12話 追放奴隷と陰謀の法廷 (前編)
昼時の戦場じみた多忙さを駆け抜けた、ある日の冒険者食堂。
大方の客が掃けた後で、デニスは椅子に座って小休憩を取っていた。
「あー、流石に疲れるな。スキルを多重発動させて高速で注文捌いてたら、流石に身体がもたねえわ」
「ほんと、なんていうか、もったいないスキルの使い方してますよね……」
「そのおかげで、冒険者食堂は速い! 安い! 旨い! の三拍子ですからね!」
ビビアとヘンリエッタがそんなことを話していると、カラカラと鈴が鳴る。
見てみると、この辺りだと珍しい、身なりの良い恰好をした初老の紳士だった。
「おっと、これで昼は最後かな? アトリエ、バチェル、外をかたしてくれ」
「了解やで!」
バチェルがそう答えて、カウンターから出て行く。
アトリエもピースサインで応えて、バチェルについていこうとした瞬間、
入店して来た紳士が、アトリエの目の前で跪いた。
「あ、ああ! ほ、本当にこんなところに! あ、あああ!」
アトリエの前で跪いた紳士は、そのまま縋り付かんとする勢いだ。
「お、おいおいおい! どうしたどうした!」
「ロリコン!? ロリコンですね!? 斬りますか!?」
「初手ロリコン断定はまずいですよ、ヘンリエッタさん! いやでもロリコンかな!? でも斬らないでくださいね!?」
「お、お嬢様! アトリエお嬢様! 私です! 執事長の……!」
初老の紳士は、感極まった様子で掠れた声を出す。
それを聞いたデニス達は、顔を見合わせた。
「お嬢様?」
アトリエは泣きながら縋り付く初老の紳士を見て、口を開く。
「……スティーブンス?」
「そうでございます! アトリエお嬢様! アトリエ・ワークスタットお嬢様!」
「ワークスタット?」
「ワークスタットって?」
デニスとヘンリエッタがそう言って、顔を見合わせる。
「わ、わわわワークスタット家!? え、えええっ!?」
「わわわわワークスタット!? ほんまぁ!?」
ビビアとバチェルが、素っ頓狂な叫び声をあげる。
「なんだ、知ってるのかビビア、バチェル」
「逆に何で知らないんですか!? 常識無いんですか!?」
「お前にそこまで馬鹿にされる日が来るとは思わなかったなあ」
「わたしもわかんないです……」
「ワークスタット家! 王国最大の魔法使い一家の頭領! 全ての魔法使いの序列最上位の血筋やで!」
バチェルが興奮した様子でそう言った。
「この日を待っておりました! あの屈辱の日からずっと! お嬢様! ついにこの日が来たのですよ!」
カウンターに座ったスティーブンスは、ハンカチで涙を拭っていた。
「う、うぅ……まさかお嬢様が、こんな汚らしい食堂の給仕に身を堕とされているとは……」
「こいつ叩き出していいか?」
「デニスさん、お気持ちはわかりますが先に事情を聞きましょう」
「私、ワークスタット家元執事長のスティーブンスと申します」
スティーブンスは出されたお茶には手を付けないまま、言った。
「王立裁判所に依頼されまして、アトリエお嬢様をお迎えに上がりました」
「一体どういうことだ? 話が全く見えてこないんだが」
「お嬢様は、お家を追放されていたのです。それもこれも、あのにっくきジョゼフのせいで! お嬢様は、お父上の弟……つまりは叔父にあたるジョゼフに家督を奪われ、ワークスタット家の正式な血筋ではないという因縁を付けられて、お家を追放されていたのです!」
スティーブンスは口の端に泡を溜めながら、興奮した様子で喋る。
「それで……今更なんだってんだ?」
「今になって、お父上の遺言が見つかったんですよ! アトリエお嬢様こそがワークスタット家の正式な跡取りであり、その財産と権力の全てを相続するという遺言が! 今まで巧妙に隠されていたもので、家を乗っ取ろうというジョゼフでも見つけられなかったのです! それが、今になって王政府の裁判所に正式に受理されたのです! 王立裁判所は、アトリエお嬢様の正統性に関する再審を要求しました! これは、絶好の反撃のチャンスなのですよ!」
「ちょっと興奮しすぎてて何を言ってるのか微妙にわからんな……ビビア、理解できたか?」
「ま、まあ……どうしてそうなったかはわからないんですけど、大体は」
デニスはアトリエの方を見た。
「だってよ、アトリエ。よくわからんが、朗報みたいだぞ」
椅子に座って話を聞いていたアトリエは、デニスの方を見た。
「今こそ、あのにっくきジョゼフを裁判で打ち倒し、あの男の不義を全て明らかにするときなのです! そうすれば、アトリエお嬢様は正式なワークスタット家の跡継ぎとして認められ、お家を継ぐことになるのですよ!」
「行きたくない」
アトリエは端的にそう言った。
「どうした、アトリエ」
「どうでもいい」
アトリエはそう呟いた。
それはデニスが初めて見る、アトリエの明確な拒絶の意思表明だった。
「どうしたというのですか、お嬢様! お父上は、あのジョゼフに謀られても、死の直前まで貴方を想っていらしたのですよ! 一緒に王都に戻り、あのジョゼフと戦いましょう!」
アトリエは、居心地の悪そうな顔をしていた。
それはほんの微妙な変化だったが、表情の乏しいアトリエと今まで暮らしてきたデニスにならやっと感じ取れるものだった。
「あー……そうだな。何だか当人は乗り気じゃないみたいだが、とにかく連れて行った方が良さそうだ」
「当たり前です! こんな薄汚れた犬小屋で、お嬢様をこき使いよって! お嬢様は、早く元居るべき場所に帰るべきなのです!」
「黙って聞いてればこの野郎。てめえ、こいつが奴隷で売られた時は一体何をしてやがったんだ? 今まで一体どこでどうしてやがったんだ?」
「私だってお家を追放されていたのですよ! やっとの思いでここまで来たのです!」
「今さらノコノコ現れやがって。信用ならねえ奴だ……しかし、まあ、なんだ」
デニスはアトリエの方を見た。
彼女は相変わらず、デニスの方を見つめている。
「……行きたくないか?」
コクリ、とアトリエは頷いた。
「……まあ、何があったかは微妙にわからんのだが、もらえるもんは貰っといた方が……いいんじゃないかなあ?」
「デニス様も、来てくれる?」
「ああ、もちろん……お前のして欲しいようにするさ」
「……ということで、ヘンリエッタ、バチェル! ちょっと何日か留守にするからよ。店番頼んだわ」
「了解ですよ!」
「もうバッチリお任せやで!」
「店は閉めておいて、あとは勝手にしてくれればいいからよ。泥棒避けだな」
デニスは卸したての慣れない紳士服を着ながら、締められた襟元を窮屈そうにしている。
ゆるい服を好んで着るデニスにとって、こういうかっちりとした衣装はどうにも落ち着かない。
オーダーメイドならまだマシなのだが、時間も無いので既製品を買ったおかげで、肩幅や胸囲の関係で上半身が特に窮屈だった。
その隣で、同じく青い礼服に身を包んだビビアがいた。
「僕、付いて行っていいんですか!? 本当に良いんですか!?」
「ああ、ビビアは付いてきてくれ。俺は上流階級とかそういうの、よく知らねえからよ。お前詳しいだろ」
「任せてくださいよー! いやー楽しみだなあ! この礼服、昔に貯金はたいて買ってから一回も着ることなかったからなあ! やっぱり僕、かっこいいなあ! こういう衣装が似合うよなあ!」
「お前意外とそういうとこあるよな……アトリエー? 準備できたか?」
デニスがそう呼ぶと、アトリエが店から出てきた。
スティーブンスが持ってきた黒と紫のドレスに身を包んだアトリエは、たしかに高貴な出の令嬢といった雰囲気だ。
その辺りの子供に着せてもこうはならないだろう、とデニスは思う。
アトリエはやはり沈んだ雰囲気で、デニスの袖を引っ張った。
「なんだ、アトリエ。まあ何か、向こうでものすごく嫌なことがあって、気が進まないのはわかるけどよ。こういうのはちゃんとしておいた方がいいぜ。もしかしたらお前もこのまま、大貴族の仲間入りかもしれねえんだろ?」
「……早く終わらせて、戻ってくる。あの場所にはもう、あんまり居たくない」
「よし、お前が今月話した中で一番の長文だな。そうしようぜ。もし向こうで具合が良ければ、またその時考えりゃいいんだ。大体そんなもんだよ。行ってみたら意外と楽しめた、みたいなさ。元気出せって」
デニスがそう言ってアトリエの頭を撫でると、アトリエはくすぐったそうにして、やや表情を解した。
馬車を用意していたスティーブンスが、中から顔を出して呼びかける。
「お嬢様! それと下々の者たち! 出発いたしますよ!」
「あいつのあの感じは、何とかならないのか」
「まあ下々であることは事実ですからね。仕方ないですよ」
「準備はお済みですか!? いざ王都へ!」




