第一話 浪漫が始まりだった
漆黒の闇の向こうで無数の小さな光が瞬いている。それは平時なら幻想的で美しい光景であったに違いない。だが、いま目の前に広がっている光は、自分たちを殺そうとする破壊の光であるとともに友軍の命の光なのである。
地球圏統合軍第四艦隊所属の巡航艦『オノゴロ』の艦橋では艦長であるマエダ・タカフミが苛立った様子で敵艦隊の動きを見つめていた。艦橋前面に取り付けられた巨大なディスプレイには、味方である第二艦隊が徐々に追い詰められていく様子がリアルタイムに表示されている。
『不本意な遭遇』から二年、地球とEBEと呼ばれる地球外生命体との戦闘は大小を含めれば三十回を超える。その多くは局地戦であり、木星圏防衛戦を除けば地球側の優勢といえる状況であった。しかし、それがいま終焉を迎えようとしている。
数度に渡る局地戦の勝利に気を良くした軍首脳部は、第二、第四艦隊を派兵することで一気に木星圏を奪い返す作戦を立案した。しかし、約七億キロにもわたる長征の果て、木星にたどり着いた二艦隊は全滅の危機に瀕している。
本来ならば、第二艦隊と第四艦隊の二艦隊は同時に木星圏外円に集結、連動して木星の衛星エウロパにあるイーバ前線基地を攻略する手はずになっていた。しかし、火星での補給に手間取った第四艦隊を置いて、第二艦隊が先発したことによって二艦隊の連動は不可能になった。敵は先行する第二艦隊と遅れて進軍する第四艦隊を各個撃破に出たのである。
結果は、目前に広がっている。エウロパに向かっていた第二艦隊は敵のエウロパ防衛部隊と衛星ガニメデの影から現れた敵別働隊からの挟撃を受けて旗艦『パウエル』が撃沈。艦隊は統制を失ったままその数を減らし続けている。
第二艦隊からは繰り返し、「我、敵の猛攻を受け戦線を維持できず。来援をこう」と、いう電文がひっきりなしに送られている。しかし、第四艦隊の司令部から返信はなされていない。
マエダを含めた数人の艦長は司令部に対して、第二艦隊救援の要請を行った。しかし、司令部からは「イーバ艦隊が疲弊したところを第四艦隊の全力を持って撃滅する。司令部の命令あるまで臨戦態勢のまま待機せよ」という回答が来ただけであった。
マエダを含めた各艦長は、司令部付きの通信士に可能な限りの悪態をついて命令を受諾した。
「落ち着いてください。艦長」
艦橋に涼やかな声が響く。マエダはこの声が嫌いだった。艦に大穴があいても取り乱しそうにないすました顔に「なぜ、そんなに動揺するのです」と言いたげな大きな瞳。きっちりと肩口で切り揃えられた黒髪がさらに冷たさを強調している。副艦長のクチナシ・リサ少佐である。
士官学校を主席で卒業し、作戦立案に卓越した才能を見せた才女である。しかし、イーバとの開戦直後に当時の上官と対立しマエダの艦に左遷されてきた。最初こそ彼女に同情を示した彼であったが、彼女の振る舞いを見るにつけて徐々に前上官の気持ちがわかって来た。はっきり言えば、まったく可愛げがないのである。正論が服を着て歩いているようなものであり、遊びや余裕というものは彼女には存在しないのである。
「友軍の危機を見ていることしかできない状況で落ち着いていられるほど、俺は気の長い性分ではない」
「それは私も同じです。ですが、艦長が動揺されればほかのクルーも動揺します。ご自重ください」
「副長。君は全く動揺してないように見える。君の方が艦長に向いているのではないか?」
リサは考えることもなく「ご命令とあれば」といつもの抑揚のない声で言った。マエダは冗談としても言うべきではなかったと反省した。冗談は冗談がわかる相手としなければ、面白くないのである。
「自力で脱出できそうな艦はあるか?」
「皆無です。完全にイーバ艦隊に包囲されています」
ディスプレイに映された友軍の機影はもう両の手で数える程しか残っていない。誰が見ても完敗であった。敵艦隊の数は千。第四艦隊の二倍である。このまま進めば、間違いなく第四艦隊も第二艦隊の跡を追うことになる。それを司令部はわかっているのか。マエダは司令部の嫌忌を受ける覚悟を決めた。
「司令部に再度、上申をする」
「第二艦隊の救援なら間に合いません」
リサがマエダを静止するように彼の目を見つめる。
「救援ではない。第四艦隊の撤退だ。副長、司令部に繋いでくれ」
「了解しました。撤退は合理的な判断だと私も判断します」
珍しく二人の意見が一致した。しかし、上申はされることがなかった。なぜなら、上申より前に司令部から「総攻撃」の命令が全艦に対して行われたからである。第二艦隊が全滅したことを確認した第四艦隊の司令部は、イーバ艦隊が疲弊していると思われる今を狙って全軍を投入すると決めたのである。
第四艦隊は揃って主機関を全力稼働させる。第二艦隊の敵討ちだとばかりに数十隻の艦が掃討戦を終えたばかりのイーバ艦隊の中央に向かって突出する。それに呼応するようにイーバ艦隊から青白い光が放たれる。とても疲弊しているとは言えない反応の良さである。
「中性粒子砲、来ます」
「総員、衝撃に備えろ」
荒れ狂う粒子の嵐が艦隊を襲う。先頭を進んでいた数隻が中性粒子砲によって外装を大きくえぐり取られ、爆散する。中性粒子砲は原子核と電子を粒子加速器によって撃ち出す兵器である。プラズマ砲と異なり収束性が高いため、長距離射撃に用いられる。
「艦体温度上昇二度。損傷なし」
リサの淡々とした口調で艦の状態が読み上げられる。もう少し、慌てるような素振りでもあれば可愛いのだが、とマエダは思う。しかし、いまはそのようなことに思考を向けている場合ではない。戦闘は始まっているのである。
「抗粒子フレア、一番から十番発射用意!」
「装填完了まで20秒。カウントを開始します」
中性粒子砲は強力な兵器であるが、弱点がないわけではない。超高速で宇宙空間を進む中性粒子は障害物の影響を受けやすい。特に重金属や質量の重い気体が進行方向にあれば、急激に速度を失ってしまう。そのため、抗粒子フレアには微細に粉末化された重金属と大量の気体ラドンが封入されている。
「艦前方二百キロの宙域に向かって発射開始。フレアを盾に敵艦隊に電磁投射砲による実体弾攻撃を仕掛ける」
マエダは右手を大きく振り下ろし、フレア発射の指示を出す。リサはマエダの命令を復唱する。
「抗粒子フレア発射開始」
オノゴロの左右に取り付けられた発射口から立て続けにフレアが発射される。オレンジ色の光を帯びたフレアは数十秒の沈黙ののち、指定宙域で炸裂した。宇宙空間に人工的な雲が形成される。イーバ艦隊から発射された数発の中性粒子砲が雲の中で霧散する。
「フレア効果確認。行けます」
「副長なら雲を迂回して敵に迫るか? 雲を抜けて正面から行くか?」
突然の問いかけにリサは数秒の硬直のあと「正面から行きます。あまりまどろっこしいのは好きではありません」と答えた。その瞳は平時と変わることなく。マエダになぜそんな分かりきった事を訊くのか、と言いたげだった。
「……まったく、そこだけは同意だ。嫌になるな、副長」
「意味がわかりません。戦闘に集中してください」
やはり冗談は冗談を分かる奴とでないと面白くないと思いながらマエダはわずかに微笑んだ。
「雲を突破後、もっとも近い位置にいる敵艦に電磁投射砲による攻撃を行う。艦首、電磁投射砲三連用意。第一戦速にて雲を突破、直近の敵艦に攻撃を仕掛ける」
砲術士が息を飲み込む。マエダはなにか声をかけてやるべきかと思案したが、リサに集中を阻害するだけです、と静止を受けるのが目に見えているのでやめた。オノゴロは加速を強め、ラドンと重金属でできたフレアの雲に突入する。雲の中は重金属によってレーザーが拡散するため、索敵能力が著しく減少する。しかし、それは敵からも同じであり敵のレーザーに探知されることはほぼない。
「艦体温度さらに二度上昇。減衰しているとは言え中性粒子砲による攻撃を受けています。一度離脱して、再突入しますか?」
おそらく、離脱するのが本来ならば正しい。だが、慎重だけでは勝利は掴めない。
「副長、まどろっこしい。どうせ、盲射撃を受けただけだ。このまま雲を抜ける」
「了解。航法士、艦長よりまどろっこしいから直進せよとの厳命である。以後、艦体温度上昇はは無視せよ」
俺はそこまで言っていない、と彼は訂正したかったが雲の切れ間が近い。悠長なことをしている余裕は彼にも彼の艦にもなかった。雲を出た瞬間に敵艦を撃たなければならないのである。
「離脱まで、三、二、一」
リサのカウントダウンとともに視界が一気に回復する。航法士が興奮した声で「正面に二艦のイーバ艦を発見!」と叫ぶ。画面を見れば幸いに敵艦はこちらを捉えていない。単細胞生物を思わせる有機的なフォルムをした敵艦には、中性粒子砲と思われる発射口が四門。ミサイルなど接近する実体兵器を迎撃するための凝集光砲が目玉のように並んでいる。
「電磁投射砲、三連! 撃て!」
轟音と同時に、艦首に取り付けられた電磁投射砲から亜音速にまで加速された砲弾がオレンジのプラズマを帯びて射出される。着弾までの五秒が艦橋に重くのしかかる。敵艦の艦首に小さな閃光が走り、数秒を置かずに敵艦は爆散した。
「次が来ます。艦長、次弾発射の許可を」
「許可ならいくらでもくれてやる。撃ちまくれ!」
「了解しました。砲術士、砲身が焼き切れても構いません。全力射撃開始!」
(『収斂戦火の英雄』 第一章 接敵)
『コースケ……』
『……コースケ! ねぇ、康介ってば!』
メンドくさい声が聞こえる。どうして、人の読書の邪魔をするのか。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死ぬらしいが、同じように読書の邪魔をする奴も死んでいいのではないかと俺は思う。馬ではやや可哀想なのでポニーくらいにしてやるから死んでくれないだろうか。
「なんだよ、部長。せっかくいいところだったのに」
俺の顔を覗き込むように見つめる少女は名を谷山かなえ(たにやま・かなえ)、と言う。瞳の大きさに比例するような好奇心を持った谷山と俺は天文学部という部員数二名という校内最弱の部活動に所属している。谷山は腰まである黒髪を後ろで束ねて、「いいところもなにもないわよ。早く部活動紹介にいかないと!」と言った。
季節は四月。別れと出会いの季節である。三月に天文学部唯一の三年生であった畑井先輩を見送った俺たちは一つ学年を上がって二年生になった。この四乃山高校では部活動は最低でも三人以上の部員が必要であるため、俺たちがこの天文学部を維持していくためにはあと一人どうしても新入部員が必要なのである。
「谷山だけで行ってくれよ。俺はああいう大勢の前に出るのは苦手なんだ」
「苦手なら克服しなさい。それでこそ、漢というものでしょ?」
俺はそんなむさ苦しい性別を名乗った覚えはない。男子高校生とは名乗ることはあっても、漢高校生ではないのである。そもそもそんなむさ苦しいものになぞなりたくない。
「俺は草食系なんだ。漢と名乗るにはおこがましい存在だ。頼む、後生だから谷山一人で行ってくれ」
そして、俺に本の続きを読ませてくれ。不本意ながら図書室で借りてきたSFが面白いのである。暇つぶしに読書でもしようと思って図書室に行ったところ、イマイチ琴線に触れるものが見つからなかったので暇そうに貸出カウンターで本を読んでいた図書委員に「なにか面白い本はないか?」と、尋ねたところ、出てきたのがこの本である。普段、SFを読まない俺であるが、妙にハマるところがあったらしく続きが気になって仕方がない。
「バカ! そんなこと言っていると廃部になるわよ」
「それは困るな……」
別に俺は天体ファンで天体観測をしなければ死んでしまう、という訳ではない。それは谷山にしても同じことで天文学部としての存在価値はないといってもいい。しかし、部室の方には大きな価値があるのである。
四乃山高校本校舎は一から四の棟で成り立っており、縦に二棟、横に二棟の正方形になっている。棟はそれぞれ渡り廊下で結ばれており、空の上から見ればⅡという字になる。そのうち北側にある二つの棟を各学年の教室が並ぶ学生棟、職員室や保健室など職員が控える職員棟と呼んでいる。南側の二棟は理科室や家庭室などの移動教室が集まる特別棟、部室や食堂、更衣室のある部室棟と呼ばれている。
普通の部活動は部室棟に部室を持っているのだが、天文学部の部室はそこにはない。特別棟にあるのである。なぜ、全部活動のうち唯一部室が部室棟にないかといえば、天体望遠鏡が特別棟の屋上に設置されているためである。
四乃山高校に取り付けられている全長三メートル、四五センチ反射望遠鏡は県下でも有数の大型反射望遠鏡であり、近隣でこれよりも大きなものは隣県の柏原天体観測所にある六十センチ反射望遠鏡しかない。
この反射望遠鏡はその大きさから可動式ドーム内に格納されており、使用する際はドームを開き、ドーム自体を回転させることで方位を決定する。そして、この反射望遠鏡を納めたドームこそが天文学部の部室なのである。
それゆえに、天文学部は屋上に自由にではいりできる特権を有しているのである。小高い丘の上に築かれた四乃山高校からは四乃山市を見わたすことができる。これはなかなかの価値である。馬鹿と煙は、とよく言うがまぁきっと俺も馬鹿なのだろう。
「仕方ないか……」
「もっとやる気を出してよ。いまが私たちの天王山よ。負ければこの終の棲家を追われ、竹槍でブスリ!」
明智光秀ではあるまいし竹槍で刺される心配はないだろうが、この住みよい部室から追い出されるのはなんとも阻止したい。不本意ではあるが、一年生という未知の存在と遭遇をしよう。
「分かった。行こう」
俺が立ち上がると谷山は満足そうに微笑んだ。そして、俺が机の上においた文庫を手に取ると、
「そんなに面白いのコレ?」
と、首をかしげた。
「そうだな。一言で言えば、浪漫だ」
「浪漫?」
立山の首がさらに傾き、見ていると首が落ちるのではないか、と不安になった。明智光秀のように谷山の頭が晒されている光景は見たくない。
「なんというか、古代遺跡とか必殺技みたいなもので電磁投射砲、と聞くと浪漫を感じないか?」
「ふーん……。わかるようなわからないような。康介そういうの好きだったっけ?」
意外とばかりに谷山が、本と俺を交互にまじまじと眺める。
「まぁ、嫌いじゃないよな。大艦巨砲主義という感じでさ」
「うーん、私なら三次元プリンタとかトランジスタとかの方が浪曼を感じるけどなぁ」
そんな女子高生はお前だけだよ、谷山。この四乃山高校には千二百名の生徒がいるが、誰一人としてこの天文学部に人が入らないのは、谷山の電子工作趣味に付き合ってくれるヤツがいないからだ。
「そろそろ行かないといけないんじゃないか?」
「そうよ! 急がないと!」
俺たちは慌てて、部室をあとにすると階段を駆け下りた。この日、俺は谷山に「浪曼だ」といったことをこの数日後に激しい後悔することになる。そして、その数ヵ月後には谷山には激しく感謝することになる。