桜のない入学式①
――トントン
寝ぼけ眼で黒野さんからもらった学校のパンフレットを見ていた時、部屋のドアを叩く音がする。
肯定の返事をすると、部屋の中へゆっくり入って来たのはパンフレットをくれた本人だった。
「朝食の用意が出来ました」
もうそんな時間か……。
「準備したら行きます」
そう伝えると、黒野さんが一礼をして部屋から出て行く。彼の姿が消えたのを確認し、急いでタンスに向かう。
今日は【私立セイラン学園高等学校】への登校初日。何としても遅刻は出来ない。
俺は新品の制服に袖を通す。新しいニオイがする。
赤い制服なんてちょっと恥ずかしい気もするが……。うーん、派手だなぁ……。
――クンクン
俺は自分手の甲を鼻に当てて臭ってみた。
風呂……入るべき?
いやいや、昨日入ったしな……けど、こういう大事な日には入っておく方がいいような。
あー、でも時間大丈夫か? 遅刻したら元も子もないよなー。
あれ? そもそも学園まで何分なんだ? 何通学? 電車? バス? 徒歩? 場所は?
ま、いいか。
……取り敢えず、ササーッと素早くシャワー浴びようかな。
「うわっ!」
風呂を出た俺は食堂へ来てテーブルの上に置かれた食事に一驚した。
「本日の朝食は【カボチャのスープ】に【サルティンボッカ】【ポルチーニ茸入りカネローニ】【パニーニ】になります」
……は? な、何て?
聞き取れませんでした。
もう、ポカーン……としか言いようがない。何それ? 何なんだ、その横文字?
「ちなみに【パニーニ】は、そちらにあるお好きなサラダとチーズを挟んでお召し上がり下さいませ」
黒野さんは、言葉が出なくて固まっている俺に優しく説明する。
「美味しそう……美味しそうなんだが」
首をぶんぶんと振ると、黒野さんに顔を向けた。
「お、多いです。これ朝食じゃなくて夕食じゃないですか!?」
もはやディナーの領域。何という豪華さ。俺には贅沢過ぎる食材と量。
「多かったですか……? 何分、男性のお世話は初めてでして……申し訳ありません」
黒野さんは深々と丁寧にお辞儀をした。
「って、わー! あ、謝らないで下さい! 黒野さんは、な~んも悪くないです! 俺、残さず全て美味しく頂きますから!」
そう言って時計をチラッと見ると、急いで席についた。
「いっぱい食べたな……」
俺はお腹を摩りながらゲップをする。
ちょっと体を動かすの、しんどいかもしれないや。
でも、やっぱり美味しかった。これ作った人、天才だなー。
ニヤニヤとしながら、片付けようと皿を重ねると黒野さんが俺の行動を止めた。
「片付けは私どもの仕事ですので……」
そうだった。ついつい癖で……。
「それでは桜次郎様、学校へ参りましょうか」
「ん? ん……」
にこやかな笑みの黒野さんに俺は玄関へと導かれて行った。
「……」
屋敷を出た俺は硬直し、言葉が出なかった。
電車通学ならぬ、車通学か!? どこの金持ちボンボンだよ。
車で行くだなんてそんなに遠いのだろうか?
俺の目の前にならんだ数台の高そうな車。
「本日はどちらのお車で行かれますか?」
「……?」
あれ? 俺の聞き間違いか? 『どの車で行くの?』って聞かれたような……。
黒野さんを見ると、彼は爽やかな笑顔をこちらに向けていた。
「どれでもいいです」
俺は口角を上げ、苦笑いをした。実際、学校に着けば何でもいいし。
しかし黒野さんは、そんな俺の曖昧な答えに困った顔をする。
そしてその顔で俺の顔をじっと見つめる。
思いっきり顔に【選べ】と書いてあるんだが……。
「じゃあ手前の車で……」
俺は溜め息をつくと、一番小さな車を指した。
「さすが桜次郎様! この車は――」
黒野さんの顔から笑みが零れると、何やら説明をしてくれている。
だが、訳のわからん単語ばかりで俺の頭の中には入って来なかった。
車種やナンバー、車の歴史を言われても……。俺の交通手段はもっぱら徒歩か自転車だし。
乗り物は好きだが、昔たいして乗せてもらった記憶がないからなぁ……。
一瞬で着いた。
近いじゃん……。
車を降りた俺は、まず、周りを見渡す。
校門を抜けると――……ってあれ? 校門どこだ? ……校門あったか?
気がつかないうちに校内に入っていたみたいだ。
それにしても、ここはどっかのテーマパークかよ!? 俺、いつの間に夢の国に来たんだ??
広いし、人がウヨウヨしてるし……。
そのうち、着ぐるみを着た人が現れるんじゃないか?
受験もせずにこんなスゴそうな学校に入学……いいのか? 裏口入学?
「お帰りの際はご連絡頂ければ直ちにお迎えにあがります」
黒野さんは『行ってらっしゃいませ』とお辞儀する。そんな毎回毎回頭を下げられても困るんだが。
俺は校舎らしき大きな建物へ向かうが、その間ずっと、背中に彼の視線を感じるのであった。
「下駄箱は普通なんだ」
普通といっても一人分のスペース、めちゃ広いけど。
「ちょっと貴方、邪魔ですわよ」
俺が下駄箱をマジマジ見ていたら、後ろから女の子の高い声がした。
「あ、すみません」
急いで横に退いて道をあけると、ふんわりと長い髪を揺らしながら女の子が通り抜ける。大きくクリッとした目のフランス人形のような美少女だ。
……ってフランス人形がよくわからんけど、つまりは、ちょっと外国人みたいな顔立ちの子。
緑色のリボン……同じ学年かな?
その子に続いて、黒服の男性が数名。明らかに学生には見えない。何じゃありゃ?
日常では見慣れない光景を呆然と見ていると、女の子はくるりと俺の方を向く。
「貴方、見ない顔ですわね?」
「え!? あ、うん。俺、今日転入して来たからさ」
まさか声をかけられるなんてビックリ。話し掛けられた……と思ったら、俺と女の子の間に黒服が割り込む。
「セーラ様に対してその口の聞き方……。身の程をわきまえなさい」
何だか怒られたぞ?
俺、そんな失礼な言い方したか?
「このお方はあの有名な申空時聖羅様ですよ」
黒服たちは、女の子を紹介するように手を彼女に向ける。何と言うオーバーアクション。ジャーンという効果音でも鳴りそう。
しかしそんな名前、全く知らんがな。
キョトンと目を見開いていたら、黒服がズイと俺のそばに寄って来た。
「お嬢様は申空時財閥のご令嬢であり、この学園の理事長でおられる」
俺は一人の黒服から渡された名刺を受け取る。
理事長? 学生じゃなくて??
「行くわよ」
いつの間にやら昇降口から廊下へと進んでいた若い理事長が黒服に言った。
その鶴の一声に、黒服たちと女の子は行ってしまった。
俺も行くか……。この場合、先に職員室へ行くべきなのか?
「ちょっとアンタ!」
周りがザワザワとしている中、俺はまた背後から声をかけられた。
振り向くと見覚えのある顔。
ハーフアップに上げた髪に、今にも怒りだしそうなムッとした表情。
「鈴芽……」
「アンタなんかに呼び捨てされる筋合いないんだけど!?」
え……そんなに怒るような事なのかな……。
「これ、クロノから。渡すの忘れてたって」
イラついた口調の彼女は俺に何か機械的な物を渡して来た。
しかし初めて手にする物だ。
「何これ?」
機械を受け取り、それを四方八方から見る。
これ、二つ折りになっていて、開くと中にボタンがいっぱいついてるぞ……うーむ?
「あ、アンタ携帯……知らないとか言わないでよね?」
不思議に機械を見つめる俺に指を向けた鈴芽の表情が一転する。
あ~、これがケータイってヤツか……。見た事はあったけど、俺の知ってるのはこんな色や形じゃなかったぞ。
携帯って確か……トランシーバーみたいなもんか? けど好きなところに電話をかけられるって聞いたな……。持ち運びの出来る小型の電話?
「……これどうやって電話かけるんだ?」
「はぁ~!?」
俺の質問に、鈴芽の大きな声が廊下に響く。
「アンタ、電話かけたことない訳ッ!?」
鈴芽は目を細め、呆れた顔で俺をジロジロと見る。
「勿論、かけた事あるよ。けどコレじゃー、ダイヤル回せないだろ?」
「はあぁぁ~ッ!?」
一瞬、間があいたと思ったら、すぐに鈴芽の驚きの声がさっきよりも廊下を響き渡る。
「あ、あ、アンタ…………アホウ?」
……あほ? 阿呆?
何で阿呆呼ばわりされなきゃならんのだ!?
俺、普通の事言ったよな?
「はぁ……とりあえず渡したからね。全く……アホウになんか付き合ってられないわ……」
鈴芽は大きく溜め息を漏らすとぶつくさと呟きながら去って行った。
俺、また何か怒らせたか?
――ざわざわ
俺が下駄箱で一人悩んでいると、周りにすごい沢山の人が集まって来た。
鈴芽が奇声をあげるから注目されちまったじゃねーか……。
俺は野次馬の人を掻き分け、職員室へ急いで向かった。
「失礼しまーす」
ノックをして職員室のドアを開けようと思ったら……ッ!! ドアが突然勝手に開いたぞ!?
どうなってんだ? トリック?
驚きつつも、俺は職員室に入る。しかしこの後どうしたらいいんだ?
転入生って担任と教室に行くものだと思ってたけど、実際はどうなんだ?
職員室に一歩踏み入れたものの、担任が誰かもわからないし……。
やべェ……冷や汗出てきた。
「あら、貴方が粟田クンね?」
手前の席に座っていた眼鏡の似合う美人教師が俺に声をかけてきた。
「は、はい」
返事をすると、その先生のところへ行く。
姓が粟田なのは、まだ母たちは正式に結婚していないからだと思う。
「私、卯月桃子。桃の子と書いてトウコって読むの。ちなみに家庭科担当」
綺麗な髪をかき上げながら、その教師は自己紹介をする。
「あら? そんなに遠くにいないでもっと近くに来なさい」
卯月先生は手招きをする。
……が、あんまりそばに寄ると……何か……そのパックリ開いた服から見えそうで……胸が……、いや、下着が。
そ、そんな事を考えてしまってる俺って……。何か恥ずかしくなってきたぞ。
「どうしたの? 赤くなっちゃって」
クスッと微笑をすると先生は脚を組みかえる。
「!?」
ちょっ……そんな短いスカートで脚を組み換えるなんて……誘ってるのか……この破廉恥教師。
ってか先生としてそんな格好はどうかと……教育上よろしくないのでは……PTAが黙っちゃいないぜ?
視線をどこへ向けていいのかわからず目を泳がせていると、急に先生が立ち上がりそばに寄って来た。
「まあいいか。粟田クンと少しお話しようかと思ったケド……教室行きましょうか」
卯月先生の手が俺の肩に置かれたと思うと方向転換させられ、そのまま前へ押されて職員室から出る形となった。
「粟田クンは二年四組よ」
二年四組か……。
教室へ行く途中の廊下で自分のクラスを聞かされるとは。
「あ、あの……」
「どうかしたの? 質問は大歓迎よ」
俺は高い天井を見上げ、上に指をさす。
「あの蛍光灯、危なくないですか? あれが落ちてきたら怪我じゃすまないんじゃ……」
俺は学校に足を踏み入れた時からの疑問をぶつけた。
そこら中にある、あのブラブラした照明灯。屋敷の中もあれがぶら下がってたけど、家ならまだしも学校じゃー危険じゃないか?
ほら、事故に繋がるかもだしさ。公共の場だしさ。
先生は目を丸くして俺を見る。……皆そんな目で俺を見る? 何だ、何なんだ?
「もう何言ってんの~粟田クン。あれはシャンデリアじゃない」
しゃん……デリー?
どっかの首都か?
「クスッ……粟田クンかわゆい。さ、教室に着いたわよ」
そう言ってウインクをした先生は教室のドアを開けた。
――ガラッ
ここは手動なんだ。
教室へ入って行く先生をボーッと見ていると『早く早く』と手招きされる。
中に入ると一斉にこちらへ視線を注がれてビックリした。皆、当たり前な反応なんだが。
教室には二十人いるかいないか程の生徒。少人数?
う……何か緊張してきたかも。
「あ、粟田桜次郎です。よろしく」
各々でパラパラと拍手が鳴る。
歓迎されてないのか?
「みんな仲良くしてね~。じゃ、席はあそこ」
先生が指したのは、窓際の席。ラッキー。
俺は一直線にそこへ急ぎ、席に着いた。
着席し、少し安心したら周りを見渡す。
皆頭良さそう……ってか、金持ちオーラが出てる。
この机や椅子だってそうだ。何、この社長が座ってそうな椅子は?
……あれ? 何か見覚えのある子が……。
――トントン
クラスメートを見ていると、後ろから肩を叩かれた。
振り向いた先にいたのは、この金持ち学校に似つかわしくない、だらけた服装のチャラそうな男子。
「オレ、巳山白人ってんだー。よろしくな桜次郎!」
「よ、ヨロシク……」
巳山と名乗った男は、バシバシと俺の肩を叩きながら言った。
仲良く……何か彼とは相容れない気がする。って見た目で判断するのは駄目だな。
「なぁなぁ」
まだ喋りかけてくるか?
「お前、辰酉鈴芽と知り合いなの?」
そう言って巳山が指した席には……やっぱ鈴芽か。
「ん……まぁ知り合いってか――」
「そこ、お喋りは休み時間にしなさい」
先生に怒られてしまった……と、同時に教室のドアがガラガラと開いた。
あ、あの子……朝の……。
「申空時さん、早く席に着きなさい」
先生は彼女に優しく言うが、申空時という女の子はムッとする。
「ワタクシだって忙しいのですから……」
先生の顔を見ずにツカツカと席へと歩き続ける。
「ちょっとお祖父サマのお気に入りだからってナマイキですわ……」
小さく呟きながら俺の近くの席に来た。
「あら? 貴方……確かぬりかべ……」
こちらに気づいた彼女に俺は小さく会釈をする。ぬりかべって……?
「あ、そうだ~。申空時さん」
再度先生が、少し不機嫌そうな顔の彼女に口を開く。
「放課後、粟田クンに学園を案内してあげてくれない?」
「何故? 何でワタクシがこんな申空時家も知らない庶民と!?」
彼女は席から立ち上がり、嫌そうな顔で拒否をする。
「だって、理事長が一番学園の事詳しいもの」
先生はクスッと端整な顔で笑う。
「……」
何かぶつぶつと言いながら、申空時さんは不満げに着席をした。
腕を組み、堂々とした態度で座った彼女は俺をチラリと見ると、すぐに目を逸らされた。
やっぱ俺、嫌われてる?
頭の中でグルグルとそのような事を考えていたら、いつの間にか時間が過ぎていったのだった。