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更新が遅れて大変申し訳ありませんでした。
待っていてくださった方、本当にありがとうございます。
3夜連続更新で完結とさせていただきます。
拙作ですがよろしくお願いします。
目の前に湯気の立ち上っているティーカップが置かれる。ミリアリアが顔を上げれば、穏やかな笑みを口元に浮かべて、エディがテーブルの横に立っていた。
「ハーブティーだよ。ちょっと心を休めてごらん」
ここ最近━━剣術大会後からずっと悲痛な顔でため息をついてばかりの妹を思って、使用人に淹れてもらったのだ。
ミリアリアはその心遣いに感謝して、一口を体内に流し込んだ。
なにがあったと話したわけではない。でもきっと、お兄様は気付いている。最近殿下の元気がないと私の周りでわざとらしいくらいによくこぼしているから。
テオは私を好き。本気で、私を愛してくれている。それは、婚約者に対する形式的なものではなくて。私を一人の女として見た上でのもので。
私はテオを弟のようにしか思ってなくて、テオが幸せになるのを願っていて。私のテオへの愛情は、家族へと変わらない。そして、政略的に決まった婚約者へのそれであるのだ。
その二つは、決定的に違うものがある。恋情だ。私はテオに恋をしていない。
……この先だって、恋はしたくないわ。
でもそれじゃテオは幸せになれない。テオの言っていた幸せとはきっと、私と歩む人生のことを言っていたのだろうと、いまなら予想できるのに。
テオに幸せになってほしいと願っていた私こそが、テオが幸せになるのを邪魔しているのだ。
その事実に、胸が締め付けられるような思いがした。
でも、私は、恋はしないと決めているのよ。なら、どうしたらいいの。どうやったら、テオは幸せになれる?
「ミア。ミーア」
答えのでない暗黒のループにハマりかけていたとき。トントンとエディがミリアリアの肩を叩いた。見上げれば、ミリアリアの向かい側を目で指していて。
「なあに……」
見てみれば、まあ。
「お邪魔していますわ、ミリアリアお姉様っ」
ニコニコと快活さのあふれる満面の笑みを浮かべたカレンが座っているではないか。
いつのまに?と目を丸めるミリアリアに、エディが失笑する。
「初めて見たよ、ここまで思い悩んでるミアは」
「お姉様、何でもそつなくこなすものね」
「まさか目の前に座ったカレンにも気付かないほどとは」
散々な言われようである。しかし反論できないミリアリアは恥ずかしそうに顔を歪め、誤魔化すようにティーカップに口をつけた。
今日来る予定だったなんて聞いてないわ。まあ、会いに来てるのはお兄様になのだから、私に報告する必要はないのだけれど。
「お姉様、悩んでいらっしゃるのなら今度気晴らしに買い物に行きましょう?」
「ええ、いいわね」
「東国と同盟が無事締結できたから、先立ってバザーが開かれるそうなの!」
以前テオと話していた話ね。うまくいってよかったわ。東国といえば、外交官の方の名前がたしか……
「ああ、メルサ外交官も帰ってきているしな」
そう、メルサ。やっぱり聞いたことがある気がする。
少し関心の色を見せたミリアリアにこっそり安堵の息をついたエディは、カレンの隣の席についてクッキーをつまんだ。
「可愛らしい方よね。あの歳になっても可愛さを損なわないなんて羨ましいわ」
「ああ、34歳だったかな。でも随分若く見えたな」
「あら、よく知っているのね、エディ」
睨むようにして目を細め、格段と声を低くしたカレンに、エディはごほ、と咳き込んだ。
動揺した。ミリアリアとカレンが目を合わせ、頷き合う。
「いや、まさかそうくるとは思わなくて」
エディはあわてて弁解を述べると、ひとまずハーブティーを喉に流し込んで息をついた。
「なんかやたらと訓練所に来るんだ、あの人。ユーリさんと知り合いみたいだし」
ユーリといえば。大会の結果はなんと、ニール様と当たって勝ち上がったお兄様は、さらにユーリをも下したという。
今まではユーリの方が上だったが、今回の試合はお兄様の私怨のようなものが感じられたと誰もが口を揃えていた。お父様もまた同じようなことを言っていて、事実そうなのだろう。
原因は色々と思い当たったので、私はその結果に苦笑するしかなかった。
そして決勝はまさかの親子対決となり、お兄様は健闘したが、お父様の優勝を揺らがすことはなかった。
大会後、ミリアリアはそんな気分ではなかったのだが、なんとか繕って二人を明るく祝った。クリフがなんともいえない顔をしていたが、申し訳ないと思うばかりである。
で、話を戻すけれど。
ユーリと、メルサ外交官に関係があるですって?
ユーリと、メルサ。ユーリと、メルサ……
「━━っ」
閃きが浮かんだ瞬間、ミリアリアは息をのんだ。
なぜ忘れていたのか。繋がりが見えて、やっと思い出すなんて。ずっとかかっていたモヤモヤが一気に晴れていく。
『なんで、なんで?ミア……
あのあとすぐにメルサとは別れてる。ミアだけを、ずっと』
ぼろぼろと涙をこぼす、ユーリ。
『ユーリ、だあれ?その人』
王都に会いに来たミアの前に、ユーリと腕を組んで現れた可愛らしい女の子。
━━メルサ。
「外交官、だったのね」
彼女がユーリと付き合っていた当時からどんな風に外交官への道を歩んだのかなど、全く興味はない。ただ無感情に呟いた。
「ミア、知り合いなのかい?」
「いいえ。全く」
にっこりと否定をしたところで聡いお兄様のことだ。ユーリ、ミリアリア、メルサ、と来れば、ユーリの元浮気相手という答えに辿り着くのも難しいことではないだろう。
予想がしっかりと当たるから恐ろしい。
しかもその婚約者のカレンまでなにやら考え込んでいる。末恐ろしい……いえいえ、素晴らしい公爵夫妻になりそうだわ、この二人。どうかその力でテオを支えてあげてね。
「ふーん……」
「どうしたの?」
「いやー、外交官殿と殿下が一緒にいるところをちょくちょく見かけるからさ」
「どういうことかしら」
身を乗り出したのはカレンだった。ギラギラと目を鋭くさせ、今にもエディの胸ぐらを掴みそうな勢いである。エディは肩を押してカレンを椅子に落ち着かせると、話の続きを始めた。
「いや、悩んでる様子の殿下に、相談に乗りますよ、とか」
「……なーんか嫌ね」
「善意で言っているのかもしれないけどね」
「女の勘は当たるのよ、エディ」
うーん、外交の話でもしているのではないかしら。それに、カレン様、さっきはメルサさんのことを褒めていなかった?
打って変わって嫌悪感を剥き出しにするカレンに、ミリアリアはこっそりと感心した。
すごい変わり様だわ。特別親しい間柄ではないからなのだろうけれど。それに、コロコロと表情が変わるのは可愛らしい。こういうところがお兄様は好きなのかしら。
「お姉様、どうなさるつもり!?」
そんなずれたことを考えていたミリアリアに気付かず、カレンはバン、とテーブルを両手で叩いた。やめなさい、とエディが窘めると、ペロリと舌を出す。
「どう……っていうと」
「あっ」
そもそも告白の返事すら決まっていないのに。テオに女性が近付いたからと言って、私がなにをどうすればいいのかしら。
ミリアリアが戸惑っていると、カレンはなにかを思い付いたようでポッと淡く染めた頬を両手で挟んだ。
「ごめんなさい、お二人には関係ないことだったわ」
……え。まさか。カレン様は、私とテオが今、微妙な関係になっていることすら気付いているというの……!?
「どういうこと?」
エディも疑問に思ったのかたずねると、カレンが目を輝かせてミリアリアに尊敬の眼差しを送る。
「だってお姉様とテオドール殿下、他の方なんて目に入らないくらい思いを通わせあっているのでしょう?」
「…………」
「…………」
「……え?」
「え?」
間を置いて聞き返したミリアリアに、カレンもきょとんとしたため、お互いに不思議そうに見つめあうことになった。
一体なんのことを言っているの?私とテオが、思いを通わせあっている?
「お姉様、公開日に殿下が囲まれていても全然気にしていなかったもの。あれって、ご令嬢たちなんて相手にもならないほど思い合っているからでしょう?」
ミリアリアは呆気にとられた。
まさか、あれがそんな風にとられていただなんて。ただテオが人気なのは良きこと、と微笑ましく思っていただけなのに。
「お姉様は余裕なのでしょう。殿下は絶対に揺るがないという信用があるから」
「待って」
思わずマナーも忘れて話している途中で口を挟む。エディも予想していなかったカレンの見解に、目をぱちぱちと瞬かせている。
なんだか頭が痛くなってきた。額をおさえて頭を振る。
「それはちがうわ。私、テオが王子として人望があるのは素晴らしいと思っていて」
「だから、それは余裕があるから……」
「私は嫉妬するような感情をテオに持ち合わせていないわ!」
今まさに悩んでいたことだったために、つい感情的になり、声を荒げてしまった。驚いてわずかに身を引いたカレンを見て、一気に冷静になり咳払いをする。
ああ、私の馬鹿。なるべくなら知られない方がいいと思っていたのに、カレン様にバレてしまったじゃない。もっとうまい返しだってあったはずなのに。
「お姉様、殿下のことをお好きではないの?」
動揺を隠せず恐る恐る問われたそれに、ミリアリアは固い表情でゆっくりと頷いた。
もうすべて言ってしまおう。そしてスッキリしてしまおう。あわよくば、なにか助言をもらえればちょうどいいわ。自分を敬ってくれている年下の女の子に頼るなんて、情けないけれど。
「テオは弟のようなものよ。婚約者としての愛情もある。でも、テオに恋してるわけじゃないわ」
「お姉様は婚約者だから殿下を愛していただけだというの?」
「そうよ。もちろん、一緒にいた分婚約者ではなくテオ自身への情ならあるけれど」
家族愛。友愛。きっと、そんなところだ。嫉妬なんて、起こるわけがない。
言い切ったミリアリアにカレンは真っ青な顔で口をおさえ、エディは頭を抱えた。
その反応は、どうとればいいのかしら?
「嘘。そんな」
「こんな人間でガッカリさせたらごめんなさい、カレン様」
「俺はちゃんとカレンのことが好きだよ」
「そんなこと今は聞いてないわ」
手厳しい。こんな事態でなければ、「し、知ってるわよ!そんなこと今言わないでよ!」ぐらい顔を真っ赤にして言いそうだが。エディは半笑いでミリアリアに視線を流した。
「……殿下に告白されたんだね?ミア」
核心をついた一言に、心の準備がまだ出来ていなかったミリアリアは激しく動揺してカップを手で弾き倒した。すぐに使用人が飛んできて始末をしてさらに新しく淹れ直してくれて、感謝と謝罪をする。
そんなにハッキリと、しかもそちらから振られるとは思っていなかったわ。
平静を保とうとするも目が泳ぐミリアリアを、物珍しそうに二人は眺めて笑った。
「やっぱり信じられないわ、お姉様が殿下を好きでないなんて」
「まあ、人の気持ちは複雑だからね」
「それで、お姉様はどうなさるの?」
そこだ。まさにミリアリアがいま悩んでいるのは。
「私はテオに幸せになってほしいと常々思ってきたわ。けど、テオの幸せは私がテオを好きになることだったとしたら、私がテオの幸せを邪魔することになるでしょう。それがとてもつらくて……正直、どうしたらいいのか分からないの」
はいそうですかと好きになれるものではない。でもテオはその好きがほしい。なんて答えの出ない問題だ。
考えを打ち明けたミリアリアに、カレンは口を半開きにして呆け、エディはなんだか嬉しそうな困ったような微妙な顔をして何度も咳払いをした。カレンがそっとエディを見上げれば、目でなにかの合図をする。
「ミアは殿下のことばっかりねぇ」
おっとりした声が聞こえたのは、そんなときだった。さっきまでいなかったはずの人物。
瞬時に廊下に繋がっている扉の方を見れば、母のシェラが微笑ましそうにこちらを眺めていた。
……盗み聞きだわ、お母様。
シェラはうふふ、と柔らかな笑い声をあげると、部屋の中へ入ってきてミリアリアの隣の席に腰かけた。
「なにをするにも、テオ、テオって、ミリアリアの中心は殿下なのねぇ」
「本当にその通りだと思うわ」
シェラにカレンが深く同意する。自分でもそれは理解している。でもそれって、普通のことではないの?テオを中心にして、テオのために、私が出来ることを。
「ミアは、本当に婚約者思いだね」
少し嫌みっぽい口調がぐさりと胸に突き刺さった。
その言葉が意味することに気付いたから。
私がテオにしてきたことは、ただの婚約者がすることじゃない。家族がすることじゃない。度を越していると、婚約者思い、すぎるのだと。
家族としての距離感を保ちたかったのならば、するべきことではなかった。今の状況は、自分が生み出したものなのだ。
カッと顔が熱くなる。
「私、最低だわ……」
出過ぎたことをしていたのは、私だったのだ。
それから一気に沈んだミリアリアをふんと鼻で笑うと、エディはなにか言いたげな顔をしているカレンを横目でちらりと見てからこちらに視線を戻した。
「実は俺も適当に婚約者をとって、無難な結婚をするつもりだったんだよね。政略結婚ならそういうお互いの気持ちとか、あまり気にする必要もなく円満にやれるかなって」
それはなんとなく予想がついていた。たぶんお兄様は人のそういう感情のやり取りが面倒くさくて渋っていたのだろうと。
そうでなければ、公爵家の跡取りなのにここに来るまで婚約者すら決めていないなんてありえないだろう。少なくとも他の跡取りのご子息たちはみな、よっぽどの事情がない限りもっと早くに婚約者を決めていた。
カレンは知らなかったようで、うそ、と声に出さずに呟く。
「でも、予想外なことにカレンを好きになっちゃったからね」
それは私を見て言うのではなくカレン様を見て言うべきだわ。
それなのに、エディは当のカレンなど眼中になくミリアリアに向けて話しているようにしか思えない。
「そんなつもりなかったのに好きになって、衝動のままに結婚を申し込んで婚約者に迎えたからね。自分でも恋愛方面でそんな行動力があったのかと驚いたよ」
恋をするつもりがなかったのは、理由が違えどエディも同じだった。しかし今彼の隣には愛しくてたまらない婚約者が座っている。
ミリアリアはふと馬車の中でのエディとの会話を思い出した。
あのとき、お兄様は。
「恋って、落ちるものだから。自分じゃどうしようもないものだから」
するのではなく、落ちる。そんなつもりがなくたって。落ちるときは一瞬、なのだ。
「そうねぇ。いつのまにか、落ちてるものよねぇ」
シェラは新しく用意されたティーを飲んで、エディの言葉を肯定した。
いまさらその言葉をよく考えてみる。
恋は落ちるもの。落ちたくなくたって、落ちてしまうもの。
それが恋などしないと決めている自分となにか関係があるのかは、さっぱり分からなかった。
「きっと近すぎたのよ」
話に熱中しすぎて忘れ去られていたクッキーに手を伸ばしながら、カレンが小声でこぼした。
「だって私も憧れる、とっても仲の良いお二人だもの」
うっすらと耳に届いたミリアリアはティーカップに目を落とし、すっかり冷めてしまったそれを一気に飲み干した。
気持ちを落ち着かせるはずのハーブティーが、無性に心を乱れさせて、苦しかった。
「いい天気だな」
「そうね」
「外出にはピッタリだ」
「そうね」
「ほら、ミア、もう少しで着くぞ」
「……そうね」
声を弾ませるテオドールは、器用に左手で馬の手綱を持ち、もう一方の手で見えてきた頂上地点を指差した。
横向きで馬に乗っているミリアリアは、自分の後ろから伸びている腕を横目で見てこっそりとため息をつく。気持ち沈んだ声が、耳のすぐそばに届いた。
「悪いな、疲れたか?」
無言で横に首を振って否定する。
疲れたわけではない。ただ。
「ミア?」
顔を上げてみる。すぐ近くにあるその心配そうな顔に、するすると胸の中のモヤモヤしたものがほどけていくのを感じた。
左側に感じられる体温。後ろに回ってしっかりと自分を支える力強い腕。ダイレクトに耳に届く声。
テオドールが喋る度に振動が伝わってきて、なんだかくすぐったい気分になる。ミリアリアはそれを誤魔化すように唇をきゅっと引き結び、前を向いた。
そして、心中で疑問を一つ。
……私、告白をされたはずよね?
いつもと変わらない━━むしろ、いつもよりなんだか積極的なテオドールに、ミリアリアは揺れる馬上で戸惑いを隠せずにいた。
カレンが訪ねてきた日から二日。告白をされてからは、約一週間が経とうとしている。
答えが出せず悶々と考え続け、思考回路が鈍くなってさらに考えがまとまらなくなるという負のループに陥っていたミリアリア。
そんな彼女を家から連れ出したのは、他でもなく告白した張本人のテオドールだった。
先触れから少し、ほんーの少し後と言うなにも意味をなさないタイミングでテオドールはオーフェン邸を訪ねてきた。
動揺を隠すことも出来ずに目を白黒させながら出迎えたミリアリアに、テオドールは悪気の一つも感じさせない爽やかな笑みで一言。
『山に昇ろう』
一体なにを言っているのかと、自分の耳ではなくテオドールの頭を疑った。護衛騎士まで引き連れて、比較的動きやすそうな格好をしたテオドールの真意は、残念ながらその場で測ることは出来なかった。
『え?山?』
『ほら、着替えてこい、ミア』
『えっ、テオ!?』
『いつもより動きやすい格好でな』
山に登るですって?それに、なんだかいつもと変わらないのだけど……
突拍子もない誘いに加えて、まるで先日の告白などなかったかのような態度に、ミリアリアは当然困惑した。
しかし、テオドールはあっけからんとしてそう言うと、応接室のソファーに腰を落ち着けて用意された紅茶に口をつけた。
結果、テオドールのその有無を言わさぬ雰囲気に流され、負のループが強制的に断ち切られたミリアリアは久しぶりに外に出ることになったのである。
テオドールの言う山は、王家の山のことであった。
王城を裏門から抜けて少し行ったところにある王家の山。その頂上からは、城とその周囲の広い王都を一望することが可能なのだ。王家の山というだけあって山に入ることが出来る人間は限られており、それは王族の特権ともいえるだろう。
山は当然しっかりと道が整備されており、馬を使えば時間も大してかからず登ることが出来るため、昔から王族は気晴らしでよく利用しているらしい、というのは道中でテオドールから聞いた。
そしていま、まさに頂上が見えてきたところである。なるほどたしかに、これはちょうどいい。
しかし。あれよあれよと事が進んだので、しばらく流されたままだったミリアリアだったが、ここでようやく状況を飲み込み、躊躇いつつもテオドールに切り出した。
「ねえ?テオ」
「なんだ?」
軽い返事とともに横から覗き込まれたテオドールに怯みそうになるも、ミリアリアは睨んでいると思えるほどじっとりとテオドールを見つめて口を開いた。
「私って、……その、テオに告白されたのよね?」
次に会うときには必ず答えを出し、関係をはっきりさせるべきで。それまでは今までのような付き合いは控える。そうでなくとも、気まずくていつも通りになど出来やしない。つまり、私達の関係に決定的な変化が起こる。
告白とは、そういうものだと思っていたのに。
これじゃあまるで変わらない。おかしい。どう考えても。それとも私のその認識が間違っているというの?
テオドールは、「ああ、そんなことか」と呟くと、にんまりといたずらっ子のような笑みを深めた。
「だからこそ、もっと攻めてみようと思って」
……はい?
「俺もあれからいろいろと考えていたんだが、どうせもう気持ちは伝えてあるんだ。俺が悩んだところでなにも変わらないだろうから、返事をもらう前にもう少し積極的にいってもいいかと思ってな」
つまりは、開き直りである。ヤケクソとも言う。
くらりと目眩がした。
あんなに私は悩んでいたというのに、こんなことって。
予想外すぎて絶句し、頭を押さえたミリアリアに構わず、テオドールは呑気に後ろからついてきている護衛に手を振って合図をすると馬を止めた。
「よし、ここからは歩こう」
軽々と馬から降りてミリアリアに手を差し出す。ミリアリアが躊躇していると、少し強引に手を取った。
「……ありがとう」
その手を借りて降り、上目で窺いながら礼を言う。テオドールは手を指を絡めるようにして繋ぎ直すと、馬を護衛たちに任せて歩き出した。当然のように歩幅は合わせられている。
「言ってみると案外スッキリするものだな」
「そう……」
そこに告白をされた側の私への配慮はあるのかしら。私だって、悩んでいたのに。
でも。こっそりと顔を窺えば、テオが本当に憑き物が落ちたようなスッキリとした表情をしているから、もういいかと諦めた。
実は少しだけホッとしてもいる。私たちの関係が思っていたよりも変わらなかったことに。
「ミアも気分転換だと思って、付き合ってくれ」
はにかんだテオドールに、ミリアリアは観念して頷いた。
テオがそう言うのなら、いまこの瞬間だけは。
寄り添って歩く二人を、少し離れたところから護衛騎士が眩しそうに眺めていた。
「すごい、本当に全部見渡せるのね!」
頂上から見えた景色に、ミリアリアは子どものようにキラキラと翠色の瞳を輝かせた。テオドールは微笑ましそうにそれを見守る。
「あ……んんっ」
気付いたミリアリアは恥ずかしそうに咳払いをして、ツンと澄ました顔をした。それがまたおかしくて、テオドールはついに声に出して笑うのだった。
ミリアリアが王家の山に登るのは初めてだった。特に誘われることもなく、テオドールがたまに行ったという話を聞く程度で。元々、外に出るよりは内にこもるタイプなのも関係しているかもしれない。
立派な城とその足下に広がっている町並み。たくさんの人が暮らす、国の都。王都から外れれば広大な土地や森の緑、ずっと遠くには海の青も見える。チラホラと花も開き始めたようで、色付いた木々もまたその景色を鮮やかに変えている。
「綺麗ね。知らなかった。こんな風に見えているなんて」
「だろう。季節によって見え方も違うんだ」
「まあ、いいわね。紅葉の時期もきっと綺麗なんでしょうね」
ここが、私たちの暮らしている場所で。
「ああ、とても。……それが、俺が、守っていく景色だ」
テオがこの先、陛下から受け継ぎ、守り通さなければいけない場所。絶対に、失えないものだ。
途方もないことに感じられた。国を守るとは。その重責とは。テオが、背負わなければいけないものは。
「挫けそうなときに、ここに来て自分を奮い立たせることもあったな」
「そうなの?知らなかったわ」
「ミアにはあまり格好悪いところを見せたくなくて、知られないようにしていた」
……そんなの今さらでしょう。自由気ままだった子どもの頃を知っているのだから。
「ミアが褒めてくれる度に、頑張ろうと思えたんだ。もっと、格好いいところを見せられるようにって。でも、上手くいかないときもあって、そういうときに、気分転換も兼ねて来ていた」
言われてみれば、少しずつ王子としての頭角を表し出した頃から、ミリアリアはテオドールの後ろ向きな姿勢を見たことがなかった。
「俺の大事な、大切な場所だ」
「ええ」
「俺は、ここをミアと一緒に守っていきたい」
ええ、と答えようとして、ミリアリアは言葉に詰まった。テオドールが苦笑を浮かべる。
「俺に出来るのかって、不安になる。今だって、不安でしょうがない。自信のない俺は、ダサいだろう。でも俺は」
一旦言葉を切って、視線を絡め合う。テオドールの瞳から熱が伝わってくるように、全身が熱くなる。
「ミリアリアとなら、やっていけると思ってる。どんな困難も、乗り越えていけると、そう思っている」
だって、今までだって、そうだったのだから。
その言葉に、ミリアリアは淡い笑みを浮かべて力なく首を横に振る。
「私はテオの弱いところに気付けていなかったのに?」
「俺が隠していたんだ」
「それでもよ」
「逆に考えてくれ。ミアがいるから、俺は強くあろうとしていられたんだって」
困ったように眉を下げるテオドールに、ミリアリアは無意識に強張らせていた体の力を抜くようにふっと息を吐いた。
ああ、もう、お願いだからそんなことを言わないでほしい。
「私がいなくなってダメになるようでは、立派とは言えないわ」
「ミアが俺をそんな人間にした」
失敗した、と思った。
たしかにその通りだ。私をテオの柱にしてしまうべきではなかったのだ。一人でも、立っていけるように。気付いていればきっと修正を図ったはずだ。でも気付けなかった。テオが隠していたから。だから、お互いにその意図はなくとも、微かな依存の関係が密かに成立してしまった。
エディの言っていたことはつまり、そのことを指していたのだ。
テオドールは、ミリアリアの手をおもむろに顎の高さまで持ち上げて握り込んだ。
「だから、責任をとってくれ」
「……はい?」
聞き返したミリアリアに、テオドールは畳み掛けるようにぽんぽんと言葉を投げ掛ける。
「ここまで好きにさせたミリアリアが悪い。だってそうだろう。うまく飴と鞭を使い分けて、俺を懐柔して。ミアはズルい。美人で気立てがよくて聡明で、なにより、いつも一番に俺のことを考えてくれる女性を、好きにならないわけがない。そして、そんな最高の婚約者が側にいて、他の女に目が行くはずもない」
ええと、ちょっと待って。つまり?
ミリアリアはやっと今日のテオドールの行動を理解した。
思いを伝えて隠すものがなにもなくなったテオドールは、方向性を変え、積極的に来たかと思ったら、ありのままをぶつけて良心に訴えることでミリアリアを自分側に追い込む方法に出たのだ。捨て身とも言う。
だからってまさか責任をとれと言われるとは。
けれど、たしかにこんな言われ方をすれば、なんとなく責任をとらなければいけないような気もしてくる。しかも贔屓目な褒め殺しときた。
ミリアリアの顔が自分の意思に関係なくじわじわと淡く染まっていく。
「なのに本人は恋はしないと来た。同じ思いを持たれてはいないことは気付いていたが、まさか未来の可能性まで拒否されるとは思わなかった」
「あの、テオ」
「ひどいと思わないか。それでその口で俺に恋をしろと言うんだ。最悪だ。自分はしないという恋を、俺に勧めるなんて」
「それはその、気付いていなかったから……あの、自分でも最低だったと思っているわ」
「そうだな。でもそんなミアも好きなんだ」
しどろもどろだったミリアリアは、うろうろと目線を泳がせてからゆっくりとテオドールを見上げた。
好きでしょうがないのだと、その顔が雄弁に語っていた。熱っぽくまっすぐこちらを見つめる青の瞳も、少し照れ臭そうに歪められた口許も、ミリアリアと同じ色に染まっている耳も。
「だから、少しでも悪いと思うなら、考え直してほしい」
「…………それは」
「俺との関係を……と言いたいところだが、それ以前に。そもそもの、恋をしないというミアの考えを」
ハッとミリアリアは息を呑んだ。
ちがう。テオが本当に今日言いたかったのは。
「俺に人を好きになることを教えてくれたミアが、それを否定しないでほしいんだ。だから、俺の思いの責任をとると思って、もう一度ちゃんと、考えてくれ。そしてその上で、俺に答えをくれないか?」
好きだと伝えて、恋をしないと答えられるのは、どんな気分なのだろう。少なくとも、すぐに割りきれるものでも、スッキリするものでもないのは確かなようだった。
だから、それがテオにとって責任をとることになるのならば。
「……分かったわ」
私は恋をしないという信念を考え直さなければいけない。怖がって向き合わないことで、恋から逃れてきた自分を見つめ直すときが来たのだ。
つらい思いから、蓋をして奥底にしまってしまった恋という名の心の箱。そこにはきっと、つらいことも悲しいことも、嬉しいことも、詰まっているはずだから。
それがきっと、テオからの告白に対して私がするべき"正解"なのだろう。もし導き出された答えが、テオにとって幸せなものではなかったとしても。
なんにせよ、賽は投げられてしまっている。変わらないように見えていたって、もう私達の関係は以前と全く同じではいられないのだ。
「寒くないか?そろそろ帰ろうか、ミア」
一転して話題を転換させたテオドールに、ミリアリアは少し安堵した様子でええ、と賛成した。
帰りはオーフェン邸まで送るという申し出をきっぱりと断らせてもらった。今日話したことをゆっくり整理する時間が欲しかったのだ。
クリフがちょうど上がる時間だったので、一緒に帰ると言えば、テオドールは食い下がらなかった。
そういうわけで、ミリアリアとテオドールは、城のエントランスでクリフを待機することにした。着いてきてくれていた護衛騎士たちに、訓練所に戻ったときに伝えておくよう頼んだのですれ違いはない。
「ミア」
テオドールがミリアリアの髪に手を伸ばし、指を絡めてといていく。
「今日はいきなり押し掛けたのに付き合ってくれて嬉しかった。ありがとう」
もう一房すくってそれに唇を落とし、上目遣いでミリアリアを見ると、心からの笑みを浮かべた。普段と違い、ふにゃりと気の抜けたそれに、つられるようにミリアリアの口許も緩む。
「ええ……」
こちらこそ。と返そうとして。
「テオ!」
流れるように頬にも口付けられて、ミリアリアは弾かれたように非難の声をあげた。
いままでは平気で流せたのに、テオドールが自分に好意を持っているのだと分かったら、平常心ではいられない自分にも戸惑う。それに、今の心情では拒否するべきなのか甘やかして許すべきなのかも分からないのだ。
しかしテオドールは、気にした風もなく楽しそうに笑っていた。
「人目だってあるのに」
「誰も見てないだろう」
「何を根拠に……」
「俺が見てないだろと言えば誰も見てないと言う」
それはそうだ。そんなどうでもいいことにこそ王子の権力をふりかざそうとするテオドールに、呆れて肩をすくめた。
……でも、それでこそテオよね。
「そういえば、来週にバザーが開かれるんだが一緒に回らないか?」
「あら……ごめんなさい。カレン様と約束してるのよ」
「おそかったか……」
脱力するテオドールに、ミリアリアは眉を下げて申し訳なさそうに何度も謝った。
おしかった。でも、告白の返事をうやむやにしたままテオと曖昧な関係を続けるのもやはり良くない気がしたので、それで良かったのかもしれない。
「ミア、おまたせ。殿下、一緒にお待ちいただきありがとうございました」
ちょうどいいタイミングでクリフが現れたので、ミリアリアはテオドールと別れ、城を出た。
帰りの馬車の中、 クリフには心配そうに何度も「無理やり連れ出されたのかい?なにか嫌なことはされなかったかい?」と聞かれ、とくに思い当たらずただただ苦笑した。
やけに心配してくるので、自分達がどんな風に見えていたのか、少し気になるミリアリアだった。