最後の旅(1)
仏陀の教えに感激し、弟子となって長の年月各地で法を説いていたシャーリプトラ(舎利弗)も年老いて病を得た。死期をさとった彼は世尊に郷里へ戻ることを再三願った末に許され、弟のチュンダ(周那)を侍者として、マガダ国のナーラダ村へ向かった。
シャーリプトラには三人の弟と三人の妹がいたが、皆すでに仏弟子となり、家族の中では母だけが帰依していなかった。そこで彼は死ぬ前に母を道に入らしめたいと思った。
やがてシャーリプトラが故郷の村はずれに着いたのは、ちょうど日暮れ時であった。彼が路傍にある榕樹の蔭に憩おうとしていると、一人の青年がやって来て礼をした。それは甥のウパレーワタであった。
シャーリプトラが訊く。
「そなたの祖母君は今、家にいらせられるか」
「はい、いらせられます」
ウパレーワタは礼儀正しく答えた。
「それでは祖母君に、私がしばらくしてから家に帰ると告げてくれ」
青年は承知すると急いで祖母のサーリーのもとへ行き、伯父がやって来ることを知らせた。
サーリーは、ひそかに思う。
(妾の子は若いときから出家となったが、今や年老いて出家を廃てようとするのであろう)
と、慌しく室を掃って来るのを待っていた。
火灯し頃になってシャーリプトラは家に着いた。けれども中に入ったとたん、にわかに具合が悪くなり、おびただしい量の血を吐いた。
母のサーリーは驚いて隣室に逃げてしまったが、彼を慕って後を追ってきていた弟子たちが騒ぎを聞きつけて中へ入ってき、シャーリプトラの世話を恭しく為している。
「これはどうしたことか」
不審に思った母が傍につき従っていたチュンダへ訊く。
「尊者の徳が、尊いためであります」
チュンダは出家として答えた。
「なんと」
母は今さらながらに驚いた。
「妾の子さえ、そのように尊いならば、目覚めたる方はどのように尊く在ますであろう」
母が道に心を向けたのを見て、シャーリプトラは語るべきときが至ったと思った。彼は苦しげな息を整えてその前に坐り、老いた母へ云った。
「母君、世に徳と智慧とにおいて私の師に勝る方は一人もありません」
そして彼がさらに進んで真理の法を説くと、耳を傾けていたサーリーは喜んで、
「妾の子よ、あなたは何故もっと早く、こうした法を妾に伝えてくれなかったのか」
と、云う。
「母君……」
シャーリプトラは微笑んだ。
「私は今始めて母の恩に報いることが出来ました。母君よ、どうぞ御引き取り下さい。私を独りここに残して下さい」
彼は母に頼んだ後、チュンダを呼んで時を問うた。
「暁に近づきました」
チュンダは答えたが、まだ陽の上る気配はなく、閉ざされた戸の隙間から満月の柔らかな光が差し込んでいる。
シャーリプトラは少し横になった後、やがて身を起こすと、その前に集っていた弟子たちへ語った。
「尊者たちよ、四十四年の間、貴方達は私と共にあった。もしその間にあって私が貴方達を害うたことがあったならば、どうか私を恕してもらいたい」
それに対して弟子たちは云った。
「師よ、影が形に随うように私達は久しく師に仕えましたが、私達はいささかにても、師に対うて快からぬことはありませんでした。私達こそ師の寛いお恕しを請うほかはありません」
そして、シャーリプトラは偈によって応えた。
「なおざりならず、覚をひらけ、これこそ我が教えなれ。いざ我、滅度に入るならん。我はすべてに解脱れたり」
やがて彼は母の許へ行って自分の生まれた産屋に入り、そこで最後の時を迎えようと横になった。
暗いうちシャーリプトラは烈しい苦痛に襲われたが、夜明けの光が差し込むころには坐具を敷き、右脇を下に臥して静かに滅度に入った。
息子の呼吸が止まったのを知って、母サーリーはその傍らに伏し、または転げまわって泣く。いくら白髪となり腰が曲がるような歳になろうとも、子に先立たれることほど辛く哀しいことはない。
「ああ、我が子よ、そなたの唇は、もはや一言も語らないのか。そなたのもっている徳を、妾が知るのはあまりにも遅かった。もしそれを知る事が早かったならば、妾も数多の聖衆を我が家に招いて、その一人一人に三領あての衣を捧げたであろうに」
そして陽が昇りきり、サーリーは泣きながら自分の所有する匣を開いて財を出し、葬儀の用意を整えた。
多くの村人が来てそれを手伝い、シャーリプトラの乳母レーワチーは三つの黄金の花をささげた。彼女は弔いにやってきた人々の混乱の中で倒れ、この世を去ってしまった。けれども、その徳によって天界に生まれたという。
七日の間、種々の供養がたむけられ、ついで彼の遺骸は荼毘に付された。葬儀に参列していたアニルッダ(阿那律)が香水でその火を消し、チュンダは恭しく遺骨を集め、シャーリプトラの衣と鉢と一緒に世尊の座下へ持ち帰った。
そのとき世尊はヴァイシャリーに留まっていた。チュンダはまずアーナンダのところへ行って長兄シャーリプトラが滅度したことを語り、遺骨と衣と鉢とを見せた。
「ああ、なんとあの方が……」
アーナンダは涙にむせんで目の前が暗くなったように思い、世尊の御許へ行って理由を話した。
「私たちはシャーリプトラの滅度にあいまして、心も乱れてしまいました」
「アーナンダよ」
しかし、彼らの師は云った。
「……心を痛めることはいらぬ。永久に存在えぬものを、永久に在らしめようとするのは無理である。アーナンダよ、過去の諸仏ですら去りたもうたでないか。もの皆は常ない。生あるものは必ず死にゆく。少しも悲しむことはない。ただ、生まれもせず滅びもしないという涅槃の住処、その滅こそ最も尊いものである。
……アーナンダよ、シャーリプトラの遺骨を私に渡してくれ」
そこでアーナンダは兄弟子の遺骨を世尊に奉った。
世尊はこれを右の掌に受け、弟子たちを呼んで云った。
「弟子等よ、これはほんの四、五日前まで汝等に諸々(もろもろ)の教えを説いていた者の遺骨である。彼は久しく徳を修めて己を完うした。彼は諸仏のように法を説いた。諸々(もろもろ)の人々は彼に随うて教えを聞いた。彼の智慧は大きくて喜びを含み、その心は敏くて透きとおっていた。彼は欲少うして静寂を楽しみ、悪を斥け争いを避けて戯論を好まず、そして道を弘めるためには大地のように厚い志を有っていた。弟子等よ、よくこの、賢い法の児の遺骨を見るがよい」
そうして世尊はシャーリプトラのために一つの塔をヴァイシャリーの入り口近くに建て、その後アーナンダを呼んで多くの弟子たちと共に再びマガダ国の都へと向かった。
釈迦牟尼世尊はやがてラージャグリハへ入り、竹林精舎に滞在した。その期間は長いというほどでもなかったが、このときマウドガリヤーヤナ(目連)が亡くなったという知らせを受け取ったのであった。
これより以前、ラージャグリハの周辺に住むアージーヴィカ行者(裸形外道)の一群は予てより深く世尊を嫉んでいた。彼らは、
「仏陀やその弟子たちが世に敬われる理由の一つは、マウドガリヤーヤナの徳が高いためである」
と、考えた。
そのためマウドガリヤーヤナは、伊私耆利山の洞の中に住んでいたとき、二度も彼らに襲われた。幸い二度とも逃れることが出来たのだが、ある日ラージャグリハの街中に入って食を受けようとしたところ、またもやかの行者たちがやってきた。
彼らは多勢でマウドガリヤーヤナを取り囲み、瓦や石を投げつけ、さらには手にしていた杖でさんざんに打ちのめした。無抵抗なまま血まみれとなったマウドガリヤーヤナが身動きしなくなると、彼らはこの仏弟子を路傍の草の中へ投げ込んで立ち去っていった。
マウドガリヤーヤナは骨砕け肉爛れて、痛みは耐えがたく、そのまま滅度に入った。そしてこのことが知れ渡ると、アジャータシャトル王は直ちに行者たちを捕らえて縛り、磔の刑に処したのであった。
かくして釈迦牟尼世尊はまた、マウドガリヤーヤナのために竹林園の入り口に塔を建てるよう命つけた。
それから眼前に並んだ弟子たちの顔を見渡し、吐息を洩らすかのように云う。
「弟子等よ、シャーリプトラやマウドガリヤーヤナがこの世に在ったとき、彼らの巡ったところの人々はみな幸福をうけた。それは彼らがよく外道異学を降すに堪える力があったからである。しかるに今では汝等の中に彼らはいない。実にこの教園は、大きな損失をしたことである」と。