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文化祭


 その後、渚はすぐにスマホを救急車と警察を呼び、事情を説明した。


 もちろん、だからといって、柚季を苦しめていたストーカーは恋人である清修に成敗され、警察につかまったからといって、めでたしめでたしというわけにはいかなかった。


「清修……清修……」


 もう2時間以上、柚季は清修の名を呼び、その頬を涙で濡らしている。


 あの後、清修は「こんな傷で大袈裟に救急車なんて呼ぶなよ」と渚に抗議していた。しかし、そんな言葉を真に受けるほど渚と柚季は馬鹿ではない。あの時は格闘直後でアドレナリンが大量に出て痛みを感じないだけで、命にかかる重傷なのは火を見るよりも明らかだった。


 もちろん、緊急隊員の見解も渚たちと同じで清修はすぐに救急車に入れられ、病院へと運び込まれるのだった。


 もちろん、柚季の心情は、ストーカーが捕まった安堵感よりも、恋人である清修が大怪我を負ったというショックのほうが大きいのは言うまでもない。


「渚。わたし、清修がいなくなったら……」


「バカ言うな。清修が簡単にくたばるようなタマかよ。あいつのことだから、ケロッとした顔でここに戻ってくるよ」


 無理矢理にでも口角をあげて、渚は柚季を励ます。


 しかし、あれは、医学の覚えがない渚でさえ、一目見ただけで手術が必要だと判断できるほど出血量だった。予断が許されない厳しい状況なのは間違いない。


 もちろん、渚の明るい振る舞いが空元気であることなど柚季も分かりきっているのだろう。


 思いつめた暗いまなざしで、ただ肩を震わせて泣いているのだった。


 もちろん、こんな柚季をひとりにしておけるわけがない。


 渚はもう2時間以上ずっと柚季の部屋で一緒にいてやり、瞳を赤くぬらしている彼女に肩を貸してやっているのだった。


〝もう、こりゃあ、文化祭どころじゃなくなったな〟


 すでに、日付も変わり文化祭当日。あと数時間もしたら登校しなければならない時間になる。


 ふたりが……とくに柚季ががんばっていた文化祭。しかし、今はそんなことはどうでもいい。


 なにせ、柚季が最も料理を作ってやりたい相手である清修がいないのだ。


 そして、渚はベッドの上で身を寄せ合い、清修の匂いが染みついたジャンパーを離さずにいる柚季の肩を抱き続けてやるのだった。




 それから、どれくらいの時間が経っただろうか。


 あいかわらず、渚と柚季はベッドの上で身を寄せ合い、満足に眠っていなかった。


 しかし、そのとき、部屋の窓を小さくノックする音が、暗い室内に響き渡る。


 そして、渚が顔をあげ、視線を窓のほうにやると、なんとそこには清修が顔を覗かせているではないか。


「清修!」


 慌てて、窓まで駆け寄る渚。


 さわやかな笑みを浮かべる清修。


 しかし、渚が近づくと、清修は笑みを浮かべた表情のまま、すーっと窓から遠ざかる。


「おい、どこへ行くんだよ!」


 しかし、渚の問いに返答する事なく、清修はそのまま夜の闇に消えていく。


「待てよ! 柚季を放っていくつもりなのかよ!」


 渚は大きな声で叫ぶが、それでも清修の姿は暗闇の中に溶けていくのであった。




「なんだよ……。夢かよ……」


 自らの声で覚醒した渚は、乱暴な手つきで髪の毛を掻きむしる。


 柚季の隣で座っている間に、どうやら渚はいつのまにか眠ってしまったようだ。


 隣にいる柚季をみると、彼女もやはり泣きつかれたのだろう。清修の匂いが染みついたジャンパーをまるで掛け布団のようにして寝息を立てている。しかし、本当に眠りに入る直前まで泣いていたのだろう。その頬には、まだ涙が乾いた後がうっすらと残っているのだった。


 しかし……


〝なんつー夢を見るんだよ、あたしは……〟


 額に滲んだ汗を渚は乱暴に袖で拭う。


〝これじゃあ、まるで清修が死んだみてぇじゃねえか。縁起でもない〟


 時計をみると、朝の5時前。夜明けまでにはまだ時間がある。


〝とりあえず、病院っていつになったら面会できるんだ?〟


 たしか、清修には身寄りなかったはず。入院の手続きや世話も柚季や渚がやらなければならないはず。


 そんな事を考えていると……


 柚季のスマホからメッセージアプリの着信音が鳴る。


 そのあまりの突然さに渚の心臓の鼓動は跳ね上がると、その1秒後、さらに驚くことになる。


 なんと、今度は誰かが窓ガラスをノックしているのだ。


 先程の夢と同じように……。


 慌てて、渚は先ほどの夢と同じように窓際まで駆け寄る。


「よっ!」


 すると、清修は何事のなかったような笑顔で手をあげるのだった。


「なんだ。武藤、オマエも柚季の部屋に泊まってたのか?」


「せ、清修。なんでこんなところにいるんだ?」


 渚の言葉に清修はきょとんとした顔をみせる。そして、靴を脱いで部屋にあがりこむのだった。


「なんでって、今日は文化祭だぞ。いつまでも病院のベッドで寝てられるか」


「オマエ、大丈夫なのか?」


「ストーカーだったあの美容師は捕まったんだ。もう何も心配ないだろ」


「いや、怪我だよ。怪我! オマエ、腹をナイフで刺されてあんだけ血が出てたのに、大丈夫なのか?」


 裏返った声でそう問いかける渚。しかし、清修はそんな渚の反応を鼻で笑うのであった。


「あん? だから、何回も言ってるだろ。あれくらいの怪我なんて俺にとってはかすり傷みたいなもんだって」


「ウソだろ……?」


 たしかに、柚季から過去の思い出話で、清修は山で遊んでいた崖下に桂したり木登りで転落しても、たいていは無傷で次の瞬間にはケロッとしていたので、びっくりしたという話を何度か聞かされたことがある。しかし、それでも、まさか腹部をナイフで刺され、あれだけ出血していたにもかかわらず平気な顔をしているのは信じられない思いなのであった。


「清修、本当に大丈夫なのか?」


「縫ってもらって傷口は止血できてるんだから、大丈夫に決まってるだろ。医者には入院しろって言われたけど、今日は文化祭なのに病院のベッドでなんか寝てられるか。金だけ払ってこっそり抜け出してきたよ」


「ウソだろ。抜糸とかはどうするんだ?」


「んなもん、自分でやるに決まってるだろ。医学に関しては簡単な外科手術くらいなら、俺はジイさんに仕込まれていたから。オマエが救急車を呼ばなかったら、自分で縫うつもりだったからな」

「…………」


 驚きを通り越して声をあげるどころか、渚は絶句してしまう事しかできないのであった。


 そして、そんな騒ぎに気づいたのであろう。


 今まで眠っていた柚季が目覚め、人差し指で瞳をこする。


「清修……」


 それまで、完全に死んでいた柚季の表情。しかし、次の瞬間には、まるで、つぼみから花弁が咲き誇る時の早送り映像のように顔が明るくなるのだった。


 そこから先はもう言葉にならない。


 一目散で駆け寄り、清修の身体を両手で抱きしめる。


 そして、あとは清修の胸の中に顔を埋め、子供のように泣きじゃくるのであった。


「昔から柚季は大袈裟なんだよ。俺にとってこんなもん、たいした怪我じゃねーよ」


「だって……だって……」


 清修は苦笑しながら、柚季の頭をなでる。


 そして、柚季はそんな清修の腕の中でいつまでも涙で頬を濡らしているのだった。


 しかし、その時、清修の腹の虫が盛大に「ぐぅー」と鳴る。


「なあ、柚季。俺、昨日から何も食ってないから腹が減ってるんだ。悪いけど、何かつくってくれないか?」


 早朝に部屋にあがりこんだ挙句に目覚めたばかりの恋人相手にメシをつくってくれとは、冷静に考えれば、かなり図々しい要求なのは間違いない。


 普通のカップルならば、女のほうは絶対に眉を顰めるだろう。


 しかし、柚季は――


「うん! 何が食べたい? わたし、何でもつくるから!」


 満面の笑みでそう答えるのであった。


 そして、清修は「肉が食いたい!」とリクエストしたので、柚季は冷蔵庫の中身を確かめる。


 幸い、牛のレバーとニラとあったので、柚季はニラレバを作ることにした。本人は大丈夫だと豪語しているが、大量に出血した後なだけに、鉄分を補給できるレバーはちょうどいい。


 渚も手伝いニラレバをつくると、清修はよほど腹が減っていたのか、猛烈な勢いで口の中に放り込むのであった。


「はあ、それじゃあオマエ、あのストーカーをわざと挑発していたのか?」


 食事をしながら、清修は昨夜の真相を語ってくれる清修。


 そして、渚は驚きの声をあげるのだった。


「なんで、そんな事をしたんだよ?」


「そりゃあ、もちろん、あいつの顔面の形が変わるくらいぶん殴ってやるための大義名分をつくるために決まってるだろ。でも、さすがに無抵抗の相手にそれをやったら、警察に引き渡した時にいろいろ面倒な事になるから、わざとあいつのほうから殴りかかってくるように仕向けたんだ」


「それで、ナイフで刺されたら世話はないだろ」


「まあ、さすがに俺も向こうがナイフを出してくるのは計算外だったし、なにより柚季が現れて、そっちに気をとられていたからな。でも、何回も言うけど、オマエが大袈裟に騒ぎ過ぎなんだよ」


「あれだけ出血してたら、救急車を呼ぶのは当たり前なんだよ!」


 しかし、清修はそんな渚の言葉など、どこ吹く風といった感じでニラレバを完食して、柚季が急遽つくったニラタマ炒めにも箸を伸ばすのだった。 


「そういやさぁ、柚季。この前たまたま立ち寄った中華料理屋でニラタマを頼んだんだよ。俺はカニ玉みたいにタマゴの塊にニラが入ったやつを想像してたんだよ。そしたら、ニラよりもモヤシのほうがはるかに量が多いうえ、タマゴもスクランブルエッグ状になった奴が野菜に申し訳ていどにこびりついているような貧相なやつが出てきたんだよ」


 すると、柚季が答える。


「あー、たしかに、そういうニラタマを出すお店あるね。清修はカニ玉みたいにタマゴをたっぷり使ったやつが好きなのにね」


「そうなんだよ。でも、柚季は凄いよな。何にも言わなくても、俺が好きなような奴をつくってくれるんだから」


「わたしは清修が好みは分かってるからね」


 とろけるような幸せに満ちた笑みで柚季は胸をはる。


 そして、清修は満足げにニラタマを頬張るのだった。その表情は、とてもつい数時間前まで(普通の人間ならば)瀕死になってもおかしくない怪我を負わされた者とは思えない。 


 そして、渚はある出来事を思い出す。


 半月ほど前、クラスの男子が柔道の授業を終えた時のことだ。


「あいたた……」


 清修が左手で右肩を抑えながら痛そうな顔をしている。


「どうしたんだ?」


 渚が聞くと、どうやら清修は、ブラジリアン柔術の道場にも通っているクラスメイトと寝技の乱取りをやって、肩を怪我したというのだ。


 渚が問いかける。


「なんで、たかが柔道の授業でそこまで大袈裟に肩まで痛めてるんだよ?」


「いろんな関節技を教えてもらっていて、ついムキになってムリヤリ脱出しようとしたら、肩の関節がはずれちまった」


「めちゃくちゃ大事(おおごと)じゃねーか。今すぐ病院にいけよ!」


「自分でハズれた関節を入れ直したから、大丈夫だよ。俺は昔から他人よりも怪我の直りが速いんだ。それに今日は水原がかつめしを作ってくれるんだ。おちおち病院になんか行ってられっか!」


 そう言って、清修は放課後になると、さっさと家庭科室に行ってしまい、次の日には平気な顔して右腕を振り回していたのだった。


 それを見た渚は「なにが肩の関節がハズれただ。普通、脱臼なんかしたら、即座に関節を入れ直したとしても、数週間は三角巾などで固定して絶対安静にしていなければならないのだ。それを大袈裟なことを言いやがって」と思った。


〝あの時のセリフは嘘じゃなかったんだ〟


 どうやら、本当に清修は人並み外れて生命力が強いようだ。


 渚の背筋に冷たい汗が流れる。


 入学当初、渚はお互いに軽口を叩ける清修とまっさきに友人関係となり、いつも独りでいて、常につまらなそうな顔をして数多くの男子を袖にしていた柚季を変わり者だと思っていた。


 しかし、その考えは間違いだった。


いっけん、凡人を装っていたこの男こそが、常識の埒外にいる存在であり、無愛想だと思っていた女は愛する者に対しては母性の塊というべきやさしさを持っていた。


 渚は改めてその事実を思い知るのであった。


              ※※※

  

 そして、登校する時間になり、清修と柚季と渚の3人はいよいよ本番となった文化祭の活動に勤しむ。


 幸い、清修たちのクラスの喫茶店は評判もよく、とくに柚季が自家製麺した焼きそばは評判が評判を呼び、昼過ぎには売り切れてしまうほどだった。


 そして、宴は無事に終わり、渚と柚季のふたりはクラスメイト共に後片付けをしているのだった。


「まあ、途中まではどうなるか心配だったけど、本当によかったな。柚季」


「うん。楽しかったね」


 ご機嫌な様子で微笑む柚季。


 しかし、その笑顔は文化祭を成功させた事よりも、清修が無事に帰ってきてくれたことによるものが大きいのを渚は知っている。


「あれ? 清修は?」


 そう言いながら、柚季は周囲を見渡す。


「清修の奴は校庭に出していた看板とか片付けていたはずだけど、そういえばさっきからいねえな」


 しかし、校庭をみても清修はみつからない。


「あいつ、どこへ行ったんだ?」


 胸騒ぎに駆られて清修を捜す柚季と渚。


 すると、封鎖されている屋上へ続く階段。ひと気のない場所で、清修は階段に座り、壁にもたれかかるような体勢で目を閉じて座っているのだった。


 その表情は、完全に意識を失っているように見える。


「清修!」


 慌てて駆け寄る柚季と渚。


 やはり、強がっていただけで昨日の傷は致命傷だったのだろうか。最悪の考えが脳裏をよぎる。


「おい、清修! 大丈夫か?」


 渚は大きな声で呼びかけ、清修の肩を揺さぶろうとする。


「待って!」


 しかし、柚季はそれに待ったをかける。


「清修、ただ寝ているだけだと思う」


「ええ、マジか?」


 たしかに顔を近づけみると、苦しんでいる様子はなく清修は穏やかな寝息を立てている。


「なんだよ。人騒がせな……」


「昨日、ほとんど寝ていたなかったみたいだから疲れてるんだよ」


 そう言いながら、柚季は自らも階段に座って清修に膝枕をしてあげる。


「清修、おつかれさま」


 愛する者にしか見せない慈しみに満ちえた微笑で柚季は、清修の頭をなでる。


「うん。むにゃむにゃ……ゆずき、ハラ減った……」


 そして、清修はどこまでも穏やかな寝言を言っているのだった。


 





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