一、生きている。
Science Fictionでございます。
生きている。とは、いったいどういうことだろうか――。
たとえばこの、わたしの目の前でお茶を淹れる家政婦型アンドロイドだ。
見た目は少女。声には、感情を置き去りにしたような不自然な抑揚はなく、まるでそれが必要であるように呼吸をして、所作のひとつひとつに角張ったところはない。自律し自立した思考を持ち、お茶菓子を選ぶときにはちょっとした迷いさえも見せる。彼女を見て生きてなどいない、と断言するのは少々気が引けるのではないだろうか。
たとえばこの、泥沼と化した宇宙戦争だ。
今の時代、戦争と言ったらプログラミング同士の戦いだ。どちらのプログラムが優秀かを競う競技と相成ってしまった。
モノを破壊する、という技術に関してはどうやら現在頭打ちしてしまっているらしい。今後三年は九十五%の確率で技術的科学的ブレイクスルーはないだろう、と試算されている。となると、相手がどう動き、どういった攻撃をしてどういった防御をしてくるか、またそれに対してどういった受け方をすれば良いのか、どういった反撃をすれば良いのか……といった、読み合いが肝心になってくる。
人間の脳は高さ方向に対する認識が甘い。人間の瞳は左右に。前後ろ右左、どの方角から敵が来てどの方角に獲物がいるかを認識することに特化した。重力によって平面に縛り付けられたのだから当然だ。しかしこの宇宙において、お互いに三次元空間を飛び回りドンパチやり合うためには、それではいけない。自然、戦争における戦略とはコンピュータのものになった。
いやまあ、それだけでは、当然無い。読み合いが高度になりすぎて、最早人間では対処できなくなってしまったのだ。亜高速でこちらへ飛んでくるエネルギー体に対し、相対性理論だ何んだを含有したさまざまな演算の末、処置するのは、わたしたちの脳には無理がある。
コンピュータ様に一任されてしまった。それは、いつどこをどのように攻撃するかだけではなく、いつ手を引き、どうやって、どのタイミングで和解すれば一番国益に添うか、なども含まれた。人間は、それに従った。それが一番効率が良いのだ。
人間を操るコンピュータ様と、その戦争自体。何か漠然と、宇宙の闇を蠢く生命的なものを感じてしまいやしないか。
またたとえばその、(わたしが携わっている)戦争プログラム作成方法。
プログラミングは、最早人間の理解を超えてしまった。そもそもプログラム言語そのものが人間の認識を遙かに超越するものとなってしまった。最早、絵でしかない。どうやら七次元的な広がりを持っているとか何んとか。(人によってはそれを見て何んらかの、ある共通した感情を喚起されるらしい。わたしには落書きにしか見えない。それを理解してこそ、人類はさらなる高みへ行くことができる、パラダイムシフトが発動される、などとオカルトなことをいう人もいる)
そもそも言語には〝ふるい〟の側面があった。狭い人間関係の構築と信頼の奪い合い。特に英語は顕著で、学校のテストに始まって、国際社会への貢献度数の水増しなど、選民意識をむくむく育てた。
そして今、人間がコンピュータによってふるい落とされてしまった。コンピュータを育てるのは、コンピュータの役割になってしまった。それができるのがコンピュータだけになってしまった。産み育てる。親と子の関係が、プログラム間で構築されてしまった。
これが生き物ではないと、誰が言えようか? いや、言う人はいっぱいいるけど。
「洋子様、お茶が冷めてしまいますよ」
「んあ、ごめんごめん」
家政婦型アンドロイド〝縷々〟に対し何んとも丁寧な謝罪の言葉を返す。わたしは縷々をひとりの生きモノとして認識してしまっているらしい。しかしそれも仕方ない。彼女にまんじりと見つめられると、ついつい責められたような気分になってしまうのだ。
「……いかがしましたか?」
と首を傾がせられると、ますます人間だ。縷々の見た目はだいたい十六歳前後を想定されて作られた。この仕草は、本当に、儚げで可憐な少女の雰囲気を醸し出している。
十六歳を想定した……か。その事実は、今月二十八になるというのに、彼女よりも背が低く遙かにちんちくりん(死語?)で、酒を飲むときゃ必ずといって良いほど免許証を提示しなけりゃならないわたしを苛んでやまない。
わたしは作業をやめて、眼鏡を外す。ぼんやりと霞んだ視界でため息をついて、
「生きている、ということについて考えててねー」
「はぁ……」
不明瞭で、戸惑いを感じさせる反応。仕事中だというのに、突如哲学的なことを口にされ、どうしたものかと考えあぐねてしまう……そんな、人間的で高度――と我々が認識しているに過ぎないが――な受け答え。
これは単に意図的にプログラムされた反応……というわけでは、決してない。いや、プログラムではあるけど、人間が想定しえたものだとはいえない。
脳は、ノイズを利用している。
そして今度は、人間が、演算器にノイズを組み込んだ。電子的、原始的、量子的、場面に応じたゆらぎ、ノイズを、プログラムに利用した。
これは当初、コンピュータに人間同様の人格を埋め込むことを目的したものではなかった。あくまで、回路の最適化、高速化、高性能化の一環だった。
ニューロン、閾値、暴露、創発……脳関係のワードを煮詰めて作り出したようなそれは、結果、〝学習〟に留まらず、意図せず〝感情〟までも発露してしまった。
長時間の仕事が厭になったり、サボってみたり、瞬く星々にアンニョイな気分になったり、地球で見た夕焼けに身を震わせてみたり、誰かを好きになってしまったり……。
そんな感情を持ってしまった。そして、同じ回路でも個体差が出るようになってしまった。
縷々にも、そういった感情がある。人を傷つける、といった禁止事項がある程度組み込まれていはするものの、確立した思考があるのだ。
しかし、
「何んであれ、それは単なる人工知能のプログラム結果だ。それは、厳密な意味では感情などとは呼べない」
と、そう高らかに言う人もいる。
けれどもその人は知らない。または認めようとしない。人間の感情そのものが、異様に単純な構成の回路の働きでしかないことを。
少なくとも感情という点に於いて、わたしと縷々の間に大きな隔たりなどない。
だとすればやはり、わたしを生きモノだと定義するならば、彼女を生きモノだと定義するのに、何も無理はないのではないか――。
「……ねぇ、縷々。わたし前に、〝縷々だって生きモノだ〟って言ったことあったでしょ。あのとき、どう思った?」
「ああ、そんなことも仰っていましたね。そうですね……。ああ、そういうものか、と思ったばかりで、ほかには特に」
「そう? 何か感慨深い思いは抱かなかった?」
「……洋子様、正直に申します。わたしはそもそも、〝生きている〟ということが、物事の上位に必ずしもあるとは思っていないのです。ですからその質問に、何んらかの、洋子様の期待したお答えはできないと存じます」
「ああ、なるほど」
そっか。自分主体の価値観に囚われていたのかも。それで、あのときはあんな素っ気ない反応だったわけか。面白い。興味深い。わたしは眼鏡をかけ直して縷々を見直す。
「いろいろだね、みんな」
「いろいろでございます」
「…………」
「…………」
「…………?」
縷々の瞳が、わたしにじっと向けられたまま離れない。疑いようもなく真っ直ぐな視線に多少の居心地の悪さを感じる。
「えっと……どうしたの縷々。何か聞きたいことでもある?」
「はい。ひとつ、よろしいでしょうか?」
「うん、いいよ。わたしが聞いたんだから、今度はそっちから聞いてよ」
興味を持たれるというのは、嬉しいことだ。
「洋子様……先日、ゲームのセーブデータが吹き飛びましたよね」
「え、何? 喧嘩売ってんの?」
一気にトーンダウン。
「いや、そうじゃなくてですね……」
そうなのだ。キャラメイクに二時間かけて作り上げたわたし好みの超マッチョキャラが、壮大なマップを二百時間駆け抜け続けたセーブデータが、つい先日、接近してきた輸送任務中の駆逐艦の磁場攻撃に晒されて、お亡くなりになりました。渡航に関わる大事なデータなどは当然守られていたものの、ゲームのデータなど厳重に保護なんかしないから、しょうがないね。
「何、二百時間余りを無駄に過ごしましたねってか? え?」
「いえいえ、ゲームやってる時間なんてはじめっから無駄でしょうに」
「うぐ! そーゆーこと言っちゃ駄目なんだよ! 本気でやってる人に悪いんだよ!」
「本気で没頭できたのならば、いいではありませんか。無駄な時間であることには変わりありませんが」
「あんたに感情はないのかー!」
さっきわたしは〝ある〟って言ったばかりだけどね。
「……洋子様」
「……何? 真面目そうな顔しちゃって」
異様なまでに真摯な瞳が気になる。わたしも自分を抑えて真面目に聞いてあげますか。
「洋子様は……あのゲームキャラが、どこへ行ったと思われますか?」
「……へ?」
意味をよく飲み込めない。あの、マッチョで金の短髪で手に提げた銃器で街を暴れ回るあのゲームキャラが、どこへ行ったか……、と?
「縷々、それはどういうこと?」
「……洋子様の愛した、あのゲームキャラは、どこへと旅立ったのでしょうか。今でもどこかで、電脳世界の住民を殺し回っているのではないのでしょうか?」
「縷々……?」
縷々の所作に、焦燥感のようなものを感じる。
縷々の言っていることはつまり、魂の所在?
わたしは答えに窮する。わたしの内にも焦燥感が発現する。
魂の存在。
考えなかったわけじゃない。こうして生きている以上、避けられないのが死という概念だ。
死。
魂。
しかしそれは考えるにはあまりにも抽象的で、残酷で、いつも途中で投げ出してしまってきた。いや、それが一番の正解なのだ……と、そう信じて。
「まあ、なんというか……。わたしの中で生き続けている、じゃ駄目かなぁ」
濁すしかできない。これが真摯な対応ではないと分かっていても。
「洋子様の中にある、あのハゲマッチョと、実際のハゲマッチョ。それは同じ存在でありましょうか?」
「ハゲマッチョ言うな!」
「いや、ハゲマッチョだったじゃないですか」
「ハゲマッチョだったけども!」
人間の記憶なんて、実に曖昧だ。本人の中の感情次第でどうにかなってしまうし、その感情だって、本人の自覚のないまま思い込みで形作られてしまうものだし。(たとえば、長く一緒にいる人を好きになってしまったり、触られただけで好きになったりとそれだけなのに、「髪が綺麗だから」とか「顔が好みだったから」とか、〝好きになった〟という結果から〝好きになった理由〟をこじつけてしまう)
つまり縷々の言っていることは、そういうことだろう。わたしのなかのハゲマッチョ、縷々のなかのハゲマッチョと、消えてしまったハゲマッチョと、同一であるといえるだろうか?
「……ごめん縷々。わたしには、ちょっと答えられそうにないわ」
わたしは正直に降参した。お手上げ。
「そうですか……」
残念そうな素振りは、あまり見せなかった。もしかしたら、わたしなんぞじゃ答えが出せないことを知っていたのかもしれない。