1話 アトリエのモーニングルーティーン
【ご報告】
追放者食堂はすでに2nd Seasonを開始していましたが、思うように更新できない日々が続いてしまいまった事から、思い切って新しくプロットを組み直し、再出発することにいたしました。
よろしくです。
16歳になったアトリエの朝は早い。
ベッドの上でむくりと起き上がったアトリエは、起床直後の数秒間をぼーっとする時間にあてて、それが済めばすぐに行動を開始する。ベッドから降りるなりペタペタと歩き始め、水で顔と口の中をゆすいで歯を磨き、ついでに銀色の長髪にこびりついた寝癖を水とスキル『寝癖流し』を使って取り払う。それが済めばすぐに台所へと趣き、火を用意してから、デニス仕込みの調理技術でもって朝食を作り始める。
食材の選定から調理まで、一切の迷いはない。
それは一種のモーニングルーティーンであり、半ば自動化された一連の作業だった。
米を炊き始め、ほうれん草を茹で、目玉焼きを半熟の両面焼きにして、ベーコンをクツクツと焼く。朝は大体このレシピだが、他の食材をもらった時は、デニスから教えてもらって他の料理を作ることもあった。その度に増える料理のレパートリーは、すでにアトリエの中で膨大な量に上っている。
しかしその全てを正確に憶えておくことは、今のアトリエにはできない。
無意識の精神干渉スキルを常時発動していた頃のアトリエは、記憶というシステムを他者とある程度共有することができた。彼女は誰かから何かを教わった時、“それを教えてくれた誰か”の記憶と緩やかに繋がることによって、それをほとんど忘れないでおくことが……正確には、必要に応じて自由に引き出すことができた。
信じられないほど薄弱で全く信用のならない“記憶する”という行為を、彼女は他者の精神を外部記憶装置として無意識に共有することによって、完璧に補っていた。
しかし精神干渉スキルをほとんど完全に失ったアトリエには、最早それができない。だから14歳のアトリエは、一度教えてもらったことをもう一度聞いたりする。言葉と心の両面によって会話することができないため、言われたことを聞き取れず、もう一度聞き返すこともある。
16歳のアトリエは、他のわけのわからない謎スキルの宝庫となっていることを除けば、そういう普通の女の子だった。
「できた」
小さく呟いたその声は、4年前と比べてほんの3音半ほど低い。
しかしこれくらいの女子の常であるように、男子の声変わりと比べて些細すぎる声質の変化に気付いた者は、今の所いなかった。本人も含めて。
「ぐぁあ……おはよう、アトリエ」
「おはよ。デニス様」
食卓に朝ご飯と食器を並べていると、起き上がって来たデニスに、アトリエはそう返した。
「ぅむ」と返事をしたのかしていないのか、よくわからない具合の声を絞り出す寝起きのデニスは、とりあえず水を一杯飲んでから食卓に座る。
「いただきます」
「いただきます」
特に交わされる言葉は無いまま、阿吽の呼吸じみた連携で朝食を摂り始める。
デニスは箸で両面焼きの目玉焼きをつついて半熟の黄身を破りながら、アトリエに話しかける。
「なぁアトリエ?」
「なに? デニス様」
「そのデニス“様”って奴な。そろそろ……やめないか?」
「どうして?」
「知らない人が聞いたら関係性がよくわからんし、正直俺もいまだに慣れない」
「どう呼べばいい?」
「余計なもんは無くていい」
「わかった。様」
「やっぱりそっちが余計だった?」
◆◆◆◆◆◆
16歳になったアトリエの通学は早い。
デニスが料理長を務めるブラックス・レストランへ出勤するのと同じタイミングで、アトリエは通っている王都立ユヅト魔法学校へと出発する。リュックの中に入っているのは勉強道具一式。手にしているのはデニスが作ったお弁当。
「今日から新学期だっけ?」
「うむ」
「どうだ、学校の調子はよ」
「問題なし」
「そうか。ならいいや」
王都の大通りを歩きながら、二人はそんな会話を交わしている。デニスは元からそこまで喋る性質ではないし、アトリエはいまだに言わずもがな。二人の会話というのは、ほとんどあってないような雰囲気がある。それはいわば、埋める必要の無い行間を、他にすることもないので埋めてみるような作業だった。
とにもかくにも。基本的に、朝の通学はデニスと一緒である。
一人で登下校することも稀にあるが、やはり16歳の無力な少女がその辺を無軌道にほっつき歩くのは、安全であるとは言い難い。ここはかつてデニスが追放者食堂を構えていたような誰もが顔見知りの小さな町ではなく、王国の中心地たる巨大な王都であり、他の町や周辺国の首都に比べてエステル真王統治下の警察騎士部隊による治安維持が強力に為されているとはいえ、危ないものは危ない。
学校の正門前までデニスと一緒に歩いてくると、アトリエは忘れ物が無いかどうかを確認してから、お弁当箱を『頭上運搬』スキルで頭の上に載せて、デニスのことを見上げた。
「行ってくる」
「おう、頑張ってな。あと物を頭の上に載せるな。手で持て」
「頭に載せた方が楽。ライフハック」
「人の目を全く気にしないのはお前の素晴らしい長所だが、手で持て」
デニスはアトリエの頭上からお弁当箱を引き剥がそうとするが、『頭上運搬』スキルによって位置座標として頭上に固定されたお弁当箱は、彼の超人的膂力をもってしてもビクともしない。そんな押し問答をしている内に、朝の登校ラッシュでごった返している正門前に、一人の少女が到着した。
「アトリエ……何やってますの?」
「おは」
短く挨拶を返した先には、アトリエの級友であるチムニー・ガトが居た。
クルクルとカールした金髪の、アトリエよりも少し背の高い少女。上流貴族の子息たるチムニーは、この4年間で、アトリエが最も交友を深めた親友だった。
送迎の馬車から降りてスタスタと歩み寄って来たチムニーは、デニスに向かって軽くお辞儀すると、そっと撫でるような丁重な声色で挨拶する。
「アトリエのお父様。おはようございます」
「おはよう、チムニーちゃん。それとだな。俺は一応、こいつの父親ではないからな」
「そうでしたの? アトリエがそう言っていたのですが……」
「お前、俺のことそんな風に紹介してたの?」
「“父親”兼“兄”兼“保護者”兼“雇用主”兼“恩人”兼“同居人”とは説明している」
「せめて要約しようとする姿勢を見せて欲しかった」
「簡単に要約してはいけないこともある。とアトリエは思ったりする」
そんなやり取りを交わしてから、アトリエはデニスと別れて、チムニーと一緒に校舎へと歩き始めた。結局何もわからなかったチムニーが、アトリエに尋ねる。
「結局、デニスさんってアトリエの何ですの?」
「デニス様はデニス様」
「なんで“様”付けですの?」
「様だから」
「どういうことですの?」
16歳のアトリエは、そんな風に友人を煙に巻くのが好きな少女だった。
◆◆◆◆◆◆
16歳になったアトリエの昼は極めて高速である。
午前中の授業が終わると、アトリエの一日で最も多忙な時間が訪れる。
それはつまり、お昼休みである。
四十分間のお昼休みを最大限に有意義に過ごすため、アトリエは努力を惜しまない。
授業の終了と同時に机上の勉強道具をテキパキと片付け、片付け終わった瞬間にはお弁当が机上に置かれている。その一連の動作の素早さといったら、授業が終わる前に片づけ始めたのではないかと思われるほどである。
この一切無駄の無い手際の良さは、繁忙期の追放者食堂を支え続けた看板娘としての経験が間違いなく生かされていた。
「アトリエー?」
「うむ」
お弁当の風呂敷を広げようとした所で、チムニーが声をかけてくる。
「今日は食堂で食べません?」
「食堂? なぜ?」
会話が終了次第一瞬で風呂敷を開封できるように指を保持しながら、アトリエは顔だけを向けてチムニーと話す。
「実は、ですわね。わたくし、今日はお弁当持ってきていませんの」
「なぜ? ダイエット?」
「そうじゃないですわ」
「無理なダイエットは良くない。とデニス様が言っていた」
「違うと言ってますけど?」
ごほん、とチムニーが仕切り直す。
「この学校の学食って、アトリエのお父さん……じゃなくて、なんでしたっけ?」
「“父親”兼“兄”兼“保護者”兼“雇用主”兼“恩人”兼“同居人”のデニス様?」
「そう、あのデニスさんが監修してるんですわよね?」
「たしかそう」
「そのデニスさん監修の炒飯っていうのが、もう絶品だって聞きましたの! 聞くところによると、デニスさんってあの王都最高の料亭! 『料理王ジーン』の後を継いだ、『ブラックス・レストラン』の二代目料理長っていう話じゃないですの!」
「事実」
「これは是非とも食べてみたいと思いましてね? わたくし、今日はお弁当を作ってもらわなかったのですわ! ねえねえアトリエ、今日は一緒に食堂で食べましょう?」
「つまり。チムニーは、食堂でデニス様監修の炒飯が食べたい」
「そうですわ」
「しかし。アトリエは、一刻も早くお弁当が食べたい」
「一人で食べたい?」
チムニーがそう聞くと、アトリエは首を横に振った。
「できればチムニーと食べたい」
「それじゃあ、学食で食べません?」
「つまり。一刻も早く学食へ行き、お弁当を食べる」
「そうしましょう!」
風呂敷を手にしたアトリエは、サッと椅子から立ち上がった。
「チムニー。行くよ」
「はいはい。ちょっと待って欲しいですわ……って、待って!? そんなバグ技みたいな動きで高速移動しないで!? マジで待って欲しいのですわ!?」
ということで。
『頭上運搬』スキルの悪用によって、逆立ち状態であれば床面を滑るように高速移動することができるアトリエに何とかついてきたチムニーは、食堂でデニス監修の炒飯を頼んだ頃には、もうヘトヘトになっていた。
「はぁ……なんか疲れ果てましたわ……炒飯食べるっていう気分じゃないですわ……」
「ごめんねチムニー。許して」
「いや、全然良いんですけど……そういう娘だってわかってますから……」
「ごめす」
「ほんとに謝る気あります?」
そんなことを言い合いながら、チムニーとアトリエは近場のテーブルに着席した。
そのとき、食堂の入り口付近から……騒々しい声が響いてくる。
「ビビアぁ! 座学の成績がちょおっと良いもしれないからってなぁ! 調子乗ってんじゃねえぞ!」
「なんだお前! もうすぐレベル30に到達するレベル29の僕の、輝かしい才能に嫉妬してるのか!?」
チムニーが後ろを振り向き、その正面に座っていたアトリエもそちらを見やる。
食堂の入り口付近では、仰々しい派手な礼服を着た黒髪の青年と、青色を基調としたジャケットを羽織る蒼金髪の美青年が、取っ組み合いの喧嘩を始めているようだった。
「貴族出身でもない平民の分際で……! ビビア、お前のことはなぁ! ずっと気に入らなかったんだよ!」
「貴族ってだけで偉そうにしやがって……! このもうすぐレベル30に到達するレベル29の僕も、お前のことは気に入らないね!」
「中央広場に来いよ……決闘だ! わからせてやるぞ、ビビア!」
「良いだろう! ラスト、お前こそ逃げるんじゃないぞ! このもうすぐレベル30に到達するレベル29の僕に、恐れをなしてな!」
「さっきからレベル30だか29だかうるせえな! 気にしすぎなんだよ!」
チムニー「次話は明日の18時更新ですってよ! おーっほっほ!」
アトリエ「おーほっほ。難しい」
チムニー「もしかして、笑い方馬鹿にしてます?」