柚季と渚の休日②
〝しかし、柚季は変わったな〟
入学当初からクラスメイトとして接していたが、その印象はハッキリ言ってよいものではなかった。
なにせ、休み時間は誰とも話さず、いつも仏頂面。野生動物のように人に対する警戒と不信感を露わにして、露骨にクラスメイトを遠ざけていたフシがある。
もちろん、その立っているだけでも充分に人目を惹いてしまうほどの美貌は、学校中の噂になっており、アプローチをかけてくる男子は後を絶たなかったが、柚季はその全てをソデにしてきた。中には決死の思いで告白しても、ろくに顔も見てもらえずに、スマホを見ながら振られた男もいたらしい。
そんなわけだから、同姓に対する柚季の評判はすこぶる悪かった。
クラスの女子など、柚季のいないところでは常に陰口を叩き、露骨に悪態をついているのだ。
渚自身はそんな陰湿なクラスの女子とは相性が悪く、距離を置いていた。だが、それでも根本的な原因は普段の柚季の態度にもあり、自業自得な面もあると思っていたのも事実だ。
しかし、料理を習い始めてから、渚の柚季に対する印象は一変した。
こんなにも面倒見がよく、それでいてかわいらしく笑い、なによりも愛する者に対して一途だとは思っていなかった。
そのあまりの変わりように、渚はただただ驚くばかりだった。
いや、変わったという表現には語弊があるだろう。
きっと、清修や夏海に対する母性的なやさしさこそが素の性格に近く、今までは人見知りの殻の中に閉じ込めていただけなのだろう。
そして、そんなふうに渚が考えていたのを察したのだろう。
「どうしたの? わたしの顔なんてまじまじと見て」
柚季は小首をかしげて、渚に問いかけるのであった。
「いやー、入学当初から2学期までのあいだと、今の柚季とではぜんぜん違うからイメージが崩れたなぁって思ってただけだ」
「あー……そうだよねえ……」
もちろん、露骨に態度が違っている自覚はあったのだろう。柚季は何とも言えない気まずそうな顔をする。
「ごめんね。自分でも愛想がないなとは思ってたんだけね」
「いや、謝ることないぞ。柚季くらい美人だったら、ちょっとやさしくしたくらいで気があるって勘違いする男子がいっぱいいるだろうし。自衛のためにそういう態度になっちまうのも仕方がねえよな」
渚がそう気遣うと、柚季は静かに頷いたあと、「うん。そうなんだよね」と静かに呟き、まなざしに暗い陰を宿らせる。
そして、淡々とした口調で自らの過去を語りだすのであった。
「わたしって、じつはね小学生の頃は今よりもずっと髪の毛も短くて、よく男の子に間違われていたの」
「ああ、それは清修に聞いたわ。たしか、清修もずっと柚季のことをずっと男だと思ってたんだよな?」
「うん。だから、よくクラスの男の子たちに『おとこおんな』とか言われていじめられての。でもね、小学校を卒業する間近の時かな。今も通っている美容師さんのところに初めて行った時にね、見た目のことで物凄く褒められたの。『柚季ちゃんは将来きっと誰も美人になるよ』って。それから、その美容師さん……岩田さんにアドバイスをもらって、髪の毛を伸ばしたり、メイクやファッションを気にするようにしたの。そしたら、街を歩いていたらタレントの事務所の人に声をかけられるようになったり、急に男の人の見る目が変わったの」
「そしたら、変な男も寄ってくるようになったってわけか……」
「うん。満員電車に乗ったらおしりを触られるなんてしょっちゅうだったし、同じ電車に乗ってたってだけで、それまで話した事もないのにいきなり告白された事もあった。でもね、いちばん困ったのはそういう見知らぬ人じゃなくて、クラスメイトを始めとする同じ学校の人たち。同じ委員になってちょっと話しただけで気があるって勘違いた挙句にストーカーになったりするの。いちばんもい出したくないのは、教えてもないのにわたしの誕生日にプレゼントを渡された時。それはちゃんとした桐の箱だったんだけど、中を開けたらへその緒が入ってたの。あれは気持ち悪かったなぁ……」
「マジか? 本当にそんなもん渡す気持ち悪い奴が存在していたのか?」
「うん。わたしも未だに信じられないけど、本当にあったんだよ。開けた瞬間、その場で悲鳴をあげて投げ捨てちゃったもん」
そういったさまざまなエピソードを聞くたびに、柚季がその穏やかでやさしい心根を隠してまで無愛想な態度を貫いていたのかよく理解できる。
幼少期は、その容姿をからかいの種にされていたにもかかわらず、思春期になった途端に態度を180度変えて、ストーカーや痴漢といった変態的行為を繰り返されたら、そりゃあ男性不信にもなるだろう。
そして、悲しみを帯びた瞳で、柚季はさみしげにつぶやく。
「だからね、今でも清修と、あとはさっき言った美容師さん以外の男の人は苦手なの」
しかし、だからといって、柚季は女性相手ならば気軽にコミュニケーションがとれるかといえば、そういうわけではない。
むしろ、本当に苦手にしているのは男子よりも女子なのではないのかと渚は思っている。
なにせ、異常なまでにモテまくり、しかも、それをさも当然といった感じでクールに受け流している柚季は女子から嫉妬の対象になっているのだから。
そして、そんな柚季が初めて彼氏をつくったというニュースは、またたくまに全校に広がった。
しかも、それが清修というクラスでもあまり目立たたない清修なのだから、その衝撃はたるやなかった。
今まで嫉妬していたクラスの女子の中には、露骨に「水原は男を見る目がないバカ」などと蔑む結果となったのだが、柚季はそんな声など気にすることなく、清修といちゃついているのであった。
そして、柚季はあさりのブロード(出汁)をフライパンに入れて沸騰させる。さらにそこから、セミドライトマトも入れて煮続けて、オリーブオイルをたっぷりとかけるのであった。
「オリーブオイルの香りを嗅いで思い出したんだけでさぁ……。料理が趣味の俳優いるじゃん?」
オリーブオイルを手にしている柚季に対して渚が問いかけるのであった。
「ああ、あの変わった名前の人ね」
「そいつ、馬鹿みてぇにオリーブオイルかけてるから、ネットとかで『かけすぎだろッ』ってツッコミ入れられてたんだけど、イタリア料理に詳しい人間から見たら、ごく普通……ぜんぜん許容範囲の使用量なんだよ」
「そうそう。わたしの父さんもあれくらいの量を普通に使ってたもん。だから逆に、あの俳優が世間一般では『オリーブオイルを使い過ぎる人』扱いされてるのにびっくりしたもん」
「そうなんだよなぁ。あたしも柚季が料理を教えてもらって初めて知ったもんなぁ……」
そんな会話しながら、柚季と渚は料理を楽しむのだった。
そして、今度は夏海が柚季に尋ねる。
「柚季ちゃーん。サラダに使うバケットの切りかたははこんな感じでいいの?」
「うん。上出来だよ、夏海ちゃん。あとはそれを10分くらい水にひたしておけばいいから」
「はーい」
平和なゆっくりとした時間が流れる。
ひとりで、なんとか料理を覚えようと気を張っていた時はあまり楽しく感じられなかったが、柚季や夏海と共に休日におしゃべりしながら興じる料理はとても楽しく感じられるのだった。
そして、柚季はオリーブオイルと煮汁が乳化するまで火を入れ続けて、最後にイタリアンパセリを添える。
「これで、アクアパッツァの完成よ」
日本の煮魚とは違う、トマトとオリーブオイルの香りのする西洋の魚料理に渚の鼻腔がくすぐられる。
「へぇ、いい香りがするもんだな。じつは、あたし、アクアパッツァって聞いたことはあったけど、食うのは初めてなんだ」
「うん。そういう人は多いと思う。アクアパッツァって日本じゃ有名だけど、実はかなりのマイナー料理だし」
「そうなのか?」
「うん。もともとナポリの辺りの漁師料理だから、イタリア人でも地元の人間くらいしか知らないだって。実際、父さんも本場のイタリアでアクアパッツァを食べたのは、修業時代の晩年に回った地方のレストランだったって言ってたし」
「へぇ」
「だから、アクアパッツァはイタリアよりも日本での知名度のほうが高いとも言ってた」
そして、テーブルにはアクアパッツァと夏海がつくったバケットのサラダが並べられる。
「すげーな。やっぱ柚季がつくると、レストランで出してるやつみたいに綺麗だもんな」
渚と夏海はそれぞれのスマホでパシャパシャと写真を撮る。
すると、渚は部屋の片隅に並べられた料理の本があるのに気づく。
しかし、それはイタリア料理に関する物ではなく、和食。それも精進料理だった。
「柚季って、やっぱイタリアンだけじゃなくて他のジャンルの料理も勉強してるのか?」
渚が尋ねるのだった。
「うん。だけど、その本は清修のための買ったの。ほら、清修ってさっきも言ったけど、お肉が大好きで栄養バランスが心配。だけど、精進料理ってお肉が食べられない禅僧のための料理だから、野菜だけでも物足りなくないようにいろいろ工夫されているの」
「それで、こんなにも精進料理の本を買ったのかよ」
「うん。だって清修のためだもん❤」
華やかな笑顔でそう答える柚季。
どこまでの清修ファーストの、その行動原理に渚は「やれやれ」と苦笑するのであった。




