ようこそ、辰酉家へ①
『今日から家族が増えるから』
電話の中から母が唐突な話をする。
は?? 何言ってるんだ?
状況が飲み込めない俺はちんぷんかんぷん。
『そういう訳だからー、オーちゃん、引越しの用意が出来たら駅まで来てね』
「ちょっ! 母さん!?」
――ガチャン
必要最低限の事を言うと、母は俺に有無を言わさず電話を切った。
勿論、俺の頭の中は白紙状態。手に持った受話器からはプーップーッと機械音だけが無駄に繰り返される。
待て、落ち着け俺。
と、取り敢えず……えっと、何をすべきか??
まず荷物をまとめないとな、うん。引越しか……とうとう、この長屋ともおさらばか……――って引越し!?
母さん、引越しって言ったよな? 何故に? 何で?? まさか夜逃げしないといけないような出来事が!? ……今、昼だけどさ。
……ってそんな一人ツッコミなんて置いといて、逃げなきゃいけない状況になるだなんて、一体何を仕出かしたんだ母!!
ん……、でも家族がどうとか言ってたよな?
うむ……意味がわからん。
意味はわからんが、家を引越しする事は明らかになっている。
まずは引越しの準備をして母さんに会おう。全てはそこからだ。
ずっと手に持っていた所為で、少し汗ばんだ受話器を元に戻すと身支度を始めた。
支度と言っても持って行くような物は殆どないに等しい。
大切な物なんてないという事柄は、このボロい長屋が物語ってる。
俺が幼い頃、父さんは借金を作って若い女と逃げた。母さんはそんな父を恨みもせず、女手一つで俺を育てながら借金を返している。
贅沢は敵だ!
女には気をつけろ。
男にも気をつけろ。
自分は信じろ。
それをモットーに生きて来た。
そしてこれからも変わらないだろう。
ご近所さんに別れの挨拶を済ますと、俺は母さんに言われた駅へ向かった。
「オーちゃーん! こっちこっち~」
人目を憚らず、母さんはブンブンとこちらに向かって大きく手を振る。
あれ……?
母さんの隣に居る男の人は?
え……もしや……。家族が増えるってそういう事??
色々な思考の中、俺は母さんの待つ駅の改札へ足を進める。
「遅かったわね~」
ニコリと微笑む母さんと、隣にいるピシッとスーツを着こなしたダンディーな男の人。
スッと差し出された大きな手を俺は反射的に握っていた。
「君が桜次郎君だね?」
男性の低くて渋い声が俺の名前を呼ぶ。
「は、はい……粟田桜次郎です……」
上擦った声で自己紹介をすると、男性は目尻を下げて優しく語る。
「目が園子さんに良く似ているね。私は辰酉後吉。ここじゃあ何だし、詳しくは車で話そう」
詳しくは……車で……か。まぁ再婚しようと別に驚くような事ではないし良い事だと思う。けれど何故かドキドキしてしまった。
俺は母さんと一緒に、父さんになるだろうと思われる男性の後ろについて行った。
男性の足が止まった先には黒く長い車。隅々まで手入れがされており、ピカピカと光っている。
初めて目にする長い車をポカンと見ていた俺の前に、スッと黒い服の男性が近付く。そして車のドアをゆっくりと開けた。
「桜次郎様、どうぞ。」
桜次郎……さま……? 何だコレ? 何様? 俺様? 何だかすっごいムズ痒いぞ。あ~変な感じ。
「桜次郎君、どうかしたのかい? さ、遠慮せずに」
「あ~、オーちゃんリムジン初めてだから緊張してんだ」
リムジン……これが?
話には聞いた事あるけど……。
母さんと後吉と名乗った男性が、リムジンという乗り物に乗車するよう促す。
俺はゆっくりと、その黒い巨体に足を踏み入れた。
何じゃコリャー!!!
何だこの広い空間! 車の中に部屋があるぞ!
失礼だとは思いつつも、キョロキョロと見回す俺。すごく田舎者だな……カッコ悪。
「桜次郎君、飲み物は何がいいかな?」
飲み物? 車の中で飲み物? 車では何か飲み物を飲む習慣があるのか? 車って喫茶店じゃないよな?
頭の中でぐるぐると疑問が駆け巡る。
あ、俺、リムジン以前に車というものに乗るのが初めてに近いかも……。そうか、車の中じゃあ何か飲むのが当たり前なんだ。
「じ、じゃあ水を……」
はにかみながら男性にそう告げると、すぐに用意をしてくれ、手渡された。
「では、どこから話そうか……」
男性がどう話を切り出そうか悩んでいると隣にいた母さんが身体を前に乗り出してきた。
「ぶっちゃけると私たち結婚するの。ビックリした? ごめんね~突然で」
キャッキャと十代の女子のように騒ぐ。
このはしゃぎっぷり。無邪気に語る母……年齢考えろよ。
俺の口からは溜め息が漏れる。
「それ、ここに来た時の雰囲気で何となくわかったよ」
「さっすがオーちゃん! 空気読める~」
空気ねぇ……。
この若者言葉、何とかしてほしいなぁ。
ま、でも母さんが幸せならそれでいい。
俺は苦笑いをしながら二人を見た。
でも何でいきなり結婚なんだ? 今までそんな音沙汰なかったのに。
と、いうことは引越し先はこのダンディーな人の家か?
「仕事が忙しく、まだ婚約状態なんだがね……」
水を一口含んだ時、父になる予定の男性が言った。
この人は何の仕事してんだろうか?
「あの……差し支えがなければ何のお仕事か聞いてもいいですか?」
俺は疑問を問い掛ける。自分で言うのもなんだが、とっても他人行儀だな……仕方ないよな。
「海外でちょっとね、絵を描いていてるんだ……しがない画家だよ」
男性は自嘲めいた笑いをする。
「今度ね、母さんも彼のお仕事について行くの」
キャピキャピと楽しそうに母が喋り出した。
「だからオーちゃん、しばらく後吉さんのお家でお世話になってね。でも兄弟ができるのよ~。良かったわね~」
はい……?
な、何だそりゃ?
急に引越しに結婚……その上、兄弟が増えるだと? いきなり一遍にそんな事を言われても……。
「きっと楽しいわよ~。兄弟みんなでワイワイ~ってね」
家族になるであろう人の事をにこやかに語る母。
ずっと一人っ子だった俺に兄弟ね……。それは少しだけ楽しみな気もする。
「到着致しましたので、一度降りていただけますか?」
こんこんとノックがした後、黒服の人がドアが開けた。
到着って……いつの間に? 窓にはカーテンが閉まっていて、外の様子がわからないから全く気付かなかった。
「お庭もあるし、家も大きいから遊べるわよ~」
母さんは家があるだろう外を指して言う。
そんな事を聞いて、走り回ったりするはずないだろ……俺を何歳だと思ってんの? この親。
「前の家に比べたらどこも大きいような気がするけど……」
そんな独り言をボソッと呟きながら車を降りた。
車から出た俺の目の前には、どデカイ門がそびえ立つ。
「す、すげぇ……」
圧巻。その一言に尽きる。
始めて見るぞ、こんな門構え。まさに、侵入者を寄せ付けない程の巨大建造物。
しかし目の焦点を奥に向けると、更に見たことのない巨大な建物がある。何だ? あの要塞みたいなの……。
これ、言葉では表せられないな。
呆然としていた俺の前に、ひょこひょこと子供が歩いて来た。
「はじめまして。辰酉菜子です。九歳なのです」
少女は丁寧にお辞儀をしながら自己紹介をする。
短い髪を、頭の上の方で一つに結んでる幼い女の子。ちょこんと結われたポニーテールが可愛い。
「え、あ、粟田桜次郎……です……十七歳です」
頭を掻きながら、咄嗟に俺も頭を下げる。
辰酉って事はこの男性の娘さんか? まさかこんな小さい子がいたとは思っていなかったぞ。
「お父さーん! おかえり!」
自己紹介を済ませた菜子ちゃんは、男性に駆け寄ると抱き着いた。
そして母さんともフレンドリーに話している。端から見たら、本当の親子のように見える。
それ、何だか微妙だな。俺って一体……。
しかしあんな可愛い子が妹なら申し分ない。しっかりしてるし仲良く出来そうだ。
俺が微笑ましく三人を見ていると、菜子ちゃんがちらりとこちらを振り返り、ニコッと笑う。
「さてさて二人とも、車に戻って。家に入るよ」
男性は渋い声で語りかけながら、俺と菜子ちゃんの背中を押して車へ向かう。
「えっ……また車に乗るの?」
「門からお家まで遠いですからね。車で一気に行くのです」
菜子ちゃんは俺の手を握ると車の中へ入っていった。
……何で一旦外に出たんだ。菜子ちゃんをが居たから? それともこれから住む家の全貌を見せたかったのか……。
しかし家まで遠いって……どんだけ豪邸なんだよ。門から見える屋敷も相当デカイんだけど……もっとデカイって事か?
何だコレ……何なんだよこの展開。貧乏な俺が一夜にして大富豪に? しかも、こんな可愛らしい妹? んでもって兄弟が増えるんだろ?
この展開、どこの少女漫画なんだよ……。とはいっても俺、男だからな……。しかし、どうひっくり返っても少年漫画的な展開じゃあないな。
悶々といらぬ事を考えていると、どうやら着いたらしい……今度はちゃんと家に。
えっと……デカイ。何かもう、デカイとしか言えない。
これ、もはやホテルじゃないか!? 一般家庭じゃないだろ!!
顔をどれだけ上げても屋根が見えん……いや、見えるか。場所の所為でそう思えただけ? どっちにしても、首が痛い。
「お兄ちゃん」
「うわっ……!」
立ちすくんでいた俺を、菜子ちゃんが屋敷の中へと引っ張って行く。
それは、大きな玄関を抜けると別世界でした……。
うっわぁ……外もさることながら中もすげぇ。どこの宮廷だよここは!?
ちらちらと周りを見つつ、俺たちは後吉さんの後へ続き、大きな部屋へと入った。
ソファーへ座らされると、後吉さんはゴニョゴニョと年配のお爺さんに耳打ちをしている。
話が終わるとお爺さんは部屋を出ていく。
「皆が来るまでもう少し待ってね。桜次郎君に家族を紹介するよ。ああ……そうだ、先に」
そう言って後吉さんはパチンと指を鳴らした。
俺のそばにずらりと列を為す男女。
「この家のお手伝いさんだ」
深々とお辞儀をするお手伝いの方々。こんなにいるのか……。人を雇うだなんて実際にあるんだ……。
――バン!!
急に開かれたドアに、ビクッとしてしまった。
「お父さん! 帰るんなら先に言っておいてっていつも言ってるでしょ!」
ズカズカと歩いて来るハーフアップの女の子。ちょっとつり目で、いかにも気が強そう。
「ん、誰?」
目が合ってしまった……。
「私のカワイイ息子だよ」
後吉さんが『ははは』と笑いながら俺を紹介する。
「……粟田桜次郎です」
一日で何度自己紹介しなきゃならんのだ。
しかし彼女は俺を無視し、後吉さんに食ってかかる。
「む、息子って何よ! 結婚の話は聞いてたけど、そんな話聞いてないわよ!?」
「あ~そうだった~。鈴ちゃんにコレ渡すの忘れてたや~。ハハ」
ハーフアップの女の子の後ろから別の女の子が現れた。
その、ツインテールをした彼女が、ハーフアップの髪の子に何かを渡す。紙のようなもの。
「そーゆーのはさっさと渡しなさいよ! 全く!」
紙を奪い取ると、彼女はじっと見ている。そして不意に朗読をし始めた。
「何々……アワダオウジロウ。17歳。幼い頃、階段から落ちて入院経験あり。運動神経、勉強、共にまずまず。しかし常識が少しばかり疎か……か」
アワダって……え! 俺っ!?
慌てて立ち上がり、彼女の持つ紙を見る。
何だこれ……俺の資料?
真っ青になる俺を、隣からのじっと見る視線が痛い。
「名前負けしてるじゃないアナタ。オウジ様って似合わないね」
くすくすと笑い声が聞こえた。そんな事はわかってるけど、自分で付けたわけじゃないし……。
第一、オウジロウなんてどこぞのお化けみたいな名前、恥ずかしくて自己紹介しにくい。今日は何回もしたけどさ。
「他の皆は?」
後吉さんが彼女たちに問い掛ける。
「んと~、姉ちゃんたちは大学だし、みんなどっか行っちった。後は部屋に篭ってるみた~い」
ツインテールを揺らしながらニコニコと答える。
「まぁいい……とりあえず、お前たちだけでも紹介しておく」
後吉さんが溜め息をつきながら彼女たちを俺の前へ座らされた。
「こっちが鈴芽」
「どうも」
鈴芽か……茶髪でハーフアップのギャーギャーうるさかった女の子。
「そっちが羽流」
「よろしーく! 桜ちゃん」
ツインテールをゆらゆらと揺らす彼女が挨拶をする。
えっ、桜ちゃんって……。初っ端からそれって……気さくなのか馴れ馴れしいのか。
「そしてその小さいのが菜子」
「改めてまして、よろしくです」
菜子ちゃんはさっき出迎えてくれたからな。うん、やっぱりしっかり者だな。大きな瞳が可愛らしい。
「そして桜次郎君にこれを渡そう」
そう言って後吉さんが俺に紙を渡す。
菜子ちゃんや、そこの二人の事が書いてある。写真も……。これ、履歴書? 家族のプロフィールの資料?
「後、娘が七人いるんだが、なかなか皆揃わなくてね。家族紹介がこんなので悪いが一度目を通しておいてくれ」
……七人て。七人?
「えーっ!!」
「何なのよ! うるさいわね」
俺の急な叫びに鈴芽が呆れた顔をする。
「娘さんが……ですか? 息子さんは……?」
「息子は君が初めてだ。だから私はとーっても嬉しいぞ」
ぽ、ぽかーん……。兄弟が増えるって十人の姉妹が増える事であって、兄や弟が出来る訳じゃないんだ。……ははは。とんだ勘違いだな。
「では、私と園子さんは仕事に向かうよ」
そう言って、後吉さんと母さんはソファーを立ち上がった。
「お父さん、また海外なのですか?」
菜子ちゃんが目を潤ませながら言うと、後吉さんの大きな手がポンと彼女の頭に降りる。
「またすぐに帰ってくるから。それまでお兄ちゃんをよろしく頼むよ」
優しく微笑み、言葉にする後吉さん。
待てよ。一人で俺に知らない家で居候しろという訳?
ちょっ……何だよ!?
女の子ばっかだろ? そんな……俺緊張するじゃん。
「母さん!」
叫んだものの、顔を上げた先に親の姿はなかった。息子に何の言葉もかけず、忽然と消えるか? 普通?
はぁと溜め息を漏らした時、トントンと肩を叩かれた。
「お兄ちゃん、仲良くしてね」
手の主は菜子ちゃんだった。
彼女はちょこんと俺の前に立つ。そのニコッと輝く笑顔の横で、ツインテールが揺れていた。
「あー、あたしもあたしも~! よろしく~桜ちゃ~ん」
羽流という女の子が、こちらに向かって手をぶんぶんと振り回す。
そんな二人とは対照的に、鈴芽という少女はさっさと部屋を出て行ってしまった。
「お、俺何か怒らせた?」
彼女が出て行ったドアを見つめながら言う。
「あ~、鈴ちゃんは忙しいから~ね」
羽流という女の子がニヤニヤとしながら口にする。
「お兄ちゃん、早くみんなでご飯食べたいね」
彼女たちは『エヘヘ』とにこやかに、こちらを見ていた。
俺は手渡された紙を見ながら、小さく溜め息をつく。
突如突き付けられた現実。母さんの婚約に豪邸への引っ越し。一夜にして大金持ち。
そして大勢の家族。十姉妹。
一見羨ましいシチュエーションだが、今の俺には不安しかないんですけど……。
この先、やっていけるのかどうかが気掛かりで仕方がない。
まあ、悪い方にだけは転ばない事を祈ろう。