最後の旅(6)
ヴァッジ国へ入った世尊はコーティ村へ赴き、林に入って弟子たちへ語った。
「弟子等よ、聖い戒と禅定と智慧とを持つて、解脱を得るがよい。この法は微妙うして容易く覚り難い。これを覚らぬために人々は久しく迷にあって極まりなく苦しむのである。汝等つとめて、自ら浄らかな行を修め、心を知ってその性を清くするがよい。世間と争わず、自ら身を憂いて静かな内に念うがよい。さすれば心は明らかになり、貪、瞋、癡の三つの垢を除いて自ら道を得、心は復び走ることなく縛められることもないであろう。
弟子等よ、王が民の主であるように、心は萬の物の主であるから、善くこれを思うがよい」
やがてコーティ村に心ゆくまで過ごした世尊は次にナーディカ族の住む村へ至り、そこの煉瓦堂に留まった。
ときに村には疾病がはやり、死ぬ者が多かった。
弟子のサールハ、尼のナンダー、男の在家信者のカーリンガ、バッダ、スバッダ、スダッタ、女性信者のスジャーターなどもその中にあった。
彼らの親族の人々が来て、アーナンダに問う。
「この人たちは死んで何処へ行ったのでありましょう」
そこでアーナンダは世尊へこのことを尋ねた。
「……サールハはこの世において聖者となっていた」
仏陀は応える。
「ナンダー、カーリンガ、バッダ、スバッダ等の五十人は天界に生まれて證に入り、スダッタなどの九十人は今一たび、この世に来て苦の因を尽くすであろう。そしてスジャーター等の五百人は七生の間に三つの垢を尽くし悪道を離れて證に入るであろう。アーナンダよ、生があれば死がある。これは世の常である。しかるに人は死んだ者がある度に来て、その行く先を問い煩わしい事である。私は今、汝のために法の鏡を示して、我が弟子たちの生まれる処を知らせよう。
アーナンダよ、もし我が弟子で、堅き信心を起こして仏を信じ法を信じ僧伽を信ずるならば、悪道を離れることが出来るであろう。たとえ天界と人間とを往来するとしても、七生を累ねぬ中に自ら苦の終わりを為すであろう。されば人々には愚のために迷があり、賢き人は道を持つために迷にかえらない。汝等、正しく仏を念にかけ、法を念にかけ、僧伽を念にかけ、戒を念にかけて、永く憂と嘆とを離れるがよい」と。