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最後の旅(10)

 夕方になり、アーナンダは師の命によってヴァイシャリー周辺にいる諸々(もろもろ)の弟子達を大林の重閣講堂へ呼び集めた。

 世尊は(へや)を出て講堂へ入り、一方の弟子達は起って礼拝した。

 彼らの師は座について、弟子達へ告げる。

弟子(おしえご)等よ、私が今まで(おんみ)等に説いた種々の教えは、常にこれを思い、これを(そら)んじ、またこれを習うて()ててはならぬ。この世の人みな自ら心を正しくしたなら、神々はために喜び、人の世はために(さいわい)を受けるであろう。(おんみ)等まさに欲をおさえて(おのれ)()たねばならぬ。身を(ただ)し、(こころ)(ただ)し、(ことば)(ただ)しくせよ。怒りをすて、悪をさけ、(むさぼ)りをすてて常に死に心を用い、もし心が(よこしま)を望んだならば、決して従うてはならぬ。心が(みだら)(おも)うた時も、気を許してはならぬ。(とう)(とさ)を望んでもまた(ゆる)してはならぬ。心はまさに人に従うべきで、人が心に従うてはならぬのである。心は神となり、人となり、畜生(けもの)となって、六つの世を作るが、また(さとり)を開いて、美しい仏ともなることが出来るのである。

 (ゆえ)(おんみ)等はまさに心を正しくして、道を行わねばならぬ。ただ道を行うもののみがよく、世において安穏(やすらぎ)を得られる。かくて私の(きよ)らかな道が久しく世に(ながら)えて、世間(よのなか)を救い、神々を導き、すべての人々を(いこ)わしめることが出来るのである。

 弟子(おしえご)等よ、その道とは何であるか。

 弟子(おしえご)等よ、身の不浄であることを思うて(むさ)(ぼり)を起こしてはならぬ。(たのしみ)を受けても、やがて(くるしみ)を生むことを(おも)うて溺れてはならぬ。心の常なく(うつ)り変わるを(おも)うて(とら)われてはならぬ。また(もの)みなは、必ず(ぬし)なき無我のものであると知って、執着(とらわれ)を起こしてはならぬ。これが即ち()念処(ねんじょ)[さとりを得るための四種の観想法]である。

 弟子(おしえご)等よ、悪が起ころうとするのを防げよ。そのすでに起こったは断つがよい。善のすでに生まれたものは勤めて育てよ。その未だ生まれないものは勤めて(おこ)るようにするがよい。これが即ち()正勤(しょうごん)[さとりを得るための実践修行法、四種の正しい努力]である。

 弟子(おしえご)等よ、常に善を(おも)うてこれに向かい、常に心を一つにして法に(こころ)をかけ、常に()()んでたゆまず、常に(おもい)(はか)って心を乱さぬようにするがよい。これが即ち()(じん)(そく)[四つの自在力を得る根拠]である。

 弟子(おしえご)等よ、道を信じ道に進み、道に(こころ)をかけ心を道に定めて、明らかに四聖諦の智慧を修め、こうして善の根を養うがよい。これが即ち()(こん)[解脱に至るための五つの能力]である。堅く道を信じて疑いと悩みとを(さえぎ)り、勤めて道に進んで懈怠(おこたり)を除き、(ひとえ)に道に(こころ)をかけて(よこしま)(おもい)を破り、正しく心を定めて乱れる(おもい)を斥け、明らかに四聖諦を(きわ)めてよく(みだ)りな(かんがえ)を去れ。かようにして善の力を()るがよい。これが即ち五力(ごりき)[さとりに至らしめる五つの優れた働き]である。

 弟子(おしえご)等よ、正法に(こころ)をかけて忘れてはならぬ。すべての法を見てその誠と偽りとをえらび、常に進み、常に喜び、偽りを除いて心を(いこ)わしめ、心を禅定(こころしずめ)に住まわしめてとらわれを捨て、乱さず、(おもい)を平らかにせよ。これ(まこと)(きよ)らかな智慧に入る道である。これが即ち(しち)覚支(かくし)[さとりを得るために役立つ七つの事柄]である。

弟子(おしえご)等よ、正しく見、正しく思い、正しく語り、正しく行い、正しく生き、正しく進み、正しく道を(おも)い、正しく心を定めるがよい。これが即ち(はっ)正道(しょうどう)[八種の正しい生活態度]である。

 弟子(おしえご)等よ、これらの教えは、(まさ)しく世をすくう(きよ)らかな道である。(おんみ)等は諸人(もろびと)(さいわい)のため、また世の中の隆昌(さかえ)のために、これを修めこれを伝えるがよい。

 弟子(おしえご)等よ、この三十七の道品(みち)は、諸々(もろもろ)の善の源である。これをもって心を修め、(むさぼ)らず争わず(いつわ)らず、(たわむ)れず(ねた)まず(おご)らず、智慧と慈悲(なさけ)(うや)(まい)(まなこ)を以って、私の肉体(からだ)よりも尊い正法の(から)()をみるがよい。あきらかに私の正法の(から)()を見るものこそは、私が(まのあた)りこの世にあって、常にその側から離れておらぬことに気づくであろう。

 私はいま(おんみ)等のために、末の世に至るまで苦毒(そこない)の樹を変えて、甘露(くすり)(このみ)を結ばしめるようにと願う。(おんみ)等はこの法の中で、相和らぎ相敬うて、訴訟(あらそい)を起こしてはならぬ。

 (おんみ)等は同一(ひとつ)の師から受けついだのである。水と乳とのように睦みあえ。油と水のように争うてくれるな。(よろ)しく私の法を守って共に学び、栄えと楽しみとを同じうしてくれ。心を要らざることに使うて、命を無駄に(ついや)すことなく、(さとり)の花の精を食べ、道の(このみ)(みの)らし、ついで世の中をして、すべてこの(このみ)に腹ふくらませるように努めて(もら)いたい。

 弟子(おしえご)等よ、私は自らこの法を(さと)って(ひと)のために説いた。この法はよく(おんみ)等をして解脱(ときのがれ)に到らしめるであろう。(おんみ)等はよく受けわきまえて、事毎(ことごと)に善く行うがよい。私はこの三ヶ(みつき)を過ぎて滅度(みまかり)()るであろう」

 これを聞いて弟子たちは驚き悲しみ、五体を地に投げ、声を上げて叫んだ。

仏陀(めざめたるひと)は、何故かくまで早く滅度に入り給うのであろうか。世の(まなこ)が、どうして速やかに滅び給うのであろうか。世尊、願わくはこの世にとどまって涅槃(ニルヴァーナ)にお入り下さいますな。すべての人々はみな無明(むみょう)の暗闇の中に迷うております。願わくはいつまでもここに(まし)まして明燈(みあかし)となってお照らしくだい。すべての人々はことごとく迷いの荒海に漂うております。願わくはこの世のすくいの()(かだ)となって、いつまでもお(とど)まり下さい。もしそうでないならば、すべての人々は(とこし)えにゆくべき道に迷うでありましょう」

()めよ、憂いと悲しみとを(いだ)いてはならぬ」

 彼らの師は弟子たちを戒めた。

「世は常ない。(かた)く強くて永久(とわ)に変わらぬものとて一つもない。(から)()(もろ)い。ちょうど(いなずま)のようである。(あま)()(そら)の神々さえも死にゆけば、(あま)が下なる王者(ひとのきみ)も、死は避けられぬ。貧しきと富めると貴きと賤しきとの(かわ)りはあっても、生まれて死なぬものは一人とてない。変わるべきものを変わらせまいとするのは無理である。(おんみ)等は清らかであってくれ。常に解脱(ときのがれ)を求めて放逸(なおざり)になってくれるな。今や私の生涯は完全(まどか)に過ぎた。我が終わりは近づいた。(おんみ)等はこの世に残れ。私は今、思いのままに安穏(やすらぎ)(ところ)に到るのである。(おんみ)等慎み戒めて、自らその心を護らねばならぬ。

 私の説いた諸々(もろもろ)の法は、それこそ(おんみ)等の師である。善くこれを()(たも)つことは、私に仕えたようにするがよい。もしつまずくことなくこの道を進んだならば、即ちこれ正法を護ったことになる。それゆえ私の世に在ると同じように()け守って、少しも(たご)うてならぬ。こうしてこそ、自ら解脱(ときのがれ)に到って諸々(もろもろ)の人々をめぐむことが出来るに相違(ちがい)ない」

 そうしているうちに陽は完全に地平線の向こうへ沈んでしまった。世尊は座を立ち、薄暗い小道をアーナンダを連れて、その夜泊まるはずの(いえ)へと帰っていった。




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