10
「さすがに喉が痛みます」
翌朝――とはいっても昼近くだが――起きるとアルトがそう言った。
「昨日あれだけ歌ったからな。大事な商売道具だろ。大切にしろよ」
俺は彼を気遣う。
「それにしても見事な歌だったなあ。お前、貴族お抱えの吟遊詩人にはならないのか?今でも食うものには困らなそうだが、快適な住まいも保証されるぞ」
アルトの実力ならば、貴族どころか王宮にも入れるだろう。
しかしアルトは首を横に振った。
「今までも何度か提案されたことはありますが、すべて断りました。私は旅をする方が好きなので」
彼の両親は旅芸人だと言っていたことを思い出した。その血がそうさせるのだろうか。
「さあ、ツィアナを起こしてきてください。ウルアスへ向かいますよ」
アルトは明るく笑顔で言った。
「……俺が起こすのか?」
勘弁してくれと抗議するが、アルトに文字通り背中を押されてツィアナの部屋に向かう。
しかし彼女は既に部屋にはいなかった。
アルトは残念そうであったが、俺は心底ほっとする。
一階の食堂に向かうと、ツィアナはそこで食事をしていた。
「あら、おはよう。お寝坊さんたち」
俺たちと目が合うとツィアナはそういった。
彼女と同じ席に着きながら、
「君も今起きたところじゃないのか?」
と問うと、
「そんなことないわよ」
と言いながらも彼女は目をそらした。
今起きたところなんだな。
俺とアルトも宿の親父に食事を頼む。
「私、市場を見てもいいかしら」
ツィアナの言葉に、俺は顔をしかめる。
「俺の誘いは断ったくせに」
「それはあなたの誘いだったからよ」
ツィアナは突き放すように返した。
「どちらにせよ食料なども買っておきたいですし、その時でよければ構いませんよ」
アルトの言葉にツィアナはうなずいた。
食事を終らせ市場に行くと、ツィアナの瞳は目に見えて輝いた。
「昨日も来たけど、こんなに人がいるなんてやっぱりすごい。見たことないものも売っているし」
「ウルアスの首都、ハレスタルはもっと賑わっていますよ」
「本当?じゃあ早くハレスタルに行ってみたいわ」
ハレスタルは「栄える都」と言う意味を持つ。
俺の住んでいた街、ルコアもかなり大きな市場があったが、ハレスタルはそこの比ではないほどに賑わっているのだろう。
俺たちは必要なものを買い揃え(ツィアナはほとんどの屋台の前で立ち止まっていたが)、街を後にした。
そうして再び川渡しの手を借りて、ウルアスへと入ったのである。
ウルアスの首都、ハレスタルへは4日ほど歩けばつくだろうとアルトは言った。
首都へはヴァシュナ街道を通るのが一番の近道で、かつ安全である。
そのためまずは街道を目指す。
しかし街道に着く前に、林に差し掛かったところで日が暮れはじめ、近くに村や町も見当たらなかったため、俺たちはその場で野宿することに決めた。
リミィといた時は何事もなかったが、正直野宿は危険だ。
どこに盗賊や追剥ぎがいるかわからないからである。
火を起こし、簡単なスープを作り腹ごしらえをした。
ツィアナは早速寝る準備をしている。
3人そろって寝てしまうのは危険だ。見張りは俺がやる、とアルトに申し出ると彼は
「私がやりますよ」
と返した。
「良いんだ。先に寝てくれ。何かあれば起こすさ」
そう言うとアルトは「では、お願いします」と言って横になる。
やがて二人の寝息が聞こえてきた。
火のはぜる音と、風が木々を揺らす音がやけに大きく響く。
しかしこの旅は俺にとって大冒険だなと思う。ただの鍵職人だった俺は、街の外にはほとんど出たことが無かったからだ。
こんなにもあちこち歩き、様々なものに触れたのは初めてだった。ほかの街や村には、ルコアとは違った人々や生活があった。
旅も悪くない。そう思い始めていた。
やがて、どのくらい経ったころだろうか。
ふと、火の中に何か飛び込んだように見えた。見間違いかと思ってたき火をつつくと、尋常ではないほどの煙が立ち上ってきた。
視界が覆われ、せき込む。焦りながらもアルトを起こそうと立ち上がろうとするが、体は重く、足がもつれて転んでしまう。
次第に頭に霞がかかったようにぼんやりとしてくる。
横たわっている俺の視界に、黒い人影が近づいてきた。
思わず伸ばそうとした手を蹴られ、一言、
「眠れ」
とだけ聞こえて、俺の意識は闇へと落ちて行った。




