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「ミリアリアお姉様っ!」


 パアッと花の咲いたような笑顔を妖精のように可愛い顔に浮かべる。カレンはそのまま勢いよく走ってきてミリアリアに抱きついた。

 軽かったので、多少よろけはしたものの後ろにいた侍女に背中を支えられたこともあって、ミリアリアはしっかりとその小動物を受け止めた。


「カレン様、嬉しいけれどもう少しおしとやかにしましょうね」

「ごめんなさい、お姉様と会えたのが嬉しくって」


 ふわふわしたブロンドに、真っ白な肌、くりくりとした大きな目に薄く色付いた頬、桃色のぷっくりとした唇。背も小さめで、華奢な体。

 どこをとっても女の子らしさの溢れる外見とは裏腹に、口から飛び出る言葉はとてもハキハキしていて性格の明るさが滲み出ている。


 エディはそのギャップもいいとのろけていたが、ミリアリアは最初は驚いて目の前のいかにも大人しそうな女の子が話したのかと凝視してしまった程だ。


「では改めて……今日はお誘いに乗っていただき、感謝いたしますわ、ミリアリア様」

「ええ、こちらこそ、ありがとう。とても楽しみにしていたのよ」

「きゃあ、ミリアリアお姉様に楽しみにしていただけたなんて、嬉しいわ!」


 ミリアリアの一言で被った猫をあっさりと脱ぎ捨てて素に戻ったカレンに、ミリアリアは肩を竦めて苦笑するのだった。



 オーフェン家にカレンが迎えに来ることで落ち合った二人は、すぐさま王城へと出発した。


 自分が見学に行くことは、公開日を意識していない様子のテオドールに伝えていない。しかし、恐らく時間が空きさえすれば来ているはずのその人は、学園が休みの今日、確実に訓練所でその腕を磨いていることだろう。


 エディは父の才能を受け継いだと言われる立派な騎士団員であるので、見回りにでも行っていない限り言わずもがなである。


「見学者、多いのね。特にお嬢様方」

「そうねぇ。やっぱり皆様、騎士団には興味があるんだわ」

「エディも人気があるのよね……」


 訓練所に向かって城内を歩いているうちに何人もの案内に沿って歩く人を見かける。


 テオドールにしてもエディにしても他の人気のある団員にしても、婚約者の有無に関わらず憧れとして思いを寄せる者は多い。それでも夜会などではあまり目立ったアピールはないのだが、なぜか公開日のときだけは皆積極的になる。


 訓練所では、見学席の前にずらりと並ぶ綺麗に着飾ったご令嬢の姿を目にすることができる。さすがにきゃあきゃあと騒がしく声をあげることはないが、その熱い視線は一心に意中の人に向けられている。

 さぞ見られている側はやりづらいことだろう。ここでいいところを見せようと意気込む者も少なくないらしいが。


 他は侍女だったり若い貴族令息だったり、たまに一般市民も混じったりと様々である。そしてそれらの人々は、令嬢の勢いに負けて後ろから訓練を眺めるのだった。


 それでもこれで団員の士気が高まったり、色々な意味で団員に憧れる人も現れるのだからうまく回っているわ。


 ミリアリアは毎年感心してその恒例の光景を視界に映していた。今日も例外ではなく同じ感じなのだろうと予想をたてていれば。


「あ、ユーリ様だわ」


 突然カレンの口から飛び出した名前に、ミリアリアは一瞬挙動を止めた。幸いカレンは気付かず、角から現れたユーリに目を向けていた。

 歩いていた令嬢たちがその登場にざわついたので、分かりやすい。


「ユーリ様って、見目もよくて騎士団の三番手の実力者なのに結婚していないでしょう。もう36なのに」


 カレンがいつものちょっとした小話のように彼のことを話し始めたので、ミリアリアは大人しく聞き役に徹することにした。

 わざわざ止めるほどのものでもないし、なにもユーリのことを話していないもの。不審がられるだけだわ。


 そう思ってのことだったが、思いもよらない事実を知ることになった。


「どうしても気になって聞き出した人がいたんだって。そしたらね、亡くなってしまった忘れられない人がいるって言ったそうよ。それで、そういえば確かに毎年同じ時期に休み希望を出してるって。ちょっと離れた田舎の出だから、もしかしたらお相手もそこの人でお墓参りに行ってるんじゃないかって」


 話してスッキリしたとでも言いたげな顔をするカレンに、ミリアリアはその話を噛み砕くことに精一杯で何も言葉を返すことが出来なかった。


 ユーリが毎年、ミアの命日に……


 ミアの命日には、オーフェン家で花を添えにミアの墓がある故郷を訪ねる。ミアのときの両親ともミリアリアとして顔を合わせていて、最初は混乱もあったが今では帰省した娘のように扱ってもらっている。


 ユーリはミアが死んだあと、泣いて謝罪に来たらしい。けどお父さんが悪いと思っているなら二度とその顔を見せるなと追い出したっきりだとか。だから、なにも情報は入ってきていなかったのだ。


「そう、なのね」


 やっとのことで紡いだ一言に、カレンは不思議そうな顔をした。


「ミリアリアお姉様って……ユーリ様に全く関心がないのね」

「……そう?」

「殿下もユーリ様とあまり仲がよろしくないって噂だし、そういうものなのかしら?」


 カレンはさらりと新たな情報を付け足して、一人で納得してうんうんと頷いた。


 ……やっぱりテオはユーリを意識しているんだわ。だとすれば、何も聞いてこないだけで、彼の中で八年前のことが今でも残っているのだとしか考えられない。


 どうしようかとため息をついたところで、ミリアリアは困ったように眉の端を下げてカレンを見た。


 それにしても、彼女の噂話は凄まじい。まだ社交界デビューしてやっと一年程なのに、自分よりも彼女の方がよっぽど色々な情報を持ち合わせている。

 一体どこで聞いてきているのか知りたいものだ。


「でも、すごいわ。故人をいつまでも思いつづけるなんて。本当にその方がお好きだったのね。そういう恋愛って、素敵だわ」


 ミリアリアがそんなことを考えているなど露知らず、カレンはユーリを見たまま頬に手を当てて尊敬の眼差しを送った。

 不自然にならないように、ミリアリアもそれにならって同じ方向へ向かっていくユーリの後ろ姿に目をやった。随分と久しぶりのことだった。


 彼は、少し落ち着いた雰囲気を纏うようになっていた。あの日を境に彼の中でも何かが変わったのだろうか。もうやつれて不安定な様子は伺えなかった。


 ユーリは今でもミアのことを思い続けている。


「彼はそれで、幸せになれるのかしら……」


 皮肉な話だ。ユーリの幸せを願って死んだミアが、ユーリの幸せだったとしたら。ミアのことなど忘れて、新しい幸せを見つけたらいいのに。


「それはどうかしら。最愛の人を失った時点で一番の幸せってもう掴めない気がするもの。でも、誰が何を幸せだと思うかって分からないわよね。もしかしたらユーリ様は、亡くなった彼女を思い続けるだけでも十分なのかもしれないわね」


 カレンはその状況を自分に置き換えて想像してみたのか、苦い顔で自分の体を抱き締めた。


 悲しみに暮れるわけではなく、思いを捧げ続ける。そこには彼の誠意も含まれているような気がした。

 その気持ちに心が揺らぐことはない。

 ミリアリアは他人事のようにそれを受け止めると、ふと自分の婚約者のことを思い出した。


 テオ……テオはどうかしら。テオの幸せってなんだろう?テオは私を慕ってくれているけれど。もし私が死んだら、ユーリのように思ってくれるのかしら……?


 なぜかとても気になって、ミリアリアは胸の前でぎゅっと手を握りしめ、後で聞いてみようと固く決めるのだった。






 訓練所につくと、ちょうど休憩時間のようだった。すぐにそれぞれに目的の人物は見つかった。

 まさか婚約者が来ているとは気付かない令嬢たちに囲まれた状態で。


「やだ、なによ、エディの顔。にこにこして鼻の下を伸ばして」


 最初はそれに唖然としたものの、カレンはすぐに持ち直して怒りの矛先を愛しい婚約者に向けた。

 実際のところエディはただの愛想笑いを浮かべているだけだが、カレンからはそう見えているらしい。


 テオドールも身分に拘らず誰とでも親しくする人柄なので、それを分かって声をかけてくる令嬢たちに当たり障りない対応をしていた。


 ミリアリアは特に気を止めることもなく、予め来ると知っていたためすぐにこちらに気付いたエディに小さく手を振っていた。


「ミリアリアお姉様、なんとも思わないの?」

「特になにも。人気があるのはいいことだもの」

「……お姉様、それって」

「やあ、よく来たね」


 カレンが何か言いかけたとき、取り囲む壁から抜け出したエディが二人のもとに来たので、続きは聞けなかった。


 エディの手には綺麗に包まれた贈り物やタオルなどがあった。困り顔から、断りきれず受け取ってしまったのだと予想するのは容易だった。


「可愛い女の子たちに囲まれてさぞ良い気分だったでしょうね」


 嫉妬心を燃やすカレンが挨拶も忘れて可愛い顔から悪態をこぼしても、エディは反比例して嬉しそうに顔を綻ばせる。

 お兄様がなにを思ったのか簡単に分かるわ。


「大丈夫。心配しなくてもカレンより可愛い子はいなかったよ」

「そ、そんなことを聞いてるのではないわ!でれでれしてみっともないと言っているのよ!」

「困ったな。じゃあ愛しい婚約者の前ではどんな顔をしたらいいんだろう」

「っ……わ、私の前でだけならいいのよ」


 最終的に真っ赤な顔で小声で呟き、そっぽを向いてしまったカレンを、エディはそれはそれはいとおしそうに見つめた。今手が空いていて公の場所でなければ、抱き締めてキスの一つでもしていたことだろう。


 ミリアリアはご馳走さま、と呆れながらも微笑ましく二人を眺めるのだった。


「ミア!」


 よく知った声に名前を呼ばれ、ミリアリアは振り向いた。たまに考えるのだけど、彼が一番私の名前を呼ぶ回数が多い気がする。

 振り向いた先には、少し不機嫌そうな自分の婚約者の姿。


「ごきげんよう、テオ」

「……来ていたなら真っ先に声をかけろ」

「まあ。変わらないことを言うのね」


 物事に余裕を持てる人に成長したはずだけれど。

 依然として変わらない調子に、テオドールは脱力してはあ、とため息をつくと、なにか言いたげな目でじろりとミリアリアを見た。

 ミリアリアはその視線を受けて、にっこりと口角をあげてから首を傾げる。


「どうしたの?」

「いや……」


 テオドールは、自分が来たことで隅に寄ってさりげなく距離を置いたエディとカレンをちらりと見やる。

 未だツンとしているカレンに、荷物を下ろしたエディがご機嫌をとるように優しく触れていた。どこからどう見ても仲睦まじい恋人同士である。


「…………」


 自分たちだって、安定した関係だと憧れられてはいるのだ。だからといって、その間に燃え上がるような熱情があるわけでもないので、あの二人が羨ましくないわけがない。

 自分が女性に囲まれても一切顔色を変えず、気にも留めない婚約者。


 テオドールはもう一度長くため息を吐くと、ミリアリアに向き直った。


「なあ、剣術大会の日、勝ったら褒美をくれないか」

「言うと思っていたわ。でもそれって、優勝したらってこと?」


 お父様にはさすがに勝てないと思うわ。言外に滲ませて言うと、テオドールは難しい顔で首を横に振った。


「……に、勝ったら」

「え?」

「去年より勝ち上がったらだ」


 よく聞き取れずに聞き返すと、テオドールは最初に言ったことと明らかに違うことを言い直した。疑問を持ちつつも、ミリアリアは快く了承した。


「いいわ。なにがいい?」

「キスが良い」

「…………」


 テオのキス好きが再発したかしら。気軽に尋ねたミリアリアはそんなことを考えて、返事を忘れた。テオドールは気にせず、流れるような動作でミリアリアの唇に触れた。


「口に」

「あら」


 次こそしっかりと反応したミリアリアは、驚いて目を丸める。

 なんだか自分を伏し目がちに見下ろすテオドールから色気まで出ているような気がして、身動ぎした。少しだけ、触れられているところが熱い気がする。


「分かったわ、頑張ってね、テオ」

「え」


 まさかそんなに簡単に許可すると思わず、むしろ八年前のように拒否されるのではと考えていたテオは呆気にとられる。


「テオもそういうお年頃よね。さすがに子どものときのようなことは言えないわ。好きな子も出来ていないみたいだし……」


 結婚すれば子を成す使命がある。今さらキスぐらいに戸惑ってはいられない。ほんの数秒で冷静に考えた結果だった。


 ちなみに真剣な顔でミリアリアが呟いたのを聞いたテオドールは、白けて彼女の頭を軽く叩いた。

 お前だよ、とはまだ言えない。本当に彼女との会話は噛み合わない。


「とにかく、忘れるなよ」

「張り切ってもいいけれど、無茶しないようにね」

「言われなくても分かってる。……もう少しやったら、時間を空けるから待っていろ」


 ちょうど用事があったので、迷うことなく頷いた。テオドールはその返しに満足気に口角をあげると、騎士団に通っているうちに出来た友の元へ去っていった。


 こちらを伺っていた友の二人と目が合って、会釈をする。一人は綺麗に会釈を返し、もう一人はミリアリアに大きく手を振ったあと、仮にも王子であるテオドールの背を気安くバシバシと叩いていた。


 本当に仲が良いみたいだわ、あの三人。前に紹介されてから何度か会っているけれど、テオに気の許せる友達がいて、良かった。ミリアリアは知らず、柔らかく微笑んだ。


「ミリアリアお姉様、さっきいい雰囲気だったけど、なんのお話をしていたの?」


 休憩時間を終えてエディも戻っていったので、カレンがミリアリアの元へ期待に満ちあふれた表情で戻ってきた。


「あら、カレン様こそ」


 からかいも込められたそれに、自分のことはさらりと流してしっぺ返しをすれば、カレンは目に見えて分かるほど顔を赤くして狼狽えた。

 まだまだミリアリアには及ばぬ年下らしさがそこには見え隠れしていて、ミリアリアは思わずカレンの頭を撫でるのだった。






 言葉通り少し練習したら、すぐにテオドールは時間を空けてミリアリアを訓練所の外に連れ出した。

 それから庭園に行きたいと提案したのは、ミリアリアだった。


 緑があふれるあの場所は、落ち着けるから好んでいる。テオドールとよく行くので、思い出があって馴染んでいるのも理由の一つだ。


「座りましょう」


 ベンチの方へ手を引いていくと、テオドールは大人しくされるがままに着いてきた。

 腰をかけるとまた恋人のように手を絡められて、ミリアリアは照れつつも先に手を取ったのは自分だったので抵抗しなかった。


「公開日のことを話すのを忘れていたから来ないかと思っていたよ」

「私もテオが忘れていると分かったから悩んでいたのよ。でも、カレン様が誘ってくださって」

「へえ」


 テオドールからしたら思わぬ後援で、ニヤリと口角をあげた。もちろんカレンの目的はエディであると分かっていたが、よくやったと誉めてやりたい気分だ。


「普段は一緒にいるから分からなかったけど、テオの人気を再認識したわ」


 ミリアリアは近くにある花を眺めながら、鼻歌でも歌い出しそうなほど機嫌良さげに続けた。もちろんそこに、テオドールが求める嫉妬心は全く感じられない。ただの子の高評価を喜ぶ親かなにかだ。


「……ミアがそうなるように俺を躾たんだろう」

「やだ、躾なんて人聞きの悪い。立派な王子になれるように横で手助けをしていただけよ。それにテオなんて途中から一人でどんどん変わっていったじゃない」


 ミリアリアと対等になれる男になりたかったからだ。自分で変わらなきゃ意味がない。

 しかしその立派な王子(・・・・・)になっても、結局彼女の自分を見る目は変わらないままだったが。


 過ごした月日のおかげか。テオドールは、わずかに自分の前では表情の変化が豊かになる彼女の瞳を覗き込んだ。


「それで?」

「え?」

「なにか話したいことがあるんじゃないのか?」


 ミリアリアは目を見開いて深みのある青の瞳を見つめ返した。

 ……さすが、聡い。洞察力に長けているのは子どもの頃からだ。


「別に大した話じゃないのよ。

ただ、テオならどうするかなって気になっただけで」

「なにがだ?」

「もし私がいきなり死んだら」


 一応明るく前置きをしたあとで、ミリアリアは笑みを浮かべつつも自分でも思ったより真剣な声色で問いかけた。

 一瞬、テオドールの動きが止まった。多分、呼吸も忘れたのだろう。完全に停止したあと、不快そうに顔をしかめた。


「……縁起でもないことを言うな」

「あら、生きていればなにがあるか分からないわよ?通り魔に刺されたり……」

「そしたらまず俺はその犯人を俺の手で殺すよ」


 即答したテオドールに、ミリアリアはまさかそんな答えが返ってくるとは全く思っていなかったため、言葉につまった。

 テオドールは悲しそうな顔をして、すがるように繋いだままの手に力を込めた。


「それで、俺も後を追うかもしれないな」

「……ええ!?それはいけないわ!」


 小娘のような声を上げてしまったことを恥ずかしく思う間もなく、ミリアリアはテオドールの方へ体を乗り出した。


「テオは王子なのよ!私なんかに……」

「なんか、じゃない」

「っ……」


 近距離で間髪いれずに鋭く指摘され、次こそミリアリアは何も言えず口を閉じた。

 テオドールの瞳は怒ったように冷え冷えしていて、体を震わせる。例え話なのに、そんなに怒らなくてもいいじゃない……


「ミアは一人しかいないだろう。あんまり自分を卑下するな。大体ミアは、自己評価が低すぎるんだ。いつもいつも……」


 なぜか説教じみた話がつらつらと始められてしまって、どうしてこうなったのかとミリアリアは額に手を当てた。

 しかもその内容が逆に過大評価されすぎなものであったから、とても居たたまれない気持ちになった。


「俺のミアは、ミアだけだ。他に代われる人間はいないんだ。いいな、なにがあっても、通り魔に刺されてもだ。絶対に死ぬなよ」


 締めにそんな無茶振りをされて、ミリアリアはなんと答えようかと目を泳がせた。

 私は不死身じゃないのだから、さすがにそれは無理よ、テオ。


「分かったな、ミア」

「……はい」


 それでも念を押すように凄まれて、ミリアリアは肩を竦めて返事をしたのだった。

 テオはそもそも私を死なせない。以上。なんだかスッキリしないけれど、まあ実際になってみなきゃ分からないものかと納得した。


 一方、テオドールは突拍子もなく変なことを言い出したミリアリアの様子に不安を感じたのか、睨むようにしてミリアリアを見つめたあと体を寄せた。


「テオ、重いわ」


 少し体重もかけられて抗議するも、テオドールはむっつりとしたままミリアリアに寄りかかって動かなかった。


 駄々をこねる幼子みたいだわ。随分大きい子どもだこと。この雛鳥はまだ巣立つつもりはないらしい。

 少し呆れるも、その温もりに少しホッとしている自分がいて、私もまた子離れできていない親鳥なのだと自嘲した。


「ねえ、テオには叶えたいことってある?」

「ある」

「即答するのね」

「どうやってでも、手に入れたいものがあるんだ」

「……自由とか?」


 王子という立場でも手に入れられないものがあるのか。むしろ、王子だから?そんな予想をたてたが、テオドールは鼻で笑って否定した。


「自由を捨てでも、欲しいもの」


 なんだろう。傍で過ごしてきたけれど、思い当たらないわ。そんなに熱望しているものがあることすら知らなかった……


「それが手に入ったら、テオは幸せ?」

「世界中の誰よりも幸せだろうな」

「ぷっ、そんなに?」

 

 そこまでとは思わなくて、思わず噴き出してしまう。しかしテオドールは本気で言っていたようで、至極真面目な表情で頷いた。それを見てミリアリアも笑いをおさめ、真剣な顔に切り替えた。


「じゃあ、私も協力してあげる」

「いや、いい……」


 テオの幸せを願う身として、力を貸すべきだろう。そう思って申し出たが、嫌そうな顔で即拒否された。


「あら、どうして?」

「ミアからの協力は要らない。出来ない」

「なあにそれ。気になるわ」

「ミアは、俺の傍にいてくれればそれで十分だから。

……自分でなんとかすることだから」


 強い決意を秘めたような低い声が、体が触れているせいで直接響いてくる。次いで肩に乗せられた金髪の頭に、ミリアリアは手を伸ばした。


「なら私はひっそり応援していることにするわ」


 だってそんな風に言われたら、もうなにも言えないでしょう。その意をこめてそっと撫でてやると、微かに笑う気配がした。


「いいわね、テオは」

「ん?」

「そういう、夢のようなものがあって」


 私にはない。ただ今の安定した生活に満足しているだけ。贅沢なことを言っているのは分かるけど、私もなにか追いかけるものが欲しい。それを叶えたとき、心から幸せだと思えるようなものが。


「なにもないのか?」

「公爵令嬢として生きるのに精一杯だったもの」


 自分に与えられた役割をこなしてきただけ。不満なんてないけれど、羨ましさはある。


「ふーん」


 軽く呟いたテオドールは、繋いでいる手に視線を落とした。さらりとまっさらなその甲を親指で優しく撫でてやると、ほんの少しミリアリアの肩がはねた。


「はは」

「テオ!」


 おまけに少し上擦った彼女の声に、元々良かったテオドールの機嫌が更に上昇する。


「俺は、こうやって過ごしてるときでも幸せを感じるし、ずっと続けばいいって思うよ」


 柔らかい声がすぐ近くから届く。ミリアリアは、きゅっと口を結んで静かにテオドールの言葉に耳を傾けた。


「今はまだ、それでもいいんじゃないか」

「…………」

「まだまだ時間はあるんだし、これから見つかるかもしれないし」


 時間はある。なにか予想外のことがあって、死んでしまわない限りは。

 テオドールは体を起こすと、はにかみながらミリアリアを見据えた。


「俺もいるんだから、一緒に(・・・)探していけばいい」


 ミリアリアは、じわりと心が暖かくなるのを感じて、不意に泣きそうになった。



 ほらね、ミア。私の選択は正しかったでしょう。


 恋なんてしなくても、幸せな生活は送れるんだわ。一番にならなくたって、求めなくたって。側にいて、一緒に幸せを探そうとしてくれる人は見つかるんだわ。


 見返りを求めずに、姉として婚約者として、いわば家族愛を注ぎ続けても、こうして私を慕って傍にいてくれる人はいて、円満な関係は築けるんだわ。


 きっと、テオとの結婚はもう揺るがない。でも、このまま結婚してその後、彼は側妃様をとるかもしれないわね。それは、王子であり王様になる人として普通のことだわ。心を痛める必要もない。


 元々恋情などない政略結婚だから、もしテオが恋に目覚めて婚約が解消されていたとしても、心から彼の幸せを願って祝福することも出来た。


 私に恋なんて、必要なかったでしょう。


「ありがとう、テオ。これからもどうぞ、ミリアリアをよろしくお願いします」


 今までになく感情のこもったそれと穏やかな笑顔に、テオドールは一瞬見とれて目元をじわりと淡く染めた。


 全く思いが通じない、可愛い可愛い婚約者。体の中で燃えたぎる思いのままに、彼女を抱き締めようと手を上げる。


「ミアー、そろそろ帰るよー」


 その瞬間、仕事の時間が終わったらしいエディの声が、庭園に響いた。ハッとしてミリアリアはテオドールから即座に距離を取る。

 ……お兄様だわ。そういえば一緒に帰る約束をしていたのだった。もうそんな時間なのね。


「…………」


 滅多にない甘い空気を見事にぶち壊されたテオドールは、射殺さんばかりの目付きでエディのいる方を睨み付けた。……あいつ、覚えていろ。



「また来週、愛しいミア」


 別れ際、どうしても衝動を抑えることのできなかったテオドールから、かろうじて唇を避けてそのすぐ横にキスが落とされた。ミリアリアは真意を探るように大きな瞳で見上げるも、文句は言わなかった。


 来週には、ついに剣術大会がある。


「頑張ってね。テオ」


 先に馬車に乗っているとはいえ、エディの前でするのは少し気恥ずかしさを感じつつ、お返しのキスををする。

 テオドールは嬉しそうに、とろけるような笑顔を見せたのだった。







 帰りの馬車の中、他愛ない話をしていたとき、思い出したようにエディがぽんと手を叩いた。


「そういえばミア、ユーリさんの噂、聞いた?」


 噎せそうになった。なんとかこらえて頷く。


「気にならない?あのユーリさんの、思い人」

「私は別に興味ないわ。接点もないし」

「あれ?そう?なんだ、せっかく聞き出したから教えてあげようと思ったのに」

「……!?」


 顔がひきつる。声にならない声を上げたミリアリアに、エディはやっぱりと小さく呟いた。

 しまった。今の反応は、興味がないと言っている人がするものじゃない。


「ごめん、カマかけた。聞いてはいないけど、ちょっと予想がついてる。話したくないならいいんだ。ただ、少し気になったから」


 本当に申し訳なさそうに謝る兄が、害の無さそうな朗らかな雰囲気を醸し出しておいてその実とても頭が回る人なのは、よく知っている。

 ただ、もしかしたら私が今でもユーリと繋がっているとか、そっち側に解釈されている可能性もある。


「……ひどいわ、お兄様」

「うん、ごめん」


 恨み言の一つも言いたくなる。

 下手な解釈をされるよりも正直に話した方がいいと判断したミリアリアは、脱力して背もたれに寄りかかり、窓から外を眺めながら昔話を始めた。


「あのね、ミアにはね、好きな人がいたの」

「うん」

「そう。結婚も約束した恋人だった。でも、浮気をされてしまって。悲しみを消化することも出来ないまま死んでしまった」

「…………」


 初めて打ち明けられた過去、前世の話に、エディは目を伏せた。


「その人と今世で再会することがあってね。でも私、もうなんとも思ってなかったのよ。ただ、愛した人だったから、幸せになってほしいって、それだけ」

「恨んだりとかはなかったんだ?」

「全然。浮気されたとき、実は彼に居場所が出来て良かったってホッとしたぐらいだもの」


 誰かに話したことはなかったけど、こうやって口にしてみればすらすらと出てくるもので、ミリアリアはそんな自分に驚きつつも話を続けた。


「だから私はもう彼……ユーリとは、なんの関係もないわ。それは、信じて欲しい」

「……うん。信じてるよ、可愛い妹のこと」

「ありがとう、お兄様」


 ミリアリアはにこりと無邪気な笑みを見せた。その笑顔に、ふっと陰がかかる。


「でも、裏切られた悲しみはそう簡単に忘れられるものじゃなくて。恋をすることに臆病になってしまった」

「…………」

「テオのことは好き。ただし、婚約者として。それか、家族のようなものとして。

それ以上のものはないし、求めるつもりもないの」


 テオに気持ちの見返りを求めたりしない。

 恋したりしない。大丈夫。それでも十分幸せは感じられるって、さっき再確認したところだから。


 ミリアリアは強い意思を表して、きらりと目を輝かせる。

 エディは少し悩んで視線をさ迷わせたあと、困った子を見るようにミリアリアに笑いかけた。


「でもね、ミア」


 たしかに傷付くのは怖い。それでも、どんなに意地になっていても。一番ままならないのはきっと、人の心だ。


「恋は、落ちるものだよ」


 きょとんとして目を丸めるミリアリアに、おかしそうにエディは口元をゆがめる。そして、切なげに付け足した。


「それから、恋って、幸せなものだよ……」


 ミアが俺を助けてくれたから、俺はそれを知れたんだよ。なのに本人がそれに気付けないままなんて、そっちの方がよっぽど悲しいと思わないかい?


 エディは理解できずパチパチと瞬きして動かない妹の頭に手をのせ、慈しむように優しく髪を撫でた。

 落ちてきた夕日が窓から射し込み、淡く二人を照らす。様々な思いが入り交じってそれぞれに変化をもたらした長い一日が、終わろうとしていた。




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