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ママ


「あーあ、寝ちまったな」


 夕食の焼きそばを食べた後、渚の妹である夏海はリビングのソファーで横になり、そのまま穏やかな寝息を立てるのであった。


「今日は、はしゃぎすて疲れちまったのかな」


 ソファーに置いてあったクッションを抱き枕のようにして眠る夏海。そのあどけない寝顔は、年相応の愛らしさに満ちている。


「まさか、こいつがあんな事をいいだすなんてぁ……」


 しみじみとした口調で渚はそう呟くのであった。


 そして、柚季が問いかける。


「夏海ちゃんが自分で料理をつくりたいって言ったこと?」


「ああ、つい最近おむつがとれたばかりのように思ってたんだが、もうそんな事を考えるようになってたんだな」


「子供なんて、そんなものよ。わたしたちが知らないところでいつのまにか成長しているし、意外とちゃんと考えてるものよ。大人たちからみたら、わたしたちだって似たようなものに映るわ」


 そう言いながら、柚季は目を細めて自らの膝元に視線を落とす。


 ちなみに、寝ているのは夏海だけではない。食後の睡魔に襲われたのか、清修も絶賛爆睡中。柚季の膝枕の上で幸せそうにいびきをかいているのであった。


 そして、柚季はそんな清修の頭をやさしくなでるのであった。


「しかし、夏海は小学3年生。包丁とか火を使わせて大丈夫かな」


「もちろん、ちゃんと武藤さんが見ていてあげたほうがいいと思うけど、夏海ちゃんはしっかりしてるから大丈夫だと思うよ。じつはわたしも夏海ちゃんくらいの時はひとりで料理をしてたし」


「えっ? そうなのか?」


「うん。清修と初めて出会った時にお腹がすいてみただから、パンケーキをつくってたげたの。それが、ひとりで料理をした初めての経験。8歳の時だったな」


「しかし、パンケーキって火を使うだろ。よく水原の親御さんは許可したな」


「ううん。夜になってひとりでガスレンジを使っていたのをバレた時は、ものすごく怒られたよ。『なにかあったら、どうするんだ!』って。でも、父親が料理人だったから、娘のわたしが料理に興味を持ったこと自体は嬉しかったらしくて、最終的には台所にウェブカメラを設置して、料理を始める時と終わる時にはメッセージアプリで必ず連絡することを条件にひとりで料理する事を許可してくれたの」


「たしか、水原のオヤジさんって今は駅前で洋風居酒屋を経営してるんだよな。うちの親もあの店は値段がリーズナブルなのに、このへんで食べられないような凝った料理を出してくれるって言ってったわ。でも、昔は白崎海岸の山の中の国道でイタリアンの店でオーナーシェフをしてたんだろ」


「うん。そこで近くに住んでいた清修と子供の頃に出会ったの」


「しかしなぁ……清修にその話を聞いた時から疑問に思ってたたんだが、なんでオヤジさんは、あんな駅から遠くてうえに、近くに民家も少なくて車でしか行けないような場所にレストランなんか開いたんだ? 普通はあんな辺鄙なところで飲食店をやろうなんて思わないだろう」


 その渚の言葉を聞くと、柚季は「あっ、うん……」と気まずそうに人差し指で頬をかく。


「普通はそう思うよね。あんなところでレストランなんて開いても潰れるのは当たり前だって。

 でもね、父さんは本当に料理人としては優秀なの。若い頃はイタリアの大きな都市だけじゃなくて地方まで回って修行していたし、日本に帰ってからも東京の有名なお店で副料理長していたの。ただね、料理人としては優秀だったけど、若い頃の父さんは経営者としては本当にダメダメだったの」


「経営者としてはダメダメ?」


「うん。まずは自らの調理技術に絶対的な自信を持っている父さんの店を出すための第一条件が、自分の眼鏡にかなう食材が調達できる事。この白崎市は新鮮な海の幸が豊富で、しかもあの山中は近くに美味しい野菜をつくってくれる農家もあって狩猟も盛んでジビエも提供できるとあって、うってつけの土地だったの」


「でも、だからって、こんな片田舎のあんな辺鄙な土地におしゃれなリストランテなんかつくったって、需要なんかないだろ?」


「うん。実際にそう言って忠告してくれてた人は大勢いたみたい。だけど、若い頃の父さんはそれはもう自信過剰だったから『それは並みの料理人の話であって、自分ならあの土地でも成功できる。むしろ、俺の料理が食べたければ、ここまで来い』くらいの感じでいたらしいよ。それで、結果は赤字続きで修業時代の貯えをあっというまに食いつぶして1年持たずに閉店。立地や客層のことなんかまるっきり考えずに店を建てて、ただただアーティスト気どりで自分の作りたい料理を出してたんじゃ、そりゃあ潰れるよね。本当に馬鹿だよねぇ……」


 呆れた口調でそうしみじみと語る柚季。しかし、その表情にほんの少しの誇らしさがあるのを渚は見逃さなかったのだった。


「水原も苦労したんだな」


 渚が同情を寄せると、柚季は静かに首を縦に振る。


「うん。8年前に白崎市に引っ越してきた時は本当に毎日が憂鬱だった。それまで暮らしていた東京の生活とは雲泥の差だったし、店を開いた当初は意気揚々だった両親も、赤字が続くと次第にギスギスしだして些細な事ですぐ口論になってたもん。はっきり言って、わたしは毎日が嫌で東京に帰りたくて仕方がなかった」


 その当時の事を思いだしたのであろう。柚季の表情に暗い陰が差す。

 だが、すぐにその顔には明るい色が戻る。


「でも、今はこの街に来てよかったと思うよ。父さんもその時の失敗が懲りたのか、今では庶民的な洋風居酒屋を繁盛させて、母さんと仲良くやってるし」

 でもね、ときどき採算度外視で自分のつくりたい限定メニューを勝手にお店に出して母さんに怒られてるんだけどね、と柚季は舌を出して笑うのだった。


「だけどね、この街に来ていちばんよかったって思える事は、清修と出会えたこと。それだけで、わたしはなによりも幸せだよ」


 そして、柚季は自らの膝の上で寝ている清修の頭をなでる。その笑みは、まるで目に映るすべて慈しむような穏やかな表情だった。


「しかし、こいつ幸せそうな顔して寝てるなぁ」


 渚は清修の額を軽くデコピンするが、まったく起きる気配がない。


「うん。お腹いっぱい食べると、眠くなるんでしょうね。清修はいつもこうだよ。そうだ。おもしろいもの見せてあげるね」


 そう言うと、柚季は自らのバッグからキャンディを取り出す。そして、包み紙を開いて清修の口元に近づけるのだった。


「ん……ぺろぺろ……」


 すると、清修は意識がないにもかかわらず、キャンディを舐めだすのであった。


「こいつ、本当に寝てるんだよな?」


 やや引き気味に、疑問の声をあげる渚。


「うん。だけど、寝ていても口元に食べ物を持ってくと、美味しそうに食べてくれるの」


 しかし、柚季はニコニコと笑いながら寝ている清修にキャンディを食べさせる。そして、次に一口サイズのチョコレートを口元に持っていくと、清修は柚季の指ごと口の中に入れてしまうのだった。


「ねー、美味しそうに食べるでしょう?」


 ご機嫌な口調の柚季。そのあいだにも彼女の指は清修によってペロペロ舐められているが、まったく嫌がる素振りを見せないのであった。


「それじゃあ、最後にとっておきのを見せてあげるね」

 500㎖サイズのペットボトルを取り出す柚季。ラベルから察するに中身はどうやらミルクティのようだ。


 だいたい次の展開が予測できる渚。


「ほら、見て! 寝ててもミルクティを飲んでくれるんだよ!」


 案の定、柚季は予想どおりペットボトルを清修の口元に持って行ったのだった。


「哺乳瓶でミルクを飲んでる赤ちゃんみたいでかわいいでしょう~❤」


 柚季は慈愛に満ちたご機嫌な笑顔を弾けさせる。


〝どこが可愛いんだ?〟

〝正直、浅ましさと意地汚さしか感じないんだが……〟


 しかし、渚は内心ではドン引きしていたのだった。


「清修、今日もいっぱい食べたもんね」


 渚の内心などつゆ知らず、あいかわらずミルクティを飲ませながら寝ている清修にやさしく語りかける柚季。


〝もう、こいつ、完全に清修のママじゃん!〟


 そして、渚はその無償の愛情に呆れかえるのであった。


「ところで、水原。もうひとつ訊いていいか?」


「なに?」


「水原は清修の幼なじみで、そのことに気づいてもらいたくて文化祭の実行委員に立候補したんだよな?」


「うん。そうだけど」


「だから、文化祭の店で出す料理の試食会として清修の好きな食べ物を延々とつくってやった」


「そうそう」


「だけど、清修に幼なじみだと気づいてもらった今は、そんな建前なんて気にすることなく堂々とメシをつくってやってる……」


「うん。今は毎日がとっても楽しいよ」


「だけどさ、文化祭の実行委員であることに変わりはないんだろ。ちゃんと文化祭の店で出すメニューの事は考えているのか? 正直、ここ最近のオマエたちはそんな事なんか忘れて好き勝手にイチャついてるだけのように見えるぞ」


「うっ……」


 そんな渚の指摘を受けて柚季は気まずそうに視線を宙に彷徨わさせる。そして、無言のまま、わずかに額に汗を滲ませるのであった。


「なにも考えてなかったのか」


 呆れたようにため息をつく渚。


「うん。どうしよう」


「それだったら、もう今日の焼きそばをつくっちまえよ。もうそれだけでいいじゃん」


「わたしたちのクラスがやるのは、喫茶店だよ。それでいいのかな?」


「いいよ。いいよ。フード系のメニューは手づくりの焼きそばの1点のみ。これを店の売りにする。飲み物は業務スーパーかなんかで大量に買ってきたものを提供する形にすればいいさ。つーか、もうあたしもオマエたちの仕事を手伝うよ」


「ありがとう」


「礼なんていいよ。今日は夏海のことも含めてさんざん世話になったからな、これくらいの事はさせてくれ」


 お互いにみつめあう柚季と渚。


 そして、ふたりはほほえむのであった。


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