13話 追放奴隷と陰謀の法廷 (中編)
ずいぶんと長いこと馬車に揺られてから、スティーブンスを含めたアトリエ一行は王都にたどり着いた。
デニスが馬車から降りて気付くのは、王都特有の異常な活気、華やかさ、そして人口の密度。
デニスにとっては懐かしの光景であったが、ビビアにとっては違うようだった。
「うおお! すごい! 王都だ! ほんとに王都だあ!」
馬車から降りたビビアは、そう言って子供のように目を輝かせてはしゃぐ。
実際に子供なのではあるが、まあこういう色んな意味で素直なところがビビアの可愛いところだ、とデニスは思う。
素直すぎて自意識過剰気味だったりややナルシスト入っていたりするところもあるが、そういう色んな所が年相応に尖っているのがビビアであり、デニスの気に入っているところだった。
「ビビア、あんまりはしゃぐなよ。田舎者に見られるぞ」
デニスはビビアに一言そう言ってから、馬車に残っていたアトリエを降ろしてやった。
「…………」
アトリエは相変わらず、浮かない顔をしている。
無表情なのはいつも通りではあるが、今のアトリエはいわば『負』の無表情だった。
アトリエの無表情にも何パターンか存在することをデニスは発見しているが、その中でも最悪の表情である。
ちなみに好物の炒飯を食べている時は常に『陽』の無表情になってくれるので、デニスはアトリエの機嫌が悪いときはとりあえず炒飯を食べさせておけばいいと思っていた。
しかしながら、アトリエがここまで露骨に感情を沈ませるのは今までに無かったことなので、デニスもやや接し方に困っていた。
「どうした、アトリエ。やっぱり気が向かねえか」
アトリエはデニスのことを上目遣いに見ると、
「早く帰りたい」
とだけ、ぽつりと呟いた。
「そうだな、そうしよう。でも、いつかは決着をつけないといけないことだろ? 少しだけ、頑張ろうぜ」
「さあさあ向かいますよ! アトリエお嬢様! それと下々の者たち!」
スティーブンスに急かされて、デニスたちは歩き出す。
あー……
料理長の所にも顔出しておきたいけど、今回はちょっと無理かな……
どの面下げて顔見せるんだ、って話だしなあ……
あんまり先延ばしにしたって、仕方ねえんだけどなあ……
ちょっと顔見せれば、済む話だとはわかってるんだけどなあ。
デニスは王都の風を感じながら、そんなことを考えていた。
王立裁判所は巨大な建物だった。
内部にデニスの小さな食堂がいくつ格納できるのか見当も付かないほどの巨大さと、建物全体としてのダイナミックな構造美。それに細部まで計算されつくされた造詣の緻密さ。それらが一体となって、ここがたしかに王国の『法廷』を司る建物なのだということを感じさせる。
前方の広場と半ば一体化した構造の階段を上り、開かれたままの巨大な入り口から中に入ると、入ってすぐの所に華美な服装をした男が一人だけぽつりと立っていた。
その男はアトリエらを待ち構えていたようで、デニス達の姿を見つけると、柔和な笑みを浮かべながら歩み寄ってくる。
「待っていましたよ、スティーブンス、アトリエお嬢様。それと……そちらの方は?」
「俺はデニス。保護者みたいなもんだな」
「僕はビビア。常連みたいなものです」
男がその意味が理解できたかはわからなかったが、とにかく了解すると、デニスらに言う。
「私は王立裁判所の法官、セスタピッチです。アトリエお嬢様宛ての遺言と、その正統性を証明するための審議を担当させて頂きます」
「俺も事情を詳しくは知らないんだが、あとで説明してもらえるのかな」
「ええ、もちろん」
セスタピッチはそう言って微笑むと、スティーブンスに向き直る。
「スティーブンス、お嬢様は私に任せて、君は到着の報告をしてきてもらえるかな」
「わかりました、セスタピッチ法官。お嬢様を頼みます」
スティーブンスはそう言うと、ハンカチで額の汗を拭って、別の場所へと歩き去って行った。
ややギクシャクとした歩き方なのがデニスには気にかかった。些細なことではあるが、どこか緊張した様子だ。
しかし権威や体制といったものにさほど興味が無い、もしくは気にしない性質のデニスがやや特殊なだけで、一般の人はこういう建物に入れば相応に畏まる方が普通なのかもしれない、とデニスは思った。
「さあ、お嬢様方。こちらへ」
セスタピッチがそう言ってアトリエを連れて行こうとするが、アトリエはデニスのズボンを掴んだまま、一歩も動こうとしなかった。
「ああ、すまん。どうも気が進まないみたいでね」
デニスはそう言うと、脚に引っ付いて離れないアトリエの肩をポンと叩いた。
「行こうアトリエ。俺も着いてるからさ」
「…………」
アトリエは渋々といった様子で、デニスの後にくっつくようにして前に進みだす。
「これからどうするんだろう」
デニスがそう聞くと、セスタピッチが答える。
「まずは、事前にアトリエお嬢様がたしかにワークスタット家の……前代当主とその妻の娘であることを確認しておきましょう」
「一体どうやって?」
「採血して、その血を解析用のマジックアイテムにかけるんですよ。ちょっと注射するだけです」
セスタピッチがそう言った瞬間、デニスのズボンが強く引っ張られて、デニスはつんのめった。
見てみると、顔面を硬直させたアトリエが、両足で根を張ったように動かなくなってしまっている。
今まで、アトリエが一度も見せたことのないタイプの表情だった。
「アトリエ! ちょっと注射するだけだから! いうことを聞いてくれ!」
完全に直立不動で動かなくなってしまったアトリエを、ビビアとデニスが押して引っ張って無理やり動かしていく。
鬼のような形相を浮かべるアトリエは、断固として注射を拒絶する構えを取っていた。
腕と脚をピンと伸ばし、接地したかかとで大理石の床を削らんばかりの猛抵抗だった。
「アトリエちゃん、注射ダメだったんですか!?」
「どうもそうらしい! 鬼のような顔してるぞ! こいつにこんな表情筋があったとは!」
なんとか二人でアトリエの身体を輸送して採血室まで連れて行くと、上級の医療スキルを持っているらしき医官の前に座らせる。
アトリエはデニスの腕を掴んでガタガタと震えながら、世界の終わりのような顔色を浮かべていた。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い」
「怖い怖い、お前の方が怖いから」
「ちょっとチクッとしますよー」
医者がそう言って、注射器を取り出す。
「――――――――っ!!」
アトリエは、声にならない絶叫を上げた。
採血が終わって、ぐったりとした様子のアトリエを抱っこしたデニスが採血室から出てくる。
先に部屋を出ていたビビアが、その様子を見てデニスに聞く。
「い、一体どんだけ血を抜いたんですか?」
「ほんのちょっとだけだ。こいつがオーバーなだけだから、気にするな」
後からアトリエの血を採取した小瓶を片手にセスタピッチが出てきて、三人をまた別の場所へと案内する。
その途中で、アトリエを抱っこしたままのデニスが聞く。
「この後は?」
「解析用のマジックアイテムにかけます。かなり大掛かりなものなので、専用の法廷に備え付けられているんですよ」
「そうか。ちょっと待ってくれてもいいかな?」
「いいですが?」
セスタピッチがそう答えると、デニスは抱きかかえたアトリエを、後から付いて来ているビビアに預けた。
自分よりも小柄とはいえ非力なビビアは、アトリエをおぶってなんとか歩く。
デニスはアトリエを預けたビビアと少し距離を取ると、セスタピッチに小声で聞く。
「アトリエの事情を聞いてもいいかな。よくわかってないんだ」
「いいでしょう。お嬢様のお父上はファマス卿という方で、ワークスタット家の当主でした。しかしその座を狙った弟のジョゼフによって、奥方もろとも毒殺されたのです。アトリエお嬢様は、その際にその血統の正統性を疑われて、家から追放されました。全てジョゼフの企みによって」
「しかし、大貴族の娘だったんだろ? 奴隷にまで堕とされるものなのか?」
「デニスさんは、大貴族の権力闘争の苛烈さを知らないようですね。敗北者の一派は全てを奪われて二度と這い上がっては来れないように徹底的に弾圧され、地獄の底まで追放されるのみですよ。そこに容赦はありません」
セスタピッチはアトリエの少量の血が入った小瓶をちらりと見ると、言う。
「しかし、ファマス卿は事前に手を打っていたんですよ。たとえ何が起ころうとも、一度そのすべてをひっくり返す秘策を用意していたのです。結果として、王政府によってお嬢様の血統を再確認するための再審が要求されました。この裁判、勝ちますよ。ジョゼフには私も、辛酸を舐めさせられたものですからね」
セスタピッチが廊下の突き当りの扉を開くと、そこは広い裁判室で、中央には人の背丈ほどもある大仕掛けの魔導機械が鎮座していた。
その魔導機械の頂点部を開けると、セスタピッチはそこにアトリエの血液を一滴零した。
もう一つ、セスタピッチは上着のポケットから血液の小瓶を出すと、その血液も機械に入れる。
すると、機械が唸り声を上げて、胴体部に細かく穴が開いたまだら模様を発光させ始める。
「見てください。今入れたのは、アトリエお嬢様の血液と、王政府が保管しているお嬢様の父上、ファマス卿の血液です。このマジックアイテムは血液によって両者の血縁関係を証明します」
「便利な機械だな」
「裁判所には色んなマジックアイテムがありますが、実はこれが一番使用頻度が高いのですよ。血縁関係の証明は様々な場面で重要になりますから……ほら、出ましたよ」
機械の胴体部のまだら模様が、規則的な色彩のパターンに変化していく。それらは流体的に動き、最終的に大きな赤丸を描き出した。
「わかりやすくていいな」
デニスはそう言った。
「もう一つあります。こちらはファマス卿の妻、エリザ様の血液です」
セスタピッチが同じ手順で機械を作動させると、その胴体部のまだら模様が、先ほどと同じように発光した。
「証明完了です。これは両者とも、一親等以内の血縁関係にあるというパターンです」
「これで問題ないわけか」
「ええ。後は、法廷でお嬢様の血を法官たちの目の前で採血し、この結果を見せつけるだけですよ。アトリエお嬢様は、間違いなくファマス卿とエリザ様の間に産まれた娘である、という証明になります」
翌日、デニスらは再び王立裁判所に出頭していた。
昨日訪れた法廷の奥、その上の法壇に裁判官が三人並び、デニスとアトリエ、そしてセスタピッチとスティーブンスが左側の席に座る。
ビビアは傍聴席側に座っており、他の傍聴人は存在しないようだった。
他にも座っている者たちはいるが、それは採血のために待機する医官たちだ。
待っていると、法廷に三人組の男たちが入ってきて、向かい側の席に座る。
「どれがジョゼフだ?」
デニスが小声で聞くと、セスタピッチが答える。
「中央の銀髪です」
三人の真ん中に座るのは、アトリエと同じ色の豊かな銀髪を伸ばした中年の男だった。
「…………」
デニスがスティーブンスをちらりと見ると、彼は緊張しきっているようで、絶えずハンカチを使って額や首元の汗を拭っていた。
どうやら、この老執事は緊張性の発汗が著しい性質のようだ。緊張するのは仕方ないが、妙なヘマはしてくれるなよ、とデニスは思う。
役者が揃い、法廷が開かれる。
三人の裁判官の長であるらしき、中央に座る年を取った法官が、しわがれた声を上げた。
「それでは、ワークスタット家前代当主、ファマス卿の遺言を受理した王政府の要求により、王立裁判所が遺言の正統性及びワークスタット家の『血』と『知』の相続、その正統な跡継ぎについて審査いたしましょう」
老法官はデニスらの席を見やると、老眼鏡を構えながら机上に置かれた洋羊紙に目を通した。
「二等法官セスタピッチ、元ワークスタット家執事長トニー・スティーブンス……それにアトリエ・ワークスタットとその代理人……元『ブラックス・レストラン“副料理長”』……元『銀翼の大隊“料理番”』、現飲食店経営……デニス・ブラックス」
名前を呼ばれた者たちが立ち上がり、法廷に向かって会釈する。
「向かって、一等法官アンドリュー、現ワークスタット家副執事長イドリゴ・セルバンテス、現ワークスタット家当主ジョゼフ・ワークスタット」
デニスらの向かいの席に座る者たちも立ち上がり、法廷に会釈をした。
一瞬、ジョゼフとデニスの目が合った。
「ふん……誰かと思えば、元『銀翼』の腰抜けと噂のデニス料理人じゃないか」
ジョゼフがそう言った。
「おや……覚えちゃいないが昔の顧客だったかな? ジョゼフ卿さんよう」
デニスがそう言った。
「どうやらウチの看板娘が世話になったようじゃねえか。ただじゃあおかねえ」
「噂通りの礼儀知らずの野蛮人だな。身の程を弁えるがいい」
「静粛に! 静粛に! それでは、本審理を開始いたします!」