12話 昔のこと (単話)
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昔のこと。
デニスが、アトリエと同じくらいの年齢の頃。
まだキッチンに背が届かなかったデニスは、厨房の隅っこに箱を置いて、その小さなキッチンで色んな料理を作っていた。食材は余った物を貰って、火炎の魔法が使えるスタッフに簡易のコンロを借りたりしている。
「ぬー。わからん。わからん」
忙しい昼の営業時間に、慌ただしい厨房の隅っこで。
小さいデニスは貰ったネギを前にしながら、うんうんと唸っている。
考えてもわからなかったので、デニスはトテトテと歩いて行って、忙しそうなコックの一人の服を引っ張った。
「なーなーガニエールー。ネギのみじん切りって、どうすればいいんだー?」
「みじん切り!? 今忙しいんだ、デニス! 後でな!」
「今知りたいんだよー。せっかく新鮮なネギがあるのにさー」
小さい頃から力が強かったデニスに引っ張られて、小太りなコックは無理やり、デニス専用の小さな厨房まで連れてこられる。
こうなってしまったら、デニスは言うことを聞かない。
コックはやれやれ顔で、仕方なしに相手をしてやることにした。
「いいかい。ネギのみじん切りはな。こうやって転がすみたいにしてな」
コックがネギを転がしながら、そこにスッスッと爪で引っかくようにして包丁を入れていく。
その光景を見て、小さいデニスは目を輝かせた。
「うおー。すげー。頭良いー」
「そうだぞデニス。料理は頭を使わなくちゃな。これでいいか?」
「なあなあ。ちっちゃいけど鉄鍋も貰ったんだ。手入れの仕方教えてよ」
「まあ、それはあとでな! 夜に教えてやるから!」
「むー。絶対だよー」
そう言って自分の持ち場に戻ってしまったコックに、デニスはむくれた様子で頬っぺたを膨らます。
しかしみんなが忙しいのは、小さなデニスにとって悪いことばかりではない。
昼時を狙って忙しいコック達に絡めば、デニスの相手をしている暇がない彼らは、代わりに食材をくれるからだ。
そうやって今日も、卵やら米やらベーコンやらニンニクやらを貰ったデニスは、見よう見真似で炒飯らしきものを作ってみる。
「うーん。胡椒はこれくらいでいいかな。そういや、卵っていつ入れるんだ?」
そんな風に試行錯誤しながら作ってみると、昼の営業後に、なかなか炒飯っぽいものが出来た。
縁が欠けてしまって客に出せなくなってしまった器に盛りつけてみると、デニスは「おおー」という声を漏らす。
「ぜったいうまい。うん、ぜったいうまいぞ」
そうやって頷くと、デニスはその器をお盆に乗せて、一本しかないスプーンを添えた。
それを持ってトテトテと歩いて、料理長の部屋まで持っていく。
「りょうりちょうー」
そう言いながら扉を開いてみると、机に座って何やら帳簿などを眺めていたらしきジーン料理長が、彼のことを見た。
「おや、デニス。どうしたの?」
「炒飯つくった」
「炒飯?」
「うん」
そう言って自信満々に出された器には、炒飯もどきの何かが乗っている。
油でべちゃべちゃで、茶色を通り越して焦げ茶になってしまっており、胡椒が大量に浮いている。
最後に入れたらしき醤油はそのままぶっかけてしまったらしく、端的に言ってひどい有様だった。
「おやおや」
ジーン料理長はその炒飯を見て、困ったように微笑むと、
添えられたスプーンを手に取って、一口食べてみる。
「どうだ? おいしい?」
「うーん。デニスはもうちょっと、料理の勉強をした方がいいわね」
「じゃあ、おいしくない?」
「そういうわけじゃないわよ」
ジーン料理長はそれを全部食べてやると、大量の胡椒と油でイガイガする口を我慢しながら、デニスのことを抱き上げてやった。
「それじゃあ。ちょっと一緒に、炒飯でも作ってみましょうか」
「本当に? 教えてくれるの?」
「ええ。夕方の営業までの間ね」
「やったー。疲れてない?」
「大丈夫よ。まずね、デニス。炒飯で大事なのは……」
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フィオレンツァと二人の子供たちが、デニスに対する波状攻撃を唐突に止めて、夜の闇の中に消えて行った。
デニスはそれを追いたかったが、優先すべきは一階だ。
それにわけのわからない凶悪スキルを受け続けて、全身がボロボロだった。『反転予知』の未来知で凌いでいなければ、十数回は殺されていただろう。
肉切り包丁を一本携えながら、全速力で階段を降りていく。
一階に降りた時、目に入ったのは。
戦闘の余波で滅茶苦茶になった食堂と、倒れているケイティ。
そして、血まみれのジーン料理長を必死で止血しているビビアだった。
ビビアはデニスが降りてきたのを見ると、泣きじゃくりながら彼の顔を見た。
「デニズざん、ジーンさんが、アトリエちゃんが……!」
「おい……どうなってる? ケイティ!? 料理長!?」
「わ、私は、大丈夫……げほっ……」
ケイティはその場から立ち上がろうと床に手を突くが、力が入らない様子で、そのまま倒れてしまう。
彼女よりも明らかに重傷だったのは、ジーン料理長の方だった。
デニスが駆け寄ると、料理長は顔を蒼白にして、浅い呼吸をしていた。
腹部に大きな貫通傷があり、そこから血がダラダラと溢れている。
ビビアが、泣きじゃくりながら声を絞り出す。
「ヒースが来て、アトリエちゃんが、連れて行かれて! ケイティさんと、料理長が! 料理長が!」
「おい、ビビア! 誰か、治癒魔法が使える奴を呼んでくれ! 俺じゃこんな外傷は無理だ!」
デニスが叫ぶと、ビビアはよろめきながら、外へと走って行った。
仰向けに横たわりながらデニスに頭を抱えられたジーン料理長は、こほっ、と小さく吐血する。
ひどく力ない吐血だった。血を吐く気力すら残っていないような。
「料理長! 死ぬなよ! ポニーテールとか、誰か上級の治癒が使える奴がいるはずだ! もう少し待て!」
「で……に、す……」
料理長が微かに口を開いて、声を絞り出した。
デニスは泣きそうになりながら、彼女の手を握る。
「なんだ? あまり喋るな。今、誰か来てくれるから。大丈夫だぞ」
「でにす……で、にす……」
料理長がその目を開いて、デニスの顔を見ていた。
デニスは、目からボロボロと涙が溢れてくるのに気付いた。
彼女の命の灯が、もうすぐに消えてしまおうとしているのがわかった。
「おい、馬鹿野郎! 死ぬなよ! おい! ぶっ殺すぞ! 死ぬなっつってんだろ!」
焦ってわけがわかっていないデニスのとんちんかんな言葉を聞いて、料理長は薄く微笑む。
彼女の目の光が消えて、デニスを見ていた瞳は、もっと遠い何処かに焦点が合ったような雰囲気があった。
もしくは、もうそれは、どこにも焦点が合っていないのかもしれなかった。
デニスはどうしていいかわからず、彼女の頭を両手でそっと抱き寄せてみた。
人の頭というのは、存外重いものだ。
それは彼女が存在した重みだった。
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昔のこと。
「なーなー。どうしてりょうりちょうは、料理人になったの?」
厨房で、小さいデニスがそう聞いた。
彼に調理の様子を覗き込まれているジーン料理長は、微笑みながら答える。
「さあ、どうしてかしらね。楽しかったからじゃない?」
「たしかに料理は楽しいなー」
「おやおや。デニスも料理が楽しい?」
「うん。楽しいぜ。もっといろいろ作りたいな」
デニスがそう言った。
ジーン料理長はそれを聞いて、嬉しそうに言う。
「それなら、教えてあげましょう。いつか厨房に立てるといいわね」
「すぐに立ってやるぜ。おれがりょうりちょうになってやるよ」
「おやおや。それは頼もしいわね」
料理長が笑った。
デニスも得意気に笑うと、ふと疑問が浮かんだようだった。
「料理って、どうして楽しいんだろう?」
「それはね。自分で食べてもいいし、誰かに食べてもらってもいいからよ」
「たしかに、誰かに食べてもらうのは楽しいな」
「そうね。あなたも、誰かを笑顔にできるような料理人になれるといいわね」
「ぜったいなるぜ。うん。おれはぜったい、料理人になってやるぜ」
「その意気よ、デニス」
料理長は言った。
「ずっとそのままで、あなたはあなたのしたいように、なりたいものになりなさい」
作者より
【オーバーラップラボ】様の、『作家メシ』という企画に寄稿させて頂きました。
『追放者食堂』といえば炒飯ということで、ニンニク炒飯を作りました。
デニスや料理長みたいには上手く作れませんが、とにかく作りました。
詳細は作者の活動報告、Twitterにて。
よければ、覗いてみてください。