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第五話 領主の威圧

第五話 領主の威圧

 村に着いて八日目。

 ストラシュは朝食を終えると窓辺の椅子に腰掛け、ぼんやりと外を眺めていた。森と村との間に広がる畑は収穫が終わっているが、農民に休みはない。来年のためにせっせと土の手入れをするものがちらほらいる。

(俺は何をしているんだろうな)

 ストラシュはそろそろ何もしない日々に耐えられない気持ちを抱き始めていた。朝はレヴィナチワが用意する黒パンと薄いスープを食べ、昼は寝台で天井を見つて過ごす。夕方には朝と同じ夕食を食べ、夜は悪夢。その繰り返しだった。

 だが、今日は違った。

 遠くから規則正しい蹄の音が聞こえてくる。一頭、二頭ではない。少なくとも十頭はいる。それにかしゃかしゃと薄い金属の擦れる音。鎧だ。武装した騎馬の一団が近づいてくる音だった。

「勇者殿ーっ! おられるかーっ!」

 奥の部屋から魔女が姿を見せた。彼女も気づいたようだ。肩にはカラスが留まり、黒い瞳で窓の外を見つめている。

 そして広場の方からざわめきが聞こえてくる。村人たちの慌ただしい様子が家の中にいながらにわかった。広場に人が集まり始める気配がする。

 ルヴィナチワの肩を借りてストラシュが外へ向かう。玄関のドアを開けて広場を見ると、そこには騎馬の一団がいた。

 ストラシュが肩を借りながら慎重に広場へ向かう。

 近づいてみると、単なる貴人の集団ではないことがわかった。彼らが着込む鎧は磨き込まれて銀色に輝いているが、傷も目立ち使い込まれている。首都にいるパレードだけの騎馬隊とは違う。

 先頭にいるのは、黒褐色の馬に跨った男だった。顔には古傷が数本、灰色の瞳は鋭く、常に何かを警戒しているような鋭さを湛えている。その後ろには、同じように武装した従者が十騎ほどいる。誰も彼も自然に先頭の男の背後を守り、全員の目がバラバラに周囲を警戒している。明らかに実戦慣れしている。槍を立て、剣を佩いた、歴戦の兵たちだった。

「領主様だ」

 手の空いている村人たちはもうすでに集まっているようで、老人は帽子を取り、女たちは頭を下げ、子供たちは怯えて母親の後ろに隠れる。

 領主は馬を進め、広場の中央をめぐり、改めて教会の前まで進む。目的の勇者である片足のストラシュには気づいているが、いまいちど馬上から村を見渡す。その視線は冷たく、同時に油断がない。

「勇者殿にお目通り願うために参った!」

 声は低く、しかし広場全体に響き渡った。命令ではなく、宣言であった。

 教会の扉が開き、グレゴール神父が飛び出してきた。黒い僧衣を翻し、両手を広げて。まるで領主を遮るかのように。六十歳余りなのに体はまだまだ動くのだ。ストラシュはそれを見ていると、片足の自分よりよっぽど力仕事で役に立つんじゃないかと思うのだった。

「領主様!」

 神父の声は高く、緊張していた。

「勇者様はお休みです。お身体がまだ……」

「もうすでに出てきておられるではないか」

 領主は神父の言葉を遮り、初めてストラシュの方を見た。肩を貸しているルヴィナチワの体が強張るのが彼にもわかった。死線を潜り抜けてきた騎士の視線だった。ストラシュは皇帝にあった時よりも背筋がピンと伸びるのを感じた。

 ストラシュも領主を見返す。日焼けして黒い顔に蓄えられたヒゲはピンと固められ、威厳をたっぷり表現していた。四十代くらいだろうか。最も脂の乗った年頃の、経験豊かな戦う貴族という印象だった。

「挨拶に参っただけだ。教会の者は英雄たる勇者殿を独占して、世俗のまつりごとを預かるものに礼を尽くす機会も許さないのかね?」

 神父は言葉に詰まった。領主の視線と神父の視線が空中で交わる。無言の対峙。教会の権威と世俗の権力。二人の間に、見えない緊張が張り詰めた。

「……ルヴィ」

 ストラシュは残った左足を前に出す。

「行くぞ」

 ルヴィナチワは一瞬躊躇した様子だったが、黙ってストラシュの腕を支えた。カラスが羽ばたき、先に騎馬隊の上を飛ぶ。村人なら全員が見上げて十字を切るものがいるところ、十人の騎兵のうち二人だけがカラスを目で追った。残りの全員が勇者と魔女がえっちらおっちらゆっくり歩ってくるのを見守った。

 広場の全ての視線がストラシュに注がれている。村人たちの好奇心、神父の心配そうな顔、そして……領主の冷ややかな観察眼。

 ストラシュは魔女に支えられながら、一歩一歩進んだ。左足だけで、バランスを取りながら。かつては颯爽と歩いた地面を、今は一歩一歩慎重に進む。

 領主は馬上からストラシュを見下ろした。その視線はストラシュの全身を舐めるように動く。ぼろぼろの外套、無精髭、そして片足。ヒゲの下で口の端が僅かに歪んだ。嘲笑か、それとも同情か。

「これが帝都の勇者殿か」

 その言葉に、村人たちがざわめいた。神父が息を呑む音が聞こえた。

 ストラシュは顔を上げた。領主の灰色の瞳と、自分の青灰色の瞳が合う。

「ようこそ、我が領地へ」

 領主は言った。

「私がこの地を治める者です」

「よろしくお願いします」

 ストラシュは短く答えた。

「ストラシュ・モルヴァフです」

 その瞬間、領主の表情が僅かに変わった。驚き……いや、確認したかのような表情。領主は馬から降りた。鎧が重々しい音を立てる。地面に立つと、その威容がさらに際立った。185センチの長身、筋骨隆々とした体躯。まさしく戦士の体だった。今すぐ領地から出て傭兵隊長をやっても通用しそうな印象。

「我が名はウルフリク」

 領主は胸に手を当てた。

「グラウマク家四代目当主。祖父の代より辺境伯家に仕え、東方の森を見張る役目を継ぎし者なり」

 古風な口上だった。それは単なる自己紹介ではなく、宣誓のようだった。

「帝国と魔界の狭間にて剣を構え、民を守り、領土を守り、帝国の威光を守る。これが我が家の誓いにして、我が生涯の務めなり」

 ストラシュは頷いた。

「辺境伯ヴィルヘルム・フォン・オストマルク閣下にはお目通りしたことがあります。七年前、出立の前に……お屋敷で歓待を受けました」

 領主の目が僅かに細くなった。

「饗宴のその場におりましたぞ、勇者殿」

 ウルフリクは言った。

「あれは七年前でしたな。よく覚えております」

 ストラシュは戸惑った。覚えがない。あの日の饗宴には何十人もの貴族や騎士がいた。誰が誰だったか、もはや記憶にない。

「だいぶ、その……」

 ウルフリクは言葉を選んだ。

「ご苦労なさったようですな。魔界の過酷な旅路がそのお顔に刻まれております」

「……ええ」

 ストラシュは自嘲的に笑った。あの頃は二十代前半。今は三十そこそこ。しかし自分の見た目の老け込み具合は、さらに十年を積み増したようなものだ。その自覚はあった。驚かれるのも無理はない。

「もうすっかり老人のようなものですよ。無様なものです。しかしそれでも、何代にもわたってここを守っておられるオストマルク家やあなたの……グラウマク家に比べたら、私の七年なぞ……」

 ウルフリクの口元に皮肉ではない笑みが浮かんだ。

「はっはは、ご謙遜を。我々は森の境目で、ゴブリンやオークどもがたまに出てくるのを狩っているだけです。貴殿のように森に分け入っていくなど、とてもとても……」

 ストラシュは首を振る。

「いえ、素晴らしいことです。この場所を長年守っておられることは、本当に素晴らしい」

 二人の視線が交わる。そこには奇妙な理解があった。互いに、自分を貶めることで相手を持ち上げる。しかし本心では……両者とも、自分の無力を知っている。謙遜は社交辞令ではなく、むしろ本心である。

「なに、領地の守護は当然のこと。それ以上のことは期待されてなどおりません」

 ウルフリクは続けた。声が低くなり、諦念が滲む。

「いよいよ魔界の侵食が始まれば、踏み潰される以上のことはできない。中央の貴族でもある辺境伯は撤退することもできましょうが……」

 彼は東の森を一瞥した。教会も勇者にあてがわれた家も、背後の森の存在感の前ではミニチュアのようだ。

「……私はここで死ぬだけです。無力ですよ。今の貴方と同じようにね」

 ストラシュは思った。諦念。それはこの人にも大いに根を張っているらしい。しかし、諦めながらも戦い続ける。それが領主の立場なのだ。領主ウルフリクはすっかり勇者に通じ合うものを確認できたようで、近づいてくる。

「無力同士で……」

 ウルフリクは声を落とした。周囲には聞こえないように。

「あまり波風立てないようにしましょう。勇者殿。貴方はそんな状態だが、あの坊主をはじめ、あんたを慕う者もいる。十分わかっているでしょう? 民のあなたへの尊敬は、あなたの現在の状態なんか関係ない。歩けないのなら神輿に担ぐまでです。そう思うでしょう?」

 ストラシュはほんの少し殺気を感じる。今までの丁寧な会話とはまるで違う雰囲気を、この立派なヒゲの男から感じた。この威容のせいか、馬を駆ってやってきた故の汗の臭いのせいか、ルヴィナチワの体は強張っていた。ウルフリクは続けた。

「焚き付ければ彼らは行動を起こせてしまうでしょう。くれぐれも人を惑わせるような真似は……」

「ご安心ください」

 ストラシュは務めて爽やかに聞こえるように答えた。

「私と領主様、貴方とは無力だけではなく、諦念も共有しています。私はここで朽ちるだけの残骸です。心配はいりません」

 ウルフリクは満足そうに頷き、髭を撫で付けながら退いた。

「よろしい」

 しかしその視線は、ストラシュのすぐ横で彼を支える魔女に移った。

 ルヴィナチワは無表情のまま立っていた。黒い外套、黒い髪、紫の瞳、魔女であることを示すとんがり帽子、そして肩に留まったカラス。領主の視線と魔女の視線が交わる。

 無言の対峙。カラスが小さく鳴いた。

「そこの魔女に関しても」

 ウルフリクの声が硬くなった。

「どうかくれぐれも手綱をお離しくださいますな」

「……と言いますと」

「勝手に森に入るような真似はさせないでいただきたい」

 ストラシュは真横のルヴィナチワを見た。彼女は何も言わず、ただ領主を見つめている。ストラシュは顔を領主に戻す。

「努力します」

 ストラシュは答えた。ウルフリクは頷いて馬に乗る。

「君たちに害を与えるようなものがいれば、私がなんとかしよう」

 ウルフリクは馬上で続けた。手綱を取って馬首を返しながら。

「くれぐれも重大なトラブルは……そう、ぜひご相談願いますぞ! どうか!」

 それは警告だった。大きな声で、広場に集まったすべての村民に聞こえるように。しかし同時に、奇妙な懇願でもあった。まるで何かを恐れているかのように。

 ウルフリクの馬が広場の外の方へ向かう。彼はなおも高い位置から、もう一度ストラシュに声をかける。

「この地では、私の言うことが法なのですから! 勇者殿も、どうかそれを忘れないでいただきたい!」

 そして騎士たちを引き連れ、砂埃を巻き上げながら去っていった。ストラシュたちがやってきた街道に入り、砂塵を残して蹄の音が遠ざかっていく。

 村人たちはやっと息を吐き、ざわめき始めた。なかなかこの帝国の最東端の村まで領主が視察に来ることはないのだろう。緊張が一気に緩むのが伝わってきた。

 その時、神父がストラシュに駆け寄った。

「申し訳ありません」

 グレゴールの声は興奮していた。

「領主様は世俗の権力に固執する方で……しかし、心配なさらないでください。教会の権威は領主より上です。勇者様に危害が及ぶことはありません」

「あ、ああ」

 ストラシュは少々困惑しつつ頷いた。

 領主ウルフリク・フォン・グラウマク卿は、礼儀正しいながらも譲らないところは譲らない。そしてグレゴール神父は俗世権力の干渉を過剰に警戒する。

(まったく、面倒そうだな)

 ストラシュはそう思った。お互いに軋轢がありそうな組み合わせである。

(ふう、願わくばどうか穏やかに過ごさせてほしいものだが)

 だが今の彼に権力争いなどどうでもよかった。欲するのは平穏だけ。それが唯一の望みだった。

 魔女の腕に支えられながら、ストラシュは家へと戻った。広場には村人たちが残り、今見たものについてひそひそと語り合っていた。

 窓の外から、カラスの鳴き声が聞こえた。まるで警告のような、不吉な声だった。

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