25:汚れの浮いた水の町
「シャステーレさんって、好きな人いますか?」
「なんだ、唐突だな」
「いや、ちょっと気になってまして」
「はっ、少年の恋心に感化されたか?」
「その少年ってリューファちゃんのことですよね?女の子ですからね?」
「そこはどうでもいい」
「よくはないですけど。それで、好きな人いるんですか?」
「………さあな」
「初恋の相手とかは?」
「記憶にない」
「んー、んー?」
「寄るな、殴るぞ」
シャステーレの顔を覗き込んだ僕だったが、鬱陶しそうに押し退けられた。
「いない、んですかね?ふーむ、だとしたら意外ですね」
「……何がだ?」
「いや、だってシャステーレさんって、小さい頃は可愛い女の子だったわけでしょ?だから普通に好きな男の子とかいたのかなーって思いまして」
「おかしなことを言う、今も昔も私は私だ」
「照れちゃってー」
「………黙ってろ」
シャステーレは大きくため息を吐いた。
僕は今シャステーレさんと共にルークスの町を歩き回っている。
そして、柄の悪そうな男に絡まれにいっては殴り、その現場を周りの人間に目撃させることで、男を返り討ちにするヤバい女がいるという噂を流してもらうようにしている。
とりあえずこれで大体の人間はこれから何週間かの間はしつこく女性に絡みに行くことはないだろう。
「早くしろ」
「本当に集まってくるんですかね?」
「さあな」
「いや、さぁなって……まあいいですよ」
シャステーレは僕から少し離れて行って、物陰に隠れる。
時刻は夜、もう良い子は寝ているし、良い子でなくとも寝ている時間。
僕は静かな声で歌う。歌う歌は適当に、何となく聞いたことのある歌を歌っていく。
特に誰も来ないまま、一人寂しく(いや、向こうにシャステーレさんがいるので一人ではないが、気持ちは一人だ)、歌っていく。
そこに、一人の男が近づいてきた。男は静かに僕に近づくと僕が歌い終わるのを待ってから話し出す。
「いい歌だった、君が作った歌かな」
「いえ、違います」
「そうか、綺麗な歌声だったよ」
「ありがとうございます」
「君のような女性がこの夜に歌ってくれるなら、ゆっくりと眠れそうだ。ありがとう」
男はそう言って僕に幾らかのお金を渡すとゆっくりと去っていった。
「おい、嬢ちゃん」
ガタイのいいおっさんがやってきた。
「はい、何でしょうか?」
「あんま夜遅くにこんなとこいると風邪引くぜ」
「少し、夜風に当たりたい気分だったので」
「ははっ、そうかい。俺もちっと出歩きたい気分だったんでね。しばらく聞いていっていいかい?」
「はい、もちろん」
おっさんは僕の歌をしばらく聞き続けると、小さく拍手をした。
「いやー、すげーいい歌だった!手持ちに金がねぇからとりあえずこれ受け取ってくれ」
おっさんはポケットから一本のナイフを取り出すと、それを僕に渡して去っていった。
結局、その夜に僕に声を掛けて来たのは軟派野郎なんかではなく、気のいい人たちだけだった。
「いやぁ、やっぱりいい町だよなぁ。ここ」
誰にも聞こえないように呟く。
こんなにも良いところなのに、嫌な人間がいるというのは、しょうがないことなんだろうけれど面白くない。
「外れだな。貴様はどうにも役不足らしい」
「役不足って……そもそもこの方法で上手くいく方が難しいんですよ」
「夜な夜な歌う陰気な女が一人、これを襲わずに誰を襲うというのか。どうやら相手は愚図の集まりらしいな」
「それ、私にも失礼ですからね?」
「案ずるな、理解している」
「余計タチが悪い!」
「はっ」
鼻で笑うシャステーレさんは、いつも通り冷たいが、そのときは少しだけ元気がないように見えた。
「なあ、俺たちなら君の歌もっと他の人に聞かせてあげられるよ?」
「そうそう、だから俺たちに付いてきな?」
「ええっと、その、困ります」
「何が困るんだよぉ?大丈夫大丈夫、怖いことなんかなぁにもないからさあ」
「そうそう、痛くない痛くない」
「がっ」
「うぐっ」
次の夜、現れた男たちを気絶させたシャステーレは、その男たちに『私は女性を襲ったゴミです』と書いた木の板を縄で縛り付け、町で一番大きな通りの真ん中に転がした。
「あら、こんな夜更けに外で歌うなんて、間抜けも居たものね」
「こんばんは、踊り子さん」
「……ええっと、名前、名乗られたかしら?私。貴方の顔は覚えているのだけれど」
「いいえ、名乗っていませんよ。私は貴方の名前を知っていますがね」
「そう。でもそれって不公平じゃない?」
「私の名前はティルシーです。こんな夜更けにどうかしたんですか?ネセトアさん」
「………貴方が寄越した子、いるじゃない?」
「はい。シーラは元気にやっていますか?」
「そうね、元気よ。踊りも中々上手だし」
「何かお困りですか?」
「困ってるっていうほどではないのだけど、あの子、態度の悪い観客を凍らせる節があるから」
「それは困りごとではないですか」
「いいえ、困ってはいないの。あの子のお陰でしつこい人も減ったし。それとも、女を襲うと逆に襲われるっていう噂があるからなのかしらね」
「きっと両方ですよ」
「かもしれないわね。………貴方はどうして歌っているの?」
「私はこの町のことを知りたいから歌っています」
「……そう。変わってるわね」
「この町の人はみんな変わってましたよ?」
僕はポケットから一本のナイフを取り出して彼女に見せた。
「何それ、貰ったの?」
「はい、変わりものです」
「ふふっ、そうかもしれないわね。私はもう帰るけれど、貴方はまだ歌うの?」
「いいえ、もうその必要もなさそうですから。これで終わりです」
「そう、ならお別れね。さよなら。それと、おやすみなさい、ティルシー」
「……おやすみなさい、ネセトア」
水の踊り子は静かな町を歩いていった。
リューファの依頼は、僕が面倒な男たちに話しかけられるという犠牲を払って完了した。
シャステーレさん曰く、この町は私に殴らせる気がない、とのこと。どういう意味かは不明だが、悪い意味ではないだろう。
「予想より儲かったな」
「そうですね」
リューファの依頼、僕の歌への感謝、襲ってきた男たちの金品、全て足すと中々の金額になったそうだ。僕は食事の代金でしか貨幣価値を理解していないのでシャステーレさんの言葉である。
「貴様はどこか行く当てはあるのか?」
「いえ、特にありません」
「ならば私について来るといい」
「シャステーレさんは行く当てがあるんですか?」
「当然ない。だが、私は行く当てのない旅でここまで来ている。そこまで退屈はしないだろう」
「一つだけ聞きたいんですけど、歩きだったりしませんよね?………馬車に乗るならあっちですよー」
「歩きのつもりだったが、そうだな、金もあるし馬でも買うか?」
「いえ、ちょっと馬の面倒を見る自信がないので大丈夫です」
「ならば徒歩しかないな」
「えーと、私ほら、空飛べますから。シャステーレさんを抱えてすいすいっと」
「目的地がないのにどこに飛ぶつもりだ」
「歩いたって一緒でしょうが」
「空を飛ぶよりは融通が効きそうだがな」
「いや、まぁ、えーと」
「早く行くぞ」
「えぇー、歩きですかー?」
僕の目的は世界を救うこと。
彼女の目的はよく分からない。天使や悪魔に関係する何かというくらいだ。
この足の向かう先が真っ直ぐ終着点なら簡単なのだが、そうも簡単にはいかないだろう。どうやらゆっくり歩いていくしかなさそうだ。