添い寝令嬢のお仕事
パンの続きがまだなのに、書いてしまっておりました。
のんびりいきます、よろしくお願いします。
アルセロア王国の王都にて「グレイシス嬢とは?」と口にすると、人々は皆一様に同じ言葉を返してくる。
「この国一番の凄腕カウンセラーだよ! なんだい、アンタも悩み事があるのかい?」
「まあ、その……」
小さな老女に苦笑を返しながら、とある男性がモタモタと財布のコインを数え出す。
ここはオリジナルの紅茶を作ってくれる事で有名なお店だ。少し前までは隠れた店だったのだが、とある女性がきっかけとなり今では国外まで名が知れ渡った。
そのとある女性こそが「グレイシス嬢」なのだ。この店を訪れる客はその名前を知っている者が殆どである。
「あの子はどんな小さな事でも真摯に向き合ってくれる良い子だからね。困ってるなら『知識の庭』に行ってみるといいさ。あぁ、そのコインで丁度だよ」
「あ、ありがとうございます」
シワを緩めて優しく目を細めた老女から、小さな袋を受け取った男性は、やがて意を決したように顔を上げた。
「貴女の言うとおり、私はグレイシス嬢にご相談があります。研究施設への行き方を教えてください」
彼はいかにも高級なベロアのジャケットを光で波打たせながら、老女へ深々と頭を下げた。
◇◆◇
国立研究施設街、通称『知識の庭』と呼ばれる場所は、アルセロア王国の城内にある。
そこには何棟もの建物が並んでおり、その殆どが何かしらの研究所として使用されている。ここに勤める者は国から資格を得た学者やその手伝いをする助手。そして国内の学院より見学、または課題をこなしに来た学生達だ。
しかし建物を出たそこに広がるのはとても綺麗な街道で、植物を研究する者が管理する素晴らしい花壇や街路樹は一見の価値ありとして『学びの道』と呼ばれ、この国の観光スポットになっている。
この道を歩くのは一般人でも可能の為、訪れる人々には恋人同士や夫婦などが多く見られるのも特徴だ。
ただ当然、カップルだけがここを歩いているわけではない。
学者達はもちろん、その学者に用がある人、観光や散歩に来た人だって含まれている。この場所が賑わうのはそういった人々が華々しく行き交っているからだ。
その人々の中をおっとりと歩く女性が一人。
ピンクゴールドの髪を緩く三つ編みにし、柔らかな花柄の黄緑色のワンピースに垂らしている。クリーム色の日傘についている細やかなレースが可愛らしい。
目立ちやすい髪色なのに何故だか自然に溶け込むその姿を、しかし見つけたらしい人々がジワジワと追いかけ始めた。
うち一人はかなり高価なドレスの女性で、高貴な御夫人だとすぐにわかる。彼女を見た周囲の反応に気づいたのか、ピンクゴールドの女性が振り返り、途端に優しく微笑んだ。
「まあ、ごきげんようアウレーラ様。先月とは見違えるほどお元気になられましたね。体調は如何ですか?」
「お陰様でこの通り、散歩を楽しめるようになりました。リリア様のおかげですわ。息子も随分寝るのが早くなりまして、私もようやく落ち着けましてよ。午後にご予約させていただいていますから、その時にゆっくりお話させてくださいませ」
「はい、もちろんです。楽しみにお待ちしておりますわ」
優雅にお辞儀をしその場を離れる女性。
そして彼女と入れ替わるように声をかけに来たのは、特に貴族というわけではなさそうな男性だった。
「グレイシス様、ご無沙汰しています」
「あらあら! お久しぶりです、ルドルフ様! お元気そうで何よりですわ。奥様はもうお病院に?」
「はい、もういつ産まれてもおかしくないとのことで……グレイシス様にこのことをお伝えしてと頼まれました。すぐに病院に戻りますが、今度は三人でお会いしに行きます!」
「もちろんお待ちしております。ですが奥様だけでなく、ご自身の体もお気遣いなさってくださいませ。奥様が無事にご出産できるよう、お祈りしておりますわ」
グレイシス様、と呟いた男性は軽く涙を拭いて、晴れやかな顔でその場を後にした。そこへまた声が掛かり……終わりが見えない。
しかし突如現れた数人の騎士達がそちらへ向かうと、途端にサッと道が開かれた。その中を堂々と歩くのは、ここのところ噂になっている男性騎士である。彼は軽く笑みを浮かべるとピンクゴールドの女性へ声をかけた。
「リリア、遅くなってすまない」
「レイモンド様! わたくしこそ散歩とお喋りに夢中になってしまって申し訳ございません」
パッと顔を明るくした女性、リリアの顔がほんのりと赤くなる。それを見た騎士レイモンドは同じく顔を赤く染めた。
どうやら待ち合わせをしていたらしい。昼食に丁度いい時間なのもあり、肩を並べて歩き出した二人は『学びの道』から城の方へと向かうようだ。
そしてそれを見送る者達は、何故か留まった騎士達と共にふうと安堵の息を吐く。
この状況をうまく理解できていないらしい男性が、近くの女性に軽く声をかけた。
「あの、皆さんどうなさったんでしょうか」
「あら、もしかして観光旅行の方? 今のはあのお二人が問題なく合流して、何事もなくお食事できそうだとホッとしたのよ」
「ええと……もしかして、先ほどの二人は名のある方々なのでしょうか?」
「そうよ。騎士の男性はレイモンド・ホーラス様。そして女性の方はリリア・グレイシス様。お二人ともとても活躍していらっしゃるから、詳しいことはその辺の人達に聞いてみるといいですよ」
「あの方がグレイシス……!? レディ、教えてくださりありがとうございます!」
「いえいえ、観光も楽しんでいってくださいな〜」
親切な女性に見送られ、男性は先程の二人を追って走り出した。
そして……数秒後、見事に転けてしまい、その場にいた騎士達のお世話になってしまうこととなった。
◇
それから暫く経った心理学研究室にて。
一組のカップルに向かって男性が深々と頭を下げた。
「お邪魔をしてしまい、大変失礼致しました……」
「あらあら、そんなにお気になさらないでください。急ぎのお話がくるのはそう珍しくありませんし、わたくし達もすぐにご対応できるように王城におりますので」
「しかし災難でしたね、お怪我は大丈夫ですか?」
鋭い目つきの騎士の問いに、男性は緊張しつつも笑みを見せた。成る程それなりの地位を持つ者のようだ。
レイモンドの部下達に保護された彼は、転んだ際おでこを打って膝を擦りむいてしまい、パンツを赤く汚してしまったそうで、現在は騎士の一人から借りたものを履いている。
氷で額を冷やしながら、男性はすぐに話し始めた。
「私は北の国スノーリアからご相談をしに参りました、ベルゲネット伯爵の長男、クロア・ベルゲネットと申します」
「まあ、遠路はるばるお越しくださったのですね。ご相談の内容はどういったものなのでしょうか?」
リリアの問いに、クロアは何かを込めたような息を吐いて姿勢を正す。
その真剣な眼差しに、しかしリリアは動じない。
「少しおかしな話になりますが、どうかご容赦願います。その……最近、私共の領地にあるベルゲネット邸で不可思議な現象が起こるようになり、それに私は悩まされておりました」
クロアはその不可思議な現象とやらにすっかり参ってしまい、具合を悪くしてしまった。それを見兼ねたベルゲネット伯爵が用意した別荘がこの国、アルセロアの屋敷なのだそう。
国立自然公園の近くにあるその別荘で療養したクロアだったが、実家に帰ったその日の晩にまたその現象を目の当たりにしてしまったのだとか。
どこかがおかしくなったのかもしれないと、クロアの話を聞いた人々は口を揃えてそう言った。クロア本人もそうやもしれないと考え勧められるまま医者を探していたところ、偶然リリアの名前を見つけた。
藁にもすがる思いで再びアルセロアを訪れ、こうしてリリアの元へとやって来たというのが、クロアの述べる相談事のあらましであった。
クロアは真っ青な顔でリリアの言葉を待っていた。
それは病院に行くしかないと言われてしまったらどうしようと、そればかりが心配で。
だがそんなクロアにかけられた言葉は、彼の想像の範囲外のものであった。
「それは、とてもお辛かったでしょう。わたくしにはまだ、クロア様の重荷に触れることは難しいとも思います。ですが……それはお話を聞くことで変わるかもしれません。その不可思議な現象というものをどうかお聞かせください」
沈黙が落ちる。クロアは呆然としていたが、唐突にぽろりと涙を溢した。
リリアはハンカチを取り出すとそれをレイモンドに託し、心得たと言わんばかりに美丈夫の騎士はクロアの背を軽く叩きながらハンカチを手渡す。それを受け取ったクロアは「ううぅ」と呻きながら涙を拭った。
「落ち着くまでお待ちしましょうか?」
気遣った声色でリリアがそっと問うと、クロアは小さく首を横に振り顔を上げた。
念の為レイモンドがクロアの隣に腰掛けると、安心感からか雰囲気が少し穏やかさを取り戻して来た。
「取り乱してしまって申し訳ございませんでした。詳しく聞きたいと言われたのが嬉しくて……いえ、けれど感謝を述べる前にまずお話をします」
「はい。焦らず、ゆっくりで大丈夫ですわ」
リリアの言葉に頷き、クロアは話を再開した。
「夜に、女性の幽霊が現れるのです。私は遅くまで仕事をする日が多く、自室に戻るのはいつも邸の皆が寝静まってからになるのが殆どでした。そしてある日……凡そ二年前、私は初めてその幽霊を目にしました」
長い銀髪に真っ白なドレスを着た女性。
初めて見た日は気のせいだと思った。しかしそれから頻繁にその幽霊は現れ、クロアの目の前を通り過ぎる事もあったのだそう。
だというのに、クロア以外には誰もその女性を見ていないのだと言う。疲れているのか、病気なのか、そういう心配を返すばかりで信じてくれることはなかったらしい。
見ていないのだから当然だと思うけれど、家族に訴えが届かないのは心底応えた。
そんな体験を積み重ねては、参ってしまうのも当然だろう。
彼の背を再び軽く叩いたレイモンドが、慎重にリリアと視線を交わしつつ更に問いを投げた。
「クロア殿、その女性に見覚えは?」
「いえ……それが全くありませんでした。家の誰かか、その恋人。若しくは悪戯かと調べてみたのですが……」
「その女性が貴殿に気づくことはなかったのだろうか? 幽霊というと、何かしら影響を与えて来そうだが」
「気づいた様子はなかったと思います。若しくは気づいていても無視をしているのか……」
「ならば、明確な狙いがあるというわけではないのかもしれないな。クロア殿以外は見ていないのが気になるが」
「あ、あの」
戸惑った様子の声に、レイモンドとリリアが揃って「どうかしましたか」と首を傾げる。いや息ピッタリ過ぎるのでは?
「幽霊だと、信じていただけるのですか……?」
「信じるも何も、クロア殿がそう受け取っているのだろう。ならばそれは前提であって真偽を議論するものではないと思ったのだが……?」
「わたくしも、大切なのはクロア様が今苦しんでおられる事そのものだと思いますわ。幽霊が何であれ、何とかしなければならない問題に変わりはありません」
そのためにはまず情報を得なければならない。そう言い切る二人の目はとんでもなく真剣だ。
非常に実直な理由からくる信頼と問答に、クロアは喜びを飛び越して呆然としてしまった。けれど二人の問いは続く。
「見覚えがないとなると、少なくとも貴族の人間ではないか、若しくはずっと前に亡くなられたという事になるな。身内の恋人でないということはベルゲネット伯爵家には、伯爵夫妻以外に既婚者はいらっしゃらないのだろうか?」
「あ、はい、ベルゲネット家には私を含め三人の子がおりまして……私と弟の二人は未婚ですが、妹のエルルは昨年に離婚をし伯爵家に戻ってきました」
離婚した妹の話をするのはよろしくなかったかと言った後に後悔したクロアだったが、リリアとレイモンドはサラリと受け取ってしまって、そのまま話し合いは続く。いやそんなサラッとしてていいのだろうか? 言ってしまったのはクロアだけど。
「そうなると他に考えられる出所は……生きているならば手の込んだ不法侵入、幽霊ならばその邸の土地、それか呪いのような類いだろうか?」
「これは今すぐ何とかできそうなものではありませんわね……クロア様は暫くアルセロアに滞在なさるのでしょうか?」
「あ、はい。そのつもりです」
クロアが二人に驚いている理由は、信じてもらえたからだけではない。レイモンドはともかく、リリアに全く動揺が見られないからだ。
凄腕カウンセラー。そう呼ばれる所以をこれでもかと示される中で思ったのは、ここに来たことは正解だったということ。
解決せずともいい。
こうして信じて、真剣に助けようとしてくれる人がいる。それだけでもう十分にクロア・ベルゲネットは救われた。
救われたのだけど……。
「やはり実際に見るべきだろう。クロア殿以外の人間にも見えるのかわからない状況では、身元の特定が難しい」
「そうなると、以降は調査依頼として扱うことになりますわね。では手続きを……」
「今回はこちらで通せるだろうから、俺に任せてくれ。クロア殿、少しお付き合い頂いても宜しいだろうか? 調書作成の為に聞いておきたいことがいくつかあるのだが」
えええええこれ調査するの!?
アルセロアの騎士が!?
これを!?
と言いたくても、二人の真剣な様子を見てはそんなこと言えるはずもなく。クロアはリリアに心配そうに見送られながら、レイモンドと共に王城の方へと向かった。
決して、決してドナドナではない。
◇◆◇
この国の騎士団は幾つかの役割分担がなされている。
戦いの中で剣を持ち武勲をたてるだけが騎士の仕事ではない。
戦争が起これば勿論それが何よりの使命となるが、アルセロア王国は周辺諸国との関係が良好なので、その役目を果たす予定は今のところ無い。
現在の騎士団の主な役割は国内の治安維持だ。
それを為すためには剣を持つばかりでは間に合わない。というわけで、主に三つの役目を分けて担っている。
武力、警護、そして諜報。
その中の一つ、諜報を行う部隊に属する者で有名なのは、まず最初にレイモンド・ホーラス。色々と目立つ上、復帰してからの仕事ぶりが凄まじいのだ。
では次点は誰かと聞かれれば、誰もがすぐに「漆黒の騎士」と答えるだろう。
その名はキルリス・アドネール。アドネール侯爵家の三男であり、レイモンドに劣らず非常に優秀な騎士だ。
黒く美しい髪に甘いマスク、隙のない紳士っぷりなのに誰ともすぐに打ち解けるので、現在のところ女性からの人気はトップと言っても過言ではない。
そんな漆黒の騎士様は現在、王城の執務室にて頭を抱えていた。
向かいに座るのは兵士の頃からの付き合いでそれなりに仲の良いレイモンドと、雪華の国スノーリアからお越しになられたクロア・ベルゲネット様である。
「どうしてお前はこういうとんでもない案件を次々と見つけてくるんだよ」
「それが仕事だからだ」
「そうだろうなぁ! ああ、申し訳ございませんクロア殿。貴方がこちらにいらっしゃったのは大正解です。グレイシス嬢は色々な意味で頼りになるお方ですので」
「は、はい……」
苦笑のような表情を見せるクロアに仲間意識をもったキルリスはため息を堪えて調書にサインした。
リリア・グレイシスとレイモンドが正式に婚約をしてから数ヶ月。始めは仕事仲間と揶揄ったりして楽しんでいたキルリスだったが、それは早い段階で吹っ飛んでいった。
心理学者として正式に勤務をするようになる前からリリアは何かしら重要な案件を拾ってくるご令嬢だったが、王城のカウンセラーとなってからはそれがどっと増えたのだ。
出るわ出るわきな臭い話。そして辿った先には難事件が待ち構えている。
もしやそういう問題に巻き込まれやすいのだろうかと疑っていたが、今は確信に変わっている。リリアの方へ勝手に事件が転がり込んでくるのを何度も目にしたから。
「長い銀髪に白いドレスねぇ……スノーリアでは特に珍しくもない色味だもんなあ」
「はい。顔はよく見ていなかったので、印象に残っているのはそれしかありません」
「背丈はグレイシス嬢と同じか少し上ってところですかね?」
「はい。こう、私の首元に頭がくる程度です」
正直に言うと、これはアルセロア国の騎士が請け負うようなものではない。スノーリアの人間か、若しくはベルゲネット家が対応すべき問題だろう。
だがそうしていないということは、クロアが頼れなかったということ。リリアはそこで引き下がるような方ではない。
つまりは、まあ……実際に見てみないと仕方がないということである。
「ベルゲネット家に調査を受け入れて貰うことは可能でしょうか?」
「一応、この件に関しては自由に動いていいと言われておりますので……邸にも文を送って改めて許可を得ておきます」
「お手数をおかけします。そんでもってレイモンド、お前はここに残れ」
キルリスの言葉に珍しく目を見開いて驚いているレイモンドを見て、こいつは何故変なところでポンコツなのかと漆黒の騎士はため息を漏らした。
「クロア殿を狙った者がいるかもしれないんだぞ。お前はそっちの調査に回るべきだ。人探しなんてのは俺みたいな奴の方が合ってるっての。それともグレイシス嬢一人にクロア殿を任せるのか?」
「あ、ああ……そうだな。すまないがよろしく頼む。だが団長の許可を得るまではアルセロアで聞き込みを……」
「この後さっさと貰ってくるっての。いいからクロア殿を送ってグレイシス嬢のとこに行け。その様子じゃまだ昼飯食ってないんだろ」
ハッとした顔でこちらを見られても困ると、黒髪の騎士は髪飾りを揺らしながら苦笑した。
あけましておめでとうございます。
今年が皆様にとって良い一年となりますことを願っております。
いろんなことが変わって行きますが、その中でも変わらないものがあるとすれば、私にとってその筆頭は小説の中の世界そのものと言えるでしょう。なので書きました。
遅筆はどうかお見逃し願いたく……努力します!
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。