醜いと王太子に言われ婚約破棄された私が悪の女王になるまで
「お前のような醜い女は私の妃に相応しくない」
婚約披露のパーティーで、婚約者であるジョルジュ王太子が壇上からまるで家畜を見るような蔑んだ視線を私に送る。
王太子の言葉に私はその場で凍りついた。
周りからクスクスと私に対する嘲笑混じりの声が聞こえてきた。
「当然ですわ。ローズマリー公爵令嬢はご自分で鏡は見ているのでしょうか? 」
「コルセットでは抑えきれていないだらしない体型に、化粧でも誤魔化せない浮腫んだお顔」
「髪の毛だけは綺麗なプラチナブロンドですが、それが一層容姿から浮いて見え、実に滑稽ですこと」
随分な言われ様に私は悔しさと恥ずかしさで全身がカァッと赤く染まる。
コツ――
恥ずかしさに床を見つめるように俯く私の横を、無機質なヒールの音が通り過ぎる。
コツコツと階段を上がるその音は、王太子のいる壇上に到達するとピタリと止んだ。
私は音の主を確認するためゆっくりと壇上へと顔を上げた。
私の視界に、王太子の隣で勝ち誇ったように微笑む妹のイザベラの姿が映った。
「……どういうこと? 」
私は声を震わせ目の前の光景を見つめた。
「見ての通りだ。私はこのイザベラと今日この場を以て婚約する。公爵も既に了承済みだ」
私は側で控えていたお父様にバッと視線を向けた。
お父様がバツが悪そうに私からわざとらしく視線を背ける。
そんなお父様の隣で継母であるジュリア公爵夫人が扇子で口元を隠しながら、妹と同じように私を見ながら薄ら笑いを浮かべていた。
私はこの場に誰も私の味方がいないことを悟った。
「この薄汚い雌豚め! ここはお前のような者がいる場所ではない。さっさと私の前から消えよ!! 」
出ていけと言わんばかりにジョルジュ王太子が勢い良く腕を振り下ろし、入り口を指差した。
私はワナワナと震える身体を両腕で押さえると、この地獄の場所から逃げるように一目散に駆け出した。
『醜い公爵令嬢』
『我が儘で贅沢三昧の悪女』
世間からの私の評判は散々だった。
――自業自得なんだろうか。
私は城内を走りながら今迄の自分の行いを思い返した。
* * *
私が10歳の時に最愛のお母様が病気で亡くなった。
お母様は名門貴族の令嬢で気品に溢れ、控えめでとても優しい女性だった。
社交界が苦手なのか華やかな場を嫌い、極力人と関わることを避け、屋敷でひっそりと暮らしているような人だった。
お母様の死を悲しんでいた私の前に、お父様が新しいお母様を連れてやってきた。
新しい義母はお母様とは真逆の華やかな美しい女性だった。
そして彼女も未亡人で、私よりも一つ年下の娘がおり、彼女が後妻となったその瞬間に私に妹が出来た。
妹は継母に似てとても美しい容姿をしていた。
私が彼女に唯一勝てるとしたら亡くなった母親譲りのプラチナブロンドの髪だけだった。
妹は初めから私の存在が気に入らないらしく、何かにつけて私に対してキツく当たってきた。
お父様は新しいお義母様に夢中なようで、私のことなど気にも止めてくれなかった。
やがて私も妹も社交界にデビューする年になった。
妹の美しさは社交界でも評判で縁談の話があちこちから持ち上がった。
一方私はと言うと、妹に比べ地味で取り分け抜きん出た才能があるわけでもなく、妹の比較対象として度々話題になるだけの存在だった。
私の心は次第に荒んでいき、ストレスから私は食べることに逃げた。
食べて食べて食べまくった。
それに比例して服のサイズもどんどん大きくなっていく。
どんなに屋敷のメイド達が私を着飾らせても美しくならない姿に、私はメイド達に強く当たり散らすようになった。
公爵家での私はまるで腫れ物扱いだった。
そんなある日のこと。
お城から私にジョルジュ王太子のお妃候補としての縁談話が持ちかけられた。
理由は私の血統だった。
亡くなった母親は名門貴族の唯一の令嬢で、その血はとても尊いとされていた。
私には引き継がれなかったが、どうやら母親にはその家門の特異な能力が伝承されていたらしい。
初めて耳にする情報に私は驚いた。
王室はその能力を欲した。
それからの私は自分に舞い込んだ夢のような縁談話に、今迄の自暴自棄になり、自堕落な生活を送っていた自分を叱責するようにお妃教育に熱心に取り組んだ。
ジョルジュ王太子とは婚約前に何度か顔を合わせることがあったが、いつも彼の態度は素っ気なかった。
私の容姿と噂を耳にしていれば当然のことだと思い、私はそれでも彼に認められるように必死で努力を重ねた。
王家の血を引く彼はとても高貴で、その容姿も世の女性達が騒ぐ程の美貌の持ち主であったので、態度は冷たくとも私は密かに彼に恋心を抱くようになっていた。
そして、いよいよ婚約披露の当日。
憧れの王太子から公の場で罵倒され、裏切られた。
* * *
婚約パーティーから逃げるように屋敷に戻った私は部屋に閉じこもると鍵をかけ、悔しさと悲しみで泣きに泣いた。
何日閉じこもって泣き続けたのだろう。
心配した使用人が声をかけるも私は無視し続けた。
私の様子はお父様の耳にも入っているだろうが、お父様は姿すら見せなかった。
(この先私は一生この国で笑い者として無様に生きていくだけ……)
窓の外の夜の闇にぽっかりと浮かぶ月に引き寄せられるように、私は部屋の窓を開け、その身を投げた。
* * *
『お母様、何で私はお母様の側にいてはいけないの? 』
幼い頃の私がまだ元気だった頃のお母様に話しかける。
お母様は困ったような顔をして微笑んだ。
『私の側にいるとあなたに悪い影響が出るといけないから……』
『悪い影響って何? 私お母様の側にいたいよ』
『ごめんね。お母様が弱いせいであなたに寂しい思いをさせて』
悲しそうなお母様の顔に私の方が悲しくなってくる。
『でも、そうね。あなたには話をしておかなくてはいけないわね。今はなくてもあなたにもいずれこの力は受け継がれるだろうから……。あのね、お母様の家には代々伝わる能力があって――――』
泣きそうな私を見てお母様が決意したかのように口を開いた。
『え? 何? お母様、聞こえないわ』
大事な部分の音が突然消えると、私はお母様に向かって訴えかけた。
私の呼び掛けは虚しく、徐々に薄れていくお母様の姿に必死で私は手を伸ばした。
* * *
全身の身体の痛みに私はハッと目を覚ました。
見慣れた天井が視界に飛び込んできた。
「目を覚まされましたか!? お嬢様!! 」
横で聞き慣れた声がし、痛む身体に気を付けながら声の方に視線を移す。
視線の先では涙目のメイドのアンナが濡れたおしぼりを手に持って驚いている様子が窺えた。
アンナはこの屋敷で唯一私に良くしてくれているメイドだった。
アンナは私の額に浮かんでいた汗を優しくそっと拭うと労るように声をかけた。
「先生を呼んできます」
慌ててその場から離れようとするアンナの手首を咄嗟に私は掴み、身体の痛みに思わず眉をひそめた。
「私、いったい……」
今の状況が把握出来ず、混乱する意識の中で私はアンナに問い掛けた。
「ああ、お嬢様。私がお嬢様を外で見つけた時からあなたは五日間も意識が戻らなかったのです」
アンナはとても言いにくそうにそう告げた。
「外で……? あ……」
私の記憶がゆっくりと甦ってきた。
(そうか、私婚約パーティー後、窓から身を投げて……)
「死ねなかったのね……」
突然現実を突き付けられ、絶望感にぽつりと私がそう呟くと、堪えきれない様子でアンナがワッと泣き出した。
「死ぬなんて考えないで下さい!! 私がどれ程心配したことか……。奥様が死ぬ前に私にお嬢様のことを託されたのに……。これでは私が死んだ後、あの世で奥様に合わせる顔がありません!! 」
アンナは元々お母様に遣えていた専属のメイドだった。
彼女は15歳の時にお母様の生まれ育った伯爵家で働き始め、そこで二年間を過ごした後、お母様と共に公爵家へとやってきた。
アンナと私は一回り程年が離れていたが、まるで友人のような、もしくはそれ以上の家族のような存在であり、唯一私が心を許している人間だった。
「とにかく先生を呼んできますから、安静にしてて下さいね」
そう言うとアンナは部屋を出ていった。
* * *
「順調に回復しています。窓下の庭木に落ちたことが幸いでした。正直、二階の窓から飛び降りて大した大怪我もなく助かっただけでも奇跡です……」
私の状態を見た屋敷の専属医が信じられないとでも言うように私に視線を向けた。
「言葉を濁さないのね……」
私は昔から知る、ここ数年でめっきりと顔の皺の増えた馴染みの医者に、皮肉めいた言葉を投げ掛けた。
「……お嬢様の心情はお察しします。ですが、こうして助かったお命。どうか大切にされて下さい」
医者として、切実な呼び掛けに私は言葉なく俯いた。
退室する専属医の背中を見送ると私は側に控えていたアンナに声をかけた。
「世間では私は何と言われているの? 正直に答えて頂戴」
私の質問に、アンナは困ったように私の表情を伺うように上目遣いにチラリと視線を向けた。
私はそんなアンナの視線をじっと真正面から見つめ返すと、アンナは諦めたように肩を竦めながら、重たい口を開いた。
「はい……。世間では『真のプリンセス誕生』とイザベラ様のことを褒め称えております……。ジョルジュ王太子殿下とイザベラ様の婚約に国を上げてのお祝いムードです」
「……そう」
多分私の悪評も溢れる程出回っているだろうが、流石にアンナの口からその事実を私に告げることは出来ないようだ。
「少し疲れたわ……」
一人にして、と暗に示すようにアンナに向かって呟いた。
「ですが……」
アンナはチラリと部屋の閉じられた窓に視線を投げる。
「大丈夫。もう飛び降りようなんて考えてないから。ただ眠りたいの」
アンナを安心させるように私はうっすらと微笑んだ。
「はい。分かりました。何かあればいつでもお言いつけ下さい」
ペコリと深くお辞儀をするとアンナは部屋から退室した。
私は気だるさに引き摺られるように、何も考えずに再び深い眠りについた。
* * *
「お嬢様、お食事をお持ちしました」
それから身体が回復するまでの間、私は誰とも会わず部屋で一人で過ごした。
部屋へと通す使用人はアンナのみを許した。
「また何も召し上がらなかったのですか……」
手付かずの食事を見てアンナが心配そうな声を洩らす。
「食欲がなくて……」
身体の方は本当に奇跡のように傷一つなく回復していたが、身体が一切食事を受け付けようとしなかった。
『醜い女』
『だらしない体型』
食べようとするとパーティーで言われた言葉が甦り、その度に吐き気を催した。
「ですが、少しでも食べないと体力が回復しません……」
「ごめんなさい……」
心から心配するアンナに申し訳ない気持ちで謝罪する。
「私に謝る必要なんて……。そうだ、身体も動けるようになったんですから、気晴らしに街にお出掛けになられてはいかがですか? 」
アンナが手をポンと叩きながら妙案を思いついたというように、 私へと笑顔を向けた。
「街に? でも……」
私は世間での私の悪評を気にして躊躇った。
「大丈夫です。今日は街でお祭りが開かれているんです。市民は皆仮装しているので、お嬢様も仮面を着ければ誰もお嬢様の正体に気付きませんよ」
「でも……」
「大丈夫です! 私も一緒に参りますので行きましょう!! 」
半ば強引なアンナに押しきられる形で私はあれよあれよと支度をさせられた。
目立ちすぎない地味目のドレスに身を包み、私は数日振りに部屋から玄関へと降りていく。
そんな私に屋敷の使用人達から好奇の視線が向けられる。
私の脳裏にパーティーで嘲笑する貴族連中と使用人達の姿が重なる。
この屋敷では、アンナ以外の使用人は私に対して風当たりが強かった。
恐らくはイザベラの差し金だろう。
イザベラは世渡りが非常に上手で、その愛らしい容姿も手伝って、屋敷にやってくるなり使用人達の心を見事に掴みとっていった。
そして幼い頃から、私に虐められたと使用人に嘘の話を持ちかけて泣き出すと、たちまち私は使用人達から敵意を向けられ、冷遇されるようになった。
当時からアンナが必死で私を守ってくれたが、アンナ一人では守りきれるものでもなく。
きっとアンナだって使用人達から嫌がらせを沢山受けただろうに、アンナは私の前で決して辛そうな素振りを見せなかった。
「これはこれは、婚約を破棄された哀れなローズマリーお嬢様」
公爵家のメイド長ベスがスッと私達の前に立ち塞がった。
この屋敷の使用人達から私は嫌われ過ぎていて、お父様の助けもないことで、使用人達は好き勝手に私に嫌がらせを続け、ここでは私の立場など無いに等しいものとなっていた。
「ようやく部屋から出てこられたと思ったら、みすぼらしい庶民のような格好をされてどちらに行かれるのですか? 」
女にしては大きな身体のベスが、私を見下ろし、口元を歪めながら声をかけてきた。
「……ちょっと街まで出掛けてきます。馬車を用意して下さい」
アンナがベスに警戒しながら、私を庇うようにスッと前に立つ。
「生憎、馬車はイザベラ様が婚約者であるジョルジュ王太子殿下に呼ばれた為、お城へと出払っております。せっかく庶民のような格好をされているのです。庶民のように外で馬車を拾ったらいかがですか?」
ふふっと私を馬鹿にしたようにベスが鼻で笑うと、周りの使用人達もくすくすと私を嘲笑する。
私は再び人々の悪意の渦に呑み込まれ、激しいトラウマに襲われた。
脳内に王太子から罵倒された言葉や、周りから聞こえてくる嘲笑の声が響いてきた。
記憶は止まることなく、悲しみに泣き崩れる自分の姿、そして窓から身を投げた時の感覚が一気にフラッシュバックしてきた。
私は今立っている場所が足元から崩れ、深い闇の底に自分が沈んで行くような錯覚に陥った。
堕ちて堕ちて、闇の底まで堕ちそうになって、私の中で鎖がブツリと切れたような感覚にハッと意識を取り戻した。
身体の奥底から沸々と沸き起こる怒りの感情が奥底まで堕ちそうになった私をぎりぎりで踏みとどまらせた。
悲しみに囚われていた感情がスーッと心の奥底に消えていく。
私は徐々に冷めていく己の感情を冷静に受け止めて、ゆっくりと目の前の光景を見据えた。
「お嬢様に対して何て失礼な……っ!! 」
「アンナ」
わなわなと怒りに震えるアンナの手を私はそっと掴み彼女を後ろへと下がらせると、目の前のベスを睨み付けた。
食事が食べられず、すっかり痩せ細った私の身体をベスは面白そうにまじまじと眺めたあとで、ニヤリと口元に意地悪そうな笑みを浮かべ、私の背丈に合わせ前屈みになると私に対して口を開いた。
「おやおやまぁまぁ、お嬢様ったら随分とお痩せになったじゃありませんか。怪我の功名とは良く言ったものですね」
バシッッ!!
「黙りなさい! 」
ベスの嫌味に対してこれ以上の無礼は許さないと、私は彼女の頬を力いっぱい叩きつけた。大きなベスの身体が不意のビンタに驚いてぐらりと揺らめいた。
「たかがメイド長の分際で誰に向かってそんな口を利いているの?」
バシッ!
私は周りの者達に見せつけるように、もう一度彼女の頬を叩き、制裁を与えた。
衝撃に耐えきれず、ベスの大きな身体がどさりと床に倒れ込んだ。
突然の出来事にしぃんと辺りが静寂に包まれる。
私の迫力に周りの空気がピリリと張り詰めた気配を感じたが、私は周囲の者達の動揺する様子など気にも止めずに、私に叩かれたせいで口端が切れて血が滲むベスの顔を蔑むように見下ろした。
「そのでかい図体をとっとと退かして塞いでいる道を開けなさい」
「く、くそっ! 王太子に捨てられた惨めな女のくせに……っが!? 」
尚も口応えするベスに対し、私は床に突いたベスの手をヒールで力一杯踏みつけた。
「何度言えば分かるのかしら? 誰に向かってそんな口を利いてるのかと言っているの。お前の脳味噌は家畜以下のようね」
「う、あぁぁ……」
(お嬢様……? )
そんな私の姿にアンナは圧倒されていた。
まるで深い深淵の底から生まれてきたような、黒いオーラを纏う非情な屋敷の主人を前に、使用人達は何も言えずに震え上がっていた。
(以前のお嬢様なら気に入らないことがあるとすぐにヒステリックに喚き散らし、その度に使用人達からは『我が儘で傲慢な気位だけの高い女』と陰で罵られていた。
しかし今、無礼な使用人達を前に厳しく叱責するお嬢様の姿は、なんと堂々としていて気高く、そして美しいのだろう……)
目の前のローズマリーの姿にアンナは感動と興奮で身体が震えていた。
ベスを始めとする周りの使用人達が息を呑む。
ローズマリーはその様子に焦れたように眉根を吊り上げ、先程から踏みつけているベスの手にぐりっとヒールを食い込ませた。
「ううっ……! 」
ベスの顔が苦痛に歪む。
「聞こえなかったの? 今すぐにその道を開けろと言っているの。使用人なら使用人らしくその態度を改め私にひれ伏しなさい!! 」
キィィィン――
私がベスを叱責するように声を張り上げると、突如として脳を揺さぶるような耳鳴りに襲われた。
「な、に? 」
あまりの不快な音に私は咄嗟に自分の耳を手で押さえ、踞った。
「お嬢様!? 」
私の様子を心配したアンナが背後から私の肩に手を添える。
「うっ、……大丈夫よアンナ……」
耳鳴りが止むと私はよろりと身体を起こし、気遣うアンナに言葉を掛けた。
その直後
「すみませんでした! ローズマリーお嬢様」
私の目の前にまるで壁のように立ち塞がっていたベスがバッと床から立ち上がると、壁の端に身を寄せ私に向かって深々と頭を下げると、大きな声で謝罪の言葉を述べたのだ。
ベスの謝罪を合図に、周りの使用人達もザッとその場に膝をつき、私に向かって床に頭を擦り付けるように深々と頭を下げ出した。
「「どうかご無礼をお許し下さい!! 」」
信じられない光景を目にし、私もアンナも事態が飲み込めずにポカンと間抜けな表情を浮かべると、お互いに視線を見合わせた。
(何が起こったというの? )
いくら脅すような態度だったとはいえ、今までの使用人達なら、こんなに素直に私に対して頭を下げることなど考えられない。
私とアンナはまるで狐につままれたように、頭を下げる使用人達の横を通り過ぎ、二階の階段を降りた。
そして玄関前に到着すると、待ち構えたように年配の執事が私に向かって、恭しく頭を下げながらゆっくりと入り口の扉を開けた。
「お嬢様、馬車の用意を致しました。どうぞお気を付けてお出掛け下さい」
先程ベスが出払っていると言っていた馬車を用意したと言うのか。
私は執事を怪訝な表情で見つめながら玄関の外に視線を移した。
執事の言った通り、広大な公爵家のエントランスに公爵家の立派な馬車が用意されていた。
(初めからあったならそう言いなさいよ)
私が煮え切らない気持ちで馬車に乗り込むと、いつの間にか一階に降りていたベスや屋敷の使用人達が、玄関先で横並びに私達を見送るように頭を下げていた。
「お気を付けて行ってらっしゃいませ、お嬢様」
私とアンナはその異様な光景にただただ呆気に取られていた。
私はそんな様子に気味悪さを感じ、早く公爵家から離れるようと急いで馬車を走らせた。
* * *
街はアンナの言った通り、お祭り一色のムードだった。
町中の建物一帯には鮮やかなガーランドが張り巡らされ、通り道には花が飾られていた。
出店もあちこちに出ており、美味しそうな匂いが私の鼻腔を刺激した。
人々は様々な仮装で街を闊歩しており、街に着く頃と私もアンナも仮面を被って民衆の中へとひっそりと紛れ込んだ。
「お嬢様、私の側を離れないで下さいね」
人の多さにアンナが慌てたように私に告げた。
人の波に合わせ、ゆっくりと歩きながら私は祭りの様子をぼんやりと眺めていた。
まるで別世界。
陽気な音楽に不可思議な格好をした群衆。
私は祭りの雰囲気に圧倒され、その賑わいに感動した。
そのまま歩いて行くと、人だかりの出来ている空間へとやって来た。
私は一歩後ろを歩くアンナに少しだけはしゃぎながら尋ねた。
「あれは何をしているの? 」
アンナはああ、と呟くと
「あれは劇が演じられているんですよ。お祭りの名物の一つです。毎年、その年の話題のネタを劇団員達が演じるのです」
「そう……」
私は興味を抱き、ふらりとその輪の中に入っていった。
そこで私は衝撃の光景を目撃した。
『お前のような醜い女は私の妃に相応しくない』
『何と酷いお言葉か! わたくしのどこが醜いとおっしゃるのですか! 』
『黙れ! 貴様の悪行は全て私の耳に届いているのだ!!』
それは些か演劇用に誇張されていたが、確かに私とジョナサン王太子との婚約破棄の場面だった。
醜いと罵られた哀れなローズマリー令嬢役の演者は元々が美人なのであろう。
メイクでわざと顔を滑稽に仕立て上げていた。
まるで夜の闇のような真っ黒なドレスを身に纏い、目の周りは黒く塗り潰され、血のような真っ赤な紅を引くその容姿は、まるで絵本に登場する魔女か悪魔のように感じられた。
劇は続き、簡易的に作られた舞台の玉座の足元でローズマリーが城の兵士に取り押さえられると、舞台袖からゆっくりと可憐な美少女が姿を現した。
ヒロインの登場に観衆からワァッと声援が上がる。
『私はこの心優しく美しいイザベラと結婚し、この国を豊かにしていく! 』
『ジョルジュ王太子殿下はイザベラに騙されているのです! その女は聖女の仮面を被った悪魔のような女なのです! 』
目から血が出そうな程にローズマリーがイザベラへと憎しみの視線を向ける。
とても迫真の演技に人々はローズマリーへの恐怖心で口を閉ざし、固唾を呑んで演劇に魅入っていた。
『あんまりです! 私は散々、公爵家でお姉さまからの酷い仕打ちに耐えて来ました。本当の悪魔はお姉様です』
ワッとイザベラが王太子の胸に泣きついた。
可哀相なヒロインの姿に観客からポツリと声が洩れる。
「魔女を処刑しろ……」
「そうだ! 悪魔のようなローズマリーを処刑しろ! 」
一人の観客の声に釣られて大きなうねりが生まれ出した。
私には観客のその声さえも演劇の一部のように思えた。
そして物語はクライマックスを迎える。
『 この薄汚い雌豚め! ここはお前のような者がいる場所ではない。さっさと私の前から消えよ!! 』
兵士に取り押さえられながらローズマリーが退場する。
悪役が消えた玉座には主役の二人が寄り添い、皆に温かく見守られながら、永遠の愛を誓い口付けを交わす。
そこで物語は幕を閉じた。
周りからは拍手喝采が起こっていた。
「お、お嬢様、あちらへ行きましょう」
私の後ろに付いてきたアンナが、凍り付く私の姿を見て、この場から急いで離れさせようと袖を引っ張るが、私はその場から動かなかった。
(一体私が何をしたと言うのだろうか。
醜い家畜は愛を求めることすら罪なのか)
まるで事実とは異なるが都合の良い風に書き替えられた演劇の内容で、歓喜する人々が滑稽に思え、私は笑いが込み上げてきた。
「プッ! アハハハハハ!! 」
私の笑い声が舞台を取り巻く民衆達の耳に響いた。
人々が笑い声のする方へと視線を向ける。
「お、お嬢様! 」
アンナが私の異様な様子に焦って、力ずくでその場から引っ張り出した。
* * *
「すみませんでした! 私がお祭りに誘ったばかりにお嬢様に嫌な思いをさせてしまい……」
路地裏へとその身を隠しながら、アンナが項垂れたように私に頭を下げた。
「いいえ、アンナ。あなたが気にすることなど何もないわ」
私は私を演じる役者の容姿を思い返していた。
まるで悪役のような、滑稽で禍々しいメイク。
あれが世間での私の姿……。
「お嬢様、もう帰りましょう……」
アンナがぼんやりとする私を気遣い路地裏から出ようとしたその時。
「ちょっと、待ちな」
ゆらりと路地裏の奥から見るからに野蛮そうな男達がぞろぞろと姿を現した。
「地味目な格好しているが、俺には分かる。あんたら良いとこのお貴族様だろ? 金目の物持っている限り俺らに恵んでくれよ」
そう言う男の手にナイフが握られており、鋭い刃がキラリと光った。
「ヒッ! 」
アンナがナイフを見て恐怖に悲鳴を上げた。
私はアンナを背に庇いながらジリと男達から距離を開ける。
「……失せなさい。あなた達のようなドブネズミに与える物なんてゴミクズですらひとつもないわ」
私がそう言うと、リーダー的な男の額にピキッと青筋が浮かんだ。
「調子に乗ってんじゃねーぞ女。金目の物だけで済まそうと思ったが痛い目も見たいようだな」
げひひと後ろに控えている男達から下卑た笑い声が洩れる。
先程の演劇で感情がすっかりと消えてしまったのか、不思議と目の前の野蛮な男達を前にしても恐怖心は沸いてこなかった。
反対にどこか冷静ながらも非情な気持ちが生まれてくる。
『念じなさい――』
不意に私の頭の中に誰かの声が聞こえたような気がした。
「……目障りよ。その手に持っているナイフでお互いを切り合いなさい」
誰かに導かれるように、無意識に私の口からそんな言葉が洩れた。
「うっ……? うわぁぁーー!! 」
すると屋敷での出来事のように、私の言葉に反応した男達が、私達に向けていたナイフを仲間同士で向け合い、お互いを攻撃し始めた。
「これは……? 」
キィィィン――
再び強い耳鳴りに襲われる。
『覚えておいて、私達一族にだけ伝わる能力を――』
お母様の声が私の中で響き渡った。
それと同時に、忘れていた幼い頃の私の記憶が唐突に甦ってきた。
(ああ、そうか。思い出した……)
何故お母様が人を遠ざけるように生きていたのか。
何故人と関わることを恐れたのか。
『私達の一族は人の心を操る能力があるのです』
お母様が亡くなって、その力が私へと受け継がれた。ずっと能力なんてないと思っていたから自然と記憶から薄れていったのか……。
死を決意したあの時に目覚めたのだろうか。
心が死んだあの日に、人の心を操る能力が生まれるなんて何て皮肉な話だろうか。
私はこの身に宿った能力を自らの身体ごと両腕でぎゅっと強く抱き締めた。
【ジョルジュside】
ローズマリーとの婚約破棄後、私は愛しいイザベラと新たに婚約をし直し、幸せな日々を送っていた。
国民も私達二人の婚約を喜んでおり、巷では私達が結ばれる物語が小説や演劇となり、大人気だと耳にした。
それというのも、やはり世間から悪名高い嫌われもののローズマリーが良い意味で私達の恋物語を引き立ててくれたからだろう。
しかし、そんな幸せ絶頂の私達に少しばかりの問題が起きてた。
一つ目は、私の父である国王の存在だ。
私は国王に内緒でローズマリーとの婚約破棄を実行した。
公爵家との縁談を積極的に薦めていたのは国王だった。
正直、公爵家の娘ならローズマリーでもイザベラでも変わりがないだろうと私は単純に思っていた。
それなのに、婚約破棄後国王は酷く私を責め立てた。
ローズマリーを推す国王の気が知れなかった。
国を思うなら、あんな心卑しく醜く肥えた女より、心優しい純真無垢で美しいイザベラの方が断然良いに決まっている。
そこまでしてローズマリーを推す国王の真意を聞こうとしたが、国王に黙ってイザベラとの婚約話を進めた私に対して、最早国王は腹の内をさらけ出してくれることはなかった。完全に私は国王からの信頼を失くしてしまったのだった。
そしてもうひとつの問題はというと、ローズマリーに比べてイザベラの王妃教育が難航を極めているという事実。
元々が低下層の男爵貴族のもとで生まれたイザベラはどちらかと言うと庶民に近い生活を送っており、生まれながらの貴族令嬢としての知識やマナーには疎かった。
庶民的な雰囲気が庶民や公爵家の使用人から好かれている由縁たるところはあるだろうが、次期王室へ入るとなれば、いつまでも庶民の感覚でいてもらっては困るのだ。
国民の母となり、国を代表する淑女の頂点に立たなくてはならない。
その点で言えばローズマリーは優秀だった。
しかし私が婚約話を受けた時には、既に彼女の悪評が耳に入っており、彼女に対する良い印象はなく、私は彼女に対して最初から素っ気ない態度を取っていた。
私の態度にいつ噛み付いてくるかと身構えていたが、流石に王太子である私に対して失礼な態度を取ることはなかった。
そうこうして彼女の様子を時折こっそり眺めにいくと、お妃教育を真面目にこなすローズマリーは噂に聞く程性格が歪んでいるようには見えなかった。
厳しいお妃教育の影響で、彼女の体型が少しだけ痩せ始めた頃、ふと中庭で花を愛でるローズマリーに視線を奪われたことがあった。
彼女の腰まで伸びるプラチナブロンドの髪の毛が陽の光に照らされて、まるで繊細な絹糸のようにキラキラと輝いていた。
決して華やかではないものの、どこか高貴な気品を漂わせ、凛としている彼女の横顔から目が離せなかった。
横顔でも分かる彼女の意思の強そうな瞳は、紛れもなく王妃に相応しい威厳を持ち合わせているように感じられた。
しかし、僅かだが私がローズマリーに興味が湧き始めた頃、私は婚約前の内輪のパーティーで彼女の妹であるイザベラと出会ってしまったのだ。
ローズマリーと正反対の誰かが守ってやらなければと思わせるような可憐で美しい彼女に私は一瞬で惹かれた。
内気で奥ゆかしい彼女が恐る恐る私に声を掛けてきた時、私の心は彼女に全て持っていかれた。
私達はお互いに許されない恋に燃え上がるように激しく惹かれあった。
* * *
私は中庭で疲れたようにベンチに座るイザベラの姿を見かけると彼女の元へと駆け寄った。
「王妃教育は順調かい? 」
そうじゃないことは知っていたが、それでも少しの進歩を期待して私は尋ねてみた。
「……何とか頑張っているわ」
私の前だけで許された砕けた口調でイザベラが答えた。
その顔からは疲れた様子が見て取れて、順調じゃないことが伺えた。
「あーあ、こんなにお妃教育が大変だなんて思ってもいなかったわ。私はジョルジュと結婚するだけで良かったのに……」
そう言ってイザベラが隣に腰を降ろした私の肩に頭を持たれかけた。
以前の私ならこんな幼い物言いも可愛いと思えたが、今は少しばかり事情が違う。
彼女のその言動と行動に僅かばかりの苛立ちを感じて、私はベンチからスッと腰を上げた。
「王妃を望んだのは君だ。お妃教育が終了しないといつまで経っても私達は結婚できない。もう少し、真剣に取り組んでくれないか? 」
少し突き放すような物言いになり、私はしまったとばかりに彼女へと視線を向けた。
案の定、甘やかされて育った彼女は打たれ弱く、その大きな瞳にみるみる内に涙が溜まっていく。
「そんな、私だって精一杯頑張っているのに……。ジョルジュの意地悪っ! 」
わぁっと彼女が両手で顔を覆い泣き出した。
私はいつもの光景にうんざりしながら彼女を宥めた。
「すまない。私も忙しくてイライラして君に強く当たってしまった。今のは私の本心ではない。君は君のペースで頑張ってくれればいいから」
そう言って私は彼女の涙を指でなぞって拭い取る。
「ジョルジュ……」
彼女が私の顔に見惚れ、頬をピンク色に染めた。
おもむろに彼女がそっと目を閉じる。
こんな場所で誰かに見られたらどうするんだ、と内心思ったが、今は彼女の機嫌を直すことが一番と考えて私はその幼さの残る唇にそっと口付けを落とした。
「何てみっともない姿なの」
突然私の背後から、二人の甘いムードに割って入る声が聞こえた。
中庭に植えられた庭木の陰から一人の女性が姿を現した。
私達二人は慌てて唇を離すと声のした方へと一緒に視線を向けた。
「お前は――!? 」
そこにはまるで別人のようなローズマリーの姿があった。
すっかり痩せたその身には身体のラインを強調するような黒いドレスを纏い、以前の控えめな彼女からは考えられ無いほどの派手なメイクを顔に施していた。
彼女の目力を一際目立たせるように黒のラインで目の回りをなぞり、真っ赤な血のような口紅はまるで憎しみに燃え上がっているかのようで。
恐ろしい程に迫力のあるその容姿に私は言葉を失い、ただただ目を奪われていた。
(何て目で私を見ているんだ)
まるで今にも私を殺してしまいそうな憎悪剥き出しのその瞳に、私は蜘蛛の糸に絡まった蝶のように身動きが取れなくなっていた。
「お姉様? 何そのおかしな格好は? 遂に気でも狂ったの? 」
私の腕の中でイザベラがローズマリーを蔑むように口元を歪めながら、皮肉めいた言葉をローズマリーへと投げつける。
イザベラの可愛らしく可憐な顔が一瞬醜く歪んで見えた。
私の中で彼女の像が少しずつ崩れ始めるのを感じた。
「――先程、国王にお会いしてきました」
イザベラの嫌味と存在を完全に無視するようにローズマリーが私に向かって言葉を続けた。
「もうこの国は私のものとなりました」
「何だって? 」
彼女の言葉を理解できずに私はイザベラから手を離し、慌てるようにローズマリーの元へと駆け寄った。
「国王が欲しがっていた力が私に目覚めたのです。その話を国王にしたら即行であなた達の婚約は取り消されたわ」
「なっ!? 」
今度はイザベラが、驚いたような声を上げる。
「嘘つかないで! お姉さまはジョルジュを私に取られたから悔しくてそんなでたらめを言っているのよ! 」
ヒステリックに喚くイザベラに、ローズマリーが私を押し退けるように前に出る。そしてその迫力のある顔面をずいっとイザベラに近付けると、彼女もイザベラ同様、顔を歪ませながらその口元に恐ろしい程に美しい微笑みを浮かべていた。
彼女の行動の一つ一つがまるで私の目にスローモーションのように映し出される。
何故なのか目の前の彼女から目が離せない。
それは私がイザベラに出会った時のような感覚に似ていて、いやそれ以上かもしれない。
まるで頭を固いハンマーで殴られたような激しい衝撃を受けたように私はローズマリーに釘付けとなっていた。
「安心して。あなた達の婚約は私がまた元に戻してあげるわ。私はもうあなたにもこの男にも全く興味がないの」
イザベラの耳に囁くようにローズマリーが告げた。
彼女の言葉に私は何故か大きなショックを受けていた。
(何故だ。先にローズマリーを振ったのは私だと言うのに。何故私が彼女の言葉にショックを受ける? )
私は自分の心が分からず動揺した。
「さっさと結婚でも何でもしたらいいわ。ああ、でも……」
ローズマリーの真っ赤な唇が歪に歪む。
「もうこの国の王妃にはなれないけどね」
そう言うとローズマリーは空を仰いで高らかに笑った。
(何て美しいんだ……)
私は目の前の禍々しくも気高く、鋭い刃のようなローズマリーを目の前にそう思った。
(ああ、彼女の私に向ける憎悪の眼差しですら美しい……)
私の熱い視線を感じたのか、ローズマリーが私がすっかり魅了された力強い眼差しを私へとゆっくりと向ける。
そして真っ赤な唇が妖艶にゆっくりと開かれるのをこの目で捉えると、私の身体がぶるりと震えた。
「跪きなさい、ジョルジュ」
私は彼女に言われるがまま、まるで魔法でもかけられたように彼女の目の前に跪いた。
「ジ、ジョルジュ!? 」
そんな私の無様な姿を目の当たりにしたイザベラが、信じられない様子で目を見開いた。
彼女が腰を折り、私の顔に触れる程の距離で囁いた。
ローズマリーのプラチナブロンドの髪の毛がさらりと私の頬を撫でるように顔にかかる。
「とっとと私の前から消えなさい。この色狂いの盛りのついた雄豚が」
ぞくぞくと私の背中を再び不思議な感覚が通り過ぎた。
(ああ、私を罵るその言葉も、射殺すような激しいその眼差しも全てが美しい……)
私はまるで魂が抜かれたように目の前のローズマリーをうっとりと見つめ、彼女に心が奪われてしまった事実に気が付いた。
私の背後で何やらイザベラがぎゃんぎゃんとうるさい仔犬のように吠えているようだったが、もう彼女の声は私の耳に届かなかった。
惚けたままの私をローズマリーは一瞥すると、くるりと背を向け中庭を後にした。
彼女が中庭を抜けようとした時、庭木の陰に身を隠していた彼女専属のメイドが姿を現し、慌てて彼女の後ろを追いかけた。
追いかけながらメイドがローズマリーに向かって
「今、能力をお使いになったのですか? 」
と尋ねている声が聞こえてきた。
ローズマリーはちらりと私を振り返るとすぐに興味がなさそうにその視線を戻し、メイドに向かって一言答えた。
「いいえ。あの二人には絶対にこの力は使わないわ」
何のことかさっぱり分からないが、私は城内に消えていく彼女の姿をいつまでも見送っていた。
【エピローグ ~ジョルジュside~】
あれから数ヶ月が経っていた。
お城はすっかりローズマリーの支配下に置かれていた。
王は隠居生活を余儀なくされ、母上である王妃共々離れの搭でひっそりと暮らしている。
城の臣下達は優秀な者達以外はその地位を剥奪され、とっとと故郷へと帰された。
今夜は女王就任の式典を開くらしい。
その一環として、先日新女王となったローズマリーが街をパレードし、国民達の前で演説を行ったと耳にした。
あれほど彼女を悪女と嘲り、罵り、嘲笑していた者達が彼女の演説を聞いて、あっという間に皆彼女の虜になったというのだ。
今や街を歩くとあちこちから
「新女王様万歳!! 」
「ローズマリー様万歳!! 」
という声が聞こえてくると言う。
国民達の心をひっくり返すような演説とは一体どのような内容だったのだろう。
いや、それよりもローズマリーのあの底冷えするような美しさに人々は魅了されたのかも知れない。
「この私のように……」
私は中庭に咲いた見事な深紅の薔薇を摘み取りながら思わず心の声が口から洩れてしまい、ハッとして辺りを見回した。
そして誰もいないことが分かるとほっと胸を撫で下ろした。
私は抱えきれない程の薔薇を摘み取り終わると、いそいそと目的の場所へと足を向けた。
「ジョルジュ!! 」
城へと戻ると、背後から切迫したような声で私の名を叫ぶイザベラに呼び止められた。
私は足を止め、わずらわしげに後ろを振り返った。
「なんだ、また勝手に城に入ってきたのか」
私の冷たい言い方にイザベラが我慢できないというようにわなわなと華奢な身体を震わせる。
そしてキッと私を鋭い眼差しで睨み付けるとつかつかと私の前まで歩み寄ってきた。
「いい加減に目を覚まして!! 貴方も国王や他の皆と同じようにあの女の能力に操られているだけなのよ!! 」
そう言いながらイザベラが大事そうに腕いっぱいに薔薇を抱える私の手に視線を移した。
「……手から血が出ているわ。貴方の綺麗な手が傷だらけよ。そんなにしてまであの女に薔薇を贈りたいの? 私にはそんなことちっともしなかったじゃない……」
悔しそうにイザベラの顔が歪む。今にも泣き出しそうだ。
「私と君は既に婚約を解消している。君がもう城に来る理由などないのだ。帰ってくれ」
また目の前で泣かれると面倒なので、私は彼女を追い返そうと冷たく突き放した。
「お姉様が婚約を戻すと言っていたじゃない! 私達はまたやり直せるわ! 」
そう言うとイザベラが私の腕に縋り付いてきた。
「いい加減にしないか。私はもう君にこれっぽっちも恋心も抱いていない。婚約は解消されたままでいいと、何度同じことを言わせるんだ」
私はいよいよ我慢の限界で鬱陶しいイザベラの手を払いのけた。
私の腕から数本の薔薇が床へと落ちる。
「お姉様の能力に惑わされないでジョルジュ。貴方、あれ程お姉様を嫌っていたじゃない」
悔しそうに、そしてローズマリーを心底恨むように、イザベラは床に落ちた薔薇を足でぐしゃりと踏みつけた。
イザベラの足下で踏み潰された薔薇を見て、私の中で彼女に対しての怒りが沸々と沸いてくる。
何故だろう。
イザベラの私を睨み付ける鋭い眼差しや歪んだ顔を見るととてつもなく不快で堪らない。
だが、これがローズマリー相手だと私は何故か激しく心が乱れ、興奮してしまうのだ。
(私は彼女にそうなるように操られているのか?
……いいや、違う)
私は自分のこの感情を庇うように、イザベラに向かって口を開いた。
「私はローズマリーの術になど掛かっていない。彼女はあの時確かに言っていた」
『いいえ。あの二人には絶対にこの力は使わないわ』
そう、私達二人だけが今までと変わらない。
大きく変わった周りの様子に取り残された二人。
いっそ私にも術を掛けてくれたらどんなに楽だっただろうか、と何度も思わずにはいられない。
二度と振り向いてくれない彼女の心が欲しい。
あの冷たく鋭い眼差しを憎しみの感情でいいから私だけに向けて欲しい。
彼女の姿を思い浮かべ、私は苦しさと興奮にぞくぞくと身体が震えた。
(ああ、一秒でも早く彼女に会いたい。
冷たくあしらわれようとも、こうして私をこの城に置いていてくれる彼女に。
そして毎日会うことを許してくれる彼女に)
それだけで私は幸せだった。
ローズマリーが私達の心を操らず、自由にさせていることで、私達は勝手に苦しんでいる。
そう、彼女の復讐は続いているのだ。
これからもずっと。
その事実を目の当たりにして、私の身体が再びぶるりと震えた。
それは果たして恐怖なのか、それとも悦びなのか。
私は私の心を永遠に支配し続けるローズマリーに想いを一層募らせる。
私は鬱陶しいイザベラを振り切ると、両腕に花束を抱え直し、愛しの女王様の元へと逸る気持ちを抑えきれず、足早に歩みを進めた。
(ああ、今日も君に会いに行くよ、ローズマリー)
玉座に座る冷たくも美しい女王様の姿を思い浮かべ、私は高鳴る胸の鼓動と、腕に抱えた薔薇の香りにいつまでも酔いしれるのであった。
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