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水族館へ④


 そして、その後、ふたりは水族館を出て、白崎海岸の砂浜を歩いているのだった。


 秋分を過ぎた日差しはずいぶんと柔らかくなり、風はさわやかな秋の訪れを感じさせる。


 そのぶん、砂浜を訪れる人の数は減っていたが、のんびりとふたりで散歩をするには絶好のロケーションであることは確かだ。


「いい天気ね」


 屈託のない表情で微笑む柚季。


「そうだな」


 しかし、清修の返答はそっけのないものだった。


 それから、しばらく無言になってしまうふたり。


「ねえ……」


 柚季が清修の顔を覗きこむ。

「さっきのレストランでわたしがお子様ランチを食べ終えた後、『じつはな……』って言ってくれたじゃない。なにを話そうとしていたの?」


 さりげなくを装いつつも、わずかに口元が緩みながら清修に問いかける柚季。そして、まなざしに隠しきれない期待を込めているのであった。


 もちろん、柚季の言う「さっき」とは、清修が柚季のことを『ユウ』だと認めようとしていた事だというのは、理解していた。


「ああ、あれか? べつに大したことじゃないから、気にしなくていいぞ」


 たしかに、あの時は、柚季に真実を告げようと思っていた清修だったが、突然の闖入者によって完全にやる気は削がれてしまったのだった。


「そう……」


 そして、露骨にがっかりとした表情を見せる柚季。

しばらくのあいだ、無言で砂浜を歩く清修。


 すると、小さな男の子と女の子ふたり、砂浜で遊んでいたのだった。


 ふたりは砂でつくった大きな山に棒を刺し、棒が倒れないように交互に砂をすくっている。いわゆる棒倒しだ。


「なつかしい……」


 慈しむように目を細めて、そう呟く柚季。


「わたしもね、昔、幼なじみの男の子とこの海岸で棒倒しをしたことがあるの」


 そして、毎度お馴染みの幼なじみアピールをするのであった。


「へえ、そうなんだ」


 いつもなら、適当に受け流す清修。しかし、今回は違う。


「じつは俺もガキの時にこの砂浜で棒倒しをやった事があるんだ」


「本当?」


「ああ、そして、その時も当時よく遊んでいた友達と水族館へ行って、そのあとにこの砂浜で棒倒しをやったんだ」


「ぐ、偶然ね。わたしもじつは水族館へ行ったあとにこの砂浜に来たの」


 今まで何を言ってものれんに腕押し状態だった清修がようやく過去の事を話してくれた。その事実に、柚季はまるで彷徨った砂漠で泉をみつけた時のように瞳を輝かすのであった。


 そのとき、一陣の風が吹き、柚季がかぶっていた帽子を飛ばしかける。


「そうそう、確かその時も、その友達をかぶっていた帽子が風で飛ばされていたな」


「またも偶然ね。その時も、わたしは今のような帽子をかぶっていたの」


「へぇ、それは何年前の話なんだ?」


「8年前の年末よ」


「そうか。俺が来たのも冬の寒い時期だったな~」


 清修がそう呟くと、柚季の頬を紅潮し、興奮で何度も唇をなめる。そして、期待のボルテージがみるみるうちに上がっていくのが痛いほど理解できるのだった。なにせ、清修がここまで柚季の思い出話に共感するのは、初めての事なのだから。


「凄いな~。偶然ってここまで重なるんだ~」


「偶然……じゃ、ないかもよ?」


 今までひたすら受け身に徹していた柚季が、ここにきてついに核心にふれたひとことを放つ。

張りつめた緊張。

ふたりのあいだに、数瞬の沈黙が流れる。


「いや~。やっぱり偶然だよ。なんせ、俺が一緒に遊んだ友達っていうのは男だからな~」

しかし、清修は軽薄な笑みを浮かべて、その言葉を否定するのだった。


「髪の毛だってオマエみたいに長くなくて、もっと短い感じの男友達。あいつ、今は何をしてんのかな~。はははは」


 清修の笑い声だけが砂浜に虚しく響く。


 帽子のツバに隠れて見えないが、柚季の表情がみるみるうちに沈んでいくのが気配だけで察知できる。


 さすがに悪ノリしすぎたか、後悔するが、もう遅い。


 永遠と思えるような長い沈黙の後、ようやく柚季は顔をあげて帽子を脱ぐ。その瞳は、まるで蝋人形のように生気が抜け落ちていたのであった。


「……たくなった」


 その唇から渇いた呟きを漏らす柚季。


「へっ? なんて言ったんだ?」


「髪を切りたくなった」


 柚季は突如バッグからカッターナイフを取り出す。そして、無造作に自らの長い黒髪をひとまとめにして掴むのであった。


 カチカチと音を立てて、刃を出したカッターナイフを自らの髪に近づける柚季。


「やめろ! バカ! 何してんだ!」


 清修は慌てて止めに入る。しかし、完全に我を失っている柚季は涙目になりながら、駄々をこねるように身をよじってカッターナイフを振り回すのだった。


「離してよ! わたしは今から髪を切るんだから!」


 さすがに清修も、このままではどうしようもないと悟る。


「オマエ、『ユウ』だろ?」


 そのひとことに、今まで暴れていた柚季がぴたりと動きを止める。


「気づいていたの?」


「ああ、8年前にずっと俺と遊んでいてくれて、山の中のレストランのひとり娘の『ユウ』だろ。忘れるわけねーじゃねーか」


「…………ッ!」


 清修の言葉を聞いた瞬間、柚季は目を見開いて唇をへにゃりと歪ませる。それは笑っているようにも泣いているようにも見える奇妙な表情だった。


 その瞳にあっというまに透明な膜が張り詰めて、みるみるうちに揺れながら大きくなっていく。


 そして、その涙が瞳からこぼれ落ちそうになった次の瞬間、柚季は無言でコブシを握りしめて、清修の胸に何度もポカポカと力のない殴打をくりかえす。


 黙ってそれを受け入れる清修。


「バカ……バカ……バカ……」


 消え入りそうな声で柚季は何度もつぶやく。


 やがて声すら出すことも難しくなったのだろう。


 清修の胸の中で、柚季は声を詰まらせながら泣き続けるのであった。





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