雀の涙③
「なぁ」
休み時間、いつもとは立場が逆転したように俺から巳山に話し掛けた。
「部動会っていつあるんだ?」
キャスターの付いた社長椅子を動かし、巳山のいる方向を向く。
「えっ!? 桜次郎、部活入る訳! 裏切り者っ!」
裏切り……なのか? 部活には入らないなんて、いつ約束した??
「入るというか部動会の手伝いするんだよ。……で、来週のいつなんだ?」
「確か来週の水曜? だっけか」
巳山は首を横に傾げて悩みながら言った。
来週の水曜日か。
今日は金曜で……。
「水曜って後五日しかないじゃねーか!?」
「うおっ! びっくりしたっ!!」
指折り数えた後、俺は椅子から立ち上がると巳山はビクッと肩を揺らせて驚く。
大丈夫か俺? 本当に後五日で何とかなるものか?
「何の部活入るの~」
巳山はニヤニヤと怪しげに笑う。入る訳じゃないってのに……。
「馬術部」
「あぁ……そうか。鈴芽ちゃん、入院しちゃったもんね。代わりに手伝うって訳だ……なんて優しいお兄様!」
溜め息をしながら答えると、彼は芝居でもするかのように手を上下させ大袈裟に反応する。
「桜次郎様、馬術同好会になんて入るんですの!?」
両手を腰に当てた申空時さんが、俺らの話を聞いてドカドカとこちらに来た。
「しかも辰酉さんの為ですって? 何でそこまでするんです!!」
申空時さんは俺の肩を掴み、ブンブンと激しく揺らす。
う……そんな揺らさないでくれ。
「いいじゃん聖羅ちゃん。美しき兄妹愛じゃんよ~」
巳山は両手を合わせ、クネクネと何か自分の世界に浸ってるみたいに語る。ってか、気持ち悪いから止めてくれ。
「義兄妹といっても最近知り合った他人にそこまでします? ……と言いますか、まだ後吉様とお母様はご結婚されてませんでしたわよね!?」
申空時さんは俺の瞳を凝視しながら聞いて来た。
「う、うん」
迫力に押されながら答える。まぁ別に隠す事でもないし。……ってか、何故に彼女はそんな詳しく知ってるんだ? 話した事ないよな?
「えっ!? 何だよ? ソレじゃーお前ら義理な訳??」
申空時さんの言葉に、巳山は机をガタッと揺らして俺に近づいた。
「ん? あぁ……言わなかったっけ?」
横目で巳山を見ながらコクっと頷く。
「生き別れの兄妹じゃないの!?」
「そんな事を言った覚えはないぞ……」
生き別れって……何でそんな発想になるんだ。
俺は巳山の言葉に呆れながら溜め息と共に席にちゃんと座る。
「え~、じゃ~桜次郎ライバルじゃん」
巳山のぶつくさ言う声が背後から聞こえたが、無視だ無視。一体何のライバルなんだよ……一々突っ込むのもしんどい。
もう一度溜め息をして机に肘をつくと、教室の外からこちらに手招きをする少女が目に映った。
「寅尾さん?」
彼女は人差し指を口元に当てると、慌てながらキョロキョロとした。
「??」
そんな大きな声は出してないけど……?
俺は取り敢えず教室を出て寅尾さんの所へ向かった。
「どうかした?」
廊下でウロウロとする寅尾さんに声を掛けた。
「あ、あの……一つ聞きたい事があって……」
彼女はチラチラと教室の中や周囲を気にしながら話す。
「粟田君って乗馬した事ある?」
「いや、初めて。……軽々しく『手伝う』なんて言ったけど、俺には無理かな」
乗馬どころか、今まで馬と触れ合う機会もなかったからな……。
「大丈夫。粟田君と二人ならやっていけそうだもん……」
俺の言葉を聞いた寅尾さんは、ニコニコとしながら手に持っていた袋をこちらに渡して来た。
「こ、これ……よかったらあげる」
俺はそれを受け取る。持った感じからすると、本のようだ。
「よかったら読んで……」
彼女はそう言いながら再びキョロキョロと周りを気にする。
「さっきからどうかした? 何かあるの……」
寅尾さんと一緒に、俺もキョロキョロと見渡した。
「申空時さん……どこいるんだろって。私、この学校好きだからまだ辞めたくないと言うか」
申空時さん? さっきまで教室に居たが、確かにどこに行ったんだろ?
つーかその前に、寅尾さんの言ってる言葉の意味が良くわからんが……。申空時さんに見つかると、学校を辞めさせられるのか?
「――それじゃあワタクシが、気に入らない人間を無理に辞めさせてるみたいじゃない」
「!? し、申空時……さん」
足音も立てずに現れた申空時さんに、寅尾さんは驚いて俺の後ろに隠れた。何だか怖がってる?
「あ、粟田君……じゃあまた」
そうして寅尾さんは逃げるように去って行った。
「……」
ポカンと彼女を見送っていると、申空時さんが腕を掴んできた。
「桜次郎様! あの女は何です? 浮気は許しませんわ」
「へっ!? う、浮気?」
申空時さんの言葉に変な声音で返事をしてしまう。彼女の言ってる意味が良くわからん。
……俺は理解力がないのか?
「ほらほら二人とも! チャイム鳴ったわよ」
良いタイミングなのか悪いのかわからないが、名簿を持った卯月先生が現れて俺と申空時さんの肩を叩く。
申空時さんはムスッと顔色を変え、俺は先生に促されて教室に戻った。
――ガサガサ
席に戻った俺は、寅尾さんからもらった袋から本を出した。【騎乗のススメ】と書いてある。乗馬の本か。
「何? 桜次郎、エロ本??」
本をペラペラと見ていると、後ろから巳山が身を乗り出して覗いてきた。
「……だから何でそういう発想になるんだお前」
「えー、なるだろ普通。タイトルからしてエロ――」
「そこ! 静かにしなさい!!」
先生に怒られてしまった。
放課後、俺はグラウンドの端っこにある馬場に来ていた。
そこには毛並みの良い馬、ヘルメットを被った寅尾さんに俺がいた。手伝うつもりはあるが、馬に乗る……とは言った覚えはない気がする。あれ? 俺、言ってたっけ?
「粟田君、背高いから台なくても乗れるかな?」
寅尾さんは馬を撫でながら俺に言った。
「どうだろ……。でもどう乗るの」
「まず鐙に足を掛けて……あ、手綱も持って」
俺は言われるがまま、馬の左側に立つと手綱を馬の頸へ掛けて片手で持つ。そして鞍から出てる、鐙という足を掛ける場所につま先を乗せた。
「たてがみを掴んで上がって」
「たてがみを掴んで……痛そう」
俺は馬に遠慮して、恐る恐るたてがみを掴む。
「引っ張っても抜けたりしないから大丈夫。痛くないし」
痛くないし……そう言われても、それって人間の解釈だよな。でも引っ張らないと上がれないし。
意を決して、たてがみを引っ張り地面を蹴った勢いで、俺は身体を馬に乗せる。
痛いどころか馬は平然している。俺ごときが引っ張っても痛くも痒くもないか……そもそも馬力が違うよな。
馬に乗った上から下を眺める。いつもとは違う視点。自転車とは訳が違うな。
「次ね、手綱の持ち方なんだけど……薬指と小指の間を通すの」
寅尾さんはジェスチャーをしながら説明をするが、良くわからん。薬指と小指の間?
「あやとりをするみたいに持って、親指と人差し指で固定する……みたいな」
彼女はわかりやすく説明をしてくれてるかもしれないが、余計に頭の中がこんがらがって来た。
そもそもあやとりをやった事ないんですが……。
「えっと……こう」
台に乗りそばに来た彼女は、俺の手を取って教えてくれる。
「なるほど。わざわざありがとう」
寅尾さんの顔を見てお礼を言うと、彼女はビクッと驚き、急に慌てて俺の手を離して下へと戻った。
何つー反応……。俺、悪い事言ったか?
「け、蹴ったら動くよ……」
チラッとこちらを向いた寅尾さんの言葉に、俺は馬を蹴る。すると、ゆっくりと歩き出した。
「おぉ」
「この子の名前はマリアンナ。大人しい女の子だよ。この、ゆっくり歩いてる状態を常歩っていうの」
パカラパカラと歩き回る馬の上で、俺は軽くストレッチをしながら寅尾さんの話を聞いていた。
常歩でサークルを回る馬の上に乗る俺。
正直、ずっと乗っていると股間が痛くなって来た。
「粟田君、このままだと乗馬というより乗せられてる状態だから……」
こちらに目線を配る寅尾さんはにこやかに続ける。
「……もっと腰を動かして」
「ん?」
俺は首を傾げて彼女を見る。
「えっと……もっと上下に優しく……あれ?」
寅尾さんの顔色がだんだんと変化していく。
「えっ、あの……そうじゃなくて……ドスンと座るんじゃなくて、ゆっくり座るようにって事で……」
顔を真っ赤にした寅尾さんはその場にうずくまり、自分に言い聞かすような小さい声で乗り方について語る。
「寅尾さん?」
彼女は縮こまりながら首をブンブンと振っていた。
赤い顔をして縮こまる少女を、上からの目線で見ているなんて……もしや、いじめてるみたいに見える? いやいや、そんな事より寅尾さんは急にどうしたんだ?
様子がおかしいと思い、俺は急いで馬から降りようとした。
「んがッ!!」
鐙に足を取られた俺は、ゴツンと頭から落ちてしまった……。
「あ、粟田君! 大丈夫!?」
寅尾さんがこちらに駆け寄る。反対に心配をかけてしまった。
「桜次郎、何セクハラしちゃってんのー?」
サークルの外からいつの間にか見ていた巳山が声をかけて来た。
「せ、セクハラって……」
ムクリと起き上がり、服についた土を払った俺は巳山のいる方に近づく。
「何でお前がここにいるんだよ……」
「いいじゃん。面白そうだったから」
ニヤついた巳山はサークルの柵にもたれる。
「面白そうって……」
俺も柵にもたれて一息ついた。
「騎乗って乗馬の事か~。あはは」
「普通はそうだろ」
横目でチラッとこちらを見た巳山に、俺は溜め息を漏らす。
「でも桜次郎が上に乗ってやったら騎乗位じゃねーじゃんか。あ、ちなみにオレが好きなのは後背い――むぐっ!」
何か、いかがわしい言葉を発する巳山の口を塞いだ。
「もろ口にするな……非公開になったらどうするんだよ……」
「非公開ってなんだよ非公開って。……ってか、桜次郎もこんな話興味あるんだ?」
塞いでいた手をどけると、巳山はピョンとサークルの内側に入り隣に来た。
「……」
何かやっぱりこいつと話すと疲れるぞ。
「二人とも~」
「あ、海依子ちゃん大丈夫だった?」
こちらに来た寅尾さんに巳山が声をかける。しかし、その台詞はまず俺に言うべきじゃないか? とか思ったが、巳山に心配されても困るか。
「巳山君がどうしてここにいるの?」
「そりゃ馬乗りに興味あるからね~」
彼は笑顔で寅尾さんを見つめる。何かお前が言うといやらしく聞こえる。
「そんな乗りたきゃ巳山も乗ればいいだろ」
もたれていた身体を起こしながら言った。
「オレ、女の子の上じゃないと乗らなーい」
「丁度いいじゃんか。あの馬、女の子だってよ」
「海依子ちゃんが手取り足取り教えてくれるんなら乗るけど」
淡々とした掛け合いのようになる。ああ言えばこう言うな……。
そしてコイツがいうと、どう聞いても違う意味合いに聞こえてしまうんだが。
「わ、私!? えっと……まず粟田君に教えないと……」
突然話を振られた寅尾さんは赤い顔をしてオドオドとしている。そして恥ずかしそうにヘルメットで顔を隠していた。
「桜次郎を調教ね~。さーて、こんな時間だしオレは帰ろっかな」
巳山は携帯を見ながら俺たちに言うと、サークルの外に出た。
「今度さ、オレもまぜて。三人で一緒にやろうよ」
そう言った巳山は寅尾さんに微笑むと、手を振って去って行く。
乗馬は三人でやるものか? 何故かあいつの言葉は卑猥に聞こえて仕方ない。まさか故意に言ってないよな。
とにもかくにも嵐が去った。これで練習が出来る。
「あ、あの……粟田君」
寅尾さんがモジモジと下を見ながら俺に声を掛けて来た。
「私もそろそろ帰らなきゃ……門限が厳しいから……」
門限……そりゃそうか。早過ぎる気もするけど、女の子だしね……。
全然何も出来なかったな。馬に乗っただけ?
「じゃあ俺は家で乗馬の練習すればいいか……」
そう言えば屋敷に馬がいるんだからそうすりゃいいじゃねーか。
「え! 粟田君の家、馬飼ってるの!? すごい……」
寅尾さんは目を見開き驚き入る。
そうか、彼女は俺が辰酉家で生活している事は知らないのか。鈴芽が話してないって事は、言わない方がいいのかな?
「お金持ちなんだね」
にっこりと微笑みながらジッーとこちらを見る。金持ちなのは俺じゃなくて辰酉家だけど。
「そうだ。トライロメオはどこにいるの?」
今回の大元になった馬はどこだ?
……馬房の前にあった、名前の書いてあるプレートの中の部屋にはいなかったけど。どこかに預けられてるのか?
「今はトライロメオ、鈴芽ちゃんの家でレッスン中なの」
……屋敷にいるんだ。しかしそんな暴れ馬、厩舎にいたか?
でもトライロメオって馬の事より、まずは多少乗れるようにならないと何も出来ないな。手伝いって【荷物運び】とか【誘導】とか考えてた俺、浅はか。
「あ、お迎え来ちゃってる……。ちゃんと教えれなくてごめんね……。ま、またね、バイバイ」
「え? と、寅尾さん」
携帯を見た寅尾さんは慌てて馬場を飛び出して行った。
俺は苦笑いをしつつ、手を振って彼女を見送る。
……が、この後どうすればいいんだ? 乗馬初心者一人にされたけど……マリアンナを厩舎に連れて行けばいいのか?
鞍は外さなくていいの? 手入れの仕方とか何もわからんよ俺……。
「……」
ポツンと残された俺は、栗毛の馬を撫でる事しか出来なかった。
せ、責任とってくれ……。