街の洋食屋
「こっちよ」
その店は、駅前のメインストリートから少しはずれた路地の中に存在していた。
白いひさしのテントに「洋食」と書かれた黒い文字。そして、路上に設置されている、メニューが表記している黒板風のスタンド看板のみが、この建物が飲食店であることを示している数少ない材料だった。
壁には窓がないので、外から中の様子を伺うことができない。なるほど、この立地と建物では、観光客にあまり知られていないという柚季の評も納得できるのであった。
そして、木製で重みのある扉を開けると、中は多くの客であふれており活気にみちているのだった。
「へぇ、目立たない場所にあるのに、ずいぶんと人が多いんだな」
「ここはお昼時になると、いつもこうよ」
座れるかどうか心配したが、ちょうどテーブル席がひとつ空いていたので、清修と柚季はそこに案内されるのであった。
メニューを眺める清修。
ランチは、メイン料理に日替わりスープとライスがついたセットメニューがどれも1500円前後する。
チェーンの定食屋やファミレスなどと比べると、強気の値段設定だが、それでもこれだけ繁盛しているということは、価格以上の味を出す店だということの証左なのだろう。
清修の胸が期待で高鳴る。
「わたしは決まったるけど、あなたはどうするの?」
おしぼりで手を拭いている段階にもかかわらず、柚季はもう注文を決めているらしい。
〝ううう。迷うなぁ……〟
しかし、清修の心は千々に乱れていた。
フレンチやイタリアンなどとは違い、肩ひじ張らずに楽しめる。それにもかかわらず、ちょっぴり非日常な贅沢感を味わわせてくれる洋食メニューは、どれも魅力的に見えてしまう。
〝いや、今日は肉だ。肉の気分なんだ〟
それでも、清修は最終的に『ハンバーグステーキセット』と『和牛の赤ワイン煮込みセット』の二者択一まで絞り込むのだった。
〝こういうところのハンバーグって肉汁たっぷりでうまいんだろうなぁ。でも、和牛の赤ワイン煮込みっていうのも、そそるな〟
しかし、よくよく見て見れば、和牛の赤ワイン煮込みは、ランチのセットメニューの中では最も高額。柚季は助けてもらったお礼におごってくれると言っていたが、それでも2000円越えのメニューを頼むのは図々しいだろうか。
そんな事を考えて、メニューの冊子越しに柚季の顔をチラチラ見ていると……
「べつに2000円を超えているメニューを頼んでも、構わないわよ。これはあなたへのお礼なんだから」
柚季はまるで読心術でもあるかのように察してくれるのだった。
結局、悩みに悩んだ挙句、清修は和牛の赤ワイン煮込みに決める。柚季のひとこともそうだが、(味のレベルにこだわらなければ)ハンバーグはファミレスや定食屋などで食べることができる。しかし、和牛の赤ワイン煮込みは、こういう洒落た洋食屋でなければ食べられないと判断したからだ。
「決めた?」
「ああ、ハンバーグと迷ったが、和牛の赤ワイン煮込みにする」
「そう」
店員を呼び寄せる柚季。
「和牛の赤ワイン煮込みセットと日替わりセットの魚のほうを。あと、単品でカニクリームコロッケをください」
そして、清修の分の注文も済ませてくれるのだった。
「ん? カニクリームコロッケも頼むのか?」
「ええ。ここのカニクリームコロッケはおいしいわよ。一緒に食べましょう」
そして、5分ほどでセットに含まれているスープがサーブされる。
スープは、かぼちゃとニンジンのポタージュ。淡いオレンジの色合いが、白い平皿に映えるのであった。
スプーンでひとくち分だけすくって、そっと口に含む。すると、かぼちゃとニンジンのやさしい甘みが広がり、清修は舌鼓を打つのであった。
前菜であるこのスープの美味しさだけで、次に出てくるメインの料理に対する期待が格段に跳ね上がるのだった。
そして、まず柚季が注文したカニクリームコロッケが先にサーブされる。
カニクリームコロッケは、よくある小判型ではなく俵型の物がふたつ。それがキャベツの千切りと共に皿に置かれている。スーパーの総菜コーナーにあるようなコロッケとはあきらかに違う、いかにも洋食屋然とした佇まいに清修は惚れ惚れするのであった。
「カニクリームコロッケは冷めたら、台無しよ。はやく食べましょう」
じっとカニクリームコロッケを見つめていた清修に対して、そう促す柚季。
「ああ、そうだな」
テーブルの端に置かれているカトラリーケースの中には、ナイフとフォークの他にも割り箸もあったので、清修は箸でカニクリームコロッケを食べる事にする。
そして、噛んだ瞬間、サクッという軽い音と食感が口の中で弾ける。
「ん~!!」
次の瞬間、まるでシチューのようなトロットロのクリームが舌の上にこぼれ、濃厚なカニの旨味が口の中いっぱいに広がるのだった。
「う、うまいなぁ」
清修はしみじみと呟く。
「そうでしょう。ここのカニクリームコロッケはちょっと他の店とはレベルが違うから、絶対に食べておきたいの」
「その口ぶりだと、水原はこの店の古くからの常連なのか?」
清修が柚季に尋ねるのだった。
「ええ。父さんがこの店を気に入っていて、わたしが子供の頃からよく連れて行ってくれたわ」
「オヤジさんって、たしか料理人だったよな?」
「ええ。イタリアンのシェフでわたしが生まれる前には本場のレストランで修業していたこともあったわ」
「水原が料理をつくるのも、そのオヤジさんの影響なのか?」
「ええ。そうよ。わたしにとって父は、世界でいちばん美味しい料理をつくってくれる人なの」
淡々とそう語る柚季の口調。しかし、その表情はとても誇らしげであった。
しかし、いま柚季が言ったセリフと同じような言葉を、清修はどこかで聞いたことがあるような気がする。
清修はカニクリームコロッケを食べる手を止めて、考えてみるが、それでも思い出せないのであった。
「…………」
ふと、気がつくと、柚季はまるで睨みつけるような鋭い目つきで清修の顔を無言で覗きこんでいるのだった。
「なんか、俺の顔についてるのか?」
「べつに……!」
清修が問いかけると、柚季はまるで拗ねた子供のようにぷいっと顔をそむけてしまうのだった。
〝なんか、俺、悪いことしたのか?〟
これは、共に文化祭の実行委員になって分かった事だが、柚季は常にクールな態度を崩さないものの、けっこう感情の落差が激しい性格だ。
実際、柚季は先程までは機嫌がよかったはずだ。しかし、今はあきらかに不機嫌になっている。
そして、清修が柚季と接していると、こういう事がたびたび起きるのであった。
〝なんでだろうなぁ……?〟
学年一と名高いイケメン、インターハイ出場のスポーツマン、成績優秀なだけではなく人望も厚い生徒会長。入学以来、柚季はその美貌で学園内のあらゆるカースト上位の男たちに交際を申し込まれていたらしいのだが、まったく興味がないと言わんばかりに、そのすべてを袖にしてきた。それどころか、最低限の伝達事項以外でクラスの人間と会話することさえしなかった。水原柚季は極度の人間嫌い――。これは、全生徒の共通認識と言ってもいい。
そして、その事実を鑑みれば、(手前味噌かもしれないが)清修はかなりうまく柚季と付き合えていると思う。
多くの男子が休日に遊びに誘って撃沈していると事を考えれば、いくら恩があるとはいえ、向こうから食事に誘ってもらった事は、なによりの証左だ。
そして、ここ数日間、柚季の手料理を食べさせたもらった清修としては、他の男子が評するような冷徹一辺倒の女子のように思えないのだ。
しかし、それでも、今のように急に不機嫌になってしまうことがある。
そして、もうひとつ。
今まで清修は、その鷹揚な性格もあって、あまり過去に執着することなく生きてきた。実際、唯一の肉親であった祖父が亡くなっても、今日までまったく墓参りすらしなかったほどだ。
しかし、その清修が、なぜか今になって、唯一の親友だった『ユウ』の面影を求めて、生家を尋ねたのか。それは、清修自身すら説明がつかない感情のうごめきだった。
腕組みをして、思案する清修。
「おまたせいたしました」
そして、店員は和牛の赤ワイン煮込みを持ってくる。
〝まあ、いいか〟
いくら物思いにふけたところで、食い意地の張った清修がうまそうな食べ物を前にしたら、他の事など考えられなくってしまうのだった。
〝うひょー。こいつはうまそうだ〟
丸い平皿に盛りつけられた和牛の赤ワイン煮込みは、大ぶりなサイコロ形にカットされており、見るからにコクが深そうな赤ワインベースのソースがたっぷりとかかっている。さらに同じ皿の上には、茹でキャベツ、スナップエンドウ、さらにはマッシュされたジャガイモが添えられており、彩りも華やかなのであった。
そのビジュアルだけでよだれが止まらなくなる清修。そして、赤ワインで煮込まれた和牛を箸でつまんでみて、驚く。
その牛肉は脂身が少ない部位にもかかわらず、繊維ひとつひとつが箸で切り離せそうなほどにほろほろに柔らかく煮込まれていたのだ。そして、その肉をひとたび噛みしめてみれば、ソースが絡んだ肉汁と共にたっぷりの旨味が口の中で洪水を起こすのだった。
それはいつまでも噛みしめていたくなるほどの豊かな味わいだった。
大ぶりにカットされているとはいえ、牛肉は五個しかない。そのひとつひとつを清修は宝物を扱うようにゆっくり味わうのであった。
「ところで、あなたもデザートを食べるでしょ? ここはランチメニューを注文したら、プラス200円でデザートもついてくるからお得よ」
「ああ、もちろん食う」
そして、その後も清修はガトーショコラのアイスクリーム添え、ブルーベリータルトが一皿に盛られたデザートに舌鼓を打ち、満足するのであった。
「ハンバーグでございます」
しかし、そのとき、ちょうど隣の席の家族連れが注文したハンバーグが運ばれてくるのだった。
鉄板に乗せられたハンバーグはジュージューと、いかにも食欲を誘う音を弾けさせている。
〝ああ、うまそうだな。和牛の赤ワイン煮込みもうまかったけど、きっとハンバーグのほうもめちゃくちゃうまいんだろうな〟
満腹になっているはずなのに、ジューシーさの塊というべき肉料理に清修はついつい目移りしてしまうのだった。
そして、次に来た時はハンバーグを食べようと心に誓うのであった。
「ところで、水原はなんでこの辺りをうろついてたんだ?」
じつは、それはずっと疑問に思っていた事である。
この辺りは清修たちが通っている学校から2駅も離れているし、観光地だけあって若者は恋人同士や友達連れなどがほとんどだ。
もちろん、ナンパ目的に訪れる独り者の姿もなくはないが、柚季は絶対にそんな類とは違うだろう。
そして、清修のそんな疑問に対して、柚季はガトーショコラを口に運びながら静かな口調で答える。
「わたしの父がイタリアンの料理人だという事はさっき話したわよね」
「ああ」
「今はもっと大きな駅前の繁華街で店を出しているけど、じつは昔はこの辺りにリストランテを経営していて、わたしたち家族も住んでいたの」
「リストランテって、高級志向のイタリアンだよな? どこらへんに出してたんだ? 駅前か? それとも温泉街のほうか?」
「いえ、そんな人通りの多いところではなくて、もっと山の中。峠の国道沿いに店を構えていたわ。父は知る人ぞ知る隠れ家的な店を目指していたみたいだけど、あまりにも不便な場所すぎて、1年も持たずに潰れてしまったけどね」
「……それって何年前のことだ?」
「そうね。今から8年前。わたしがまだ小学生の低学年の時だったわ。取り壊されていないはずだから、まだ建物自体は残ってるんじゃないかしら」
「そ、そうか……」
清修の知る限り、こんな片田舎の山の中にあるリストランテなんて洒落た物はひとつしか存在しない。
無言になる清修。そして、そこから先のデザートの味はまったく感じられなくなってしまったのだった。




