後頭部からダイブする変態(2)
「こちらでございます」
案内された部屋は、恐らく屋敷の奥の奥。主人である男爵様の部屋と思われる高級感あふれたドアがある部屋の、隣の部屋だった。
「わぁ……ただの平民に対して凄い待遇。適当にウマ小屋にでも突っ込んでくれればよかったのに」
通された部屋の内装を見て思わず感想が口に出てしまう。クラシックで上品な調度品が揃えられているが、模様が小花柄だったりと細かい装飾が女性向きな可愛い部屋だ。
「ただの平民? そんな恐れ多い、あのアルマン様に認められた未来の奥方様ですよ? ウマ小屋になんて突っ込んでは我々の首が飛んだ上に胴体も八つ裂きにされるでしょうね」
ソファーに座るように促されるので言われるがまま座る。先程の部屋にあった椅子も高価そうだったが、これも前世の日本の物と遜色無いレベルの皮張りだ。
「私、本当に結婚させられるのね」
色々とショックな出来事が多すぎて、まるで他人事のように思えてしまう。
奥方様? いやいやあの様子だと私もコレクションの一つくらいなものだろう。
「実は我々使用人も、あのアルマン様が本当に結婚する気になったのだといった感想しか出てきません。なんせ毎日のようにあの様子を間近で見てますからね。朝市に視察に出かけたアルマン様から、結婚するから今すぐに部屋を整えろとの文を持った早馬が駆けてきて、全員で目を剥きました」
その時の事を思い出しているのだろうか。遠くを見つめるようにしながら話してくれるこの男性に……心から同情する。きっと普段からあの変態に振り回されて大変な思いをしているのだろう。
「申し遅れました。私はアルマン様の専属執事をさせていただいておりますポールと申します。ジゼル様のお世話も私の業務に入りますので、何なりとお申し付けください」
そう言いながら恭しく平民の私に礼をしてくれるので、慌ててソファーから立ち上がりポールを止めるため腕を掴む。
「待って待って! 私本当にただの靴磨き職人の平民で、そんな事してもらう御身分じゃないの! むしろ私の方が……!」
「……ポール」
ヒュッと周りの温度が十度くらい急に下がった気がした。それくらい冷たい声が部屋の入り口側から響く。
「私のジゼルに何をしている?」
先程までの恍惚とした変態の表情はどこに行ってしまったのか。見るものを凍らせてしまいそうな程の冷たい表情。怒りの交じったその声で、私の背筋にはゾクリと悪寒が走る。
(ポールは何もしてません! 丁寧過ぎる対応をしてくれただけですが!?)
寧ろ私の方が掴みかかってます。
とりあえず男爵様の気に触ったようなので、慌ててポールの腕を離す。
「アルマン様、お早いお戻りですね。もう少し堪能されるのかと思って先にジゼル様を部屋に案内しておりました」
「私の物を勝手に持ち出すとは。お前はいつからそんな事ができる権限を得たんだ?」
ツカツカと部屋の中に入ってきて、私を抱き寄せる男爵。
(なるほど、やっぱり私はコレクションの一つか)
強火ファンは何するか分かったものじゃないと思いながら、とりあえずされるがままにされておく。だってそうしないと、親方の身が危ないかもしれない。
「ジゼル様の体調管理も私の仕事。こんな遅い時間までジゼル様を付き合わせては、せっかくの横顔に隈が入ってしまいますよ? そしてそれにより悲しむのはアルマン様。アルマン様の専属執事である私は、主人の憂い顔を防ぐ為ならなんでもいたします」
顔色一つ変えずにスラスラと弁明するポール。この人、どうやら敵に回さない方が良さそうだ。
「確かにお前の言う通りだ。さすが私の専属執事」
男爵様もなんか納得してしまったし、とりあえず危機は回避したようで安心する。しかしホッと胸を撫で下ろしたところで、アルマン様からまさかの発言が飛び出した。
「今日から私はジゼルと一緒に寝る。ポールお前は明日までに私の部屋を片付けておくように。今日はここで寝るから」
(ちょっと待った──っ!? 全然危機回避できてない!?)
「……畏まりました」
さすがにポールの表情にも少し動揺が。可哀想なものを見る目でこちらを見ている……。
「じゃあポールは部屋から出て行ってくれ」
ポール助けて──!!? という視線を送るが無駄だった。執事が主人の意に介さないことをする訳がないのだ。
一礼し部屋から去っていくポール……ドナドナされていく気分とはまさにこの事。そして男爵の腕の中の私……終わった。本当に強火ファンは何するか分かったものじゃない!
「じゃあジゼル、早く寝よう。隈ができては大変だ」
もう諦めの心で男爵に促されるまま、衝立の影で用意されていた夜着に着替えベッドに向かう。二人で寝ても余裕がありそうなベッドの奥側に行くように促され、言われるがままそうする。
「はい、布団。ジゼルはずっと上向いて寝るように」
考える事を放棄し、もう言われるがままに行動する。諦めの心って大事よね。うんうん、諦めよう。
「じゃあジゼルおやすみ」
そう言って私の真横で私の方を向いて布団に入る男爵様。……は? え、ちょっと待って、想像と展開が違う!
「あの、男爵様?」
さすがに戸惑いが限界値を突破し、男爵に声をかける。本当に、言葉そのまんまの意味で、一緒に寝るだけ?
「何? あ、こっち向かないで上向いて。そう……あぁなんて素晴らしい横顔なんだろう。意識のなくなる瞬間までこの横顔を見つめながら寝ることが出来るなんて……幸せだ」
……チーン。日本で読んだ漫画のような効果音が、私の頭の中に鳴り響いた。
「何でもありません……」
顔を動かせないので目線だけで男爵様の方を見る。……その顔は、やっぱり変態顔に戻っていた。
──もう寝よう。きっとこれは悪い夢だったんだ。
目が覚めたらまたあの小さな家で親方と朝食を食べるんだ。そう現実逃避しながら、私は意識を手放した。




