千代に八千代に⑦
「ぐっ……」
レッドローズに服を掴まれ、地面を這いつくばるように引きずられながら投げられた。
「あ、粟田っ! な、ナツさんっ! もう止めるけん! 昔はそんなんちごうたで」
丑光は身体を震わせてレッドローズに向かい言った。
「昔は正義感が強くて、助けてくれたけ……」
「いつの話してんだよテメェは!? 正義感? 何だソレ。テメェは自分を助けてくれたら何でも正義になるのか?」
鼓膜が割れそうなくらいの大きく汚いレッドローズの声。向けられているのは丑光だ。
……? こいつら知り合いなのか?
「たしかに十年近く前の話かもしれんけど、母親と仲良くやってたやないスか」
歯が折れそうなくらい歯ぎしりをしていたレッドローズは丑光の台詞を聞いた途端彼の髪に掴みかかると、顔面を地面に擦るように叩き付けた。
「親? テメェ、すぐに引っ越したくせにわかったような口聞くんじゃねぇぞッ!! 親なんていねーんだよォォ!」
ガンガンと数回丑光を地面に打ち付け、こちらへ投げ飛ばす。
空から降ってきたかのように飛んできた丑光のクッションになった俺は、彼の表情をうかがう。鼻と頬骨、目尻についた痛々しい傷から血が出ていた。
「ごめん…………ナツさん」
そんな事を小さく呟いていた。
コイツ、これだけ傷付けられて何故謝るんだ?
レッドローズを見ると、ご立腹という言葉ではすまされない程の苛立った顔をしている。
……つーか、何で俺らがこんな目に遭わなきゃならんのだ!?
だからといって、俺に対抗出来る手段があるというのか? 女が相手だろうが勝てる気がからっきしない。
しかしこのままだと、この間の二の舞になる。ダメだダメだ、何も変わらないじゃないか。
レッドローズは震える丑光の襟首を掴み、引っ張り回す。
「あの男が帰って来ないのをあたしのせいにするような……あんな奴は母親じゃねェ!!」
母への怒りをぶつけるかのごとく、丑光を小さなジャングルジムへと放り投げる。
鉄の棒に頭を打ちつけて倒れた丑光はぐったりと横たわったまま動かなくなってしまった。
……やばい、やばいぞコレ。この後どうなる?
病院送り程度ならまだいい方だ。
レッドローズは標的を俺にロックオン。キランと光る、獲物を狙っている獣のような視線に固まってしまった……って、ここで怯んでちゃあ駄目だ。
近づいてきた彼女は俺の服を乱暴に引っ張った。今にも喰い千切りそうなその形相。
「……た」
俺が音声を発すると、レッドローズは拳に力を込める。殴られる覚悟で続けた。
「親との間に何があるのか知らないけど、君がやってる事は犯罪だぞ。暴力で解決すりゃいいってもんじゃない」
案の定彼女の拳は俺の顔面へ向けられてくるのが確認出来た。
殴られると思った瞬間、背後から誰かが俺の頭を下へと押し、レッドローズの拳を受け止めた。
「……チヨカ」
「こいつは他人だっていっただろ。手ェ出すな」
レッドローズのいう通り、この声は確かに千代花ちゃんのよう……千代花ちゃんッ!?
「何で千代花ちゃんがここに!? 病院は――うぉッ!」
後ろにいる千代花ちゃんに顔を向けると、彼女は俺の服を掴んで後ろへ行けと言わんばかりに引っ張った。
「あれだけこらしめたのにわからない奴だな……。で、何をしに来やがった?」
「けじめだ」
力強い凛々しい声音でハキハキと言った千代花ちゃんは拳を握り締める。
けじめって……。喧嘩じゃないよね? 御前会を辞める為のけじめ?
包帯を巻き病衣姿の千代花ちゃんを見る限り、病院を抜け出して来たんだろうと想像がつく。運び込まれた日に病院側が外出を許してくれるとは思えない。
「おい、あのナヨっちい男連れてさっさと消えろ!」
俺にそう言いながら、千代花ちゃんはジャングルジムの前で倒れてる丑光を指した。
「そいつらを逃がしてお前はどうするんだ? チヨカチャーン? ……また痛い目に遭いたいのか!?」
「あたいをボコろうが構わない。それでアンタの気がすむんなら」
千代花ちゃんは俺をかばうようにレッドローズとの間に立つと、話を続けた。
「あの家とは縁を切った。関係のない奴らを巻き込むな!」
千代花ちゃんは表情の険しいレッドローズに痰を切った。まさに一触即発状態。ここに居れば確実に巻き添えをくらう。
……ん? 家って辰酉家の事?
「あたいはアンタについていくよ……けどローズ、最近のアンタにはついていけない。ただアイツを困らせる為に問題を起こして無駄な争いをするアンタには……」
バチバチ火花散る中、千代花ちゃんが鋭い声音で言い放つ。
あいつって?
「……所詮、信じられるのは自分自身のみ……わかってた事さ。まぁ、あたしはそんな自分でさえあんま信じられねーけど」
レッドローズは肩を震わせ小さく自嘲しながら笑った。しかしすぐに表情を戻す。
「チヨカ、あんたは他とは違うと思ってたよ。けど結局思い通りにならなかったらトンズラか」
溜め息をつき、失望という文字を顔に書いたレッドローズは千代花ちゃんを見下しながら言った。
「そこのガキや御前会の奴ら同様、お前もあたしを利用してたのか。自分の都合であたしにたかってきてはなすりつけてそして自分は安全な場所にいる……どんなに問題を起こそうがあの男が金と地位で解決するからな」
そう口にした彼女は不良少女たちを威嚇するように見る。少女たちはたじろぎながら目を泳がした。
アイツって、戌養の事か。
「だからあたいはそれを何とかしろって言ってんだッ!! 親が嫌いなのにスネをかじりやがって……」
「テメェ! アイツは親なんかじゃねーっつってんだろォ!」
二人の激しい言い争いが続く。その少しの合間に千代花ちゃんはチラッとこちらを見た後、公園の外に目を配った。今のうちに出ていけって事か?
しかし、この場から去ってどうする俺。千代花ちゃんを置いて家になど帰れるはずがない。だが、コロンと転がる丑光をここに置いとく訳にもいかない。
俺がモタモタしていると、千代花ちゃんの強い視線が再度こちらに向く。『早く消えろ!』とでも言われるかと思ったが、彼女は少し口角を上げ口を開いた。
「……迷惑かけたな」
穏やかな表情で言うと、すぐに顔を逸らした。
迷惑かけた。
それ、前にも言われたぞ。
迷惑かけた……って。
「…………だろ……」
俺は千代花ちゃんに近付いて彼女の腕を掴んだ。
「迷惑かけろよ! 家族だろ!!」
いきなり出した大きな声に驚いたようで、千代花ちゃんは固まっていた。しかしすぐに顔を左右に振って俺の手を振りほどく。
「だ……だからお前ら他人だっていったろ!? あいつらだって、あたいが居なくなった方がいいに決まってる!」
「んなはずあるかッ! 誰かが言ったのか? それ」
今度は千代花ちゃんと俺の言い合いが始まる。
口喧嘩でも殴り合いの喧嘩でも、彼女に勝てる気がしない。勝算がある訳もない。つまり俺の負けは目に見えてるのだが……。
「心配してたぞ、翼ちゃん。……みんなだってさ。そっちのが迷惑だろ」
「……」
「帰ろーぜ」
「誰が勝手に帰っていいっつったんだ?」
それまで俺らを無言で見ていたレッドローズがゆっくりと歩いて来る。すると、俺の胸ぐらを掴んだ。
「ったく、とんだ茶番に付き合わせやがって!」
「やめろ――ッ!」
掴みかかろうとした千代花ちゃんを、レッドローズは鉄板でも入ってそうなブーツの角で容赦なく蹴り飛ばす。
千代花ちゃんは受け身をとるが、ガクッと膝を落とした。
「あーあ、男ってどうしてこう余計な事するのかねぇ~」
風で周りの木々が揺れている中で、レッドローズが顔を近づけてそう話す。
「…………だいたいアンタが何もわかってないからダメなんだろ」
溜め息をまじえて言った俺の言葉に彼女の拳に力が入るのが目に映った。
「『自分は独りぼっち』みたいな事言うな。千代花ちゃんはどうなんだ? アンタを気にかけてるからここに来たんだろ? じゃなきゃあとっくに逃げてる」
「ぺちゃくちゃうるせーなぁ!」
舌打ちをした後すぐにレッドローズが力を込めていた拳を俺のこめかみの辺りにぶつけた。
当たり前だが痛い。こめかみがじんじんする。
逃げ出したい気持ちは大いにあるが、服を掴まれ間合いをとる事さえ出来ない俺は、レッドローズの腕を掴んだ。
彼女は逆立つ毛を更に逆立て、顔を破壊されてしまいそうな勢いの強い視線でこちらを睨む。まさにホラー映画よりとホラーな映像。
だからといって後には退けないけど。
「だいいち、助けてもらっといて『あの男』呼ばわりはなんだよ」
「は? 今度はあたしに説教か? テメェは何様だ!」
「それはこっちが聞きたいっつーの。感謝するどころか仇で返してんじゃんか」
レッドローズはギリギリと歯ぎしりをすると、俺の身体を力一杯地面へと押し倒した。
背中に衝撃が走るが、馬乗りになったレッドローズに胸ぐらを引っ張られて上体を起こされる。
ものすごい形相。きっとコレ、鬼の形相ってんだぜ。
逆鱗に触れている事は自分でもわかってる。関わったら只では済まない相手だってのもわかってる。でもこのまま黙っていても、半殺しにされて終了だ。口を開いても同じ結果だろう。
うー、半殺しですむように祈る!
「あの男が勝手にやってるんだろ! 誰も『助けて』なんて言ってねぇし!!」
「言われなくても助けるだろ、心配なんだから」
「心配? 心配なんてするはずねーだろッッ!! 単に自分の立場を守る為にやってんだ! アイツがあたしを認めてくれるはずがないッ!!」
レッドローズは俺の服を上下に揺さぶり、何度も地面に叩き付ける。
「陰でこそこそ金と権力使って揉み消してよォ……アイツにとってあたしなんてどうでもいい存在なんだ」
声の張りがなくなっていくのに比例して彼女の力が弱まっていった。目をつぶって堪えていた俺は、ゆっくりとまぶたを上げた。
「邪魔なら邪魔だっていってくれた方が楽なのに…………」
顔はこちらに向けているのだが、その瞳に俺は映ってないみたいだ。
「……相手がどんな思いで行動してるかなんて知らないけどさ、どうでもいい子だったらお金さえ出してくれないんじゃないか?」
そう口にした事で、やっと彼女は目の前の俺を認識してくれた。
「その行動自体、自分の子だと認めてるみたいなもんじゃねーのか?? どうでもよかったらそこまで――」
「うるせぇ!!!! テメェは口を開くな!!」
どうやらこの無駄口がカンに障ったようで、レッドローズは再び俺の胸ぐらを掴み立ち上がらせられた。そして彼女の鉄拳が俺の脇腹に入る。
「ッ!」
先日君に殴られた古傷が……。同じとこを殴るなんて酷い。
そんな事を考えていると、身体が宙に浮き、女の子とは思えないくらいの力で投げ飛ばされていた。
重力がなくなったのか、はたまた世界が逆さになってしまったかのような感覚を味わいながら一回転した俺は頭から落ちていった。
「ヴ……ぐ……」
むち打ちになるかと思った……。痛い……横腹が痛い。病院行き確定……。
つーか、その前にこのままだと全滅すんじゃねーの?
「桜次郎っ!」
走る足音が聞こえた後、仰向けで倒れている俺の隣には千代花ちゃんがいた。
「……千代花ちゃん」
「桜次郎、大丈夫か!?」
千代花ちゃんは俺に身を寄せ、顔を覗く。
「…………」
「桜次郎?」
「……名前」
きょとんとする千代花ちゃんに掠れながら言葉を吐き出す。
「名前、呼びあえるんだから……もう他人じゃないだろ……?」
「……」
「迷惑かけれる……相手がいるなんて……幸せ……な……事なんだぜ……」
「……桜次郎……」
千代花ちゃんは小さく俺の名を呟くと、目を細めて泳がせる。
きっと頭がガンガンしているせいでそんな意味不明な事を口走っていた俺は口内で鉄の味が広がるも腹まわりに激痛がするも、まぶたが重くなり思考がボヤッとしてくる。
身体が動かない。
あー、やっぱ前の二の舞?
そう思っていたら、全身麻酔でもされたように記憶が飛んでいった。
「……ハッ!」
まただ。気絶していたのか、俺は。
ブルッと身体を揺らして目を覚ます。見覚えのある天井……俺の部屋だ。
全身痛いだろうと思いながら身体を動かしたが、予想外に脇腹以外はさほど痛みは感じなかった。
「……」
あの後どうなったんだろうか。
どういう経緯で俺はここに戻れたのか。
起き上がってベッドに座ると、ドアの外から声が聞こえる。ガチャリと開けて入って来たのは黒野さんだった。彼は片手に持った盆の上にあるお洒落なティーポットとカップをテーブルに載せると、窓の方へ行きカーテンをゆっくり開ける。
日差しが入り、部屋が明るくなった。
「お身体の具合はいかがですか?」
「……」
「桜次郎様?」
ポットの中身をカップへと注いでいた黒野さんは無言の俺に近づくと、そのカップを差し出す。俺は受け取ったカップをクイッと飲み干した。
紅茶か何かかと思ったら、水だった。水? いや、味があるし何か違う? まぁいいか。
「あの……千代花ちゃんは……?」
「千代花様は帰られてすぐ、流れ込むように部屋へと入ってから出てきてません。随分お疲れのご様子でした」
黒野さんはそう言ってスッと携帯をこちらに渡す。俺の携帯だ。
「何かありましたら申し付け下さい。すぐ参ります」
いつも以上にとびきりスペシャルな笑顔を残した彼は部屋を出ていった。
千代花ちゃんは帰って来てるのか……。何だかあの出来事は全部夢だったようにも思えてきた。しかし手足の打ち身や擦り傷を見ると、夢でない事は明らか。
まさか自分の記憶がブッ飛ぶなんて思いもしなかった。
……そういえば丑光はどうしたんだ? あいつ、話をしに行ったはずなのに痛めつけられただけだな。肝心の言いたい話、出来てねーじゃん……まぁいいか。
「……?」
徐に携帯を開くと【着信履歴26件】と画面に映し出されていた。無論ポチッとボタンをクリック。
「……」
何か怖いドラマを見ているようだ。着歴には丑光の名前がずらっと並ぶ。
丑光丑光丑光丑光丑光丑光丑光…………。
これだけ見てるとゲシュタルト崩壊が起きそうだ。
目がおかしくなりそうなので携帯を閉じるとブルブルと震え出した。
着信の相手は想像通り丑光。
仕方がないという気持ちと、何かあったのかなという気持ちで俺は電話に出た。
『あ、粟田?』
「あぁ……」
『大丈夫か?』
「あぁ、そっちは?」
『うん……』
「そっか」
『…………』
…………何じゃ、この会話は? 言いたい事があるならさっさと言えよ。
「なぁ、レッドローズとはちゃんと話せたのか?」
『……いいや。気がついたらいつの間にか家にいた』
なんだ。こいつも同じか。結局俺、何も出来なかったし。
『あのさぁ……』
丑光は電話の先でもごもごと呟く。しかし、なかなか続きを言おうとはしない。
「なに?」
若干イラつきながら聞き返した。このイラつきは丑光だけの問題ではないが。
『情報料……』
……この期に及んでそれですかい。
その話、まだ生きてたのか。まぁ、言い出しっぺは俺だしな。
「はいはい、今度持ってくから……それでいいだろ?」
『も、持ってきてくれるのか!?』
驚いた様子で話す丑光の声音が変わった。その後、何回か『そうか~』や『持ってきてくれるのか~』という囁き程の小さな音声が電話の中からうっすら耳に入った。
――バンッ!!
急に激しい勢いで開いたドアに驚いた俺は電話を落としてしまう。
「桜次郎!」
ズカズカと足を部屋に踏み入れて来たのは千代花ちゃんだった。
携帯を拾い、『じゃあな』と一方的に通話を切る。丑光が何か叫んでたけど知らない。無視。
「……」
千代花ちゃんはドカッと隣に座ったまま口を開こうとはしない。
「えっと……」
大丈夫だった? 怪我はない?
何て声をかけようかと悩むが、言葉に出すのを躊躇する。そんな事お前が言うなって感じだし。チラチラと千代花ちゃんを見ながら言い淀んだ。
「無事、家に帰れてよかったな」
俺はぎこちない笑いをしながら言う。彼女の顔を見ると、眉間にシワが寄っていた。
うわ~、怒ってる? 『余計な事してんじゃねーよ!』とか言われそう。
「あの後……いつの間にか居なくなってたんだ、ローズの奴」
千代花ちゃんは視線を合わさず話し始めた。
「どこに行ったのかわからないけど、連絡を取ろうとは思わない。でもアイツ、あたいの事恨んでんだろうから……だから……」
ベッドから立ち上がった千代花ちゃんは俺の方を向いた。恥ずかしいくらいにバチッと視線が合う。何か言いたそうに口元をモゴモゴさせる彼女の頬が徐々に色付いていってるみたいだ。
「ま……また迷惑かけるかもしれないけど……よ、夜露死苦!!」
「え……」
語尾のボリュームが半端なく大きくて俺が固まっていると、千代花ちゃんはすたこらと去っていった。
「……」
結果的にあまり解決には至らなかったが……まぁ良しとするか。
ゆっくり立ち上がると、『痛て痛て』と言いながら伸びをした。
……って、俺、ギッタンギッタンにされたんだから全く良しじゃねーじゃんか。骨は折れてないけど、まさに無駄骨折ったってやつかも……。
転ぶようにベッドへ倒れた俺は、そのまま嫌な記憶を全て忘れる為、眠る事にしたのだった。




