16話 幻霧祭 (後編)
王都の近くの林。
その木影に隠れるようにして様子を窺っているのは、神狼のポチだった。
もうすっかり暗くなった夜の林で、彼の灰色の毛並みは木や草の影と同化し、林の暗黒の中で目だけが光っている。
「『“もうすぐ、か……。”』」
彼はいつも潜っている森の奥から重い腰を動かし、この王都の近くまでやって来ていた。
普段は人里に近づかない神狼の彼であるが、この日だけは別である。
煌めく霧に包まれる、幻霧祭の華やかな様子を眺めるのは、彼の一年の楽しみの一つだ。
かつての主人である幻獣使いのナチュラと死別してから、かなりの年月が経って始まった祭りではあるが……スキルを結晶化して破壊し、あのようなお祭りにするとは。
人間というのは極まれに、面白いことをするものである。
「『“……ふむ……。”』」
神狼はいつものように寝入ってしまわないように気を付けながら、もうすぐ始まる祭りの、七色に瞬く霧が王都を包み込む幻想的な光景を楽しみにしていた。
傍にあの少女がいてくれたら、もっと良いのに。
そういえば、いつかの料理人が作った弁当も美味かった。
あの銀色の髪をした、無口な少女は元気だろうか。
ああいう物を食べながら、誰かと一緒に、このお祭りを眺めていたいものである。
なるほど、人間というのはそういうのを楽しみに、群れているわけであるな。
来年は、鹿や小鳥たちも連れて来ようか。
◆◆◆◆◆◆
「がっ! がぁっ……!」
王城の最上部。
開かれた大窓の外へと、ジュエルは放り投げられようとしている。
彼女はその細い首を掴まれたまま片手で持ち上げられて、床の存在しない大窓の外へと身体を差し出されていた。
「ジュエル・ベルノー……王家お抱えの鍛治一族、か」
苦し気に呻くジュエルを掴んでいるのは、黒い礼服姿のヒースだった。
彼はジュエルを左手で持ち上げながら、その掴んだ手を開くだけで、目も眩むほどの高さから落下させられるようにしている。
「な、なんの……つもりだ……っ!」
「なんのつもりか? 良い質問だな」
ヒースはそう言って、口角を上げた。
鼻にかけた分厚い眼鏡の奥に見える、彼の白色に濁った左目とかろうじて視力を残す右目が、伸ばされた片手で生殺与奪を握るジュエルのことを見据える。
「とても良い質問だ。良い質問すぎて、お前にペラペラと計画を全部話してしまいたくなるよ。承認欲求って奴だな、これは」
言いながらふと上を見上げて、ヒースはそう呟いた。
「物語には大事なところでベラッベラと喋りすぎる悪役が多いが、あいつらの気持ちもわからなくはない。一生懸命考えた作戦を、謎に包まれた自分のことを、誰かに聞かせてやりたいというのは自然な欲求だよな」
そこまで言ったところで、彼はジュエルに視線を戻す。
「だが、残念ながら時間が無いもんでね。大丈夫さ。いま死んだって、大した違いじゃないぞ」
そう言うと、ヒースはジュエルの首に食い込ませていた指を、放り投げるようにして開く。
「もうすぐ、そんなものは意味が無くなるんだ」
「――ちぃっ! 舐めるなぁっ! 『複製』!」
遥か下の地面へと突き落とされようとした瞬間、ジュエルは彼の手首を掴み、彼の身体を瞬時に複製した。彼の身体からもう一人のヒースが複製され、そこから剥がれるようにして本物の方のヒースがよろめくと、ジュエルに引っ張られて共に王城の最上部から落下しようとする。
ヒースの手首を掴みながら空中で身を翻したジュエルは、一緒に宙へと投げ出された彼の身体を蹴り飛ばし、その反作用で移動して窓の縁を掴んだ。
なんのスキルで対応する――――!?
ジュエルは間一髪で危機を切り抜けながら、刹那の間に戦闘の思考を巡らせた。
複製した方のヒースは、溶解して肉塊へと姿を変えようとしていた。そのジュクジュクとした液体が、窓の縁を掴むジュエルの指に不快に垂れる。
戻ろうとしても、再度蹴りつけた先から複製してやって、行動を阻害し剥がし落としてやる――――!
「やるじゃないか。複製スキルにこういう使い方があるとは」
ジュエルによって逆に空中へと放り出されたヒースは、そう言って笑った。
「だが無意味だ」
その瞬間、彼の肌に刻まれた刺青のような幾何学模様が発光し、赤い閃光が迸る。
次の瞬間、空中へと放り出されていたのはジュエルの方だった。
「――――えっ?」
時間が飛んだような奇妙な感覚。時間が巻き戻ったような違和感。
立場が再度逆転した。
復帰したはずのジュエルが再び宙に浮かび、ヒースは何事も無かったかのように床に立っている。
「『英雄は斃れず』。複製された過去を修正した……何をしたって無駄なんだ。このスキルの前ではな」
「…………は?」
ジュエルの身体は、自由落下により、そのまま下へと落下していく。
「づっ!? ぐぁあっ!」
風を切り裂きながら、即死確定の目下へと落下していくジュエルは、自分の複製スキルで何かできないかと空中でもがく。
王城の外壁に触れさえすれば――駄目だ! 自分を複製して緩衝材に――衝撃を和らげ――間に合わな――いや、そもそもこんな高さでは――死――
そして、地面へと激突する直前で――――
横合いから飛翔してきた何かに突撃されたジュエルは、そのまま抱きかかえられて、夜空を滑空した。
衝撃で頭が眩んでいるジュエルに、その飛翔してきたメイドが叫ぶ。
「大丈夫デスカ!?」
「お、オリヴィアちゃん!」
飛んできたのは、背部の出力口で飛行するオリヴィアだった。
ジュエルを抱えて飛翔するオリヴィアは、一旦大広間の石柱の上まで弧を描いて飛ぶと、その上へとジュエルを下ろした。
「どうされマシタカ!? 落ちていくのが見えたノデ……」
「エステルに知らせないと!」
ジュエルが叫んだ。
「あの男が来た! あいつ、何かするつもりだ! アトリエちゃんも一緒にいた!」
◆◆◆◆◆◆
ほぼ同時刻。
馬を駆ってちょうど王都へとたどり着いていたデニス達は、王都の入り口の一つで馬を繋ぎながら、異変に気付いていた。
大通りの様子を眺めながら、デニスが呟く。
「幻霧祭は、まだ始まっていないのか?」
「そろそろのはずですけど……遅れてるんですかね?」
そう答えたのは、コートから懐中時計を取り出して時刻を確認しているビビアだ。
正面入り口から大通りを貫いて、はるか遠方には聳え立つ王城の姿が見える。
しかし、ここからでは状況まではわからない。
「幻霧祭が始まるのは何時からだ?」
「20時からの予定よ」
馬から降りたケイティがそう答えた。
デニスの隣に立つビビアは、自前の懐中時計を覗きながら不思議そうにしている。
「ちょっと遅れてるみたいですね……僕の時計がおかしいのかな」
「嫌な予感がするな」
デニスは遠方に見える小さな王城を見つめながら、そう言った。
「何か、おっ始まろうとしてやがるぞ」
◆◆◆◆◆◆
始まらない幻霧祭。
何が起こったのか訝しむ観衆たち。
そのざわめきは、突如として群衆の中から轟音と排気と共に飛び出して、目にも止まらぬ速さで王城へと飛翔していったオリヴィアの姿もあり……すでに、混乱状態へと陥ろうとしている。
何が起きている……?
ステージの上で困惑しているエステルが、ふと背後を見やると。
何やら人がたくさん……よく目を凝らしてみれば、年端もいかぬような子供たちが。
王城の目の前に、いつの間にか十何人も整列して並んでいるのに気付いた。
王城の敷地内に……?
警備兵は、騎士団は、近衛兵はどうしているのだ……?
エステルが王城の前に並ぶ子供たちを見ていると、彼らは手を繋いで横一列に並び始めた。
そして彼らは、声変わり前の高い声色で何かを告げる。
観衆たちに向かって、国民たちに向かって。
この世の全てに向かって。
「偽善者たち。お前たちは偽善者たちだ」
まるで合唱のように、その声は響き渡る。
「善人ぶって、さも善良ぶって。関心があるふりをして無関心。遺憾を表明しながら何もしない。行動を伴わない善良さよ。本当の問題から目をそらし続けた偽善たちよ。我が身が何より愛しい偽善者たちよ」
王城前に整列する子供たちは、声を揃えてそう言った。
「お前たちの幸せが、何を踏み台にしてきたか知るが良い。何を虐げながら、お前たちが幸せでいられたか知るがいい。お前たちが温かい家で笑っている間に、冷たい雨の中で誰が泣いていたかを知るが良い。そしてそれを知りながら、これまでのうのうと生きてきたことを自覚するといい」
その声は共鳴するように、不思議に響き渡る。
「お前たちは修正しなければならない過去である。僕たちこそが輝かしい終わりの未来である。寛大なる僕たちは、お前たちの全てを救ってあげよう。明けない夜は存在しないが、それも今日限りであることを知るといい」
アトリエ「特典情報」
デニス「予約すると、色んなところで特典SSとかリーフレットが貰えるらしいな!」
ビビア「詳細は、作者の活動報告で!」
◆追伸
すでに入荷している本屋様もあるようです!
また『あなたのこだわりチャーハンレシピ』企画が、オーバーラップ情報局公式Twitterで開催中!
「あなたがチャーハンを作るときのこだわり」、募集中でーす!!!
詳しくは活動報告にて!