第3章: 漆黒の発見
探査開始から数ヶ月が経ち、ネプチューン号の船上には、疲労と期待が入り混じった独特の空気が漂っていた。ソナーが示した異常な反射地点、海底の座標X-732、Y-418を目指し、最新鋭のリモート操作探査機(ROV)が、深海の漆黒の闇の中をゆっくりと降下していた。ROVは、その搭載された強力なLEDライトで周囲を照らし、まるで深海の目をしているかのようだった。
ブリッジのコントロールルームでは、ROVオペレーターのエンジニア・アレックス・ロビンソンが、複数のモニターを前に、神経を集中させていた。彼の指先は、複雑なコントローラーを精密に操作し、ROVを海底の微細な地形に合わせて動かしていく。彼の隣には、ドクター・エマ・クレインとドクター・リチャード・カーペンター、そしてソナースペシャリストのドクター・リサ・ジョンソンが、固唾を飲んでライブ映像を見守っていた。全員の視線が、モニターに釘付けになっている。
「目標地点に到達しました」アレックスの声が、静寂を破った。彼の声には、わずかな興奮が混じっていた。
ROVのアームが展開され、慎重に掘削が開始される。海底の泥が舞い上がり、その度にカメラの視界が一時的に遮られた。しかし、アレックスの巧みな操作で、カメラはすぐにクリアな視界を取り戻す。
掘削が進むにつれて、堆積物の奥底から、何かがその姿を現し始めた。最初は、泥にまみれた不鮮明な塊に過ぎなかったが、ROVのアームがさらに堆積物を取り除くと、その輪郭が徐々に鮮明になっていく。
「待て…」アレックスの声が震えた。「カメラが骨格を捉えました。これは…完璧な保存状態の頭蓋骨のようです」。彼の言葉は、無線を通してブリッジの全員の耳に届き、静寂だったコントロールルームは一瞬にしてざわめきに包まれた。
モニターに映し出されたのは、信じられない光景だった。深海の泥の中から現れたのは、紛れもなく人類の頭蓋骨だったのだ。その頭蓋骨は驚くほど完全な形で残されており、200万年という途方もない時間を経ても、その形状をほぼ完全に保っていた。眼窩、鼻腔、そして何よりも、その大きく張り出した頭蓋の容積が、はっきりと確認できた。
「信じられない…」研究員Bの声が、驚きと戸惑いを含んで響いた。「この頭蓋骨はホモ・ハビリスに似ていますが、脳容量が非常に大きいです」。その瞬間、ブリッジにいた誰もが、自分たちが歴史的な発見の目撃者となったことを確信した。
エマの胸は高鳴り、全身の血が熱くなるのを感じた。これは、彼女が長年追い求めてきた「未知の発見」だった。しかし、そのスケールは、彼女が想像していたものをはるかに超えていた。
発見された化石は、ROVのアームによって慎重に回収され、特殊な容器に収められた後、ネプチューン号の船上ラボへと運ばれた。ラボでは、バイオエンジニアのドクター・エリック・ベネットと生物学者のドクター・サラ・オコーナーが、最新鋭の分析機器を前に、興奮を抑えきれない様子で待ち構えていた。彼らの手元には、人類の歴史を書き換える可能性を秘めた、かけがえのないサンプルがあった。
まずは放射性同位体年代測定。エリックは、微量のサンプルを慎重に機器にセットし、解析を開始した。彼の目の前のディスプレイに、解析結果がゆっくりと表示されていく。数分後、彼は息をのんだ。
「放射性同位体年代測定の結果、この骨は約200万年前のものです」エリックの声は、驚きと確信に満ちていた。
200万年前。その数字は、既知の人類進化の定説を揺るがすに十分な、途方もない年月を示していた。当時の人類は、まだアフリカ大陸を離れておらず、このような広大な太平洋の深海に存在しているはずがなかった。
続いて、サラが化石の形態学的特徴を詳しく調べ、既存の人類化石のデータベースと照合する。彼女の視線は、特に頭蓋骨の内部、脳容量を示す部分に集中していた。
「驚くべきことに、この化石はホモ・ハビリスに似ていますが、脳容量がはるかに大きいです。まるで現代人のような脳を持っています」。サラの言葉は、科学者たちの間にさらなる衝撃をもたらした。ホモ・ハビリスは比較的初期の人類であり、その脳容量は現代人よりもはるかに小さいはずだった。この矛盾は、彼らが発見したものが、単なる既知の人類種の亜種ではないことを明確に示唆していた。
そして、古人類学者のドクター・ナオミ・リーが、DNA解析の最終的な結果を発表するために、ラボへと入ってきた。彼女の顔には、真剣な表情が浮かんでいた。
「DNA解析も完了しました」ナオミは、厳かに告げた。「この化石は、既知の人類とは異なる遺伝子配列を持っています。これは、我々が知らなかった新しい種です」。
その言葉が発せられた瞬間、ラボの空気は一瞬にして凍りつき、そして熱気を帯びた。未知の新種人類の発見。それは、まさに科学史に残る大発見であり、人類のルーツに対する私たちの理解を根本から覆すものだった。深海の底から目覚めたこの「新しい種」は、彼らの認識を根本から揺るがす、驚愕の真実を突きつけたのだった。彼らは、今、人類の歴史の新たな一ページを開こうとしていた。