始まり
ここで見たもの感じたものは全て遠い日に見た夢のように忘れてしまう。
どこかわからない場所で声がこだまする感覚があった。
「ここでの記憶もといここでの存在自体のすべてを失う」
ここに一人の男がいた。歳は十七歳で、身長は百六十六のわりと小さい部類の人間ではあるが、人並み以上の筋力はあった。というのも、人知れず武術の心構えがあったからである。
しかし、男はその心とは違い、武のそれをわきまえないような男だった。いや、それをおろかだといえるのかわからないが、相手を一人の人間だと思っているような戦いをしない非情な男だったのは間違いなかった。
相手の最も弱い場所を叩く。それがもっとうであるかのように反則ギリギリのきわどい戦いを何度もした。日常でも他人とは相いれない性格であるがゆえ、誰からも好かれることはなく一人でいるときが大半の時間を占めていた。
「記憶は失い、お前の全てをこれから失うことになる。私のこともここにいることも、決して思い出すことはないだろう」
夢はなく希望もなかった。武術をしていたが、その先を目指そうとは思わなかった。理由はなかったし意味もなかったと考えていたからである。
しかし役に立つときも幾度なくあった。己の強さを証明することができた。相手を力でねじ伏せ、力の象徴とでも言わんばかりに武術を行使することができた。その裏腹で相手を傷つける行為でしかなかったのは承知の事実だった。
だからこれは、全て罰である。
「これから起こることはお前自身が生まれ変わり全てをなしていく、行いだ。それを最初から決めつけて終わらせるようなことはするな」
そもそも武術をするきっかけはなんだったか忘れてしまった。気づいていたらしていたし、気づいていたら全てを失っていた。目の前にあるものをいつしかつかみ損ねて、自分から捨ててしまっていた。それを拾うこともせず、それがどこにいってしまったのかわからなくなり探すこともしなくなった。
きっと、それはいつしか失うものだと知っているかのように感じたから。
「一つだけ。お前に力を与える。それをお前がどう使うかお前次第だ。しかし、二度も同じような過ちは繰り返すな。お前の記憶は一度失う。だが、お前次第でその記憶が戻るかもしれない。私はそうなるように信じている」
きっと世界は罰を誰にでも与える。世界はきっと誰に対してもやさしくなどない。残酷で非情な態度を表すこともある。だからきっと誰もがやさしい世界を求めあう。
これはやさしくも残酷な世界の物語だ。