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夢だったけど、夢じゃなかった

 パンにスープだけの食事でなくて……美味しいステーキや色とりどりのフルーツ、出がらしではないお茶など、当然のようにあった食事をもう一度したいと思った事は何度もあった。美味しい食事は生活の活力。またそんな暮らしをするのは夢だった。夢だったけど……


「夢じゃなかった……」


 思わず口から溜息が漏れた。ローストビーフのようなお肉が挟まったサンドイッチや焼きたてのクロワッサン、デニッシュなど大好きなパン類が所狭しと並ぶ。お供はマスカットフレーバーのような華やかな香りの立つ紅茶。憧れの朝食だ。


(……横の変態がいなければね!)


 私が食事する席の隣で、私の方をうっとりと眺めながらコーヒーを飲んでいる変態……違った、男爵。


 本当に一緒に寝るだけだったし、私はずっと上を向いていないと……という義務感からあまり寝た気がしない。一晩中ぶつぶつと「良い……」とか呟き続ける人が隣に居ては寝るにも寝れないって。


「ジゼル、今日は私の職場に一緒に来てもらう。朝食を食べたらすぐに行くから準備して」

「分かりました」


 心の中では「この変態男爵が!」と何度も叫んでいるが、何でもすると約束して親方の身の安全を確保してもらった以上、あまり変な態度は取れない。表面上はこの人に従順でいなければ、ジェラルディーヌ三世への執着から何をされるかわからない。今朝部屋で起こった出来事が脳裏に浮かんでくる。





 朝部屋までやってきたポールは、私の横でぐっすりと寝る男爵様と上を向いたまま硬直している私を見て――笑いを必死に堪えていた。


「……ポール、そんなに可笑しい?」


「ええ、まあ。そもそも不眠気味なアルマン様が人の横でぐっすり寝ているのが珍しいですし、本当に一緒に寝ただけだったんだと思うと、可笑しくて可笑しくて」


 まぁ確かに、本当に一緒に寝るだけだったのでそこに関しては私もビックリした。


「私起き上がっても許される? せっかくのいいベッドなのに、寝返りも出来ないせいで体がバキバキ……」

「大丈夫でしょう。本日アルマン様はラピエース商会で重要な取引がございますので、そろそろ起こさないといけません。よければ昨日の怒りを込めて殴り起こしていただいても結構ですよ」

「え!?」


 たかが平民が男爵様を殴るだなんて! ……そりゃ殴りたい気持ちはあるけど、と思いながら体を起こす。


「恐らくジゼル様は横顔に免じてある程度何でも許されるでしょうから」

「……ポール、私のジゼルに余計な事を吹き込むのはやめてもらえるか?」


 残念ながら男爵様は私に殴られる前に起きてしまった。本当に残念。そして不機嫌そうな顔をしてポールをひと睨みした後、体を起こして時計で時間を確認している。


「アルマン様おはようございます、珍しく上質な睡眠が取れたようで何よりです。本日は商会にて十時からお取引がありますから、それまでに朝食を済ませてください」


 ポールが即座に執事の顔に戻り話し出す。


「……ああ、あれか。ジゼルも連れていくからメイドに伝えておいて。おはよう、私のジゼル」


 男爵様がちゅっと音を立てて頬に口付ける。……ええ、私の頬です!


「ひえぇぇえああぁっ!?」


 思わず奇声を上げてベットの上から後ずさるようにして落ち、そのまま部屋の隅まで逃げてしまう。鏡を見なくたって、頬が真っ赤になってしまっているのが分かる。


(な、ななななんで!? この人横顔にしか興味ないんじゃなかったの!?)


「今朝も変わらず美しい横顔だ。頬も陶磁器のようで……何故逃げる?」

「だって、だって……」


 変態であったとしても、イケメンにキスされたら動揺くらいしますって。


「私から逃げたらどうなるか、分かっているのだろう? 私はその横顔を愛でたいだけだ。その邪魔をするのは許さない」


 ……頬は横顔、ですね。確かに、納得。

 というか、変態が行き過ぎて、もはや怖い。強火ファン怖い。





 朝食後にはメイドにきついコルセットで思いっきり胴体を締め上げられて、可愛いドレスで飾られた。私はただの平民なのに何でこんな目に会わなければならないのだと思いつつ、重いドレスを引きずるようにして屋敷から出発する。


 そして部屋と同様にクラシカルな外装だけど細かい装飾が華やかな馬車に揺られ、街の中心部にあるラピエース商会まで連れて行かれた。馬車なんて乗り合いの激しく揺れるやつにしか乗った事が無かったので純粋に感動してしまう! さらに馬車に乗り降りする時には男爵様がスマートにエスコートしてくれるので、クールで爽やかなイケメン顔に騙されてときめきそうになってしまった。


(危ない危ない。この人は変態な上に親方に酷いことをしたのだから、ときめいては駄目よ)



 馬車に揺られてたどり着いたのは大きなお屋敷のような建物だった。と言っても普通の屋敷ではなくて、多くの人が商品と思われる荷を持って出入りしており、この建物の規模感がラピエース商会の市場での信頼度をそのまま表しているかのようだった。


「ここがラピエース商会だ。私は取引があるから、終わるまでジゼルは好きにしてて」

「え!? ちょっと待ってください、私はどうすれば……」


 私を置いて建物の奥の部屋に消えていってしまう男爵。わざわざ連れて来られたのに、何故か商会の建物の入り口を潜ったすぐの廊下で放置されてしまう私。……こんな場所に放置されたって困る!


(じゃあ何故連れてきたのよ……本当に強火ファンは何するか分からなくて怖いわ)


 きょろきょろと辺りを見渡すと、ここで働く人達も皆私の取り扱いに困っているようで、見て見ぬふりされてしまう。触らぬ神に祟りなし、放置プレイとはまさにこの事。


 とりあえず邪魔にならないように壁の方に寄り、仕事をする人達を眺める。私も昨日まではあちら側の人間だったはずのに、何故このような事になってしまったのだろう。何故って、明らかに男爵様のせいなんだけど。


 とりあえずあまりにも暇なのでその辺に乱雑に置かれている商品を見て回ることにした。読めない文字で書かれた缶詰、自分の背丈より大きな彫刻、見るからに高そうな絵画、靴磨き職人としてでも滅多に見ることのないような高級な革靴。珍しい物から高級そうな物まで、まるで総合商社のように様々な商品を取り扱っているようだ。


「うわっ!!」


 真後ろで1人の男性が躓いて転んでしまった。持っていた箱が宙を舞い……飛び散る硬貨。お金が落ちる音というのはどこの世界の人間も敏感に感じとるようで、ザッと男性に視線が集まる。


「す、すみません。急いで拾います」


 慌てた様子で男性が硬貨を拾い始めるので、手伝いますと声をかけて一緒に拾う。薄汚れた銅貨や銀貨ばかりで金貨が無い事を考えると、売上げ金ではなくお釣り用なのかもしれない。薄汚れた硬貨を見ると……ちょっと前世の趣味心が疼いてきてしまう。


「レディーに手伝わせてしまうとは、本当に申し訳ございません」


 ペコペコと男性が頭を下げてくれるので「いえ私は平民ですので」と言うとキョトンとした顔をされたが。数秒後に、あぁ! と納得がいった顔をされる。


「新しく来ると噂の奥様ですね! 金貨と同じ顔で、商会を更に大きくするための女神らしいと今朝噂になっていた」


 誰だそんな噂を流したのは。


「女神が触ったお釣りかぁ、ご利益ありそうだな」


 そう言いながら男性が1枚の銀貨を手に取って掲げる。……気になる。もう硬貨の汚れが気になって仕方がない! 磨きたい!!


「あの、この硬貨磨かせてもらってもいいですか!?」

「……は?」



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