03:新生天使の初仕事
悲鳴が聞こえる。人が魔物に襲われている。
男が一人、狼のような魔物から逃げようとしているが、彼の足より魔物の足の方が速いらしく、その距離はどんどんと縮まっていった。
助けなければ、自然とそう思ったことに彼は驚く。
どうやって助ければいいのか、その方法を考えるよりも速く彼の身体は動いていた。
白髪の少年は空を駆け、逃げている男のすぐそばに降り立った。
「ひいぃぃ」
「あ、えっと、敵じゃないから、安心してほしいな」
逃げていた男はすぐそばに現れた何かに驚き、転んでしまったようだ。
少年は少し申し訳なさそうに頭を下げ、目の前の魔物に向き直る。どこか見覚えのある狼のような魔物だ。
グルルルル、と低い唸り声をあげる魔物だが、少年はその姿を恐れずにじっと見つめていた。
「何かに、操られてる?」
『ピンポン、正解です』
「おわっ、なに?」
『転生、上手くいったようで何よりです、さっきぶりですね』
少年が呟くのとほぼ同時に、どこからか聞き覚えのある女性の声が聞こえた。
「えっと、女神様?」
『はい、そうです、一応神様です。……ふむ、記憶の混濁が見られますね。少し待っていて下さい。こちらで干渉できる部分は整理してあげましょう』
女神がそう言うと、少年の頭の中に幾つかの情報が流れ込んだ。
自分が天使と呼ばれる存在であること、自分には世界を滅ぼす危機を退ける使命があること、この村はその世界を滅ぼす危機の影響で魔物に襲われているということ。
『まずは、その目の前に居る魔物を何者かの支配から解き放ってあげましょう』
「えっと、具体的にはどうやって?」
『イメージしてください。今の貴方の基本性能であればそれで事足りるはずです』
「えっと、なるほど?」
半信半疑といった様子で頷いた少年は、目の前の狼へ向かって手を伸ばした。
目を瞑り、その魔物に纏わりつく鎖のようなものをイメージし、それを手で取り払った。
すると、目の前で低く唸り声をあげていた魔物が大人しくなり、木々の間に逃げていった。
『お見事です、そんな感じでこの村を救ってあげて下さい。まずはウォーミングアップといったところですね。終わりましたら別件でやっていただきたいことがありますので、なるべく早めにお願いします』
女神はそれだけ言うと静かになった。少年はその感覚を『通信が切れた』と認識した。
「あ、あのぅ、助けて頂いて、ありがとうございます」
「ん?あぁ、えっと大丈夫ですか」
後ろから声を掛けられたことで、少年は男を助けるためにやってきたと思い出す。
地面に手を付いている男を立ち上がらせ、少し話を聞くことにした。
男の話によると、魔物は突然やってきて、村を襲ったらしい。いつもは討伐隊などが村の周囲の魔物を減らしてくれていて、大規模な襲撃などは起こっていなかったのだそうだ。
魔物は村を囲うように陣取り、四方八方から襲ってきたため、多くの死者が出たという。
男は運よく村から逃げ出すことができたが、それでも魔物の追跡を振り切ることができず、逃げ回っていたらしい。
「ふむ、逃げ遅れた人が居る、という話だけど」
男を魔物の居る森の外まで運んだ少年は、再び森へ入り、襲われた村へ向かうことにした。
少年の見た目は人間とそこまで大差ないもので、翼のようなものが生えていることはない。しかし、少年は空を自由に飛び回ることができ、障害物の多い森も、その上空を飛ぶことで高速で進むことができた。
「む、アレは、氷、の家?」
村へたどり着いた少年の目に入ったのは凍り付いた何件かの家々だった。
魔物は体当たりをするなどしてその中へ入ろうとしているようだが、苦戦しているようで中に入れないでいる。
ひとまず少年は村を襲っている魔物の支配を解くことにした。
空を飛んで、何体かの魔物の支配を同時に解いていく。
支配を解かれた魔物は少年を見ると怯えたように逃げていった。
「ふーむ、さて、どうしたものか」
魔物もいなくなり、ただ凍った家々が並んだ村で、少年は一人頭を抱える。凍った家の中に人が居ることは理解できた。恐らく自衛のために凍った家の中に入ったのだろう。
少年にはそれらの人間に対する最適なアプローチが思いつかなかった。
「魔物はもう居なくなったよー、とか言っても普通は信じられないだろうし、まぁお前誰って聞かれるのがオチだろうし。……うーん、どうしたものか」
少年がそう独り言ちたとき、一軒の凍り付いた小屋の扉が中に居た何者かによって蹴破られ、派手な音を立てて外れた。
「……ほら見てシーラ、魔物が居なくなってる」
「ちょっとアンタね!軽く覗いてみるだけって言ったでしょ!!」
二人の少女が小屋から出てきて、何やら騒ぎ立てている。
少年はそんな二人の少女にどこか見覚えがあるような気がした。
少年がそうやってボーっと少女たちを眺めていると、その内の一人と目が合った。
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シーラは村一番の天才だ。村人にはよくそう褒められていた。
シーラの生まれ持った『ものを凍らせる』という能力は字面だけ捉えれば大したことがなさそうに見えるかもしれないが、その能力の出力が他とは一線を画していた。
大抵の人間が同じ能力を手にしたならば、できることは精々食品を少し凍らせて長持ちするようにすることくらい。しかしシーラの能力は家一つ凍らせてもまだまだ余裕があるほど、強大であった。
千人に一人の天才だ。シーラは彼女を称えるそれらの言葉を受ける度に鼻を高くしたのだった。
そんな彼女の絶頂期は、一人の少女を発見することで終わった。
何でもそつなくこなす頭脳を持ち、超常的な能力を手にしていながらそれを何故か隠している少女。名はフールラ。
普通の人間であれば、フールラという少女が特別であることには気が付かないだろう。けれど、シーラは違った、彼女が異質であることに気が付いてしまったのだ。
シーラにとって、フールラという少女は、ライバルであり、永遠に相容れない相手だった。
シーラにとって、村一番の天才という言葉は、フールラという少女が採点されていない小さな世界での褒め言葉だった。
シーラにとって、千人に一人の天才という言葉は、万人に一人などそれを上回る天才が居ると言われているようで褒め言葉とすら思えなかった。
恐らく、このような災厄が訪れなければ、こうして彼女と肩を並べることはなかっただろう。
「シーラ、まだ!?」
「今やってんでしょうが!」
魔物が襲い来る村で、一番先に動き出したのは、フールラだった。混乱で騒ぎ出す村人が居る中、冷静に逃げる算段を考えていたシーラに声を掛けたのだ。
その内容はシンプルで「村を守るために力を貸して欲しい」というもの。
最初こそ鼻で笑ったシーラだが、綺麗な緑色で腹が立つと思っていたフールラの目が金色に輝いているのを見て、彼女も本気なのだと知り、少し考えを改めた。
フールラの伝えた作戦は簡単なもので、中に村人を入れた家を凍らせて閉じ込め、出られない代わりに外からの侵入を防ぐ、というものだった。
言うは易く行うは難し、それだと家を凍らせている間、シーラ自身は無防備になってしまう、と断固拒否したシーラだったが、いつの間にか生きている村人たちをまとめ上げたフールラによって強制的にその役をやることになってしまった。
「はい、終わった!で、最後に残った私はどうなんの!?」
始めに戦えない村人たちを家に閉じ込める。戦える村人たちはシーラを守り、シーラは家を凍らせる。順にやっていき、何人かの犠牲を出しながらも最後にはフールラとシーラが残った。
「あそこに小屋があるでしょ!今から一緒にあそこに飛び込んで、その後周りを凍らせて!」
「はぁ!?どうやってそこまで行くのよっ!!」
フールラの指さした小屋はこじんまりとしたもので、逆に言えば防御壁としてはとても便りないものであったが、最初からその頼りない壁を氷の壁へと変えるつもりであれば別に大した問題はないだろう。
問題となるのは、その道のりを通るのに何体もの魔物の間を通っていく必要があるということ。シーラには、とてもじゃないが無事に通れるとは思えなかった。
「いいから行く!」
「え、いやっ、ちょっと待って力強っ」
フールラに手を掴まれたシーラは無理やり引きずられていく。フールラは襲い来る魔物を全て紙一重で回避し、小屋へと進んでいった。
シーラにとっては、フールラに押されて目の前スレスレを魔物の爪が通る、フールラに頭を下げさせられた直後に頭上へ魔物が食らい付いてくるなど一歩間違えれば死んでいるような状況を何故か回避できているという奇妙な体験に、肝が冷えると同時にフールラという少女の特異性に頭を悩ませる時間であった。
二人は何とか小屋へ逃げ込み、シーラの能力で小屋の壁を起点とした周囲を氷漬けにし、一息つくことができた。
そうやって魔物の攻撃に耐えてから少しした後、ふと魔物が壁に体当たりなどをしてくる音がしなくなった。
助けが来たのかもしれない、少し外を見てみたいから小屋の扉方面の氷を退けてみて、というフールラに唆され、凍らせた部分に干渉し、氷の壁を薄くしたシーラだったが、まさかフールラがその扉を破壊して外へ出ていくなど思いもせず、しばし呆然と立ち尽くす。
「……ほら見てシーラ、魔物が居なくなってる」
「ちょっとアンタね!軽く覗いてみるだけって言ったでしょ!!」
シーラは声を掛けられたことで我に返り、外の様子を軽くみてから小屋の外へ出ていった。
そうして、周囲を見渡し、村の中心で佇み、こちらを見ている白髪の少年と目が合った。