オムライス
放課後になり、清修は昨日と同じように家庭科室へと向かう。
すると、すでに柚季はエプロン姿で調理に取りかかっているのだった。
「なあ? 水原、昨日はパンケーキをつくってくれたが、今日はどうするんだ?」
「今日はオムライスをつくるつもりよ」
「そうか」
「オムライスは嫌い?」
あいかわらずの仏頂面の柚季は、機嫌がいいのか損ねているのかさえもよく分からない表情で訊き返すのであった。
「いや、そんなことはない」
「そう、それならよかったわ」
チキンライスにふわふわなタマゴを身にまとったオムライスは洋食の定番ともいうべき料理で、清修も大好きである。しかし、それでも清修の口調の歯切れは悪い。
なにせ、今回のオムライスも前回のパンケーキ同様、おもいっきりタマゴを使用した料理なのだから。
〝うーん。こいつだって文化祭の出店ではタマゴが使用できないって知ってるはずだよな? だったら、なんでオムライスなんか作ろうとしてるんだ?〟
腕組をして黙考に浸る清修。
そして、そのあいだにも熱せられたフライパンの上でバターが溶ける匂いが清修の鼻腔をかすめ、さらにはライスが炒められる音までも聞こえてくる。
まだ味わっていないにもかかわらず、 その嗅覚と聴覚を刺激する情報だけで、清修の食欲は刺激され、腹の虫が鳴ってしまうのだった。
〝まあ、いいか〟
清修にとって文化祭の実行委員など、もともと押し付けられた役割なので、それほど真剣ではなかった。
それよりも、この食欲の前では、今この場でオムライスを食べられる事のほうが大事。余計な言葉を口にして、その機会を逃すなんて馬鹿馬鹿しい――。
そう思い、黙ってオムライスができあがるのを待つのだった。
「できたわよ」
清修の前にカラの皿を置いて準備してくれる柚季。そして、フライパンを傾け、皿の上にできあがったオムライスをサーブしてくれるのだった。
〝えっ……?〟
しかし、完成したオムライスを目の当たりにした清修は意表を突かれる。
皿の上に鎮座しているのは、紡錘形のチキンライスの周囲にレモンイエローのタマゴの生地が巻かれている。そして、そのタマゴの中央には真っ赤なトマトケチャップがかけられており、下の皿にまで垂れているのだった。
〝ああ、こっちで来たのか〟
柚季が作ってくれたのは、紡錘形のチキンライスを薄焼きタマゴで包み込む、古くから日本人に親しまれているオールドタイプのオムライスである。
そのルックスは、ザ・王道。オムライスをネットで画像検索したら、トップページで出てきそうなくらいのお手本とも言うべき佇まいである。
しかし、だからこそ、清修は意表を突かれた面があった。
なにせ、昨日のパンケーキの出来栄えから見ても、柚季の料理の腕は同世代の女子の中では群を抜いているのは間違いない。しかも、父親がイタリアンの料理人だったいう血統書付きだ。
そんな柚季がつくるオムライスだから、薄焼きタマゴで包むオールドタイプではなく、半熟のオムレツをナイフで切り広げてライスに覆いかぶせる、ふわとろタイプだと清修は思っていたのだ。
〝これはこれでうまいんだけどさぁ……〟
まあ、勝手に清修がそう思っていただけなので、柚季に非はないのだが、なんだか肩透かしを食らった気分になるのだった。
そして、その柚季がつくってくれたオールドタイプのオムライスは、タマゴの向こう側にあるチキンライスの赤色がうっすらと透けて見えるのであった。
「このタマゴ、だいぶ薄いよな?」
清修が柚季に問いかける。
「ええ。そうね。普通は四個くらい使うけれど、このオムライスには1個しか使ってないわ」
1個って……。
そりゃあ、たった1個分のタマゴでオムライスをつくるのは難しいだろうし、実際にその技術はたいしたものだと思う。
しかし、そうはいってもオムライスの主役は、なんといってもタマゴなのだ。使われているタマゴの量イコール美味しさと言っていいなのだから、ケチらずにもっと大量にタマゴを使ってほしいというのが本音であった。
〝まあ、たしかにこの薄焼きタマゴの向こうにチキンライスの赤色が透けて見えるのはキレイだけどさぁ……〟
〝それに、オムライスのソースもこんな何の変哲もないケチャップじゃなくて、水原だったらデミグラスソースみたいな洒落たものを用意してくれると思ったんだけどな〟
そんな事を思いながら、薄焼きタマゴにスプーンでケチャップを塗り広げていく清修。そして、まずは少し肉厚になっているタマゴの端の部分とケチャップのみを食べてみるのであった。
〝………!〟
薄焼きタマゴが舌の上に乗った瞬間に清修はカッと目を見開く。その後、咀嚼しているあいだ、ただの一言も発する事はなかった。
そして、ひと切れの薄焼きタマゴの味をたっぷりと堪能し、ようやく嚥下した清修は口を開くのだった。
「このケチャップって、市販品とは違うよな?」
「ええ。自家製のケチャップよ」
それは生まれて初めて体験する味わいだった。
このオムライスの上に塗られていたケチャップは、市販のものよりもサラッとしていて、まったくクドさが感じられない。
そう、上手く表現することができないのだが、このケチャップは『余計な味』がまったくしないのだ。市販のものよりも、かなり粘度が低い事もあり、純粋で濃いトマトの旨味とさわやかな酸味だけがサラサラと舌の上で溶けていくような感覚。このケチャップに比べると、スーパーで売られている市販品が、ただのトマト風味の水飴に思えてくるほどだった。
「このケチャップは自家製だって言ってたが、オマエが作ったのか?」
「ううん。昨日、言ったようにわたしの父は料理人なの。そして、このケチャップは父の店で出しているものなの。父の店ではこのケチャップだけじゃなくてマヨネーズなども市販のモノは使わず、ほとんど自家製よ」
そして、今度はタマゴとケチャップ、そして、この自家製ケチャップをたっぷり使用して作られたチキンライスの三位一体で食べると、それもう言葉にできないほどの美味しさだった。
「うめぇ! うめぇ!」
清修は無我夢中でスプーンを動かし、オムライスを口に運ぶのであった。
「これ、自家製ケチャップがめちゃくちゃ旨いのはもちろんだけど、チキンライスの鶏肉もいいやつ使ってるよな?」
「ええ。その鶏肉も父の店で使っている銘柄鶏のモモ肉よ」
興奮しきっている清修に比べて、あまりにも淡々としている口調の柚季。
しかし、このオムライスのうまさを表現するのには、過度に装飾された言葉は不適切だ。今では柚季の無愛想な態度が実に理にかなっているように思えてくる。
なにせ、薄焼きタマゴに包まれているチキンライスに使用されている具材は鶏肉のみ。
しかし、もの足りなさを感じる事はない。なにせ、銘柄鶏のモモ肉を使用しているだけあって、たっぷりと脂が乗っていてジューシーとしか言いようがないシロモノなのだ。
普通、バターで炒めているチキンライスにこれだけジューシーな銘柄鶏のモモ肉を使用すると、脂でクドくなりすぎてしまうだろう。
しかし、ここでも自家製ケチャップが効力を発揮する。
さわやかな酸味とサラリとした舌触りの自家製ケチャップがモモ肉の脂を洗い流してくれるのだ。
そして、そのチキンライスには薄焼きタマゴの控えめの自己主張がベストマッチする。これがふわとろタイプの食べ応え充分なオムレツだったら、やはりクドく単調になりすぎていただろう。そう、柚季はべつに時代錯誤の吝嗇でタマゴをケチっていたわけではない。このオムライスの味と口飽きしないベストバランスを考え抜いたうえで、卵一個のみを使用したのだ。
こんなうまいオムライスは食った事がない。それを言葉ではく、態度で示すように清修はあっというまに完食する。
そして、満足げに下腹部を掌でさするのだった。
「まだ食べられそう?」
柚季が清修に問いかける。
「もちろん!」
「それじゃあ、スイーツをつくるわね」
そして、柚季は冷蔵庫から取り出した小麦粉の生地をボウルで混ぜ始める。
〝またパンケーキをつくるのか?〟
それは、昨日のパンケーキづくりとまったく同じ工程だった。
〝なんで、昨日もつくった料理をまた今日もつくるんだ? まあ、あのパンケーキもめちゃくちゃ旨かったから、べつにいいけど〟
そして、手際のいい柚季はあっというまにパンケーキを作り上げてくれる。
しかし、途中の工程はまったく同じだったにもかかわらず、できあがったものは昨日と違っていた。
「これ、上にかかってるのはジャムか?」
「ええ。イチゴと上白糖。それにレモン汁だけでつくった特製ソースよ」
昨日のパンケーキの味付けはメープルシロップだったのが、今日のはイチゴジャムがのっている。
半分にカットされたイチゴはほとんど原型をとどめており、とろりとした蜜がかかったその姿は、まるでルビーのようで美しくキツネ色のパンケーキの上で輝いて見えるのだった。
さっそくナイフとフォークで清修はパンケーキを切り分け、ほおばる。
すると、イチゴの甘酸っぱい風味が口の中いっぱいに広がるのだった。
そのとき、清修の脳裏に過ぎ去りし夏の日の記憶がよぎる。
奥深い山の中。
生い茂った木々が放つ、むせ返るような緑の濃い匂い。幾重にも重なった葉の隙間から漏れる陽光。けたたましいアブラゼミの鳴き声。頬をよぎる淀みきった生ぬるい風。
しかし、それは今年の夏の記憶ではない。
もっと昔、はるか遠く、記憶の底にしまい込んだはずの夏の日の風景。
そして、清修は思い出す。
〝ああ……。俺、パンケーキ食ったの、昨日が生まれて初めてじゃねえや〟




