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下山


 そして、清修は意識を過ぎ去った日々から現在へと引き戻す。


〝なんで、俺は忘れていたんだろうなぁ……〟


 そう、清修がパンケーキを食べたのは、柚季に作ってもらった時が初めてではない。


 幼少期に『ユウ』と出会い、初めて作ってくれた料理がパンケーキだったではないか。しかも、あの時も清修はメープルシロップがなくなってしまうくらいの量を食べてしまい、それでも足りないと言うものだから、困り果てたユウはメープルシロップの代わりにイチゴのジャムを塗ってくれたのだ。


 そんなユウのまごころに溢れた思い出をキレイさっぱり忘れてしまっていたのだから、我ながら酷い話である。そして、改めて、思い返してみると、清修はユウの苗字すら覚えていない事に気づくのであった。


 祖父が死んでから平凡な学生生活を送るようになってからの2年間。この場所に立ち寄る事のなかった清修が、わざわざ出向いたのは確実に罪滅ぼしに近い感情があったからだ。


〝ユウの奴、今は何してるんだろうな?〟

〝また、ユウの料理を食いたいな〟


 そんな感慨に浸りながら、市街地へと向かう国道を下っていくのであった。




 そして、清修が山中のリストランテの跡地から再び白崎海浜公園駅の駅前に戻ってきた時は、すでに時刻は昼前になっていた。


〝ハラ減った……〟


 朝食はあまり腹に溜まらないパンだったうえに、今日は山道の往復で完全にカロリーを消費しきっている。胃袋は一刻も早いエネルギー源の補給を求めているのだった。


 何が食べたいか。そう考えた時にまっさきの浮かんだのは柚季が作ってくれた料理の数々だった。


〝あいつの作ってくれるメシ、本当にうまかったもんなぁ……〟


 しかし、当たり前だが、今この場に柚季はいない。


 適当な飲食店に入るしかないのだが、そのチョイスが難しい。なにせ、この辺りは典型的な観光地。それゆえに、味も量もそこそこなのに、値段だけは微妙に高いという、あきらかに一見の観光客を相手にしている良心的ではない店に入ってしまう恐れがあるからだ。


〝こうなったら、どこか適当なチェーン店にでも入るか〟


 なにせ、いつまでもグズグズと迷っていたら、多くの店で満員になってしまいどんどん選択肢が狭くなってしまう可能性がある。


 そう、駅前は朝の時点でもそこそこ人通りがあったのだが、今はさらに多くの人で賑わい、活気に満ちている。


〝もう夏休みもとっくに終わったってのに、まだこんなにも人が多いだな〟


 とくに目立つのは、高校生や大学生くらいの若者の姿だ。


 この白崎海浜公園駅周辺は、繁華街にあるようなアパレルショップなどの若者向けの店は少ない。しかし、首都圏から訪れる行楽客をナンパしようする地元の若者で集まる傾向がある。


 それはもちろん、盆を中心とした夏休みがピークなのだが、9月の今になっても明らかにナンパ目的のチャラい恰好の若い男の姿が目立つのだった。



「いーじゃん。ちょっと付き合ってよ」

「嫌です。他を当たってください」



 すると、今まさに、清修のすぐ近くでツーブロックヘアのナンパ男が女の子に声をかけているのだった。



「えー。なんで、そんなこというのさ。そっちから誘ってきたんじゃん」

「わたし、誘ってなんいません」

「なに言ってのんさ。本当は声をかけてほしかったんでしょう」

「違います。いい加減にしてください」 



 しかし、その誘い文句はあまり感心できる内容ではなかった。あきらかに相手の女の子は拒絶の意志を示しているのに、男のほうはしつこく食い下がっているのだ。


 部外者とはいえ、さすがに見過ごせないと思った清修は割って入ろうとする。


〝えっ? ウソだろ?〟


 そして、腰が抜けそうになるくらい驚いた。


 なんと、ナンパされていた女の子は柚季だったのだ。


 なぜ、柚季がこんな所に何の用があって来ているのかは不明だ。しかし、今は余計な詮索よりも彼女の身を守ることが優先だ。


「あー。そいつ、俺の彼女なんで()ぇ出すのやめてもらえますか」


 とりあえず彼氏のふりをして、穏便に済ませようとする清修。


 すると、清修の姿を目にした柚季の表情が途端に明るくなる。


「清修!」


 そして、こちらの考えを瞬時に察してくれたのだろう。清修の事をファーストネームで呼ぶ。


「もう、遅いじゃない。どこへ行ってたの?」


 そして、すぐさま清修の腕に抱きつき、恋人にしか見せないような甘えきった表情で笑いかけるのだった。


「そういうわけだから、ごめんなさいね。わたし、これから彼とデートだから」


 さすがに、そこまで言われたら、ナンパ男のほうも引き下がらないわけにはいかない。


「ちっ……男がいるんだったら、最初から誘ってくんじゃねえよ」


 恨めし気な捨て台詞を吐いて、去っていくのだった。


 それでも、清修の腕に抱きついたまま無言を貫く柚季。そして、ナンパ男の後ろ姿が完全に見えなくなったところで、ようやく口を開くのだった。


「ありがとう。あなたの機転のおかげで助かったわ」


「ああ。そりゃあよかった」


 そこから、またふたりのあいだに無言が続く。


「あのさ、水原」


 今度は清修のほうが先に口を開くのだった。


「なに?」


「あのナンパ男は立ち去ったんだから、そろそろ離れてくれないか?」


 先程から柚季は清修の腕に抱きつきっぱなし。しかも、大きな声では言えないが、柚季の豊かな胸のふくらみがしっかりと感じられるほど密着しているのだから、清修の意識はどうしてもその柔らかな感触にばかり集中してしまうのだった。


「もう恋人のふりはいいだろ?」


 すると、柚季は上目づかい清修をみつめて、むうと頬をふくらませる。


「???」


 その表情の意味が分からない清修。


「水原、俺の言ってること、聞こえてるか?」


「そうね。あのナンパ男はもういなくなったんだから、もういいわね」


 そして、淡々としたその口調とは裏腹に柚季は不満げに唇を尖らせながら、清修から離れるのであった。


 距離を置けた事により、改めて柚季の服装を確認する清修。


挿絵(By みてみん)


〝そりゃあ、男にナンパされるわけだ〟


 トップスは黒のキャミソールで、ボトムはその脚の長さとシルエットを強調するようなデザインのスキニーというシンプルさ。若さと美貌、なによりも自らのスタイルの良さを自覚してなければできないコーディネートだ。


 その耳元元には、平日の学校ではつける事のないイヤリングが太陽の光を反射して輝く。学校での柚季はクールで物静かな印象なのだが、この服装だとけっこう遊んでいるようにも見えてしまうから、不思議だ。


 この駅前には、若い女の子は他にも大勢いるが、その中でも柚季は別格だ。まるでスポットライトを浴びた女優のように存在感を放っている。


 そして、不覚にも柚季のことを女性として意識しだした途端に、先程の二の腕で感じていた柚季の胸のやわらかさを思い出してしまったのだった。


 柚季の脚は長く、ウエストは引き締まっていて、バストは豊かな曲線を描いている。しかし、それは、ポルノ女優のようなむやみやたらに情欲を誘うスタイルのよさではなく、健康的な女性の美しさそのものだ。


 しかし、それにもかかわらず、今の清修は完全に柚季の身体に欲情してしまっている。


「それじゃあな。水原」


 そのことが気まずくて、清修はそうそうに立ち去ろうとする。


「待って!」


 すると、柚季は引き留める。ただ言葉だけで引き留めたのではない。先程と同じように清修の二の腕に自らの両腕を絡ませ、その胸元をぴったりと密着させるのだった。


〝だから、こいつは自分のルックスとスタイルを良さを分かってて、こんなことをしてるのか?〟


 しかし、そんな清修の思惑など無視するかのように、柚季はすがるような上目づかいで問いかける。


「このあと、なにか用事があるの?」


「いや、とくにないけど」


「だったら、これから一緒に遊びに行かない? お礼がしたいの」


 普段の柚季の言動から、(いくら恩があるとはいえ)クラスメイトの男を遊びに誘うような性格だと思っていなかったので、清修はいささか驚く。


「遊びに行くって、具体的に何をするんだ?」


 すると、柚季も咄嗟に誘ったものの、そこまで内容を深く考えていなかったのだろう。しばしの沈黙の後、自信なさげに声を絞り出す。


「す、砂浜で棒倒しとか?」


 小学生かよッ!


 清修は吹き出してしまうのであった。


 きっと柚季は柚季なりに恩義を感じてくれているのだろう。その気もちだけで充分だし、普段は男を誘って遊びに行くような性格ではない柚季に無理をさせるのは忍びない。


「ありがとうな、水原。でも、俺もたいした事はしてないんだから、そこまで気を遣ってくれなくていいぞ」


 絡められた柚季の手を振り払おうとする清修。しかし、柚季は諦めない。


「それだったら、食事に行かない? この近くに美味しい店があるの」


「本当か?」


「ええ。ガイドブックとかには載っていなくて、観光客とかにはあまり知られていないけど、この土地でもう20年以上も営業を続けている老舗の洋食屋さんよ」


「洋食屋か……」


 ハンバーグ、エビフライ、オムライス、クリームコロッケ。そんな洋食メニューが頭の中を駆け巡り、忘れかけていた空腹が甦る。そして、清修の腹の虫が大きく鳴るのであった。




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