伽藍堂
私の住んでいる町は何の変哲もない普通の町だ。田舎とも言い切れないけど、かと言って都会かと聞かれると肯定できないような町。会社に行くのに電車(普通車)で6駅というのは利便性が悪い方に入るんだろうか?
町自体あまり大きくなく、私が使う帰り道も新しい店が出来たとか店が潰れたとか特別な変化もないままだった。
あれ? あの店なんだろう? あんな店あったっけ?
少し古ぼけた小さな洋館のようだが、どことなく薄気味悪さを感じる。工事をしていた記憶もないのだが、あんなに古い見た目なら私が見落としていただけなのかもしれない。
それに、薄気味悪いと言っても「何が」と断言できるほどの薄気味悪さでもない。
なんか、気になるし、入ってみてもいいかもしれない。
新しいお店なんて珍しいし。一度入るくらいなら平気よね。
ギィと立て付けの悪いドアを開けば、からんからんと来客を知らせる鐘が鳴り響き、少しだけドキリとした。
ソッと中を覗くと喫茶店のようだが、いたるところに変わった人形がある。
アレも売り物なのかな? 少し顔が怖い気がするけど、そういう趣味なのかな?
分からないけど、兎に角、普通の喫茶店とは何か違う気がする。ただ、薄気味悪さはかなり和らいだかもしれない。
「いらっしゃいませ。中へどうぞ」
突然、聞こえた声に吃驚してドアから手を離しそうになった。さっきまでは誰もいなかったはずなのに、声の主はいつの間にかカウンターの中に立っていた。
狐顔と言うんだろうか? 顔は細長く、糸目の年は二十代後半から三十代半ばくらいまでに見える。黒髪の男だ。何ら、おかしな所はなく町を歩けば普通に似た顔の人は居るだろう。
「し、失礼します」
「そんなに、緊張なさらないで下さい。ただの店ですから」
「えっと、此処は喫茶店ですか?」
「ええ。ただいまメニューをお見せします。カウンターへどうぞ」
「は、はい」
カウンターに座り見せられたメニューは普通の喫茶店と変わらない平凡な物ばかりだ。コーヒーに紅茶、サンドイッチにケーキ。そんな当たり前のことに不思議と安堵のため息が漏れる。
薄気味悪いのは外観だけで中は普通じゃない。私ったら馬鹿ね。一体何をそんなに、ビビってたのかしら。
「とりあえず、ケーキセットをお願いします。飲み物はホットのミルクティーで」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げて紅茶を淹れ始める狐顔の店員にも好感がもてる。よく見れば愛嬌のある顔だわ。味次第では、また来てもいいかもしれないわね。立地条件は悪くないし。帰りによりやすいもの。一人暮らしだから家に帰っても暇だしね。
* * * * * *
気づけば私はあの店の常連になっていた。だって、帰り道の寄り道コースにぴったりなんだもの。それに、狐顔の店員は意外と話しやすく知識も豊富だから会話が弾むし、紅茶もケーキも凄く美味しい。
ただ、不思議なことがあるとすれば、いつ行っても私しか客が居ないことよね。やっぱり、皆あの外観に気圧されちゃうのかしら?
「ねぇ。此処って私以外にもお客さん来るの?」
「ええ。来ますよ。ただ、不思議と皆さん来る時間がバラバラなんです」
「そうなんだ。まぁ。でも、お客さん来ないとお店やってけないものね」
「そうなんですよ。世知辛い世の中ですからね」
狐顔の店員は相変わらず、穏やかでのんびりしている。言葉の割に「世知辛い世の中」なんて一切感じていないみたいなのよね。
一体いくつなのかしら? やたらと達観している気もするし、若く見えるだけで結構な年だったりするのかしらね。
「貴方って今幾つなの?」
「とりあえず、貴女より年上ですよ」
「ああ。やっぱり? って、私、貴方に年の話なんてしたことないけど」
「会話をしていれば、分かりますよ」
「そういうものなの?」
「そういうものです」
異様に説得力のある言葉に黙りこくって紅茶を飲む。大分冷めちゃった気がするわね。冷めても美味しいから気にしないけど。
それにしても、狐顔の店員は年の話をしたくないのかしらね。上手く誤魔化された気がするわ。まぁ。別に知らなきゃいけないわけじゃないから、いいんだけど。
「うーん。そろそろ帰ろうかしら」
「おや。いつもより、お早いお帰りですね」
「最近、仕事が忙しくて、この後も家で書類やらなきゃいけないし。本当に貧乏暇なしだわ」
「お体に気をつけてくださいね」
「ありがとう。貴方もね。はい。お代」
「丁度いただきました」
からんからんと鳴る音を聞きながら外に出ると、かなり寒くなっていた。お店の中は常に適温って感じなのよね。どうしてかしら?
道を歩く人は誰も私を見たりしない。こういう時は独りぼっちな気分になって無性に寂しくなる。はぁと疲れた溜め息を吐いて私は家への道を独りぼっちで歩き出した。
* * * * * *
「お前は何を考えているんだっ! これであちら側との商談に問題が出たらお前のせいだからなっ!」
「申し訳ございません」
「謝ってすんだら苦労はせん! もういい。お前は今すぐ帰れっ!」
「で、でも」
「早く帰れ! この役立たず!」
「はい」
鼻息を荒くして怒鳴り立てる上司にくすくす笑う同僚の声。
やってしまったと思った時には全て遅かった。あちら側との関係が悪くなったら解雇されるかもしれない。
ふらふらと帰り支度をして、会社を出る。苦しい辛い泣きたい。ぼんやりとした視界の先にボロい喫茶店が見えた。狐顔の店員に話を聞いてもらおう。
この時、私は気づかなかった。ここにあの店があるはずがないことに。
「いらっしゃいませ。おや、どうなさったんですか?」
「……仕事で失敗しちゃったの」
「それは……また。大変でしたね」
「もう嫌になっちゃう。あーあ。やり直せたらいいのに」
「やり直し、ですか?」
「そうよぉ。あの企画をする前。ううん。会社に入社する前に戻ってやり直したいわ」
「そうですか」
少しだけ店員の声が低くなった気がしたけど、そんなの気にしていられなかった。
「やり直したいなら、やり直させてあげますよ」
「えっ?」
思わず店員を見上げると普段と随分と雰囲気が違う気がする。なんだか、薄気味悪いような。怖いような。
「やり直したいんですよね?」
「やり直したいわ」
「いつからですか?」
「就職活動する前」
私、何言ってるんだろう? 何ですらすらと答えられるの?
「分かりました。就職活動をする前ですね。またのお越しをお待ちしております」
店員の恭しいおじぎを最後に私の意識は反転した。
* * * * * *
「さて、次に彼女が来るのはいつでしょうか? しかし、コレで何度目でしょうねぇ」
狐顔の店員はにっこり笑いながら、手に持った人形を眺めた。
今回の彼女は少し違和感を感じたようだったが、直ぐに興味を失ったあたり、彼等のようになるのも時間の問題だろう。
人形は狐顔の店員のコレクションだ。此処に来る人間は皆「やり直し」を望む者ばかりであり、やり直しを繰り返せば繰り返すほど、違和感を感じなくなっていく。
しかも、やり直しをしている本人はやり直しをしているという認識はないのだ。
「彼女はどんな顔をして、どんな叫びをあげてくれるんでしょうね」
ゆうに100を超える人形達の顔は皆、恐怖や絶望に彩られている。
やり直しの上限を越え人形になる寸前に店に訪れた人間は本当にいい顔をしてくれる。やり直しをしても忘れてしまうため、その瞬間にはじめて自身がやり直していたと気づくのだ。
その時の顔は堪らなく狐顔の店員の心を満たしてくれる。
ゆえに、この仕事は辞められないのだ。狐顔の店員はただ獲物を待っているだけでいい。
獲物達が鉢合わせて、違和感を感じないようにするという配慮は必要だが。
やり直しをするのは、それなりに大変な部分はある。
しかし、対価を支払うのは、やり直しを望む人間だけで狐顔の店員は少し細工をするだけだ。
ギィと建て付けの悪い音が鳴り、続いて、からんからんという音が響いた。
狐顔の店員はニンマリとした笑みを人の良い笑みにかえ、手に持っていた人形をカウンターの下に隠しながら、意識して穏やかな雰囲気を出す。
そう。いかにも善良な喫茶店のしがないマスターのような雰囲気を。
「いらっしゃいませ」
顔を覗かせたのはやり直しを続けていた人間ではなく新しい獲物だ。この店はやり直しをしたいと切望している者の前にのみ現れ、そんな人間だけが見つけることが出来る。
狐顔の店員は新しい獲物に向けて、心の底から歓迎の思いを込めた言葉を放った。
ああ。また、獲物が増えた。本当に世知辛い世の中だ。
個人的に無意識でやり直してる人生ってかなり怖いと思います。デジャヴとかが、無意識に人生をやり直した結果の残滓だとするなら本当にホラーですよね。