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「見事なものですな……あれほどの船団を」


 リディアム候の零した感嘆に、ヴィルヘルムは大いに同意して頷いた。

 開戦からまだ数時間と言ったところだが、もはや、海上のケンドルオール軍は船団の体を完全に失っていた。陣形など見る影もなく、縦横無尽に走り抜けるクレメントに追い打ちを掛けられて逃げ惑うばかりである。


 敗走しようとする船が同胞の船を打ったあの瞬間、勝敗は決した。

 彼らは、自ら自軍に止めを刺したのだ。


 こちらとしては、無駄に戦いを長引かせるつもりはないから、自暴自棄を起こされる前に、さっさと撤退してもらえばそれでいい。

 追い詰め過ぎてもよくないが、だが、容易く逃がしたとなれば舐められる。

 そこら辺の駆け引きは、流石は海賊。よくわかっているようだ。

 必死に逃げるケンドルオール軍を巧みに削りながら、そうと悟らせない絶妙な匙加減で湾外へと誘導している。

 一見すると、海賊たちはどの船も好き勝手動いているようにしか見えない。その実、そこで展開されているのは見事な連携行動であった。

 教本にあるようなものとは全く異なる流動的な陣形は美しくさえある。

 こうして全体を把握できる場にいるのであれば兎も角、作戦を指揮する男は渦中にいるのだ。

 止まることのないその流れに身を置きながら、統制を取り続けるイライアスの手腕はまさに賞賛に値する。


「海賊たちがこぞって彼に一目置く理由がわかりますね」


 手放しで誉めるヴィルヘルムを振り返り、リディアム候は苦笑した。


「確かに彼も、だが。貴方もだよ。将軍」


 ヴィルヘルムは静かに首を振った。

 彼の認識としては、自分の功績などではなく、単純にケンドルオールの自信に裏打ちされた怠慢に助けられただけである。


「ケンドルオールは海賊の国。海上での戦いを得意としていたのは確かです。ですが、最近は海上ではなく、海を越えその国に上陸して戦ってきた。海岸線に船を展開し砲台の壁を作り、主力は白兵戦。そこまでわかっていて、船を近づける馬鹿はいませんよ。彼らが強引に上陸しようとすればこちらの被害も増えたでしょうが……彼らは、少々自国の船を過信しすぎましたね」


 だからこそ一日、彼らはオルフェルノへ猶予を与えた。そして、夜ではなく、明るい日の下で進軍を始めたのだ。


 確かに、あの大型船の威容をみて、戦意を失った国は多いのだろう。


 海での戦闘を避け上陸させることで、五分五分でやり合えると相手に判断させ、陸戦に持ち越させる。それが、ケンドルオールの手だった。

 よくよく考えれば、あれほどの大きさでは、機動力は望めない。長い航海に耐え、多くの兵を移動させることの出来る船と強力な大砲、それがかの国の強み。

 だからこそ、ヴィルヘルムは、それを逆手にとり、敢えて海上での乱戦へと持ち込んだのだ。

 海上戦の専門家である海賊を味方にして。


 それが、指揮官の男の中にある猜疑の種を芽吹かせると十二分理解した上で。


 実際のところ、火船の効果など僅かなものだ。あの火柱とて、花火を少々派手にしただけで、水の上でも燃える特殊な燃料を使用してはいるものの、一隻を燃やし尽くせるかと言われればはっきり言うが、無理である。それに、いくら沈めるものメルゴーと言えども、相手は大型船、一撃で沈めるほどの破壊力はないことくらい落ち着いて考えればわかることだ。

 そう冷静に判断され、初手の奇襲に距離を置かれて対応されていたならば、此処まで一方的な戦いにはならなかっただろう。

 何しろ、多少の小細工には手を貸しているものの、こちらの実働部隊はクレメントのみ。

 一国の海軍を相手にするには、あまりに多勢に無勢すぎるのだ。

 だが、その数も、大型船もその利を活用できなければ無駄でしかなく、冷静に戦況を判断する者が居なければ、前線を維持することなどできはしない。


 軍内の派閥抗争、燻る不信感を刺激してやれば、案の定、彼らはその目を曇らせ、その結果。

 ケンドルオール軍は瓦解した。


「再戦は……ないでしょうね」


 予想していた以上にあちらへ与えた被害は大きい。さらに言えば、大海を渡り、どこにも寄港することなく、そのまま開戦した彼らは、航海の疲労が蓄積した上での失意の敗走である。補給もままならない現状では、帰国する以外、策はない。


「確かに今回は引くだろう。だが、自国で体制を整えた彼らが、雪辱に燃え、この国を目指してくる、なんて未来が容易く想像されてしまうのは私だけかな」


 完全にお門違いの恨みだが、彼らはそうは思わないだろう。

 リディアム候の懸念は、恐らく杞憂で終わらない。それは、ヴィルヘルムにもわかっていることだ。

 灰色の瞳に冷やかな光を宿し、薄く切るような笑みを口元に乗せると、彼は優しくさえ感じさせる穏やかさでこう告げた。


「寄港拒否に対する答えが侵攻、そして負ければ逆恨み。もし、そんな礼儀のない国があるのならば……、それ相応の返礼を持って対処しなければなりませんね」





 ****



 一方、戦場では。


 陸から吹き付ける風が、追い風になるとようやく気が付いたのか、一隻の船が帆を開き速度を上げると、他の船も追従するように帆を広げ始めた。ぐんと加速して、ケンドルオールの船は次々に走り去っていく。

 深追いすることなく湾内で船を止めさせたレミオは、周囲を見回してふうと一息ついた。


「終わったな」


 湾内に残っているはもう、座礁した敵の船かクレメントの船だけだ。火船もしくは特攻船に乗っていた面子も着々と回収されているようで、きらきらと鏡の反射が仲間の無事を知らせている。


 まずは、一安心と言ったところだ。


 それにしても、とレミオは何とも言い難い顔をした。

 レギオンを前にした時の焦燥は、まだ記憶に新しいというのに、終わってみれば、なんとあっさりとした戦いだったか。

 負けるつもりはさらさらなかったが、此処まで一方的な戦いになるとは流石に思っていなかった。


「すげえな。将軍の想定通りじゃねえか」


 敗走する大型船を見送っていたジェラルドが、どこか茫然としながら声を上げるのに苦笑して頷く。

 確かに、多勢に無勢であれば奇襲は有効な手段だ。機動力を生かした遊撃も、戦術的にはそれほど目新しいものではない。常套手段と言ってもいい。

 だが。


「こうして共闘してみると、将軍の怖さが身に染みて理解できるな」


 ケンドルオールの戦闘を分析し、見事に弱点を突いた将軍に舌を巻く。

 相手の戦力を正確に把握する情報収集能力とその情報から構築される綿密な戦略。

 状況がどのように変化しようとも対応できるだけの作戦と、それを成功させるための念入りな下準備。賭け事のように、予想の一枠にかけているわけでも、先読みのできる特殊な能力があるわけでもない。

 彼はただ、得た情報から起こりうる状況を推測し、こちらが有利に事が進められるよう巧みに相手を誘導しながら、的確に作戦を選択して遂行しているだけなのだ。

 しかし、はたから見れば、まさに将軍の思惑通りに状況が進んでいるようにしか見えない。

 それは、彼のもとで戦う者たちに絶大なる安心感と信頼を与えるだろう。

 クレメントの海賊たちにとっても、それは同様で、おのずと士気は高まった。


 なんて鮮やかな手腕なのだろうか。


 己も作戦を立てる立場だからこそ、レミオは感嘆と同時に恐れを感じてしまう。

 将軍は確かにクレメントに行動を一任した。

 だが、与えられた情報と物資からして、自分たちの行動は最初から彼の予想の範疇だったのだろう。いや、クレメントの戦闘パターンを理解していたからこそ、共闘を求めたのか。

 実際「多少戦闘の足しにはなると思いますよ」なんて控えめな台詞で渡された小道具の数々は全て実戦投入可能なものであったし、特にあの火薬玉なんて、海の上で爆ぜたとは思えないほどの火力と持続力でケンドルオールの度肝を抜いた。

 奇襲で混乱していたとは言え、彼らから冷静さを奪ったのは間違いなくあの火柱だ。


 そして、極めつけはあの、海霧。


 温かな海流に山脈から吹き下ろす冷たい風がぶつかるこの時期、海に霧が発生するのは珍しいことではない。

 とは言え、所詮は自然現象である。

 いつ起きるもとわからないそれを、将軍は完璧な形で味方につけた。

 霧がクレメントの姿を覆い隠し、相手に悟られることなく行動を勧められる、それだけでもこちらは非常に有利だったのだ。罠を張り、レギオンの足元で火船の配置準備すらして、さあ戦闘開始だと動き始めた瞬間。

 狙いすましたかのように霧が晴れてきた時には、流石に戦慄を覚えた


 人知を超えた能力ならばいざ知らず、そうではないから恐ろしい。


 海霧が発生する確率の高い時期を狙って彼らがハラヴィナ湾に辿り着いたのも、戦闘開始の時間が朝になったのも、相手の行動を読んでの結果だなんて、知らない方がよかった。


「あの国の諜報機関は実にお粗末なものですから」


 底を読ませない笑みを浮かべてそう言った将軍は、美しいだけあってトラウマになりそうなくらいに怖かった。


 思い出して、ぞわっと鳥肌が立つ。

 二の腕を撫でるレミオの横で、


「将軍は絶対、敵に回さないほうがいいな」


 呆れたような感服したような、何とも神妙な顔をしてジェラルドがぼそりと言うから。

 全くもって同感だと、レミオは深々と頷いた。











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