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7

 


 海上に揺らめく影は、さながら墓標のようだ。


 朝焼けの空の下、ケンドルオールの船団を眼下に見下ろしていたヴィルヘルムは、ふとそんなことを思いながらバルコニーの硝子戸を開けた。

 海を覆う海霧が朝陽に染まり、霞むマストが影のように浮かび上がるから、そんな印象を受けるのだろう。


 バルコニーに出ると、風が吹き抜ける。

 風向きは北東から西。


 万年雪を頂く北の山脈から降り下ろされる風の冷たさは、陽の恩恵を得てか、幾分和らいでいる。だが、それほど強くはないから、海上の雲海が完全に払われるにはもう少し時間が必要だろう。

 とは言え、這うように立ち込める霧はケンドルオールの船から視界を奪うほどの高さになく、進軍に支障はないと判断されたようだ。

 昨日の夕暮れ、寄港要請を拒否したオルフェルノに対し、ケンドルオールは船を返すことなく、日を跨いで翌朝、今まさに前進を始めた。

 流石に敵国内で夜襲を仕掛けるほど馬鹿ではないらしい。いや、大型船という最大の武器を見せつけるためにも、日の下での戦いをこそ彼らは望んだのだろう。

 ゆっくりと動き始めた戦況を見つめ、ヴィルヘルムは僅か目を眇めた。

 怜悧な眼差しが、船団に注がれる。

 すっと船の合間を、霧を裂くように線が走った。しかし、直ぐに解けて何事もなかったかのように消えてゆく。よくよく見なければわからないそれに、ケンドルオール側が気付いた様子はない。

 それを確認し、頭上を掠めた影を見上げる。


 鷹だ。


 大きな翼を広げ、暁の空を悠然と弧を描くようにして飛んでいる。


 男の視線に気が付いたのか、その軌道が変わった。旋回をやめ、こちらに向ってゆっくりと滑空する。降り立つその間際、両翼を羽ばたかせて速度を落とすと、鋭い鉤爪で手すりを捉えてゆったり翼を畳んだ。

 首を傾けて、琥珀の瞳できょろりとヴィルヘルムを見つめる。

 どうやら、準備万端と伝えに来たようだが、どこか催促をしているにも見える。

 頼もしい仲間の様子に、思わず笑みを零す。


「ふふ、そうですね。そろそろ鬨の声も聞こえてくるでしょう」


 戦端は開かれた。

 先に動いたのはあちら側。


 ならば、相手をどれだけ叩きのめしたとしても、こちらは正当防衛を主張できる。

 傲慢な侵略者は、自国の船への絶大的な信頼と慢心ゆえに、正面から真っすぐにこちらに向かってきている。

 ここは自国ではないというのに、不用心すぎるその行動に、ヴィルヘルムは苦笑もない。確かにオルフェルノに海軍はなく、海での戦いには非常に弱いと、弱点を煽ったのは彼自身だ。だが、油断を誘うための情報操作とはいえ、此処まで侮られるのは少々不愉快だ。


(代償はしっかり払っていってもらおうか)


 浮かんでいた笑みを冷たいものに変え、ヴィルヘルムは身を翻した。











 ****



 ザザーッ


 海霧の煙る中、小波を立てケンドルオールの船団はゆっくりと前進を始めた。

 風向きのために帆は畳まれ、速度はそれほど出ていない。


 向かう先はオルフェルノの西の玄関口、領都ルクセイア。


 事前に情報を得ていた通り、オルフェルノは本当に海軍を持っていないようだ。進行を遮るものはなく、遠目に商船がうっすら見えるだけである。

 彼らは海岸で勝負をするつもりなのだろう。

 船がないのであれば、それ以外術はない。それに地上であれば騎士は常のように戦えると、そう思っているに違いない。

 だが、それは間違いだ。

 ケンドルオール側にとって、海岸を戦場にすることは優位でしかない。


 踏み荒らせ、奪い取れ。

 敵を屠り、壊し尽くし、人であろうとも物であろうとも戦利品は全て持ち帰る。


 それが、ケンドルオールの戦い方。

 その時を前に、甲板に居る兵士たちは戦い特有の高揚感に満ち溢れていた。

 それは、この艦隊の指揮官もまた、同様。

 軍団レギオンの名を冠した、この見る者を圧倒する船団は、敵対する者たちを怯ませて戦意を失わせ、逆に味方の兵士には優越感と戦意を煽るのに大いに役に立つ。見た目だけでなく、遠洋に適した頑丈な船体と安定性、船首楼の主砲と側舷の砲台の火力、白兵戦のための兵士の大量輸送と戦力的にも不足はない。

 事実、連勝記録は着々と塗り替えられている最中なのだ。彼らの脳裏に敗北の二文字が浮かぶはずがなかった。


 この船は動く要塞。


 船から降り注ぐ砲弾に、剣など無力だ。騎士たちはなす術もなく倒れるしかない。誇り高い騎士たちが屈するのを想像し、男は笑みを堪えた。

 兵士たちの顔を見回し、抜剣した剣を掲げると、鼓舞するように大声を張り上げる。


「同胞よ!オルフェルノの騎士など、恐れるに足らぬ!此度も勝利を収め、新たな不敗神話を打ち立てようではないか!」


「おおーっ!」


 呼応する大きな声に、彼は満足気に頷いた。

 くるりと向きを変え、港へと視線を向ける。いつの間にか霧は晴れつつあった。元より街のほうにはそれほど霧は掛かっていなかったのだろう。ルクセイアの街並みが、くっきりと見渡せる。

 それを見て、彼は笑った。


「天は、我らの味方!」


 声高に叫ぶと、抜身の剣を甲板へ突き立てる。


 その時。


 地鳴りのような爆音が響き渡った。


 船が大きく揺れる。振り落とされそうになるのを、膝を付いて目の前に剣に捕まることで何とか耐え、顔を上げる。


「な、なにが」


 起きた、と言い終わる前に、目の前で船の隊列が崩れた。一瞬、呆然とした男は、すぐに我に返ると船縁に駆け寄り、海を見下ろして、……目を疑った。


 そこで見たものは。

 あまりにも馴染み深く見慣れた、しかし、ここにあるはずのない、船。


 水を得た魚のように、レギオンの隙間を走り抜けていくあの船は。

 男は混乱した頭で叫んだ。


「なぜ、我が国の小型帆船メルゴーがここにっ?!」


 見間違うはずがない。


 レギオンが主力となるまで、ケンドルオールにおいてその座にあったのはあの船だ。

 その船が、何故こちらを攪乱している?


(……いや、そもそも乗っているのは、誰だ?)


 大型船の隙間、うねる荒波をねじ伏せ、または、軽くあしらうかのようにメルゴーを走らせる。そんな操作、付け焼刃で出来るものではない。


 ならば。

 ……これは本当にオルフェルノの仕業なのか?


 漠然として浮かんだ疑念が一気に膨らみ、心臓を揺らした。

 功績を妬む者達の顔が一斉に脳裏を過ぎり。


 そして、――――嗤った。


(裏切られたか……っ!)


 屈辱感と焦燥に目の前が赤く染まり、全身がおこりのように震えた。


 いくらレギオンが機動性に優れていると言っても、それは大型船の中でのことだ。小回りの利く小型船、それも、メルゴーともなれば比べるべくもない。

 回避行動もむなしく、前を走る船の横っ面に火船となったメルゴーが1隻、2隻と次々に突っ込んだ。バキバキと鈍い音を立て衝角が船を貫き、先端がめり込む。その衝撃で船が揺れ、風穴に大量の水が吸い込まれると船底の歪む音が船を震わせた。ゆっくりと傾いだ船の船首があらぬ方を向き、後方を走っていた船がすぐそこまで迫ってくる。間もなくして衝突音が響き渡った。

 応戦するようにレギオンのあちらこちらから砲弾が放たれる。だが、大きな船体で狭い湾口を通り抜けた時のままの密集した陣形が仇となり、その多くは小さな標的を掠めて、狙わぬ味方の船に次々と被弾していく。


「何をしている?!わが軍の船を沈める気か!」


 指揮官の声に、慌てて発砲禁止の報が放たれる。しかし、煙棚引く混乱の最中、前線はそれを視認出来ていなかった。

 何度目かの衝突と発砲による衝撃で船が揺れる。振り落とされないよう甲板の手すりにつかまった兵士達は、眼下に火花を見た気がした。

 次の瞬間、海上を這っていた霧を割くように火柱が立ち上る。

 ぱらぱらと降り注ぐ茜色の光。

 降ってくる火の粉の激しさに、彼らは目を見開いた。

 朝焼けに染まっていた帆が、炎を纏って黒煙を上げ始める。

 遅れてやってきた熱風に頬を弄られて、恐怖が全身を貫いた。


「船が燃えるっ!」


 叫んだのは誰であったか。

 その悲鳴が、引き金となった。

 統制が瓦解する。


「逃げろっ!」


 ……どこに?


 恐怖は混乱を助長した。


 船に衝撃が襲い、甲板から何人もの人間が振り落とされる。悲鳴と絶叫が響き渡る中で、指揮官は手すりに掴まったまま叫んだ。


「今度はなんだ!」


「味方の船と接触しましたっ!」


 彼は愕然として周囲を見渡した。

 陣形などすでに崩壊し意味をなさずにいる。

 炎と黒煙に包まれ、メルゴーに襲われた船が停滞して方向を乱し、互いの距離を失わせていた。更にハラヴィナ湾の海流は複雑で、渦を巻くように流れている。ゆっくりとしたそれに、知らぬ間に流されていたことに彼らは気が付いていなかったのだ。

 こうなってしまえば、船の中に居る多くの兵士も、数十隻にも及ぶ大型船も何の強みにもならない。


 戦う相手など誰も目に入らない。


 旋回すら儘ならない中で、彼らはただ必死に安全な場所を求めた。

 そうしてやっとのこと方向転換を終え、後ろに下がろうとした彼らが目にしたのは。

 煙と混乱故に状況把握に遅れ、今まさに向きを変えようとゆっくりと動き始めた後続であった。


 退路が塞がれている。


 その状況が、最後の理性に止めを刺した。


「打て……、打てっ!」


 命令に、動揺が走る。

 だが、躊躇いは一瞬。


 退路を、確保しなければ。



 自分たちが助かるため、彼らは同胞の船へと発砲した。











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― 新着の感想 ―
[一言] 海戦の描写が司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」を彷彿とさせました。
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