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僕の家には逃避行アイドルがいる

作者: テル
掲載日:2026/02/28

 インターフォンが鳴ったので扉を開けたら大人気アイドルの立花唯香がいた。

 てっきりアマゾンから届いた最後の荷物かと思った僕は唖然とする。

「あ! けんちんだ! やっほー! ごめんだけどしばらく家に泊めてくれない?」

 唯香は胸の前で手を合わせると僕に頼み込む。さらさらの長い黒髪に箸が乗りそうなほどに長いまつ毛、多くの人を惹きつけてきた瞳。相変わらず可愛い。

 唯香は登山でもするのかというくらい大きなリュックを背負っている。

「……唯香? 本物?」

「本物だよ! もう私の顔忘れちゃったの? あんなに遊んだ幼馴染の仲なのに……」

「いや、最後に会ったの小学生の時じゃん」

 唯香とは幼馴染の関係だった。幼稚園の頃から、家が近くだったからよく一緒に遊んだし、一緒にDSでも遊んだ。小学校高学年になっても仲のいい関係は続いたが、父の転勤で僕が引っ越すことになった。それ以来、唯香には会っていない。

 後にアイドルになったことは知っていてテレビに出てくる由花を密かに応援していたが、実際にまた会えるとは思ってもいなかった。いや、まさか会いにくるとは思ってもいなかったと言った方がいいのかもしれない。

「……っていうか、どうやって僕の家知ったの?」

「友達がインスタでけんちんをフォローしてたから、飛んで、プロフィから学校を特定して、待ち伏せしてたらけんちんが出てきたからついてきたの」

「……わざわざここまで来たの? ここ岡山だよ?」

「うん、東京から新幹線通ってたから三時間くらい?」

「なんで?」

「まあ、理由はいいじゃん。とりあえず泊めてよ」

 お願い、と可愛らしくおねだりする彼女の要望を断ることなど僕には到底できなかった。


 それから一週間が経った。

 相変わらず唯香は家の中にいる。最初は泊めるだけの予定が、いつの間にか家に居候されている。

「ポテチ食べてもいいけど、せめてソファにこぼすなよ。掃除するの僕なんだから」

「えー、いいじゃん」

 ソファで寝ながらポテチを頬張っている唯香を見ていると、人気アイドルとは思えない。

 座るスペースがなくてカーペットの上に座っている僕はわざとらしくため息をついたが、唯香の耳には届いていないようだった。

「この家にあとどれくらいいるつもり?」

「えー、泊まれるだけ? お金は払うから許して」

 未成年の唯香はポテチの横にあったビール缶を手に取ると、喉に流し込む。しゃっくりをしてからまたソファの上でポテチを食べ始める。ルックスを除いて中身だけを見ればおじさんである。

 そもそも、なぜこんなおじさんが居候をすることになったかというと、本人曰く全部嫌になったから逃げ出してきたらしい。元々、可愛いからという理由だけで親からダンスとアイドルをやらされていたが、いざ人気アイドルグループのセンターになると、本人がセンターだからという理由で仲間からも嫉妬される日々が続いてしょうもない嫌がらせをされるようになったのだそうだ。そんな日々が嫌だから僕の家に来たのだと彼女は言った。

 僕の家を選んだ理由はわからない。

「……っていうか、自分のニュース見て、何も思わないの?」

「事件になってるー、嬉しいーって感じ」

 唯香の見ているテレビでは人気アイドルグループセンターの立花唯香が失踪したというニュースが報道されている。

『唯香ちゃんがいないと、すごく寂しくて……本当、どこ行っちゃったんだろ』

 画面は切り替わって、唯香の所属するアイドルグループのメンバーの一人がインタビューを受けている映像が流れる。

「あーあ、嘘なんかついちゃって。本当は安心してたりしてね。もう戻りませんよー」

 唯香はまたポテチを頬張る。

「もう戻らないの?」

「うん、なんかもういいや……けんちんも学校はどうしたの?」

 唯香のことを心配しながらも、僕も人のことは言えない。唯香が居候しているこの一週間、僕は学校を休んでいる。

「私のことは気にしないでいいんだよ?」

「ううん、行きたくないだけ」

「どうしたの? 話くらいなら聞くけど」

 唯香はテレビ番組を変える。お昼時だからか、食べ歩きコーナーの番組に変わった。先ほど、お昼は済ませたので見ていても食べたいとは思えない。

「あー、おいしそー」

「……僕の話を言ったところで、しょうもないって思うだろうからやめとく」

「話せるだけ話してみなよ」

 唯香はテレビを消した。ポテチで汚れた手をカーペットの上で振り払って、こちらを向く。話す気のなかった僕は視線を逸らすと、コンビニの袋の中にあったビールをもう一缶取り出して、喉に一気に流し込んだ。しゃっくりが出る。

「けんちんって、都合が悪いって思うとすぐにお酒に逃げるよね」

「そう? 別に」

「けんちんも悪だなー。未成年なのに」

「僕に最初に飲ませたのは誰なんだろうな」

「私です。お酒はいいけど、タバコはやめてね。臭いけんちんは嫌だから」

「タバコは吸わない」

「お薬もやめてね」

「お薬もやらないから」

 僕はまたビール缶に口をつける。

「何か悩んでるの?」

「そうかも」

「忘れたい?」

「別に……もう全部が全部嫌なだけ」

「そっか」

 寝っ転がっていた唯香は急に立ち上がる。僕と同じ目線の高さまで来ると、いきなり僕の手を掴んで押し倒した。

「……唯香?」

 唯香は虚しさの混じった笑みを浮かべる。唯香の耳にかかっていった髪が僕の顔に垂れる。いい香りもする。僕の匂いと唯香の匂いが混じった匂いは鼻を貫いて頭をくらくらとさせた。

 唯香はさらに顔を近づける。

 ラフな服を着ている唯香と服の隙間から、ブラを越えて胸まで見える。

「……する?」

「それも、いいのかもな」

 今度は僕が逆に彼女を押し倒した。アイドルをしていたから筋肉はあるとはいえ、男子高校生には敵わない。立場が逆になる。唯香は押し倒されているにも関わらず、ニコッと笑った。

 僕は彼女の胸に触れようと手を伸ばす。

 その時、三日前くらいにアマゾンから届いた箱が視界に入って、手を引っ込めてしまった。

「やっぱりいいや」

「そう」

 性とお酒に逃げるほど、何かに悩んでいるわけではない。ただ、悩むものが何もない。

 周りから何も期待されない人生を送ってきた。当然、親からも期待されたことはない。テストの点が悪いからと怒られたことはないし、良い点をとっても褒められたりはしなかった。その反面、兄は東京の大学を卒業して大企業に就職。親からは期待されまくっている。

 昔から賢い兄だった。だから僕は期待されなかった。両親は僕に対して無関心だった。

 当然、期待されることを諦めた僕が送ってきた人生は目の前の彼女のように成功しているわけではない。

 一人暮らしがしたいと言ったのは親の関心を引きたかったからかもしれない。でも、親も僕が離れて寂しいとは思っていないだろうし、僕も別に思っていない。

 僕も僕に対しては無関心だ。

「ごめん。女の子を襲った僕を叩きたかったら叩いてくれ」

「襲ったのは私なんだから叩くわけないじゃん」

 僕は唯香から離れる。唯香は起き上がって、はだけた服を直す。色気がある。だが、そこに反応したところで、襲う気にもなれない。

 僕は立ち上がるといつまでも置いていたキッチン横にある箱を取りに行く。

「どうしたの?」

「いつまでもここに置いておくと埃被っちゃうかなって」

「何それ」

「なんでもないよ」

「開けないの?」

「唯香が出ていってくれたら開ける」

「ふふーん、さてはいやらしいものだな」

「どうかな」

 僕は箱を持ち上げる。軽いは軽いが、思っていたよりも重い。僕はそのまま自室まで持って行こうとする。

「待ちたまえ」

 元人気アイドルは身軽な動きで僕の前に立ち塞がる。

「あっ……」

「ん?」

「隙あり!」

 僕は無理やり箱を奪われる。唯香はニヤッと笑う。

「中、見てもいい?」

「……お好きにどうぞ。逆に開けてくれて助かる」

 見られて困るものでもない。唯香はハサミでテープを破ると、箱を開ける。そしてその中身を取り出した。

「……ロープ?」

 案の定、不思議そうに首を傾げている。しばらく眺めてから、唯香はこちらを向く。

「ねえ」

「何? ……別に、僕の勝手でしょ」

「そういうことじゃなくて」

 唯香はロープをゴミ箱に投げ捨てる。大きくて入りきっていない。唯香は奥までロープを押し込んでから、僕に近づいてくる。

「一緒に逃げよう」

 唯香は僕の手を取る。少し、冷たい。

「どこへ?」

「遠くに。田舎でもいいし、海外でもいい。お金なら、いくらでもあるから」

「……別に、もう、いいから。興味ないし」

 僕は唯香の手を振り払う。けれど唯香はまた僕の手を取る。

「死ぬのは、いつでもいいじゃん。私と逃げようよ」

「……逃げる?」

「現実から遠くに行こう。人生終末逃避行」

 唯香は僕の手を引っ張った。

 外へと出た。モノクロだった空は晴れやかな空へと変わっていた。

未成年飲酒はやめましょう

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