の迷いにより、位の低い情婦との間に設けられた子供であり、魔法使いの頭領たる当家を継ぐに値する血筋ではありません」
それを聞いて、セスタピッチが立ち上がった。
「それを再確認するために、この法廷は開かれたのです。私は前回の法廷において、何らかの間違いがあったと考えています。アトリエ嬢の血液をこの場で、みなの前で採取し、ファマス卿とその妻との血縁関係が証明されれば、誰もファマス卿の遺言に異を唱える者はいないでしょう」
「何度やっても結果は同じだよ。時間の無駄このうえない」
ジョゼフがそう言った。
デニスは、隣に座ったアトリエの両耳を塞いでやって、会話が聞こえないようにしていた。
黙って聞いていれば、この連中ときたら。デニスはむかっ腹が立って暴れてやりたい気分だった。
たとえ情婦との間の子供だったらどうしたというのだ。娘であることには変わりないだろう。違うのか?
「それは、これからわかります。医官殿!」
セスタピッチが呼ぶと、待機していた昨日の医官が立ち上がり、採血用の器材を持ってデニス達の前に立った。
アトリエはやはり青ざめた顔をしていたが、昨日よりは覚悟を決めたようだった。
アトリエは隣に座るデニスの手を握りながら、目を瞑って口をつぐんで、注射に耐えた。恐怖と緊張で彼女が震えているのがデニスにはわかった。デニスはアトリエの背中をさすってやった。
採血が終わると、医官はその血を二つの小瓶に分けた。
裁判官席に座る法官の一人が小箱を持って下に降りると、よく通る声で言う。
「これから、皆さんにはこの小箱からくじを引いてもらいます。これは誰がこの採血を用いて血統魔導具を作動させるかを、この場で無作為に決定するためのくじ引きであり、血液のすり替え等によって不正を防ぐための取り決めでございます」
なるほど、そういう風に進行するのか。デニスはそう思った。
法廷に居る全員が、法官の持った小箱からクジを引いた。
それにはデニスやアトリエも含まれており、傍聴席に座ったビビアや、医官らまでもクジを引くことになった。
デニスとアトリエ、セスタピッチらが引いたクジは何の変哲もない小さな白い棒で、ハズレのようだった。
誰がアタリを引いた?
デニスがそう思って周囲を見回すと、スティーブンスが立ち上がった。
「わ、私が引きました」
スティーブンスは先端が赤く塗られた白棒を握って、裁判官にそう伝えた。
老法官がスティーブンスに前に出るように促すと、緊張した面持ちのスティーブンスは、ハンカチで額の汗を拭いながら席を離れて、巨大な魔導具の前に立った。
頼んだぞ、とデニスは思った。緊張しすぎて、間違っても血の入った小瓶を取り落としたりするなよ。アトリエにもう一度注射に耐えろと言うのは酷だからな。
スティーブンスはひどく緊張している様子で、何度も額や首を片手に握り込んだハンカチで拭っていた。
それはやや異常なほどの緊張具合に見えて、デニスは少し不審に思った。
アトリエへの忠誠心があるのならば大役を任されて緊張しても当然だとは思うが、ちょっと緊張しすぎではないか。むしろそれは、緊張というよりも、何かを恐れているようにさえ見える。
「まずは、アトリエ嬢とファマス卿から」
スティーブンスは傍らの机上に置かれた血液の小瓶を二つ取ると、中身を魔導具の頂点部に注いだ。
結果は、昨日見た通りだった。
魔導具の胴体部のまだら模様が発光し、赤い丸を描く。
「次に、アトリエ嬢とファマス卿の妻、エリザの血液です」
スティーブンスが血液を注ぐのを眺めながら、デニスはやや緊張しながら、半分安心もしていた。
結果は昨日、セスタピッチと一緒に見た通りだ。
要はこのままいけば、誰もアトリエに文句を言わないわけだ。
魔導具の胴体部が発光し、またパターンを作り出す。
その結果は、
青い×印だった。
「…………っだと!?」
セスタピッチが、身を乗り出してそう言った。
デニスも、自分の目を疑っていた。
「やれやれ、だから言ったというのに」
ジョゼフがそう言って立ち上がると、にやりと笑いながら全体に向かって話し出す。
「これで証明されたでしょう。あの娘は、私の兄と、その正妻の間に産まれた子供ではないのです。いわばワークスタット家の面汚し。兄の一時の気の迷いで出来た娘であり、嫡女になど成り得るわけがないのです」
「たしかに、アトリエ嬢はファマス卿の娘ではありますが、その妻との血縁関係は無いということが証明されました」
老法官はそう言うと、再度書類に目を通す。
「これにより、ファマス卿の遺言に書かれた内容の一部が虚偽であると判明しました。本法廷は、この遺言の正当性には問題があり、一部無効であるとの結論に至ります」
「ま、待て!」
セスタピッチが立ち上がり、興奮した様子で唾を飛ばした。
「昨日私が起動した際は、確かにどちらも血縁関係にあるという結果が出ました! 何かの不具合があったものと思われます! 再検査を要求します!」
「そんなに何度やっても仕方ないだろう。望みの結果が出るまで、永遠に繰り返す気かね」
ジョゼフが意地の悪い笑みを浮かべながら、そう言った。
「セスタピッチ二等法官の訴えを却下します。検査は正当な手順で、正当に執り行われました。法廷は再検査を許可しません」
デニスはスティーブンスを凝視していた。
スティーブンスは一瞬ほっとした様子でジョゼフの方を見ると、デニスの視線に気付いて、怯えた表情を浮かべる。
「だから言ったのです、何度やっても結果は同じだと」
ジョゼフはやや同情心を煽るような声色を作ると、法廷に向かって話し始める。
「兄は自分の不貞を……何とかして揉み消したかったのでしょう。気持ちはわかります。ですが、遺言にまで嘘を書いてはいけない。兄は魔法使いとしても、当主としても立派な人物でしたが、生涯でただ一つだけ間違いを犯しました。それがあの娘なのです」
ジョゼフがそう言うと、老法官が頷いた。
「遺言の一部に虚偽があったことを法廷は認めますが、同時にアトリエ嬢が、その母親が誰であれ確かにファマス卿の血を引いた人物であるということも、法廷は認めます」
老法官はそう言った。
「たしかに。それはそうだ」
ジョゼフがそう答えた。
「ですので、ファマス卿の遺言の一部を解釈し直し……ワークスタット家の「血」にあたる「富と権力」については、ジョゼフ卿に今までの通り相続して頂くとして、「知」にあたる「知識と書物」……つまりは知識の邸宅についてはアトリエ嬢に相続するのが、折衷案として望ましいと思いますが、ジョゼフ卿はいかがですか?」
「ええ、それで構いません。腐っても兄の娘であることは証明されたわけですから。それくらいは許されるべきでしょう」
ジョゼフはそう言うと、満足げに座り込んだ。
そして、そっと隣の法官に耳打ちする。
「ついでに、あの埃臭い物置も処分してくれるとよ。一石二鳥だったな」
デニスはスキルを使って、ジョゼフの囁き声を聞いていた。
デニスは席を立つと、ツカツカと歩いて魔導具の近くへ、スティーブンスの下まで真っすぐ歩いて行った。
「と、止まりなさい! デニス・ブラックス! まだ閉廷しておりませんよ!」
デニスは老法官の言葉を無視すると、怯えた様子のスティーブンスの胸倉を掴んで、そのまま宙に浮かせる。
「うっ、うがぁ!?」
「やめなさい! デニス・ブラックス! 何をするつもりですか! 席に戻りなさい!」
デニスはスティーブンスの腕を掴むと、ハンカチを握ったその手を見た。
スティーブンスの右の手のひらには切り傷が付けられており、そこから滲みだした血が、握り込んだハンカチの裏側に吸収されている。
……魔導具に血を入れる時に、自分の血を混ぜて誤作動させたのか……。
「なぜ、こんなことを?」
デニスが聞いた。
「許してくれ……ジョゼフに、言う通りに動けば執事長の座に戻してくれると言われたんだ。すまない……本当にすまない、私にも生活があるんだ」
スティーブンスが、額に脂汗を浮かべながらそう囁いた。
デニスはスティーブンスの上着のジャケットを掴み直すと、火炎のスキルでもってそのジャケットを一瞬で燃やし尽くし、灰に変えた。
「あ、あづっ!? ぎゃあ!?」
デニスに掴まれていたジャケットが灰と化し、スティーブンスはそのまま法廷の大理石の床に叩きつけられる。
それと同時に、
カランカラン、と二本の小さな棒が床に落ちた。
それは何も付着していない白いハズレクジと、先端に赤色が付いたアタリクジだった。
「やっぱりな」
デニスはそう呟いた。
「デニス・ブラックス! 最終通告です! 今すぐ自分の席に戻りなさい! 法廷を侮辱するつもりですか!」
「侮辱だと? 侮辱しているのは貴様らの方だ!」
デニスは床から、スティーブンスの落とした二本のクジを拾うと、それを片手で握って見せつけた。
「貴様らは最初からグルだったんだ! あの箱には初めからアタリクジなんて入っちゃいない! 最初からこいつがアタリクジを引いて、血液に細工をする算段だったんだ!」
「言いがかりをつけるのはやめなさい、デニス・ブラックス! 証拠はどこにもありません!」
老法官が大声でそう言った。
「なら、なぜこいつがハズレとアタリのクジをどっちも持っていやがるんだ!? 初めからこいつにだけアタリクジを渡しておいたんだろう!」
「そ、それは……何の証拠にもなりません! 今、まさに乱暴を振るっているのはあなたです! なんとでも出来るのはあなたの方でしょう!」
「こんな馬鹿な茶番に参加してしまったのは、俺の人生で最大の失敗だ! お前らはさも聖人ぶったふりをして、あのジョゼフから賄賂でも貰って結果のわかりきった裁判ごっこをしに来たんだ!」
デニスは怒りのあまり、手の中に握り込んだ二本のクジを粉砕しそうだった。
「法官騎士を呼びなさい! この男を拘束しなさい!」
「扱いに困る遺言が見つかったんで、一芝居打ったわけだ! わざわざ地獄の底まで追放した一人の少女を引っ張り出して、よってたかって傷つけてまで猿芝居がしたかったわけだ! 法廷でもう一度結論が出ちまえば、誰も文句を言わねえからなあ! なあ! そうだろう!」
デニスが叫ぶと、同時に背後の扉から十数名の甲冑姿の騎士たちが現れて展開し、デニスを取り囲んだ。
「侮辱しているのは貴様らの方だ! お前らは一人の少女を取り囲んで侮辱したんだ! 地獄に堕ちろ! 貴様ら全員地獄に堕ちろ! こんなクソどもの裁判所は、この俺が焼き払って灰にしてくれる!」
騎士たちが一斉にデニスに対して剣を構え、切り伏せようとする。
デニスは両の拳を構えると、その全員を相手にしようとした。
その瞬間、デニスは後ろから抱き着かれて、一瞬止まった。
後ろからデニスにタックルをかましたのは、ビビアだった。
「やめろ! デニスさん! やめろ!」
「止めるんじゃねえビビア! 俺は今、人生で一番キレてるんだ! こいつら全員、地獄に叩き落としてくれる!」
「そんなことしてどうなるんだ! 結局捕まるんだぞ! 王国を敵に回して、地の果てまで逃げるつもりか!? アトリエちゃんはどうなるんだ!」
「うるせえ! くそがぁ! クソどもがぁ!」
「落ち着け! デニスさん! 落ち着け!」
デニスとビビアは、裁判所の廊下でふさぎ込んでいた。
廊下の隅でしゃがみ込んだデニスに、セスタピッチが近づく。
「私は何も知らなかったんだ。信じてくれ。あんな腐ったことになるなんて、思ってなかった」
デニスは何も答えなかった。
「法廷は、君の先ほどの行動については不問にすると言っている。普通ならあり得ないが、今回の事自体をあまり大ごとにしたくないのだろう」
「……俺が間違ってたんだ」
デニスがぽつりと呟いた。
「アトリエの言う通りだった。こんなところに連れてくるんじゃなかった。あいつの言う通りに、大人しく食堂で引っ込んでれば良かったんだ。俺が余計なことをしたんだ」
「そんなこと言ったって、仕方ないですよ。デニスさん」
ビビアはそう言って、頬の青あざを撫でた。
取り押さえにかかった法官騎士たちにデニスと一緒にもみくちゃにされて、ビビアにもいくらか痣が残っていた。
「……でも、知識の邸宅はアトリエ嬢に相続されたわけですから。見に行きましょう」
セスタピッチに連れられて、デニスらは王都の郊外に存在する小さな屋敷までやって来た。
しかし、その様子は……
「ここが……知識の邸宅?」
「廃屋にしか見えないですけど……」
中に入ってみると、デニスはせき込んだ。
埃だらけ蜘蛛の巣だらけで、もうずいぶん人が入っていないようだった。
屋敷の中は、本のごみ屋敷といった様子だった。
いたるところに背の高い本棚が並び、廊下などにも古い本の山がいくつも積み上げられている。カビやら何やらが繁殖し放題の環境だった。
「ワークスタット家の、知識の邸宅、ですか……」
ビビアがその惨状を眺めながら、そう呟いた。
「ここは元々、初代ワークスタット家当主の蔵書館だったんですよ。代々蔵書を増やしていたようですが、近年では蔵書の内容も古くなってしまって、ほとんど物置小屋のようですけど」
セスタピッチはそう言った。
「……それでも、いくらか価値はあるんだろ? これだけあればよ」
「言った通り、古いものばかりですからね。魔導書の史料的な価値はあるでしょうけど……実際には、それほどでも」
「ゴミ屋敷を押し付けられたのと変わらねえな。ビビア、どうだ」
「う、うーん……価値のある本も、探せば……あるんじゃないですかね……」
ビビアがそんな風に話していると、背後ですさまじい轟音が鳴った。
デニスたちが振り返ると、老朽化した床が抜けて、後ろを歩いていたアトリエが下へと落ちてしまったようだった。
「うお!? お、おい! 大丈夫か!」
「えええっ!? だ、大丈夫ですか……って……」
「ん……んん……」
下に落ちたアトリエは、衝撃でいくらか頭をぐるぐるとさせている。
アトリエが落ちた先は、地下室のようだった。
デニスは下に降りると、アトリエに怪我がないか見た。
「大丈夫かよお前……ったく。意外とドジなところあるからなあ」
「……んん……い、痛い……」
まだふらふらとしている様子のアトリエをデニスが診ていると、一緒に降りて来たビビアが、素っ頓狂な声を上げた。
「い!? いっえええっ!? なんだこれ!? なんだこれえ!?」
デニスが振り返ると、ビビアはその地下室の本棚から何冊か本を抜き出して、食い入るように見つめていた。
「ね、ネクロノフィコ!? ユヅト写本!? なんでこんなところに!? ほ、本物!? 本物なのか!?」
「な、なんだ。お宝でもあったのか」
「そんなレベルじゃないですよ! 国宝、いや世界遺産レベルの貴重な魔導書が! えっ!? 待って!? もしかして、この地下室って!?」
ビビアは興奮した様子で眺めると、叫ぶ。
「あ、ああ……や、やっぱり……こ、この地下室の本棚って、ぜんぶ……」
「え、えらいものが見つかったもんですね……」
セスタピッチも、引きつった顔を浮かべていた。
「マンゴルモア全集、エヌマ双書……う、うわあ……ぼ、僕の目の前に人類と魔法使いの歴史の全てが……は、はは……封印されし魔導のブラックボックスが……」
地下室の本棚を眺める二人は、興奮したり卒倒しそうになったりと忙しい様子だった。
デニスはそれを見て思わず笑うと、アトリエの方を見た。
「アトリエ。どうやらお前は、凄い物を相続しちまったようだぞ」
「もしかしたら、アトリエ嬢の父親は、本当はこれを相続させたかったのかもしれませんね」
セスタピッチはそう言った。
「ワークスタット家の隠された宝物庫……それも、代々当主しか知らなかったであろう人類の遺産の地下室。あのジョゼフは金と権力にしか興味がありませんから、もしも何かあった時に遺言をああいう内容にしておけば、ジョゼフは金と権力を奪って行って、もはや無用と思われるこの物置小屋をアトリエ嬢に押し付けると……そこまで計算していた……のかも……」
「くはは、そりゃ面白い。傑作だな。そういうことにしておこうぜ。なあアトリエ。そう思った方が楽しいよなあ?」
アトリエはこくり、と頷いた。
「それじゃあ、この宝の山をどうする? アトリエ、お前の物なんだから、お前で決めろよ」
「……食堂の本棚に置く。注文を待ってる間に、みんな読めるように」
「そいつはいい! 名案だな! お前は天才だ! アトリエ!」
「ええっ!? そんな雑誌置いとくみたいなノリで世界遺産置いておくの!? どんな食堂だよ! 定食待ってる間に神話レベルの魔導書読めるの!?」
ビビアが思わずツッコミを入れると、アトリエは久しぶりにピースサインで返した。
そのアトリエの無表情は、デニスの分析によれば、
無表情の中でも一番上のランク、いわゆる『陽』の無表情だ。




