『ユウ』
一歩、足を踏み出して電車から降りると、潮風が清修の頬をなでる。
この駅の所在地である白崎市は、美しい海岸線の景観と温暖な気候。さらには温泉などの観光資源も豊富なため、古くから首都圏からの観光客が多く賑わう風光明媚な土地として知られている。
そして、この白崎海浜公園駅は、その名のとおり海に面した駅で、駅前は小さなロータリーがあるだけでペデストリアンデッキも存在しないので、ホームからまるで大きな鏡のように陽光を反射せている海岸線を臨むことが出来るのであった。
そして、清修は、トイレと自販機が置いてある待合室くらいしかない簡素な駅舎を出る。
降りしきる日差しは真夏のそれに近いが、暦はすでに9月。
夏休みもとっくに終わり、海岸の人手もピークを過ぎている。それでも休日と言う事もあり、駅前は地元の若者に加えて観光客の姿も目立つのであった。
〝それじゃあ、行くか〟
しかし、ロータリーから国道に足を踏み入れた清修は、一般の観光客が向かう道の駅や温泉街へと抜ける方向とは反対の山側へと続く道へと走り出すのであった。
「はっ、はっ、はっ」
短い呼気で精確かつ迅速なピッチでアスファルトを蹴る清修の両脚。
国土の約70パーセントが山林である日本。この白崎市もその例に漏れず、観光客が賑わう温泉街や住宅地などは海沿いの一部の平地に集中し、そのほとんどが山地である。
だから、駅前からでも10分ほど車を走らせれば、ひと気のない山道へと突入する。
やがて、すれ違うのも車やバイクのみとなり、己の両脚のみで移動している物好きは清修だけとなる。
そのあいだ、清修はロードバイクで山道を登るサイクリストの集団を、軽々と追い抜いていく。
ギョッと驚き、まるで真昼に幽霊でも見たような顔になるサイクリストたち。
しかし、それでも清修は呼気を乱すことなく、本職のマラソンランナーが驚くようなスピードで走り続けるのであった。
やがて、峠に近い地点まで登ると、清修はガードレールを飛び越えて迷うことなくアスファルトの道路から獣道へと足を踏み入れるのだった。
軟らかな土にさまざまな大きさの石に木の根が複雑に絡む地面は、舗装された道路とは比べ物にならないくらい体力と足腰の筋持久力を削っていく。だが、それでも清修の足取りは軽やかなものだった。
そして、そこから30分以上、無人の山道を走り続けていた清修だったが、ようやく足を止める。
周辺の草木は無造作に生い茂り、長年の風雪によって外壁はひび割れて穴が開いている。誰が見ても人など住んでいる気配などない荒れ放題となっている木造平屋の一軒家。
〝2年ぶりか……〟
この、掘っ立て同然の家屋こそが、清修が生まれてから14歳の時まで住んでいた生家なのであった。
しかし、清修は生家を一瞥したのみで、さしたる感慨もなく歩き出す。
そして、生家から10数メートル離れた地点にポツンと存在する小さな墓石の前で足を止めるのであった。
「ひさしぶりだな。じいちゃん」
返ってくる声などあるはずないのに、それでも清修は語りかけずにはいられなかった。
そう……この墓の下で眠っている人物こそが、清修の育ての親であり、この世で唯一の肉親だった祖父なのだから。
清修に両親はいない。死別したのか、育てる事すら困難で養育権を放棄したのか、それすら定かではない。とにかく、物心がついた時から清修は祖父と共に暮らしていたのだ。
そして、ある程度の年齢に達したにもかかわらず、清修は学校に通わしてもらえなかった。その代わり、この人里離れた山の中で祖父は、家伝である武術の修行をさせられていた。そして、それは2年前に祖父が亡くなる時……清修が14歳の時まで続けられていた。
清修の身体能力が人並みはずれているのも、この幼少期から修行の賜物である。
しかし、現在の清修は平穏な学園生活を満喫するために、この身体能力を隠している。
〝まあ、それでも、ソフトボールの時みたいに『やってしまう』事もあるんだけどな〟
祖父が亡くなり、普通に学校に通うようになって2年もの月日が経ち、一般的な男子学生の身体能力を理解していたつもりだが、やはり加減が難しい……。
そして、清修は2年も放置していたせめてもの詫びに、荒れ放題になっている雑草を引き抜き、祖父の墓石を布で磨き上げるのだった。
「じゃあな、じいちゃん」
しかし、すべての作業を終えると、清修は感傷の余韻に浸る間もなく、生家を後にする。
じつは清修がこんな山奥まで来た真の目的は祖父の墓参りのためではない。
今まで来た獣道を大急ぎで引き返す清修。
そして、アスファルトで舗装された道路まで戻ると、峠までの道を数10メートルほど登るのだった。
目の前に現れたのは、まるでリゾートホテルのような豪奢さを感じさせる白亜のロッジ。もとは、どこかの資本家が建てた別荘か何かだったらしいが、9年前にとある料理人が買いあげて、リストランテと呼ばれるイタリア料理店の中でも最もサービスと料理が行き届いた高級店に改装したのだ。
コンビニがないどころか、自販機を置いている商店ですら珍しいこの山中では異色すぎる瀟洒な建物。
しかし、かつては純白だった外壁も、今では日に焼け、まるでカレー粉をぶちまけたような黄色が混じっている。
そう……このリストランテが客を招き入れて人々の舌を楽しませていたのは、遠い昔の事。今ではその入り口は固く 閉ざされているのだった。
〝この店が潰れて7年って事は、もうそんなにも『ユウ』とも会ってないんだよな〟
祖父との修行に明け暮れていた修業時代。
祖父との生活は、筆舌に尽くしがたいほど苛烈なものだった。現代の教育における価値観に照らし合わせれば完全な虐待。このままでは殺されると戦慄した事も一度や二度ではない。
しかし、マインドコントロールに近い叱責や暴力による痛みは、まだ慣れによって耐える事ができた。
清修がどうしても耐えがたかったのは、空腹だった。
家伝である武術を修めるためには身軽さが必要という論理のもと、幼い頃の清修は常に厳しい食事制限を課せられていた。
そんな夏のある日、あまりの空腹に当時8歳だった清修はこの店の近くの木の根でへたり込んでしまっていた。
そして、そこで清修は『ユウ』と出会う。
ユウはこの店のオーナー夫婦の子供で、行き倒れている清修を心配してくれたのだ。
すっかり記憶が薄れてしまっているが、それでも清修は今でもユウの顔を思い出すことができる。
男のくせに線が細く、整った顔だちでスカートを履いていれば女の子に見えなくないほどだった。
実際に気が弱く、清修が高い木に登ったりすると、「これくらい何てことはない」と平気な顔して嘯く清修に対して、泣きそうになりながら「危ないよ」「もう降りようよ」と清修本人よりもオロオロしていたものだ。
実際に、ユウは手先が器用で運動よりも裁縫や掃除など家庭的で細かい作業が得意だった。とくに料理に関しては清修と同じ年齢とは思えないほど知識が豊富で、いつも腹をすかしている清修にいろいろな料理を作ってくれた。
初めて出会った時もそうだ。
あの時も、ユウは自分のおやつだったパンケーキを清修に分け与えてくれた。あまりの美味しさに清修はあっというまに完食。それでもまだ足りないとねだると、ユウは母親の調理手順を思い出しながら、見よう見まねで作ってくれた。そして、清修が満面の笑みで「おいしい」と褒め称えると、ユウはそれからもたびたび料理を作ってくれるようになったのだ。
お互いに自分と同年代の子供が珍しい環境だっただけに、ふたりはすぐに親友になった。
ユウは小学校から帰ってくると、すぐに清修に会いに来てくれた。そして、自慢の手料理を振る舞ってくれ、清修はもっぱら食べるだけなのだが、それでもユウはいつでもニコニコ笑いながらその様子を眺めていた。
暗黒時代とも言うべき修行に明け暮れていた日々の中で、ユウがふるまってくれる甘い菓子や父親譲りの洒落た洋食は、初めての体験であり、比喩ではなく生きがいだった。
もし、あの時、ユウと出会えなければ清修は精神的にじわじわと壊死していただろう。
しかし、そんな日々もやがて終わりを告げる。
ユウと出会って半年ほど経った時、清修はユウと会えない日が2週間ほど続いた。
たまらず生家から獣道を降りて、この店の前まで来ると入り口に「閉店のお知らせ」と書かれた張り紙があった。
訳が分からなかった。
魔法のように美味しい料理が生み出してくれるユウ。そして、ユウは常々「パパの料理が世界でいちばん美味しい」と誇らしげに語っていた。
そんな世界一のシェフが料理を作ってくれる世界一の名店が潰れるなんて、信じられなかった。
しかし、事実は違う。
なぜだか分からないが、もうこのリストランテに人が賑わう事はないのだ。
ただひとつ理解できるのは、もう2度とユウとは会うことができないという事だ。その事実が認識として心に広がると、清修はまるで自らの身体の一部を失ったような心の痛みに襲われる。いつのまにか、その頬には涙が次々と伝っていた。
季節は3月。春はもうすぐそこまで来ていた日の事だった。




