最後の旅(8)
そうしてアンバパーリーの園に心ゆくまでとどまった世尊は、次にベールヴァ村へとやってきた。そこはヴァイシャリーに程近い、小さな丘の麓にあった。
ときにこの村は飢え年で作物が採れず、穀物の値が高かった。その上、竹林のあるその鄙びた集落は小さく、世尊の一行は食を得ることが難しかった。
雨期がせまっていた。
そこで世尊は云った。
「汝等、ヴァイシャリーの辺りで友人知人を頼り、雨安居に入れ。私はここへ止まろう」
弟子たちが命に従って旅立とうとすると、世尊は重ねて諭した。
「弟子等よ、まず己に克たねばならぬ。良いものを得ても耽らず、悪いものを得ても憂えず、食はただ身を支えるものとして貪ってはならぬ。貪るために迷いは絶えない。それゆえ身を節ゆることを知ってよく己に克つ者は、即ち寂静を得るであろう」
そして弟子たちは師を拝み、各々(おのおの)別れて近隣の町へ向かった。
釈迦牟尼世尊はアーナンダと共にここへ止まり、四十五年目の安居に入った。
ところがそのとき病が発って、凄まじい激痛が身体を襲った。しかし世尊はそれを耐え忍びながら思う。
(弟子たちは今ここにはいない。彼らは皆、私のことを気遣うている。彼らに知らせずに滅度に入ってはならぬ。それゆえ努めて心を励まし、寿命を留めねばならぬ)
そうしているうちに、やがて痛みは治まり、病状も軽くなったので、世尊は室から出て家の陰に設けられていた座へ坐った。
この様子を見ていたアーナンダは師に近づいて行き、礼をしてから一方に坐した。
「世尊、御疾はいかがでありますか。健やかになられたようにお見受けいたします。よく病に克たれました。世尊が病重く、御身体も衰えてしまわれたときには、私は四方が暗くなったような気がいたしました。しかし私はふと、いや我が師は弟子たちへ何事か教えを述べられていない間は亡くなられるはずはないと、そう思ったとき、心に安堵を覚えることが出来ました」
アーナンダは、仏陀が後継者を決めることなく滅度に入ることはないだろうと、ほっとした想いと共に語った。けれども、彼の師は応える。
「ではアーナンダよ、汝等は私の何を期待するのか。私は既に内外のわかちもなく、ことごとく法を説いたではないか。私の教法には、あるものを弟子に隠すというような、教える者が握りしめる秘密[握拳]はまったくない。内も外もなく、すべての道を汝等に示したのである。前後説いたところは皆人々の胸にある。汝等はただこれを行うが善い。さすれば私は、いつでも弟子等の心のうちに生きておる。
アーナンダよ、私の身はすでに老い朽ち、旅はもう終わりに近づいた。齢まさに八十路に入った。たとえば、古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いていくように、私の身体もまた革紐の助けによって動いているようなものである。
私はかつて汝等のために説いたではないか。生まるるも死ぬるも時があり、生まれて死なぬ者とてはない。私は世に出でてあまねく涅槃の大道をひらき、迷の根を絶った。汝は私が去ったのちには、この法を棄ててくれるな。
アーナンダよ、自らを燈となし、もしくは輪廻の大海に浮かぶ島と為し、自らを帰依処として、他を帰依処としてはならぬ。法を燈とし島と為し、法を帰依処として、他を帰依処としてはならぬ。
アーナンダよ、身を観るときはその不浄を念うて貪らず、心や体の感受を観えては、その苦の因であることを念うて耽らず、心を観るときはその常ないことを念うて執われず、法みなを観るときは、その無我であることを念うて迷うてはならぬ。さすれば、もろもろの苦は消えるであろう。もし私の逝った後に、かように教道を修めるものがあるならば、アーナンダよ、これこそ私の真の弟子、私の子孫である。彼はこの上ない證の位に昇るであろう。私は天上天下に住まうあらゆる人の身を憂えて、君主の位をすてて出家となり、今は覚者となってなべての世を救うた。汝等も宜しくその身を憂えて、急ぎもろもろの悪を断つがよい」
そして世尊はこの地で雨期を過ごす間に、衣を繕ったのであった。