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6話 変換:ブロッコリー⇔カリフラワー


 現れた巨竜の背丈は、アトリエを縦にいくつ並べたなら相当するのだろう。


 チムニーとアトリエ。その2人の目の前にそびえるようにして鎮座する竜は、座り込むというよりはその場にへたり込むようにして四肢を地に付け、刺々しい突起が並ぶ背筋を億劫な調子でグイと伸ばし、長い首から頭だけを垂らして二人のことを見つめていた。


 校舎から正門に繋がる通り。そこは避難のために歩いていた生徒たちでごった返していたが、突如としてその場に現れた巨竜を見て、みな蜘蛛の子を散らすようにして逃げ始める。


「うああああっ! ドラゴンだ!」

「どうしてここに! 逃げろ! 逃げろぉ!」


 そんな悲鳴が響き渡る中で。

 その巨大な存在に睨みつけられているチムニーとアトリエの態度は、周囲の狂騒とは対照的。


 二人とも、その巨竜の目の前から一歩たりとも逃げようとはしない。それは周囲には、ある種の壮大な胆力にも見えなくは無かったが、その不動の理由というのも、また二人の間で対照的であった。


 細い脚をガクガクと震わせているチムニーは、隣のアトリエにしがみついて声を絞り出している。


「ひっ、ひひひひひひひひひひひぃいいぃいいいっ……っ、ド、ドドドドドラゴン! どうして、どうしてここに……!」

「やば」


 チムニーにしがみつかれているアトリエは、小さくそう呟いた。

 彼女は怯えているわけではなかったが、「やば」とは感じていた。しかしどうすれば良いかはわからなかったので、とりあえず行動を保留にしていたのだ。


「ど、どどどどどどどどうしましょうアトリエ、に、ににににに逃げないと……いえ、ここで逃げだしたら刺激しちゃうかも……というか詰んでます? 死にます? 死にたくないですわ……!」

「チムニー。落ち着いて。唐揚げ食べる?」

「食べませんわ……!」


 スキル『不滅のおかず』で手から唐揚げを出そうとしたアトリエは、それを一旦やめる。


 思考がややあっちこっちへと飛びながらも、アトリエの視線は目の前のドラゴンを見上げ続けていた。装甲か鎧の如き分厚い皮膚に覆われた小さな瞳から、どんな感情が読み取れるだろう。怒り? 威嚇? 悲しみ? 恐れ? 戯れ? 困ったことに、どの感情かわからない。昔はわかったのに、とアトリエは残念に思う。


『“STEP ASIDE, SILVER GIRL”.』


 しかもこの竜ときたら、謎言語で頭に直接語り掛けてくる系の竜なのだ。

 語り竜なのだ。


 昔なら、こういう言語は感覚で理解できたはずなのだが。アトリエは自身が有していた双方向性の精神干渉(テレパス)スキルを惜しんだことはほとんど無かったが、このときばかりは純粋に口惜しかった。このドラゴンが何て言っていたのか、デニス様に教えてあげたかった。


『“I DON'T WANT TO HURT YOU”.』


 竜の口が、微かな水音を立てながら開かれようとする。


 さてさて参った、とアトリエは思う。

 あの口から吹かれるのは火炎の息吹か、それとも何だろう。隣のチムニーだけでも逃がしてあげないと、とアトリエは考えた。しかしどうやって逃がせばいいのだろう。アトリエは、自分が使えるスキルの一覧を頭でザッと思い出してみる。何か使えるものはないだろうか。


 『頭上運搬』『不滅のおかず』『レジェンダリー三枚おろし』『常時適量調味料』『知覚:家の鍵』『回避:副流煙』『変換:ブロッコリー⇔カリフラワー』『錬金:ネジ』『透視:薄皮』『成長倍率(1.007倍)』『翻訳:蚊』『薬剤調合:二日酔い止め』『作成:段差』『除去:皺』『ナッシング・オア・オール』『切断:ケーキ』『光合成』『クリエイト・ドール』『絶対破壊:瓶』『発見:誤字』…………。


 駄目だ、一つもない。


 字面だけは強力そうな『ナッシング・オア・オール』は赤ちゃんを笑わせるための居ない居ないばあスキルだし、『クリエイト・ドール』は作成対象がてるてる坊主限定だった。謎スキルの宝庫であるアトリエであるが、ドラゴンに対して有効なスキルは一つとして存在しなさそうだった。よくもまあこれほど微妙に要らないスキルばかり詰め込まれたものである。残念。


「ひぃぃいいいぃぃっ! し、死んでしまいますわぁぁぁああっ!?」


 チムニーが悲鳴を上げ、一方のアトリエは落ち着き払いながらも危機感を持って考え続けている。

 そうしてやっと、彼女の中で結論が出た。


 パッと今しがた離したばかりの手を再び握り直したアトリエは、ドラゴンに背を向け、チムニーを引っ張ってその場から駆け出す。結論を出すまでやや時間がかかったものの、つまりは逃げの一手であった。


 アトリエの細い腕で力いっぱい引っ張られたチムニーは、その場で脚をもつれさせて転げそうになる。しかし何とか踏ん張り、一緒に駆けだした所で、


 二人の背後に、救援が現れた。


『“グァァアアアアッ!”』


 物理的には聞こえない雄叫びをあげながら巨竜の首に襲い掛かったのは、正門前に居た神狼(フェンリル)のポチだ。竜の出現のその瞬間からタイミングを窺っていたポチは、その圧倒的な体格差も、神狼といえども分が悪い存在としての格の違いも顧みず、竜の太首に爪と牙を立てて強襲する。


 鎧の如き硬さを誇る竜の皮膚に、しがみついた神狼の爪がガリガリと食い込んだ。竜の首に前足でぶら下がるような形となったポチは、後ろ足を振り上げて遠心力を使い、そのまま首をかっ切りながら背面へと移動しようとするが……


 直後に凄まじい力で地面へと叩き落され、その灰色の毛で覆われた背中で地面を割ることになる。


『“ギャアッ!”』


 触れずに、身体をいささかも動かすことなくポチを無力化した竜は、地面へと叩きつけた……いや吸い付けた彼の身体を跨いで、駆け出したチムニーとアトリエを追い始める。

 ポチは何とか動こうともがくが、腕の一本すらも持ち上げることができない。まるでこの世界に働く重力が、自分にだけ重くのしかかっているかのように。


「ポチ!」


 チムニーを連れて駆けながら、振り返って後ろの様子を見ていたアトリエがそう叫んだ。

 ポチが助けに入ってくれたが、一瞬でいなされてしまった。そもそも、あの竜はなぜ自分たちを追って来るのだろう。この場所に存在するその他大勢の誰かではなく、どうして自分たちを追跡してくるのだろう。


 謎だらけだ。この世界はむつかしい。

 アトリエはそう思った。


 そしてどうやら、逃げ切ることはできないようだ。

 アトリエはそうも思った。

 自分たちの短い脚と、あの巨竜の足では歩幅が違い過ぎる。


 正直なところ、アトリエはやや諦めかけていた。

 自分たちへと大股で踏み込んでくる巨竜の頭上に、一人の料理人が落下してくるまでは。


「『強制退店の一撃』」


 ドラゴンの頭頂部に、空より飛来した料理人の肉切り包丁が叩きつけられる。


 その攻撃は人間としては規格外の威力ながら、巨竜をノックダウンさせる破壊力にはほど遠い。

 しかしその刃が接触し、巨竜の頭部をほんの少しだけ揺らした瞬間。


『“YEOW――――ッ!?”』


 竜の悲鳴が途中から消え入るように小さくなり、まるでその巨竜の時間が止まったかのような、刹那の静止時間がもたらされる。


 ユニークスキル『強制退店の一撃』、効果発動までの一瞬のタイムラグ。


 その間に衝撃を利用して空中で跳ね返り、アトリエとチムニーの背後に着地した料理人は、着地の衝撃に足を痺らせながら大柄な背丈で立ち上がった。


「ったくよお……ちょいと学校まで来てみれば、どうしてこんなもんが居やがるんだ」


 その大きな背中を見て、アトリエが声を張り上げる。


「デニス様!」

「あ、アトリエのお父様だかお兄様だか保護者だか何だかわからない人!?」


 アトリエとチムニーが叫んだ瞬間、巨竜に付与された強制移動スキル『強制退店の一撃』が起動した。


 バギンッ! と地面が割れる音が鳴り響く。


 目には見えない力によって下方向への移動状態を付与された巨竜の身体は、一瞬にして吸い込まれるように地面へと叩きつけられ、そのまま恐ろしい力で地面のさらに下の方へと()()()()()()()()()。物理的な力ではない、より上位の力。対象に任意の方向への座標移動を強制する、デニスのレベル100ユニークスキルである。


 これで巨竜を倒すことができるのか、それはデニスにとっても定かではない。

 しかしとにかく。しばらくの間、奴は下方向へと移動し続けることが確定したのだ。


「アトリエ! それにチムニーちゃん! 逃げるぞ!」

「様、どうしてここに?」

「弁当に入れてたブロッコリーだけどな! あれ痛んでたかもしれなくてな!」

「気付いた」

「あっ、そしたら大丈夫だった?」

「変換スキル『ブロッコリー⇔カリフラワー』で新鮮なカリフラワーに変えたから大丈夫だった」

「なんでそんなことできるの?」


 そんなことを話しながら、デニスはチムニーとアトリエの二人を脇に抱える。

 必殺の『強制退店の一撃』といえども、あの巨竜にどれだけ通じるかはわからない。

 まともにやり合う気にもなれない。ならば逃げの一択である。


「かなりジャンプするからな。怖いかもしれんが気張ってくれ」

「りょ」

「た、たたたたたた助かりますわ! アトリエのお父様かお兄様か保護者なお方!」


 二人を抱えたデニスが、人間離れした両脚の力でその場から逃げ去ろうとする。


 しかしその直前に、デニスは不可思議な予知を見た。


 不意に未来予知スキル『反転予知(ラプラス)』が起動し、デニスに数秒先の未来を幻視させたのだ。

 現在と重なるようにして映り込む、未来の動きを示す蒼い陽炎。その中で、デニスは目の前で行動不能に陥っている巨竜の姿が、こつ然としてその場から消滅するのを見た。


 その直後に、自分が圧倒的質量によって押し潰される、嫌な感覚がある。


「は?」


 感覚と思考の間に乖離がある。


 しかし感覚の方を頼りにしたデニスは、その場から逃げ去るための跳躍動作を瞬時にキャンセルし、抱えていた二人をその場に放り投げて再び肉切り包丁を構えた。


 見上げるのは頭上。

 見えたのは青空ではなく、落下してきたドラゴンの巨体だった。

 座標を移動してきた巨竜が、今まさに、デニス目掛けて墜落しようとしている。


「くっそっ!? 『強制退店の一撃』っ!」


 原理はわからないが、瞬時に自分の頭上に移動してそのまま圧殺せんとする巨竜に対し、デニスは再び必殺スキルを振り上げた。


 今度付与するのは、逆に上方向への座標移動。

 その攻撃は竜の巨体に押しつぶされる直前に間に合い、スキルの重ね掛けによってさらに刹那の、効果発動までの猶予時間を発生させる。


 その隙に、デニスはアトリエとチムニーの襟を掴んで力任せに放り投げた。


「あっぶねえ! 逃げろ!」

「きゃあああぁぁぁっ!?」

「うぉ」


 短い嗚咽を漏らしてチムニーと共に投げ飛ばされたアトリエは、空中で回転しながら、目でデニスのことを追っていた。


 高速で過ぎ去る残像としてしか確認できない姿。

 その曖昧で大きな背中が小さくなっていく。


 そして次の瞬間に、その姿がオレンジ色の炎に包まれるのがわかった。


「—————————っ!」


 言葉にならない悲鳴を上げながら、アトリエは身体をあちこち打ち付けて地面に転がる。打撲と擦り傷でひどく身体が痛んだ。しかし即座に身体を押し上げて起き上がると、つい今まで自分が居た場所は炎の渦に呑み込まれていて、その空中には竜が浮かんでいた。


『“YARRRRRRRGHHHHHHHHHH!!!!”』


 『強制退店の一撃』による下方向と上方向への座標移動を重ね掛けされた巨竜は、脳に直接響いてくる激しい悲鳴を叫んでいる。上へも下へも進むことが出来ずに、しかしどちらの方向へも進もうとする両方向への圧力によって、身体が引き裂かれそうになっているのだ。


 そんな奇妙な光景が繰り広げられている校舎前。


 そこから伸びる正門の前に、また小さな人影が現れた。


 ひどく小柄な背丈。

 桃金(ピンクブロンド)の髪色。

 腰に差された黄金の剣。


 その小さな人影に気付いた巨竜は、身を切り裂く苦痛に苛まれながら、呻くように言葉を漏らす。


『“THE DESCENDANT OF JUNGFRAE…!”』


 空中でもがき苦しむ巨竜は、その数秒後に……


 また、ふっと姿を消した。


 まるで蜃気楼のように、こつ然とその巨体を消滅させたのだ。


 巨竜の移動を目の前で見ていたアトリエは、それが逃亡だとわかった。あのドラゴンは、また何処かに移動したのだ。しかし咄嗟に周囲を見やっても、あの巨竜の姿は無い。今度は、どこか遠くへと移動したのか? いや、それよりも。


 それよりも、デニス様が――――




 そして、その一方で。巨竜が消え去る直前に現れた人影は、その腰に差された剣に手を置きながら、コツコツと靴の踵を踏み鳴らして歩いた。


「うーむ。余の到着がちょいと遅かったようであるな……これでも急いで来たのだが。おーい食堂の主よ、大丈夫であるかー? あ、大丈夫でないな? でも死んではいないなー?」


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[一言] ドラゴンさん敵対する気なかったのに可哀そう 英語が通じなかったばかりに。
[一言] エステルきちゃー しかし全然違う方向に話進んでて変更前と完全に別ものですね 気のせいかデニスよりヒースの方がよく見てるような気がするぜ……
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