22話 ハッピーエンド (後編)
「あー…………」
王城の最上部で、ヒースはなかば脱力しながら、そんな長いうめき声を上げている。
「ぐっ……ぐぁあっ……!」
彼の視線の先には、苦しそうに呻きながら、それでも立ち上がろうとするデニスの姿。
致命傷の応酬の末に、未来予知では避け切れない攻撃が必ず存在する。
その攻撃を受けるたびに、デニスの骨は砕かれ、肉を抉られていた。
未来予知と過去改変。
いくら数秒先を予知したとしても、物理的に避け切れない攻撃までは対処できないデニスと、
何度殺されようとも、何度首を叩き斬られようとも、何度『強制退店の一撃』で圧殺されようとも、全て無かったことにできるヒース。
二人のスキルの根本的な優劣が、ダメージの蓄積に如実に現れようとしている。
ヒースのオールバックに纏めていた髪は振り乱れて、毛束が何本も跳ねて、顔前に垂れている。
彼は歩き出しながら、疲れ切ったようにして、デニスを指差した。
「もう……立ち上がるなよ。脚の骨を砕いてやったろ……」
「黙れ……てめえだけは、絶対に、ぶち殺して……」
デニスはそう言いながらも、立ち上がろうとして突いた腕の肘が、力なく折れてしまう。
ごしゃりと音を立てて地面に這いつくばるデニスを眺めながら、ヒースはよろよろとした足取りで、アトリエの方へと向かった。
ひどい頭痛だ。
幾度も首を斬られて頭を潰されて、殺された不快な感覚が、ヒースの頭に後を引いている。
まだ首が繋がっているか自信が無くて、彼は何度も首をさすっていた。家の戸に鍵をかけたか心配になるみたいに、きちんと過去改変できているか心配になる。
彼はアトリエの前で跪くと、彼女に顔を近付けた。
「さあ、どんなスキルになった?」
その声は、アトリエには二重に重なった状態で聞こえている。
現実世界で、自分に顔を近付けるヒースと。
開いた意識の扉の先から、そう問いかけるヒース。
「ちゃんと僕好みのスキルになったかな。まあどっちにしろ、やることは変わらん」
彼は流し目で、大窓の外を覗いた。
どこまでも広がる夜空と、その下に広がるオーロラのような薄膜。
それはゆらめきながら、この世界全体にかかるカーテンのように、空という空を覆い尽くしている。
アトリエが発現させようとしているユニークスキル……何が起ころうとしているかはわからないものの、とにかく相応の規模であることに間違いはない。
「君に、このスキルをあげよう」
アトリエの頭を掴み、彼女の額に、自分の額を擦り合わせる。
「上手くいくかな……何が起こるかな。まあ、上手くいかなかったら、また別の方法を試せばいい……何事も実践だ」
ヒースは彼女の額に、自分の頭を擦り付けながら呟く。
「『ガラクタ渡し』……」
その瞬間、アトリエの頭脳に、今まで感じたこともないほどの大きさのスキルが流れ込んだ。
それはもはや、何かの塊というよりは、建造物のような、荘厳な神殿のような広がりを持った空間のように感じられた。身体の中に巨大な神殿を押し込まれるような、形容しがたい不可思議な感覚。
しかし不思議なことに、先ほどのような不快さや苦痛は感じない。
その大きすぎるスキルは、奇妙なほど簡単に、スルスルと彼女の中に入っていく。
何が起こっているのか、アトリエだけが知覚していた。
彼女に入り込んできたはずのスキルは、彼女の周囲に開いた誰かの意識の扉へと、吸い込まれるように流れ出していく。そのスキルは彼女を通して、この世界に開いたすべての扉へと流れ出していく。
それは粘着質な、黒い液体のようにも見えた。
その黒い液体は、ほとんど無限に近しいほど広い空間に垂れ流れながら、今まで窮屈な思いをしてきたかのようにブクブクと泡立って、膨らんでいく。
狭い籠の中に囚われていた鳥が、その窮屈な檻から解き放たれて、両翼を広げて飛び立とうとするような。
それはもはや、アトリエだけのものではなかった。
それはみんなの物だった。
空を覆い尽くすオーロラの色が濁っていく。
白いハンカチの上に血を垂らしたように、朱色を滲ませて、赤く染まっていく。
バチリッ、と赤い閃光が瞬いた。
それは次々に炸裂して、薄膜の表面に輝かしい、赤い稲妻を走らせる。
夜だというのに、今夜はとても明るい。
この世界に生きる者の分だけ輝く、赤い閃光が空を満たしている。
◆◆◆◆◆◆
王城で夜遅くまで仕事をしていたティアの父親は、王都で何が起こっているのか気付いていた。
「まずいぞ……私に、何かできることはないのか?」
そう呟きながら、彼は戸棚を漁って武器になりそうな物を探している。
エステル真王に健康促進事業のオブザーバーとして招集されてから、彼は忙しい日々を送っていた。エステルには少し休めとは言われたものの、結局幻霧祭の日も休むことができず、自主的に残業をしながら業務にあたっていたのだ。
しかしまさか、こんなことになるとは。
「こ、これでいいかな……?」
彼は戸棚から、脚が不自由な人へと無料で配るために作られた試作品の杖を取り出すと、それを武器にして王城前の広場へ加勢に行こうとする。
そして、部屋から出るために振り返ると。
そこには、椅子に座っている、自分の娘がいた。
「……ティア?」
「お父さん?」
どこからともなく現れた、死んだはずの自分の娘を見て、彼は思わず自分の目を擦る。
しかしいくら目を擦っても、頬をつねってみても、その娘はそこにいた。
かつて死んだはずの娘……ティアは、彼の目の前にいた。
◆◆◆◆◆◆
その現象は、王都全域で同時に発生し始めていた。
死んだはずの人間が、まるで生き返ったかのように存在している。
ある者は死んだ母親と対面し、
ある者は亡くなった恋人と出会い、
またある者は、死んだはずの従者たちに囲まれていた。
「姫様!? ど、どどどどどうなっていますかぁ!?」
「はっ!? ここは、ここはどこでおじゃるか!? そして姫様!?」
フィオレンツァが率いて、攻勢に出た子供たちと交戦していたエステルは、
突如として自分の目の前に出現した、かつての自分の従者……デラニーとエピゾンドの姿を見て、目を丸くする。
「……えっと? あれ? はい?」
「姫様! 何だかよくわからないけど、ご無事でしたか!」
「会えて嬉しいでおじゃるよ! ところで、これって一体どういう状況でおじゃるか!?」
二人に抱き着かれながら、エステルは目を白黒とさせている。
「う、うん? えっと? お主ら、なんじゃ? えっと?」
状況を飲み込めていないエステルのことを、周囲の町民やビビア、それにケイティやジョヴァン団長が困惑した様子で眺めていた。
双剣を構えていたケイティが、エステルに尋ねる。
「あの……その人たち、どこから現れたの?」
「よ、余が聞きたいわ! あ、あれ!? お主ら、なんで居るの!? なんで!?」
そして、彼らに対面している子供たち。
そちらの側にも、似たような現象が発生しているようだった。
「お母さん……!」
「あんた、何やってるの! ここ、王城の敷地内じゃない!」
防衛線を築いていた子供たちの一人が、突然母親らしき人物の拳骨を喰らった。
彼はそれを受けて、泣きながら、笑顔を浮かべている。
「い、いってえ! 痛い! 痛いなあ…!」
他の子供たちにも、同じ現象が発生している。
「お父さん……お父さん……!」
「……ドロシー? あれ……?」
ある父親は、我が子に泣いて抱き着かれながら、不思議そうな顔を浮かべていた。
「おばあちゃん……! 会いたかったぁ……!」
「よしよし。どうしたの……」
またある老婆は、泣きじゃくりながら脚にしがみついて来る子供に、状況はわからずとも、とにかく頭を撫でてやっていた。
その光景を見て、フィオレンツァは王城の方へと視線を向ける。
「始まりましたか……ヒース様」
◆◆◆◆◆◆
「世界の終わりだ」
王城の尖塔。
その大窓から王都の様子を眺めているヒースが、そう呟いた。
「僕たちはみな追放者なのだ。この世界の全ての追放者たち。完璧な幸せから追放された者たち。世界の不完全さによって、世界の欠陥によって、永遠に悲しみながら生きることを余儀なくされた者たち」
彼は空を覆い尽くす薄膜の上で瞬く、無数の赤い閃光を眺めた。
それは『英雄は斃れず』を使用した際に生じる、過去改変による時間の傷跡と同じものだ。
「初代王ユングフレイのスキル……『全ての美しい記憶』は、彼女を通じて全人類に共有された……! 彼女が全てを繋いだのだ! 全人類の意識が接続され、その巨大な意識網の中に、『バタフライ・エフェクト』が本来の形で存在している。誰にでも手が届く形で、誰にでも使用できるパブリックな形でな。正確なところはわからんが……たぶん、そういうことだろう」
アトリエが発現させた未知のユニークスキルの中に、『ガラクタ渡し』によってエステルから奪ったスキルを流し込む。
そのまま彼女が、流し込まれる極大スキルに耐え切れずに圧死してしまう可能性はあったが……というよりも、その可能性の方が高かったのだが。どうやら上手くいってくれた。
覚醒途上だったユニークスキルが、宿主の死を回避するために、必要性に応じてそのように変質したということだろうか。彼女が極大スキルによって圧死してしまうのを防ぐために、接続した人類の意識上へと、その余剰分を逃がしたということだろうか。
結局のところ、それが正確にはどういったメカニズムかは、ヒースにもよくわからない。
『過去改変』の力を持った王家と、『人の心にアクセスする』力を持った精神干渉一族の少女。
かけ合わせた際に何らかの相互作用が存在するはずという憶測に、幾重にも渡る推測を重ね、飛躍した希望的観測の上で行った結果。
どうせ上手くいかなかったら、別の方法を探すだけだった。
しかし、その手間が省けてよかった。
「そんなことは……望んでいない」
呟いたアトリエに、ヒースが振り返る。
「いいや。これは君がそう望んだから、そうなったのだ。エステル王によって発現させられた『バタフライ・エフェクト』が、彼女の真の望みを叶えようとしたようにな……」
ヒースはそう言いながら、アトリエに歩み寄る。
「君にも変えたい過去があるだろう…! 会いたい人がいるだろう! 毒殺された父親か? ファマス・ワークスタットにもう一度会いたいか? 何事もなく、平穏に生きたかったか? 『バタフライ・エフェクト』はそれを叶えようとしている。君が心の底でそう望んでいるから、それを実現させるべく起動しているのだ! 宿主が死なぬように、しかしその願いを叶えるために! あの王のスキルは自立して、君を通して人類の意識の中に住み着き! その全てを所有者として認めて連鎖的に発動している……!」
歩きながら、ヒースは嬉しそうに呟く。
「そしていまや! 『バタフライ・エフェクト』は全人類の、不都合な過去を改竄したいという普遍的な願望と結びついたっ! 全ての人の、修正したい過去が改竄される! 因果律は崩壊し、過去と現在の境目は消滅する! 孤児は死んだはずの親に甘え、死に分かれた恋人たちは愛を確かめ、我が子を失った親は死んだはずの子を愛でるだろう!」
うわ言のように、ヒースはそう語った。
彼が思い描いていたハッピーエンドが実現しようとしている。
彼がそうなって欲しいと思っていた世界の形が、実現しようとしている。
「この世の全ての過ちは正され、最後に全ての間違いを修正するチャンスが与えられる! 世界は完璧な幸せの中で環を閉じる! そしてこれ以上の悲しみが産まれぬうちに、この世界は過去改変の負荷に耐え切れずに崩壊するだろう……エステル王が未遂に終わったようになあ!」
ヒースは拳を握りしめ、アトリエに向かって叫ぶ。
「それが『世界の終わり』だ! この世界は究極の幸せの中で終幕し、最後の瞬間にこの世界に生きた全ての出演者たちが並び立つ! さながら舞台のカーテンコールのように! 初代王のスキルと君の精神干渉スキルが融合して共存し、君の願いによって発現したこの形! このスキルを、『終幕』と名付けよう!」
そう言ってから、ヒースは自分の手のひらを眺めた。
「しかしどうやら……僕には適応したままの『英雄は斃れず』の形で定着しちまってるらしいな。この刻印のせいか? これじゃあ、僕だけ会いたい奴に会えねえじゃねえか……まいったな」
ヒースは自分の顔に刻まれた幾何学模様を指でなぞると、半死半生の状態でようやく立ち上がったデニスに気付いた。
「まあ、なんとかなるさ。お前を片付けた後に、フィオレンツァの所にでも行こうかな」
カツカツ、とデニスへと歩み寄りながら、ヒースが語り掛ける。
「安心しろよ。お前も今のうちに死んでおけば、誰かの隣で復活できるかもしれないぜ。だからこれ以上僕の、全人類の幸福の邪魔をしないうちに死んでおけ……っ!」
◆◆◆◆◆◆
「お兄ちゃん……?」
「うぅぅ……ぅぅぅ……っ!」
建物の屋上で。
画材を放り投げた片足の少年が、小さな少女のことを抱きしめていた。
力の限りに抱きしめられるその少女は、何が起こっているのかわからずとも、
とにかく、彼の細い身体を、抱きしめ返してやる。
すぐに来るものと思われた攻撃の嵐が、なぜか延期されていた。
大通りに転がっていたヘズモッチやセスタピッチ……それにジュエルやポワゾンらは、ゆっくりと立ち上がりながら、辺りを見渡している。
崩壊した防衛線へと近づいていた少年たちが、通りの向こう側で、歩みを止めていることがわかった。
彼らの傍には、誰か知らない人物が立っている。
子供たちは彼らに抱き着いたり、泣きついたりしながら、子供じみた泣き声を上げていた。
「なにが……起こってるんですかね」
「わからん……だが、今のうちに……」
ヘズモッチとセスタピッチがそう呟き合っていると、
ズシン、という巨大な足音が轟き、彼らはいつの間にか、大股で歩く巨大な石巨人に接近されていたことに気付いた。
「に……逃げよう! とにかく! 今のうちに!」
「待って! みんなを連れて行かないと!」
二人がそう叫んだ。
彼らの周りには、先ほどまで防衛線を築いていた負傷者が、未だ起き上がれずに何人も転がっている。
石巨人の脚へと砲撃を繰り返していたオリヴィアも、彼らに合流した。
「と、止まりマセン! 奥の固い部分に当たっているヨウデ、これ以上は削れマセン!」
「どうするのよ! このままじゃみんな踏みつぶされるわよぉ!」
ポワゾンがそう叫んだ。
「か……担げる人だけでも! でも、ああっ!」
石巨人の大きな足が伸びて、大通りに転がる騎士たちを踏み潰そうとする。
今しがた起き上がろうとした騎士の一人が、頭上に見えるその巨大な石足の底を見て、戦慄の表情を浮かべた。
「う、うわあぁっ!」
「アブナイ!」
その瞬間、咄嗟に飛び出したオリヴィアが、彼へと体当たりして突き飛ばす。
「オリヴィアさん!」
身代わりになって潰されようとするオリヴィアに、ヘズモッチが叫んだ。
彼女は背部の出力で飛んで逃れようとするが、それが間に合わないことを知った。
「――――アッ」
そんなオリヴィアの声が聞こえた瞬間、
大質量の体重が、ズシンと無慈悲に踏み落とされる音が鳴り響く。
その光景を、その場で意識があった皆が眺めていた。
土煙が舞い上がり、その足元が見えなくなる。
「オリヴィア、さん……」
その様子を、ヘズモッチは唖然とした表情で、ただただ眺めていた。
あっけなさすぎる。
あまりに、あっけなさすぎる。
そして煙が晴れた時、
そこに見えたのは……
オリヴィアの頭上に展開した分厚い魔方陣が、巨人の足を間一髪で受け止めている光景だった。
「……これは一体、どういうことかな……」
オリヴィアはいつの間にか、他の者たちが見たことのない、蒼髪の青年に抱き上げられている。
その青年の顔を見て、
その懐かしい顔を見て、
オリヴィアは、うまく動かない機械の顔を破顔させた。
「ユヅト様……っ!」
「一体何が起こってるんだろう……オリヴィア、説明してくれないか?」
古代の古めかしい魔法使いのローブを着たその青年は、オリヴィアを抱きかかえたまま、
空中に展開した魔方陣によって、石巨人の足を食い留めながら立ち上がった。
「一体何なんだ? このガラクタのデカブツはなんだ? 時空が歪んでいるのか? ここはいつの時代だ? ぼくが作ったはずの魔法は退化してしまったのか?」
蒼金髪の青年……奇械王ユヅトはそう言うと、バシンッ、という激しい音と共に、その背後に無数の魔方陣を一瞬にして展開した。
「まあとにかく。質問はコイツを片付けてからにしようかな」