漆黒の騎士と雪花の幽霊①
アルセロア王城、騎士団の本部にて。
「お前も大変だなぁアドネール。たまには別の部隊に横流しすればいいだろうに」
「冗談は勘弁して下さい団長。グレイシス嬢の案件ですよ? 巻き込まれた奴らから何を言われるやら」
騎士団をまとめる男が豪快に笑うのを、キルリスはげんなりした顔で見やる。隣国の厄介ごとだというのにアッサリと許可を出すだけはあるなと思った。
一線を退いた優秀な人物が騎士団の団長になるのが昔からの規則だ。現場を知っているからこそ務まる役目を担うには、なるほどこれくらい大きな気分でいる方が良いのかもしれない。
「ま、観光旅行にでも行く気分で調査してこい。雪華の国と呼ばれる所以を堪能して、ついでに伴侶を見つければ僥倖ってもんだ」
「伴侶って……そういう話題はレイモンドの役目でしょう。俺はロマンチストなんで、運命的な出会いでもない限り誰かに靡くことはしませんよ」
「人生ってもんはわからんぞアドネール。任務と同じだ。よくその目を凝らして探してみるんだな、その運命とやらを」
「……団長、わりと乗り気なんですね」
「面白い話とめでたい話は大歓迎ってこった!」
破顔する彼からは嫌な感じがなく、キルリスは大人しくありがたいお言葉を司令書と共に受け取った。
◇
流石に幽霊探しのためだけに人員を多く動かす訳にはいかない。誰を連れて行くかは自由にとの事でどうしたものやらと頬を掻く。
部下を連れていく気はない。何かあった時に素早く動けるように数人国境へ待機させるつもりだ。他はレイモンドの方を手伝わせるべきだろう。スノーリアの聞き込みは向こうがするに違いないのだし。
となると、連れて行けるのはキルリスの身内という事になるのだ。
「まあ、偶には労うって事でいいか」
よっ、と声をかけて起き上がる。
ここは王城内の寮だ。基本的に騎士は家に戻らない。
なので身内に声を掛けるにはまず実家に戻らなければならないのだが、キルリスにとって一番の難関である申請をすっ飛ばせるのは実にありがたかった。
の、だけど。まさか帰り着いた家でまた難しいことに絡まれるとは完全に予想外だった。
「あらおかえりキルリス、お見合いする?」
「戻りました、母上。……何ですかその語尾は」
濡れ羽色の髪をサラリと揺らしながら笑う母に嫌な予感がしたものの、逃げる隙など与えて貰えない。
「何ですかじゃないわよ、何ですかじゃ。貴方の周りは皆お相手がいらっしゃるというのに、浮いた話一つ持ってきやしないんだから」
「ですから言っているでしょう、俺は今その浮いた話のフォローで手一杯なんですよ。それに騎士の結婚が遅いのは母上もよくご存知でしょう」
「現実的過ぎ! もっと可愛い反論をして!」
「二十代後半の男に可愛さを求めないでいただきたい」
こんなやり取りをしているが、キルリスは母のロゼリアと仲がいい。気が合う、話が合う、そして双方いたずら好き。
父と妹の苦労が思いやられる。
「それで、連絡もなしにどうしたの? クビ?」
「その場合は手紙しか帰って来ませんよ。任務で遠方に行くことになりまして、トリスをお借りしたいのですが」
「ああ、成る程ね。今はルリアンの勉強を見てると思うわよ」
母の言葉にキルリスが思わず感心の声をあげると、どこから聞いていたのか地獄耳な妹の足音がバタバタと玄関までやってきた。
キルリスとは違って父親似の妹は、朱色の髪をフワリと揺らしながら深いブルーの瞳をムッと顰めている。
「おっ、元気そうだな、アン」
「お兄様もお元気そうで……じゃないわ! 急に帰ってくるなんて、何の用意もできてないんだから! それに私ちゃんと言ったわよね、領地経営の勉強に専念するって!」
「ルリアン様、落ち着いて下さい」
肩で息をする妹をあわあわと宥める優男が、キルリスの従者であるトリス・ラクシャー。実に優秀な経歴と家柄を持つものの、イマイチ残念な感じの男性である。
気の強いルリアンに押されっぱなしなのは聞いていたが……どうやら思った程ではなさそうだ。案外相性のいい組み合わせなのやもしれない。
ただしそれはそれ、これはこれ。
「すまないが半月ほどトリスを借りるぞ。領地経営を学ぶにしても休息というものは必要だろうし、少しは母上の遊び相手になって親孝行するといいさ」
「もう一生の半分くらいは孝行したわよ! 主にお兄様とお母様に困っているお父様にだけど!」
いやはや、我が妹ながら面白いほど良く響く。これのせいで成人間近となっても可愛がられているのだけど、本人に自覚がないのだけは勿体ない。
ただ領主としてはこれ以上ない素質でもある。簡単には折れず、公私を分けて思考し、判断が早い。何よりよく人を見る目がある。
未熟なのは当然だがそれも数年で埋まるだろう。
少し派手な容姿のせいで社交界から目をつけられていた分は、どうやら一人で解決してしまったらしい。
兄としては嬉しいような複雑なような気分だが、頼もしくなるのはありがたいことに変わりない。
ぐちぐち言いつつもキルリスのお茶を用意して、部屋を整えてくれるルリアンと、それにちょっかいをかける母の姿を見やりつつソファに座る。
すぐにトリスがそばに立ち、こちらの合図で近くのソファに腰を下ろした。
「任務ですか」
「お前にとっては休暇になる程度のものだがな。グレイシス嬢の案件だ。行き先はスノーリア王国」
スノーリアの名を聞いて、トリスの目が丸くなった。
「こ、国外ですか? しかもこの時期に雪華のスノーリア……本当にグレイシス嬢の?」
「観光シーズン真っ只中に、宿付きで調査をする予定だ。旅費は馬車代だけでいいらしい。詳しい話は移動中にするが、ベルゲネット家について少し調べておいてくれ。出発は依頼人の許可が出てすぐ、まあ早くて二日後になるな」
「かしこまりました。荷物のご用意は私の方で済ませておきます」
話が早くて助かる。その意を込めて頷き笑うと、トリスは苦笑で返してきた。もう慣れたって笑みだった。
もう一人くらい連れて行くべきかと尋ねたところ、二人でも動き辛いでしょうとのこと。
「そんなに凄かったか? スノーリアの雪祭りに行ったのは兵士になる前だったが……」
「アレですよ、例の『運命の雪花』の伝説にあやかろうと、観光客が増えているんです。国も力を入れているだけあって、あの鰻登りな観光収入に繋がっているみたいですよ」
「運命の雪花って……ああ、平和だなぁ〜」
「お兄様、運命の雪花って何ですか?」
ひょこっと炎の少女が現れて、トリスがわあっと大声を出しかけた。両手で押さえたが。
「知らないか? 絵本になってたと思うけど」
「ルリアン様、私でよろしければご説明しますが」
「お願いするわ」
ルリアンに頷き、トリスが穏やかな口調で雪花の伝説を口ずさんだ。
「その昔、戦争で疲弊したスノーリア王国の民は、平和と幸福を祈って冷たい大地に一本の木を植えました。
すぐに枯れてしまうだろうと思われていたその木は、人々の祈りにより立派に育ち、白い花をその枝に咲かせました。
その花が満開となった時に戦争が終わり、民には平穏が訪れました。
そして王家の姫と隣国の王子が婚姻関係となり、争いをやめるとその木に誓いを立てた時、花が雪のように二人に降り注ぎ、溶けて消えていきました。
誓いは果たされ、姫と王子は愛し合う良き夫婦となり、国を治めました。
以来その木は王家の婚姻が近づくと花を咲かせるようになり、その花の祝福を受けたカップルは幸せな夫婦になれると信じられています」
「その花のことを『運命の雪花』と呼ぶ。そして最近その花が咲きそうになっているんだとさ」
ロマンチックな話ではあるが、もちろん『運命の雪花』には絡繰がある。
木の枝に長年掛けて水が溜まり、ある程度になるとそれが枝から漏れて外気に晒され、そこに結晶ができる。そしてそのうち重みで散って、水に戻るというわけだ。
と、キルリスは聞いている。
「へぇ、素敵ね、私も見てみたいわ」
「おや、共に見るお相手がいるのか?」
「いないけど見てみたいの! 珍しいものなんでしょう? 普通に興味があるだけよ」
まあ確かに珍しいものではある。花が咲く周期はバラバラで予想もつかないと記録されていた。
なんて考えているところに、去ったと思っていた難しい話が戻ってきたのだからビックリだ。
「やっぱりスノーリアで可愛いお嬢さんをつかまえて来るべきよ、ねえキルリス!」
「母上、さっきも言いましたが……」
「だってこの時期に、雪華の国へ行くのよ? これは運命と言ってもいいわ。ほぼ休暇のようなものなら尚更チャンスじゃないの! 騎士の事情に甘んじてないで、積極的に行きなさいよ。顔は悪くないんだから!」
「顔と結婚を結びつけないでください。デリケート同士で爆発しても知りませんよ」
幽霊だろうが不審者だろうがこの母よりはマシだ。
そう思いつつキルリスは内心で出会いのない己を嘆いた。