14話 立ち上がるのは、いつも最終決戦の前に (後編)
「ということで……」
話し終えたデニスは、町民たちに向かって再度口を開く。
「みんなが今まで、俺たちに協力してくれたのも……アトリエの精神干渉によるものが大きいらしい。言ってしまえば……あいつがみんなを洗脳していたようなもんだ。操っていたようなものなんだ」
アトリエの家系と能力について、デニスは知っている限りのことを話した。
彼女が人の精神に干渉することができること。それによって無意識にであるにしろ、トラブルを招き入れ、デニス達に協力するように町全体の意識を調節していた可能性が高いこと。
この場所に追放者たちが集まっていたのは……彼女がただ寂しかったから、同じ境遇の者を集めていたにすぎないのかもしれないこと。
そしてその力を、ヒースという自分の兄と名乗る男が狙っていること。
その話を聞いて混乱する者、納得する者、態度を決めかねている者。
反応は様々だった。
「そういえば、奴隷商なんてずっと見てねえな。昔はよく見たのに」
「たしかに、ふと勇気が湧いてくるような、突き動かされるような……そんな時があったかも……」
「俺っちら……というか、この町が。たしかにこの食堂が出来てから、ガラっと変わったよな……」
ざわつく町民たちの中から、ポルボが声を上げる。
「ンドゥフ……だから、もう力は借りないと?」
「そうだ。今回は俺一人で行く。そうすべきだ」
「ンドゥドゥフ……それなら」
何を思ったか、ポルボは突然町民たちの輪から歩み出た。
「ンドゥフフフ……それならこのポルボは、加勢する権利があるネェ~!」
「あ、あ? ポルボ、話聞いてたかお前。だから、みんなはアトリエに操られて……」
「ンドゥフ。このポルボが最初からアトリエちゃんのことを狙っていたのは、デニスも知ってるところネ」
「……そうだった。お前とアトリエを巡ってな。貯金が吹っ飛んだもんだ」
「ンドゥフフフ。意識がどうとかなんとかは、このポルボには関係ないことネ」
ポルボがそう言って顔の脂肪と一緒に口角を上げると、後ろからツインテールとポニーテールの二人組が手を挙げて歩いてくる。
「えーっ! じゃあウチも行くー!」
「あーっ! じゃあウチもついてくー!」
そう言ってカウンターに座って来たツインテールとポニーテールに、デニスが顔をしかめた。
「あ、あのなあ。だから、危険だから巻き込めねえって言ってんだ。お前らが俺に協力したいのもな。アトリエが……」
「難しいことわかんなーい!」
「っていうか、ウチら食堂の開店初日からの常連だしー!」
「ぴ、ピクニック気分かお前らは……人が死んでんだぞ……」
それに続いて、グリーンとその舎弟も歩みだす。
「ククク……どんな話をするのかと思いきや……ククク」
「フフフ……そんな些細なことだとは思いませんでしたね、兄貴……フフフ」
「お前ら、あ、あのなあ……」
デニスの困り顔にも構わず、二人はカウンターに座り込んだ。
「ククク……元々俺らは何者でもない、ただのかっこつけ……」
「フフフ……活躍できる日を待っていただけの、ただの通行人だった……」
「たしかにお前ら、いきなり出て来たもんな。さも昔からの仲間みたいな顔してな」
デニスはそう言って、思わず「誰だお前ら!?」と叫んだあの夜のことを思い出した。
「ククク……そのチャンスを与えてくれたのは……」
「フフフ……アトリエちゃんですから。取り戻さないといけない……」
「ねえ、デニス」
最後にそう言ったのは、鍛冶屋のおばあちゃんだった。
「全部お前の言う通りなら、私たちの気持ちは全部ウソだったってことなのかね?」
「いや、そういう意味じゃなくてな。だから、その……」
デニスは口ごもって、答えに窮してしまう。
そんな彼に、鍛冶屋のおばあちゃんが言い聞かせるように言う。
「ねえデニス。みんなで正しいことをしようと思った時に、その動機にちょっとでも誤魔化しがあったら、それは全部否定されてしまうのかい?」
「そうは言ってない……みんなには感謝してるんだ。本当に」
「長いこと生きて来たけどね、わたしゃ思うんだよ」
鍛冶屋のおばあちゃんは、弱っている足腰でカウンターに歩み寄りながらそう言った。
「世の中に、混じり気の無い善意なんてあるものかね?」
「わからん。あるかもしれない」
デニスはそう答えた。
子供が母親へのプレゼントを選んであげる気持ち。親が子を思う気持ち。
そういったものには、純粋な何かが含まれているような気がした。
「全てがそうでなきゃいけないのかい?」
「そうも言ってない。だけど……違うんだ。みんなは……」
「それなら、混じり気の有る善意は駄目なのかい?」
彼女はそう言って、デニスのことを見る。
「誰だって、心の底には裏の顔があるものだよ。本当の善人なんてどこにいるんだろう。下心なしに人を助けられる人はどれだけいるんだろうね。その時は善意だと思っても、それは自分を誤魔化してるだけかもしれないね」
「論点がズレてる。そういうことじゃない」
「良かれと思ってしたことが、とんでもない結果になるかもしれないね。逆に下心から生まれたことが、人を助けることがあるかもしれないね」
「違う……そういうことじゃない……だからな」
「じゃあ、どういうことなんだい?」
「俺は……俺は、哲学の議論がしたいわけじゃない!」
彼女に対して、デニスは不意に怒声を飛ばしてしまった。
しん、と周囲が静まり返った。
「いいか! アトリエは取り戻すし、ヒースの野郎は必ずぶっ殺す! 俺がやるんだ! 俺がこの手でくびり殺してやる!」
堰を切ったように、デニスは叫んだ。
「あいつは、あの野郎は! 俺の母親を殺したんだぞ!」
そこまで叫んでから、デニスは何かに気付いたように、表情をハッとさせる。
「そこが本当のところかい?」
鍛冶屋のおばあちゃんがそう聞いた。
「デニス。あんただって、欠点のたくさんある人間なんだよ。みんなだってそうなのさ。完璧な善意なんてどこにもないように、完璧な人だってどこにだっていないのね」
デニスは何と言い返せばいいかわからなかった。
周囲を見てみると、デニスは馬車屋の親父と目があった。
彼は何も言わずに頷いた。
「みんな寄り添って、助け合って生きてるんだよ。ねえデニス。一人で何でも出来ると思わないで。一人でやるべきだなんて思わないで。それはあんたがこの町で、ずっと学んできたことじゃないのかい? 誰かが誰かを助けようと思うことに、あんたは良い悪いを押し付けることができるのかい?」
「だから、みんながそう思うのも、アトリエが……」
「まだ俺たちは、アトリエちゃんの影響下にあるのか?」
そう聞いたのは、馬車屋の親父だった。
「いや……たぶん、もう射程圏外だとは思うが。実際のところはわからん」
「それじゃあ話は簡単だ」
馬車屋の親父はそう言うと、町民たちの中心で、彼らに向かって話す。
「俺たちはたしかに、昔とは違うのかもしれない。変わったのかもしれない。少なくとも良い方向には変わったけれど、変わったこと自体が良いのか悪いのかはわからない。だが、俺はデニスに加勢しようと思う。今の話を聞いても彼に味方して良いという奴は、着いて来てくれ。足は俺が用意する」
◆◆◆◆◆◆
半壊した二階の居住部で、デニスはズタボロのベッドに腰掛けていた。
その傍にはビビアが居て、彼はずっと押し黙っているデニスのことを心配そうに眺めている。
「……落ち着きましたか?」
「わからん。自分がいまどんな感じなのか、よくわからん」
デニスはふと顔を上げると、ビビアのことを見た。
「お前にはどう見える? 俺がどう見える」
ビビアはそう聞かれて、思っていることを率直に言う。
「ちっちゃく見えますね。いつもは大きいのに、すごくちっちゃい」
「そうか」
デニスはそう言って、自分の両手を眺めてみた。
大きくて、ゴツゴツとした手だ。
自分は何かを誤魔化していたのだろうか。
アトリエの件は単なる口実で、自分の手で、自分だけの手でヒースを殺したかっただけなのだろうか。育ての親であるジーン料理長の仇を取りたかっただけなのか。
そのどす黒い殺意に巻き込みたくなくて、みんなを拒絶しようとしていたのだろうか。
でもそれは結局、本当のところはわからなかったし、全部間違っているかもしれないし、全部正しいのかもしれなかった。
「最初に会った時のことを思い出しました」
ビビアがそう言った。
「僕は今よりずっと調子こきで、デニスさんに忠告されたのに、舞い上がってダンジョンの奥まで潜って行って」
「今でもてめえは調子こきだよ。だいぶ落ち着いたがな」
「ははっ。それで結局どうしようもなくて、不思議なことがあって、デニスさんに助けられて」
ビビアはどこか遠い所を見つめるようにして、そんな思い出話をする。
「それから色々あって、助けて助けられて……それで、僕は思うんですけどね」
そう言ってから、ビビアは視線をデニスに戻した。
「アトリエちゃんの能力は、人がこうありたいって思うことを、実現してあげる能力なんじゃないかって」
「……どう意味だ?」
「誰だって、誰かの役に立ちたいと思ってる。誰かを助けてあげたいと思ってる。本当はこうしたいっていうことがある。だけどできない。色んなしがらみがあって、心の中にブレーキがたくさんあって、躊躇ってしまう」
ビビアが言った。
「その背中を押してくれるのが、アトリエちゃんだったんじゃないかなって。アトリエちゃんはこの町で、ここが少しでも良い場所になるように、みんなの背中をずっと押し続けていたんじゃないかって。それが、良いか悪いかは別として」
「良いか悪いかを別にしちまったら、何もわからなくなっちまう。あまり良い理屈じゃない」
「たしかにそうですね」
ビビアはそう言って、デニスのことを見た。
「デニスさんは、本当はどうしたかったんですか?」
「俺か」
デニスは少し考えてから、本当のところを口にする。
「ヒースの野郎を殺してやりたい」
「そうでしょうね」
「でも、本当は、何だろう。それよりもさ……」
デニスはそう呟きながら、呼吸が荒くなるのを感じた。
こみ上げる何かがあった。
「ジーン料理長に……母さんって呼んでやれば良かった」
「そうですね」
ビビアは静かな声色で、ただ肯定する。
「どうして言わなかったんだろう」
「そんなものですよ」
「なんだって遅すぎる。本当にしなきゃいけなかったことは、いつでもできたのに、いつだって遅すぎるんだ」
それを聞いて、ビビアは黙って頷く。
そのうちにデニスは静かに泣き始めて、大きな手で自分の顔を覆った。
「母さんって呼んでやればよかった……変にかっこつけないで、そう呼ぶだけでよかったのに」
「そうですね」
「俺は馬鹿なんだ……ずっと馬鹿で、今までも、これからも、きっと馬鹿なんだ」
「そうかもしれないです。でもきっと、みんなそうやって生きてる」
ビビアは何となくわかったことを、口にしてみる。
この最強の料理人と一緒に、この町で、この食堂で過ごして。
色んな追放者たちを見てきて。
わかったことを、とにかく言語化してみる。
「転んでも、泣いても、傷ついても。追放されても、大切な人を亡くしても……それでも立ち上がって、笑って、寄り添って。間違いながら、時間をかけて、少しずつお互いを、過去を許していく」
ビビアは思考を整理するように、そう呟いた。
「それには時間が必要なんですよ。だから、僕たちはちゃんと生きて行かないと。諦めないで、立ち上がって、歩き続けないと。過去と未来を繋ぐために。過ちの本当の意味を見つけるために。最悪の夜を、最高の夜へと繋げるために」
きっとそうだ、とビビアは言った。
「時間はすべてを解決してくれるわけではないけれど、時間の力を借りなくちゃいけない。そのために、みんな間違っても、辛くても。立ち上がって、手を繋いで、手を貸して、何とか進んでいく。ちょっとでも良くなることを信じて。時間の中で、何かが変わることを祈って」
ビビアが言ったことは、曖昧で、抽象的で、泣いているデニスにはよくわからなかった。
けれど、曇り模様だった空は晴れ始めて、雲の間から光が差し込もうとしている。
◆◆◆◆◆◆
町の墓場を訪れたビビアは、ティアという小さな女の子の墓に水をかけて、綺麗にしてやった後に、かつてダンジョンの奥で自分の命を助けてくれた、シンシアという少女の墓も洗ってやった。
「何となくなんだけど」
ビビアは雑巾でシンシアの墓を拭いてやりながら、墓の下で眠る彼女に語り掛けるように呟く。
「今回は、今までと違うような気がする。生きて戻って来られないような気がするんだ」
ビビアはそう呟きながら、水をかけた墓を拭いた。
「どうしてこんなことを思うんだろう。不思議だな。これまではどんなに危険な状況でも、こんな風に思わなかったのに。もしかしたら、アトリエちゃんの影響だったのかな」
一通り拭いてやると、ビビアはしゃがみ込んで、墓石に額を近付けた。
「もしも……もしもだけれど。僕の声が聞こえていたら、もう一度だけ、僕のことを助けて欲しいな。僕だって死にたくはないし、危険なことをしたくないよ」
彼は静かな声色で、墓の下で眠る少女に囁く。
あの日の暗がりの中で、不思議な力で、自分の命を助けてくれたシンシアという少女に。
「でも、デニスさんとアトリエちゃんのことを、助けてあげないと。君には一度助けてもらっちゃったけど……もう一回だけ、僕を、みんなを。助けてくれると、嬉しいな……」
そんなとき、背後からビビアを呼ぶ声が聞こえてくる。
呼んだのは、馬車屋の親父さんだった。
「ビビアくん。みんな、もう出発するよ」
「わ……わかりました! それじゃあね、シンシア。またね。それじゃあね」
シンシアの墓に別れを告げてから、ビビアは馬車屋の親父さんの下へと駆けて行った。
一緒に歩いて街の正面門まで向かっていると、馬車屋の親父さんがビビアに言う。
「デニスは、お前は着いて来なくて良いと言っていたぞ」
「着いて来るなと言っていましたか?」
「そこまでは」
「それじゃあ、行きましょう」
ビビアがそう言った。
「ずっとそうしてきたんだ。みんなで立ち上がって来たんだ。その時は、ずっと一緒だ」
ビビアを馬車の一つに乗せてから、馬車屋の親父は馬を駆って、町民たちが作る列の最前にいるデニスの隣まで移動した。
「みんな準備はできたみたいだ」
デニスの左隣で馬を止めながら、馬車屋の親父がそう報告する。
「ビビアは?」
「馬車に乗ったよ」
「そうか」
デニスは馬の手綱を握りながらそう答えると、右隣の馬に乗るケイティに聞く。
「お前は大丈夫なのか?」
「もう動けるわ。かなり痛めつけられたけどね」
「すまんな……俺がもっと、ちゃんとしてれば……」
「もういいわよ。過ぎたことでしょ」
手や足に包帯を巻いたケイティは、そう言っていささか顔をしかめた。
「それよりデニス、なにか目途はついているの?」
ケイティがそう聞くと、デニスは遠くの方を見つめながら答える。
「正直に言って、手掛かりは無い。だが、気にかかることがある」
「気になること?」
「王都の幻霧祭だ。タイミングが良すぎる」
デニスがそう言うと、馬車屋の親父はふむ、と鼻を鳴らして顎を触った。
「幻霧祭な。たしかに、王都に大勢集まる。一年で一番人が多い日だ」
「もしかしたら、そこに何かぶつけてくるつもりかもしれない」
デニスはそう言ってから、背後に隊列を組む町民たちの群れを眺めた。
この町に来てから、色んな事があった。
色んな事件を解決してきた。
しかしいつだって、最後に一緒に立ち上がってくれたのは彼らだった。
「行こう。もうごちゃごちゃ言わん。着いて来るなら着いて来てくれ」
「みんなそのつもりだ」
馬車屋の親父はそう言ってから、デニスの隣を離れて、自分の担当する馬車に馬を繋ぎに行った。
デニスはそれを見送ると、遠くの地平線をふと眺める。
「きっと、最後の戦いになる」
彼はそう呟いた。
デニス「『追放者食堂へようこそ!』、コミックガルド様より……」
ビビア「コミカライズ化決定ー!!」
ヘンリエッタ「うおー! 私たち漫画になるんですかー!」
アトリエ「たのしみ」
バチェル「続報待ってね!」




