漆黒の騎士と雪花の幽霊②
雪華の国、スノーリア王国
その名の通り、一年を通して雪が降るこの国は決して大きくはないものの、海産資源に恵まれた土地として発展している。
この国の主な収入源は観光客だ。
雪国故の伝統や歴史、文化は非常に価値あるものと評価されており、その美しさに惹かれる人々は後を絶たない。
彼らに混じって入国したキルリスは、懐かしいなぁと白い息を吐いた。
「キルリス様、ベルゲネット家の馬車が待っているそうです」
「ああ、行こう。相変わらず寒いが、この透き通った空気はスノーリアでしか味わえないよなぁ」
幼い頃、親戚の結婚式の為にここに滞在した時を思い出す。まだルリアンは赤ん坊で、トリスもキルリスの従者ではなく見習いだった。
銀の髪の少女と出会い、結婚式の真似事をして遊んだのはいい思い出だ。もう彼女は本当の結婚をして幸せになっていることだろう。それくらい昔の事だったので、ここに来るまで思い出せなかった。
「昔来た時は王都の宿に泊まったんだよな?」
「ええ、今もあるみたいですよ。少し前に貴族向けのフロアを増設したとかで、数年ほどブランクがありましたが、その分を払ってもお釣りが出る人気店になってます」
「随分と詳しく調べたな」
「ロゼリア様のお言葉がどうにも頭から抜けず、宿のお嬢さんが気になってしまって……」
「ああ……ま、儲けているなら大丈夫だろうな。調査が終わったら覗きに行ってみようか」
揶揄う口調で笑うと、ベルゲネット家の馬車が見えてきた。
御者に挨拶をする間なんとなく浮かない様子のトリスが気になったものの、深く聞くことはしなかった。
◇
関所から西へ数時間。見えてきたベルゲネット家の邸は雪華の国に相応しい氷のような城だった。
思わず感嘆するトリスに同調するキルリスは、ふと甘い香りに目を丸くした。
「あの花は……」
「ベルゲネット家の家紋になっているアリッサの花ですよ。見た目は薔薇に似ていますが、寒さに強く香りが強いんです」
御者が答えるのを聞いてその花に視線を落とす。
確かに美しく香り高いが、キルリスの目には儚い花に見えた。雪の中でこれ程までに強く咲いているのに。
やがて馬車は邸に到着し、ベルゲネット家の人々が歓迎の言葉と共に客間へ案内してくれた。
「それじゃあ、クロア殿が女性を目撃した場所は不規則で予想がつかないという事ですか」
「ええ。あの子は抱え込む性格だから、私達が調べていることは伏せていたのですが……この規則性の無さ。何も知らないのにこの証言でしたから、クロアの精神的な問題でないことは早い段階でわかっていたのです」
「病院を勧めたのは、この家から遠ざける為……成る程、アルセロアは近いとは言え他国ですしね。ベルゲネット家の力が及ばなくなるのはなぁ……」
「アルセロアの騎士は本当に優秀ですなぁ」
感心したようにしみじみと述べるのは現ベルゲネット伯爵、ケイド・ベルゲネット。隣で頷くのはその妻レイア・ベルゲネット。弟妹のエルル、ランダは複雑な顔でため息を吐いている。
「兄様は大丈夫そうでしたか?」
「私が見た限りでは、随分と落ち着いておられました。グレイシス嬢に会う前の姿はお見かけしていませんが」
「はぁ、大丈夫かしら……。そそっかしいしすぐに転ぶし、アルセロアの騎士様にご迷惑をお掛けしなければいいけど」
「心配ございませんよ、ベルゲネット嬢。恐らくクロア殿より残念ですが、それなりに優秀な騎士がついておりますので」
友人の顔を浮かべながらそう言うと、エルルは暫くキルリスを見て、再びため息をついた。ダメだったぽい。
弟の方はエルルと違い、幽霊騒動そのものについてを嘆いているように見える。
「ランダ殿はクロア殿から何かお聞きしたりしましたか?」
「それが、一回話したっきりなんです。僕まで見るようになったら怖いと全然教えてくれなくて。銀髪で白いワンピースを着た、綺麗な瞳の女性だったとしか」
「……ん? ランダ殿、瞳のことを聞いたのですか?」
食いついたキルリスに驚いて、しかしすぐにランダは頷いて見せた。気配からするとベルゲネット夫妻とエルルも初耳らしい。
「色や形について言及されてませんでしたか?」
「丸くて、ダイヤモンドのような色彩だったと。つまり銀色だったってことだと思うんですが……兄は言っていなかったのですが?」
「銀色の髪としか……」
思わずと言った様子でそう溢したケイドが深〜くため息をついた。その隣でとうとうレイアもため息を一つ。
メモを取っていたトリスが黙って紅茶のポットを手に取った。実に気が利く従者である。
◇
その夜。
早速消灯された邸を見回り始めたキルリスは、背後を警戒するトリスにもっと肩の力を抜けと苦笑した。
「お前は兵士じゃなくて、俺の従者だ。剣を抜くのは俺の仕事……と言ってもここに剣はないけどさ」
「隣国の伯爵邸を剣を持って歩き回るわけにはいきませんよ」
「まあそれはいい、こういう時のために体術の心得もある。ただ……クロア殿の職業には驚かされたなぁ。グレイシス嬢は武闘派の男性を引き寄せる呪いがあるんじゃないだろうか」
「騎士と衛兵を比べるのは如何かと思いますが、驚いたのはそうですね」
クロア・ベルゲネットは現在休職中だが、王都の城に仕える衛兵だ。アルセロアの王城とは仕組みが違うものの、騎士に並ぶエリートなのは間違いない。次期当主として申し分のない職だと言えよう。
その衛兵が参ってしまう幽霊。
是非とも正体を暴きたい。
ベルゲネット邸はスノーリア独特の文化と彼らの好みが合わさった複雑な造りになっている。
一階には広々としたフロアのみ。居住スペースは二階から上の部分にあり、ベルゲネット家の人間は三階の個室を各々使用している。
クロアの執務室は二階の東で、彼の個室は階段を登ってコの字になった廊下の突き当たりだ。
キルリスは広い階段を見下ろし、問題がないことを確認してからトリスに手を振った。
三階の廊下は確認した。使用人のいる場所は普段クロアが近づかないとのことで今日は行かない。三階から一階へと続く階段は二階を通り過ぎてしまうので、パーティーの時以外は使用しないそうだが……この階段での出現もクロアの証言にあった。
「ここを使ってたってのがゾッとするよな」
「伯爵様方の部屋に直通してますしね……一応鉄格子で塞がれてはいますが」
「いざとなったら団長なら壊せそうなんだよなぁ……」
そう呟いた時、キルリスは不明瞭な音にハッと振り向いた。
トリスが口を塞ぐ。正しい判断だ。
音はまだ続いている。間違いなく足音。
一階だと確信したキルリスは階段にトリスを待機させ、音を立てずに一階まで飛び降りる。
(軽いな。裸足か?)
こんなに寒い中を裸足なんて有り得ない。
幽霊の正体見たりとなるやもしれない。
音を慎重に聞き、ジリジリと近づく。西の方から歩いて来ているようだ。
(……いや、おかしい。こんなに簡単な筈がない)
衛兵のクロアが捕らえられなかった幽霊だぞ。
静かに、息を吸って、吐く。
ランタンの火を消し、ジッと暗闇に目を凝らすと、フワリと風が黒髪の飾りを揺らした。
その先から香るのは覚えのある甘い香り。
「……」
息を止める。慎重に壁に張り付き、ひたすら静かに待つ。
ふと、音が曇る。気づかれたかと思うや否や、キルリスは目の前の光景に言葉を失った。
長い長い銀の髪。
白いドレス。
雪のような白い肌。
スッと、キルリスの前を通り、階段のある方へ歩むその女性を、キルリスは追うこともできずに見送る。
小さく指先が震えているのは寒いからではない。その圧倒的な存在感のなさに恐怖したからだ。
(ああ、これは、俺には……)
無理だ、絶対に無理だ。無理。生きていないかもしれないモノに手を伸ばすなんて怖い。
けれどここで止まっていたら、間違いなくトリスが──!
と思った瞬間。
「うおわあぁあああぁぁあでたぁぁぁああぁあ!!」
ガシャーン!
カランカラン!
ドサッ。
そして……渾身の沈黙。
キルリスは固まっていた肩をすくめて、すぐに走り出した。
◇
「いやあお手柄だなぁトリス」
「こんなにあっさり見つかるなんて……」
呆然とエルルが見つめる先には一人の女性が眠っている。
年齢は二十歳前後。やつれているが、一応命に別状はないらしい。それよりもトリスの方が重傷だった。
「おっ、俺、も、もう、お化け屋敷行けません……っ!」
「お前、そのお化けを体当たりでノックアウトしておいてよく言うよなぁ!」
ケラケラと笑うキルリスとは対照的に、ベルゲネット家の方々は悲痛な表情で頭を下げる。
「本当に申し訳ございませんでした、トリス殿」
「私達の無能さを恥じ入るばかりですが、何卒この御礼をさせてください」
トリスは女性を目にした途端、大声で叫んでランタンを放り、その上足を滑らせて階段から落ちた。
その先にいたのが幽霊であり、ぶつかってきたトリスに押し潰されてしまったわけだ。
いやもう笑うしかないこんなの。
しかしベルゲネット家の調査がお粗末だったわけではない。それだけはキルリスの口から告げるべきだと、トリスに目配せをして口を開く。
「ベルゲネット伯爵方の捜索・調査の方法に大きな問題はありませんでした。この家の造りは独特で死角が多い。スノーリアの伝統的な様式ではありますが、この邸ならではの三階と一階を結ぶ階段は非常に上手く風と視線を誘導します。クロア殿の証言を参考に二階を重点的に探していたのもあって、一階の音が聞き取り辛かったのでしょう。何しろクロア殿本人が見つけられなかったわけですし」
最後の付け加えでようやくベルゲネット伯爵方は納得したらしい。衛兵のクロアが気づかないことを、文官の伯爵や一般人の母、弟妹に気づけというのはおかしな話だ。
では何故キルリスが見つけられたかというと……。
「運です」
「運」
「偶々あの階段から調査をし、この出来のいい耳が音を捉えたから見つけられただけです。空振りだった場合あの階段を再び巡回するまで時間が空き、その間に女性は消えていたでしょう。すると次の偶然があるまでパァだったわけです」
目を丸くするランダにそう穏やかに告げると、チベットスナギツネの様な顔になった。
「いやまあ、運も実力のうちですし、この地獄耳は母からの頂き物ですし」
「キルリス様、そのフォローはちょっと如何かと」
従者にまで呆れた顔をされてしまった。事実なのに。
どうにもレイモンドの様にはいかないみたいだ。
さてそうなると問題はこの女性なのだが。
「心当たりが全く……」
「髪の色、肌の白さ、間違いなくスノーリアの民の特徴の筈ですが、見覚えがない女性です」
と、どうやらベルゲネット家には関係のない方の様で、邸の使用人にも聞いたが全員が首を横に振った。
一応各々の親族等に聞いてみてくれてはいるものの、そちらは望み薄であろうとキルリスは予想している。
彼女の纏っているドレス。一見ただのボロいナイトウェアだが、これは数年前に流行した絹のドレスだ。王都の女性は皆好んで着ていた。もう見るも無惨な姿となっているが……。
お古にしてもそれをもらうツテがある時点で、ただの平民の女性でないことは明白である。
そして何より、肌が綺麗過ぎる。これは間違いなく滅多に外に出ないからだ。
スノーリアは雪の反射で多方からの紫外線の攻撃が強く、白い肌は箱入り娘の証拠となる。
つまり彼女は、それなりに裕福な家庭で育ち、貴族ともそれなりに繋がりのあるご家庭の令嬢ということだ。
「ここから先はスノーリアにお任せするべきなのでしょうが……」
「引き受けてしまった依頼だしなぁ……。クロア殿に連絡をして本人の目で確認をしていただく必要もある」
女性がある程度回復するのを待ち、その間にクロアとレイモンドに連絡するとしよう。この女性は身元が判明するまでレイモンド達に任せるのが一番安全に思う。
キルリスの判断にトリスも頷いて同意を示した。
「私が情けない怪我をしなければ、アドネール邸に戻って仔細を報告し、受け入れ準備まで整えられたのですが」
「そこまで気にすることはない。お前はこの邸に留まり、女性の情報を出来得る限り集めてくれ。俺の代わりに部下を寄越すから」
「承知致しました。彼女の移送はキルリス様が?」
「ああ。これでも騎士だしな」
笑って見せながらキルリスは再び女性を覗き込む。
静かに眠っているがそれが永遠のものになってしまいそうに感じるのはキルリスだけだろうか。
どうにも心配で仕方がない。アルセロアで治療を受けつつリリアのカウンセリングを受ければ、少しは何かわかるかもしれないけれど。
早馬を借り部下を呼び出した後、キルリスは騎士団長とレイモンド、リリアにそれぞれ手紙を認めて今後の動きを共有した。その返事を待つ間に打ち合わせをし、ベルゲネット家にも協力を頼む。
この辺りが円滑に進むのは、キルリスが「漆黒の騎士」たる所以であり、部隊長を務める理由であろう。
腕っ節だけが騎士の武器ではないということだ。
そして三日後。キルリスは全てが整ったのを確認し、未だ寝たきりの元幽霊を連れて馬車に乗った。
「お世話になりました。状況は定期的に連絡をしますので、部下とトリスを何卒よろしくお願いします」
「こちらこそ大変お世話になりました。トリス殿のことは私達が責任を持って治療のサポートを致します」
ケイドにありがたいと笑みを返し、漆黒の騎士は雪華の国を後にした。
全然観光できなかったのが心残りである。
お読みいただきありがとうございます。
楽しんでいただければ幸いです。