02:ちょっと変わった女神様
「…………?」
声が聞こえた気がした。どこか遠くから、誰かに呼ばれている。
「聞こえますか?」
今度ははっきりと、その声が聞こえた。
少年は目の前に美しい女性が居ることを認識した。
「えっと、どなたでしょうか?」
少年の問いに、女は少しの間の後、微笑みで答えた。
「……えっと」
「貴方には、この世界を救う天使となって頂きたいのです」
少年が困惑した様子でいると、女はゆっくりと語りだした。
女は自分のことを神のような存在だと言い、この世界は滅亡の危機に陥っていると語った。
「……女神様。あの、僕が、世界を救うって、どういうことなんでしょうか?」
「あまり気負う必要はありませんよ、ただそう在りたいと願ってもらえれば、貴方はそうなります」
女神の話は少年にとっては要領を得ず、理解できない話だったが、なぜかそういうものかと納得してしまった。
「その、僕である必要はあるんでしょうか?」
「なんとなく貴方が目に付いた……ええと、神である私の目が貴方という特別な存在を見逃さなかったのです」
女神は言いかけた言葉を飲み込み、得意げな表情で言い直した。
少年は首を傾げてその様子を見守る。
「もし、断ったら、どうなるのでしょうか?」
「どうにもなりませんよ。断った場合に、貴方にとって新たにデメリットが発生することはありません。ただ、あるべき形に戻るだけです」
女神は語った。現在の少年は、元の少年が死ぬ間際に見ている夢のような儚い存在であり、この会話が何事もなく終われば、そのまま消えてなくなると。
女神は少年のその結末に冷静な表情を保ちつつも少し眉をひそめていたが、少年はその話を聞いて、ただ、そうだろうな、という感想だけを思った。
「……こほん。その、ゆっくりしている場合ではありません。こうしている間にも危機は迫っているのです」
女神はそう言ってその手の間に水晶のようなものを出現させ、その玉に何かを映した。
「これは!?」
少年はそれを見て、その水晶にぐっと顔を近づけた。
その水晶には、少年の居た村が魔物に襲われる様子が映っていた。
「世界滅亡の危機その2、の影響です。放置しておけばこの村のみならず、この世界の生き物に大きな打撃を与えるでしょう」
「どうにかできないんですかっ!」
「――本当にどうにかしたいですか?」
「えっ?」
水晶から目を離し、女神へ懇願した少年だが、女神の突き放すような言葉に狼狽える。本当にどうにかしたいのか、とはどういう意味なのか。
「貴方はあの村で少なくない苦労をしたはずです。本当に助けたいと思うのですか?」
「僕に助けられるなら助けたいですっ!」
即答だった。女神はそんな少年を見て優しく笑い、彼の頭をそっと撫でる。
「分かりました、無粋な質問をしてしまってすみません。ですが、この選択はとても重要で取り返しのつかないもの。私にはもう少し貴方の覚悟を問う必要があります」
「あ、えっと」
女神に頭を撫でられて少し居心地の悪そうな少年だが、その目はしっかりと相手を見ている。その視線に気を良くしたのか、女神はわしゃわしゃと少年を撫でてから手を離した。
「いいですか?貴方は世界を救うことのできる強力無比な存在へ生まれ変わることができます。しかし力には代償が伴うもの。もし貴方が生まれ変わることを選んだならば、貴方という存在はこの世界から忘れられることとなります。……そうです、とても辛いですよね、貴方の生きた証がこの世界から消え、誰からも忘れられてしま―――」
「えっと、それだけ、ですか?」
少年は、小さく首を傾げた。女神はそんな少年を見て同じように首を傾げる。
「あの、ちゃんと理解できていますか?もし天使となりこの世界を救う使命を負えば、貴方の大切な友達さえも、貴方のことを忘れてしまうのですよ?」
「……理解できているつもりです。でもそれだけのことで、あの子のことが助けられるなら、僕はなりたいです」
少年は迷いのない瞳で女神を見つめたが、女神にとってそれは予想を超えたものであったようで、困ったように彼から目を逸らした。
「友人を助けて終わり、というわけにはいきませんよ?天使となれば、この世界に降りかかる3つの危機を退けなければいけなくなるのです」
「はい、僕にできることであればやりたいです……その、もしかして女神様は、僕に天使になって欲しくはないのでしょうか?」
「え?いえいえ、そんなことはありませんよ。なっていただけるのであれば、それで構わないのですが、まぁ、そうですね。……私も大人ですから。物を知らない哀れな子どもに、無責任に仕事を押し付けるような輩にはなりたくないな、と常々思っていまして。まぁ、別に貴方がやらずとも一応候補は居るので大丈夫です。えぇ。……居るだけですけど、まだ精査も終わってないですし……あ、いえ大丈夫です、私は神様なので、何とかしますよ、はい」
女神はそう言って、身振り手振りで事情を説明した。
少年はそんな慌ただしい女神の様子を見て、小さく笑った。
「その、神様に対して、こんなに親しみやすさを感じるとは思ってませんでした」
「え、親しみやすいですか?私」
「はい、とてもすごく、親しみやすいです」
少年はにっこりと笑って答える。
女神はそれを困ったように見ていた。
「えー、その、それで、やれそうですか?天使」
女神はそういって、少年へと右手を差し出した。
少年はその手を見て、少しだけ考える。
この手を取れば、恐らく天使という超常の存在となり、今までの人生では決して経験することのなかった様々な出来事に遭遇することになるだろう。とても大変な目に会うことになるかもしれない。天使になんてならなければ良かったと後悔することになるかもしれない。
『いつか村を出て、一緒に冒険をしよう』
果たせなかった、小さな約束。
その手を取れば、その出来事もなかったことになるのかもしれない。
けれど、その手を取らなければ、その言葉を掛けてくれた大切な友人を失うことになる。
少年は、差し出された手をしっかりと握った。
「はい、よろしくお願いします、女神様!」