ようこそ、辰酉家へ②
「う~ん」
あの後、俺は菜子ちゃんに部屋へ案内された。広い空間に色々な家具、そして大きなベッド。
その大きくふかふかなベッドに寝そべりながら、俺は先程渡された紙を見て唸っていた。
目を通せ……と言われても一度にこんな沢山の女の子、覚えられない。
十人姉妹……本当にコレ、後吉さんの娘さんか?
資料を見つつ俺は、女の子の顔は覚えずにそんな疑問を覚える。
――トントン
ギーギー頭の中で叫んでいると、不意に部屋のドアがノックされる。
別にやましい事はしてないのに、俺はドキッとして紙を隠した。
「は、は~い?」
間の抜けた声でドアの向こう側に返事をする。
「失礼致します」
ゆっくりとドアを開けてこちらに深々とお辞儀をすると、一人の若い男性がこちらへ歩み寄って来た。
「初めまして桜次郎様。私、世話係の黒野と申します」
黒野さん……という割には金髪で青い瞳してるんですけど。ハーフ?
「ご用件の時は何なりと申し付け下さい」
そう言うと、綺麗な顔立ちをした世話係さんは部屋を出て行った。
黒野さんが部屋を出て行くのをぼんやりと見ていたその直後、俺はベッドから飛び降りる。
「そうだ。まずはアレだよ」
独り言を口にし、俺も部屋を出る事にした。
姉妹の名前を覚えるより先に、家の中を覚えないと俺困る。
これから住む家だし、それに家で迷子なんてヤだぞ。
あ~、そうだ。黒野さんにでも案内頼めば良かったな。
そう思うのも後の祭りだし、まず、目指すは玄関とトイレだ。
少し後悔をしつつ、この城ように大きな家を探索しようと部屋を出た。
「広……」
自分の部屋から出て廊下を歩く。
広い廊下に沢山の部屋。しかしどれが何の部屋なのかさっぱりわからない。
便所は『トイレット』と書いてるか、マークがついてるよな?
……家庭用トイレにそんなのは書いてないっけ?
玄関なら何となくわかるから、まず、玄関に向かおうか。
「ん?」
少し迷いつつも、足を進めて行くと少し開いたドアが目につく。
見ないようにと思っていても、チラッと中を見てしまうんだな……。これは人間のサガというものか? それともただ単なる俺の性格?
まあ、少し開いたドアをチラ見しただけじゃあ中の様子、良くわかんないんだけどさ。
「いやいや、チラ見もいかんだろ」
口に出しながら自分に言い聞かすと、小刻みに顔を横に振る。そしてその部屋の前を通り過ぎようとした瞬間――
「邪魔」
「うぅぉッ!!」
情けない声を出しながら、俺は一歩飛びのいた。
ドアの隙間から覗かせる女の子の顔に驚き入る。
いや、だって、ホラー映画のワンシーンとかでありそう……というか、俺が油断しきっていたという方が正しいか。
パタンと部屋のドアを閉め、女の子はこちらを見ずに立ち去ろうとする。
少し赤みがかったおかっぱの髪に青いヘアーバンド。
あれ? この子は確か……?
「翼……ちゃん?」
彼女は俺の言葉に反応し、ピタッと足を止めた。
「……桜次郎」
「えっ? は、はい」
俺の名前呼んだ? 知ってるのか……。あのプロフィール、バラ撒かれてるんだろうな。複雑。
こちらを向かずに彼女はそう言うと、すぐにまた歩き始めた。
「あ、つ、翼……ちゃん」
ぎこちない口調で、俺は彼女を引き止めた。
再び足を止めると、くるりと顔だけこちらに向ける。
「何か用? 私、忙しいんだけど」
眉間に皺を寄せ、めんどくさそうに言われた。
「粟田桜次郎です。今日からこの家に住むことになり――」
「知ってる」
最後まで俺の自己紹介を聞かずに、彼女はツカツカと去って行った。
何つーか……俺、嫌われてんの? 初対面で?
金持ちはわからん……。
一息吐くと、周りを見渡す。
豪華な額縁に入った絵やら変な形の壺。廊下にまでふかふかの綺麗な絨毯を敷きますかね~?
ほんと、絵に描いたような金持ちだな。あ、絵画は至る所にあるんだけど。
……と、何を意味わからん事を考えとるんだ俺は!?
階段を降りるとロビーにでる。
ロビー? 一般家庭にロビーって何か違うような気がするが、玄関の前に広い空間みたいな……休憩出来そうなソファーがあったりとか……何かロビーっぽくない?
あー、自分で言っていて良くわからん。
それより、この家、庭ってのがあるんだよな~。庭があるなんて金持ち。どうせだし、行ってみるか。
俺が玄関を出ようとするとサッと足元に靴が用意される。しかも一足じゃなく、四、五足。
「お車のご用意を致しますので少々お待ち下さい」
靴を用意してくれたのは黒野さんだった。……それにしてもいつの間に? しかも何故こんなにも靴?
「……ってお車!? いや、俺は単に家の散策を……というか庭でも見学しようと思って……」
俺はあたふたと手を左右に振って、外出しない事をアピールする。
「左様でございましたか。失礼しました」
ビックリした……。何だこの待遇の良さ。
「謝らないで下さい。黒野さんが悪い訳じゃないんですから……それより一つ聞いていいですか?」
「はい。何なりと」
綺麗な髪をサラサラとなびかせ、白い歯をキラリと……何処の王子様だよ……この人。
「家の地図みたいなの……あります?」
馬鹿な質問。普通、家に地図なんかあるはずないだろ……ちょっと考えたらわかる事じゃねーか。つーか、地図って何だよ。間取り図だろ……。
自分の馬鹿さ加減に自嘲する。そして脳内一人ツッコミ……。
俺の口からは黒い溜め息がスーっと抜けた。
黒野さんは顎に手を当て、思い出しているようだ。
「現在、そのようなものはありませんね……すみません」
ほらね。
「ご夕食までにはご用意しておきます」
ほらね。
……用意って? つ、作るの?
「桜次郎様はごゆるりと、お好きなようにお過ごし下さい」
またまた甘いマスクに白い歯がキランと……。
この人プリンスか? プリンススマイル。略してプリンスマイル。違うか……プリスマか。
ってそんなこたぁどうでもイイんだよ!
「く、黒野さん。間取り図は結構ですから、家、案内していただけます?」
さすがにわざわざ作ってもらうのは悪い。そして密かに【地図】を【間取り図】に言い換えてる俺。
「お安いご用です」
ニコッと微笑む黒野さん。
うわー……こんなイケメン見たことないや。もし俺が女の子だったら惚れてるかも。
こんなカッコイイ人が俺の世話係?
俺、惨めだな……。
「あ~ん! 黒君じゃないのぉ~!?」
玄関付近でモゴモゴとしていると、外から女性の声が聞こえた。
声の聞こえた方へ、パッと顔を向ける。
前から歩いて来たのは二人の女性?
彼女たちは、俺と黒野さんの前へ来ると、亜麻色の巻き髪の女性がこちらをじっと見ていた。桃色のワンピースに白のカーディガン。いかにも【お嬢様】って風貌だ。
「もしかして貴方、桜次郎君?」
優しく微笑むお嬢様。この人も姉妹の一人か。
「はい……。粟田、桜次郎で――」
「キャー! やっぱり? 会えて嬉しい」
「えっ!? ちょ……」
自己紹介を言い終える前に、巻き髪のお嬢様は俺を抱き寄せる。
戸惑いつつも、彼女から香るいい匂いと、目の前の豊満な胸に顔を赤く染めるしかない。
「かわいい弟がずーっと欲しかったの~」
そう言いながら、段々と抱きしめる力が……つ、強く……なって……。
「蝶子!」
もう一人の小麦色の肌をした女性の一言で、蝶子と呼ばれた美人の腕の力が緩む。
「……こほっ」
あ、朱色に染まった顔が、一瞬、蒼白になってしまった……。
「ごめんなさいね~。つい嬉しくって……。私、辰酉蝶子です。チョコちゃんって呼んでね」
彼女は、エヘッと可愛らしい笑顔を見せる。整った顔がすごく美しい……。しかもモデルのようなプロポーション。
けども、この華奢な体のどこにあんな力があるんだ……。
俺は苦笑いをしながらペコリと会釈をした。
「で~、こっちの大きい女の子が辰酉楓ちゃん。私のお姉ちゃんで~す」
蝶子さんが隣の女性を指しながら、にこやかに語る。
「……何で勝手にあんたがウチの自己紹介するねん」
溜め息をつき、呆れながら言った髪の短い女性。
確かに背、高い……。俺と同じくらいか??
あれ、関西弁?? 何で? まぁいいけど。
「今日からこの家に来ました、粟田桜次郎です……」
「辰酉楓。よろしく。じゃ、ウチは急ぐんで」
淡々と自己紹介を済ますと、楓さんはサッサと屋敷の中へと入って行った。
サッパリした人だな。
「桜次郎君、私も行くね~。また、あ・と・で~」
蝶子さんはおしとやかに手を振ると、彼女も屋敷へ入って行った。
「桜次郎様?」
呆然と屋敷の中を見つめていると、黒野さんに声を掛けられる。
そうだ。案内だ、案内。
「……家の中を詳しく案内してもらってもいいですか?」
「かしこまりました」
「あっ! お兄ちゃ~ん」
黒野さんが一礼をしたと同時に、幼い声がこちらに向けられた。
走って来たのは菜子ちゃんと……あの女の子は? 彼女も姉妹なんだろうか……?
「こん人がテンのチーちゃんだか?」
ん??
少女は俺をジロジロと見定める。
「占い通りっチ!」
その紫の色をした長い髪をなびかせて、少女はキャッキャと嬉しそうにはしゃぐと、頭に乗せた大きなリボンが揺れる。
「チーちゃん、テンは辰酉天子ゆーんだお」
俺の手を握りと、上下に揺らす。
「て、天子ちゃんね。俺、桜次郎です……」
明るくて可愛らしい子。そしてちょっと変わった子……って言ったら失礼か。
レースやらフリフリやらがいっぱい付いた服が可愛い。こういうお人形さんみたいな可愛い服を着た子、なんていうんだっけ?
「チーちゃんも行く?」
俺が考え事をしていると、天子と名乗った少女が首を傾けて言った。
チーちゃんって俺の事か?
「お馬さんにご飯をあげに行くのです」
そう口にすると、菜子ちゃんは大量の人参の入った箱を台車に乗せて持って来た。
この家には馬がいるのか……。
「そ、それにしてもスゴイ量だね……」
「はい。皆さんにあげますから」
皆さんって? 一頭や二頭じゃないのか?
「チーちゃん用の馬ちゃんも飼わなきゃぬ~」
馬を飼う!? 俺用って??
天子ちゃんの言葉に疑問を抱き、チラリと黒野さんを見る。すると彼は微笑ましくこちらを見ていた。
「皆様、自分専用の馬をお持ちでして、今度桜次郎様にもお好きな馬を手配させて頂きます」
自分専用の馬? 自家用馬ならぬ自己用馬?
何だか規模が違い過ぎてよくわからん。
「じゃあ俺も行こうかな。お馬さんにご挨拶しなきゃね」
俺は笑顔で菜子ちゃんと天子ちゃんに言うと、彼女たちの表情にパアッと笑顔が咲く。
「黒野さん、家の案内、後でもいいですか?」
「いつでもお呼び下さいませ」
黒野さんに別れを告げると、家の敷地内にある厩舎へ行く事にした。
庭の散策もしておきたかったし一石二鳥?
……広い。広いどころの話ではない。庭じゃないだろこれ。公園? 違う。物凄いデカイ公園……ていうか、日本にこんなにも土地があったんだ。
向こうの方には森らしき場所が見えるし……まさかあそこも敷地内とは言わんよね?
「馬小屋~」
「馬ちゃ~ん」
天子ちゃんに菜子ちゃん、二人の女の子は無邪気に走って行く。
若いっていいなぁ~と、少しオッサン染みた事を考えていると、厩舎の辺りに誰か立ってるみたいだ。先客がいるらしい。
鼻が高く、パーマのかかった金髪の少女。その少し哀愁のある横顔を見ていると、少女はこちらに気づいた。
「!!」
すると彼女は猛スピードで走り、俺たちの前から消えて行った。
…………?
な、何だったんだ?
「千代花お姉ちゃん、帰ってたんだ……」
菜子ちゃんがぽつんと独り言かのように言う。
お姉ちゃん? じゃあ、あの子も……
「ナコにチーちゃん、早くぅ~!」
いつの間にか厩舎の中へ入っていた天子ちゃんが、顔を覗かせながら叫ぶ。
「うわ……」
で、デカイ。当たり前だがデカイ。馬デカイ。噂では聞いていたが、初めて見た……。
「お兄ちゃん、馬、乗れる?」
もちろん乗れません。
俺が苦笑いをしてると、菜子ちゃんは満面の笑みで言う。
「今度一緒に乗ろうね」
可愛い……。妹ってこんな可愛いものか? 本当の妹じゃないのに。
「ナコも~、みんなに餌やってお~」
そんな俺たちを見て、天子ちゃんは地団駄を踏んでいた。
「チーちゃんもー、はい」
「ん?」
天子ちゃんに手渡されたのは人参。カットされたものじゃなくて、丸々の人参。
しかも結構大きい。形も良いし、葉っぱも新鮮だ。ちょっと美味しそうだとか思って生唾をゴクリ……って思う俺は馬並なのかな。
「きゃっ!」
俺が人参の姿に目を奪われていると、天子ちゃんの叫ぶ声が耳に入った。
「大丈夫!?」
彼女を見ると、馬は天子ちゃんにスリスリと擦り寄っている。
馬の力強い好意に押されながら、天子ちゃんはニコニコと微笑む。
「チーちゃんも戯れよお~!」
そんな姿を見ていると、この家でもやっていけそうだと思った。
菜子ちゃんに天子ちゃん。
寧ろ、母と二人暮らしの時より楽しそうで癒されそうだ。