5
「なんか、嵌められた気分よね」
頬杖つきながら、不貞腐れたようにぼやくエレクトラに、イライアスは苦笑した。
「納得できないか?」
「納得してなかったら受け入れてない。でも、癪なものは癪なのよね」
その気持ちはわからないではないと、レミオが片手のグラスを揺らしながら同意する。
「まあ、確かに。掌で踊らされている感じはするな」
彼らは自分たちの船に戻ってきていた。
あれから一週間が経過して、今いるのは作戦会議室とは名ばかりの飲み部屋である。いつものように思い思いの場所に陣取って、酒の注がれたグラスを手にしてはいるものの、中身はほとんど減ることなく、悪戯にその水面を揺らめかせているだけだった。
イライアスはテーブルにグラスを置くと、改めて広げられていた手紙に目をやった。
それは将軍からの密命書、というより情報の束とでもいうべきものだ。その内容に不備はなく、イライアスの望む以上の情報が詳細に記載されている。
それ自体は完璧な資料だ。
だが、その完璧さこそが海賊たちを微妙な気分にさせている最大の要因だった。
一枚、ぺらんとつまみ上げ、嘆息する。
「用意周到っていうのはこういうことを言うんだろうな」
「違いないね」
頷いて、エレクトラが勢いよく酒を煽った。
受け入れさせるときもそうだったが、共闘することに同意してからも、将軍はクレメントに対し、一切指示らしい指示をしていない。状況を説明するだけで、実働行動については、「やり方はあなた方にお任せします」と、全くもって丸投げだったのだ。
だからこそ、どう行動するかなんて全く伝えていないのに、昨日の件にこの手紙とくれば、エレクトラでなくとも拗ねたくはなる。
そう思いながら、イライアスは昨晩のことを思い出していた。
****
空に懸かる月が暗闇の中の猫の目のようにふっくらとして、大層明るい夜だった。
凪いだ海が月明かりを揺らめかせ、揺りかごのようにゆったりと船を揺らしている。
そんな静かな夜を終わらせたのは、クレメントの船にひょっこりと顔を出した伝令騎士チャリオット・ハイナ。あのお調子者だった。
どう忍べばこうもあっさりたどり着けるのか、海賊船のそれも作戦室にまでに堂々忍び込み、「どうもー」と軽いノリで挨拶をした騎士に、間髪入れずハンマーを投げつけたエレクトラは絶対間違っていなかったと思う。
避けられたのが非常に残念だ。
どこから、とか、どうやってなどと思わず尋ねてしまう常識派のサミィとジェラルドの横で、イライアスはただ溜息を漏らした。
「まあまあ、遊びに来たわけじゃないよ?ちゃんと理由はあるから」
呆れる海賊たちに、チャリオットはくすくすと笑みを零すと、改めて騎士の礼を取った。
「迎えに来ました。将軍がお待ちです」
先ほどまでの軽いノリとは異なる振る舞いに、海賊たちの間に僅かな緊張が走る。
それを、いつもの雰囲気に戻して解くとチャリオットは彼らを外へと誘った。
「何処に行くんだ?」
「いいから付いて来てよ。着いたら将軍が説明してくれるからさ」
困惑して顔を見合わせたものの、結局イライアス達はチャリオットについていくことを選んだ。好奇心と言うのは中々に侮れないものなのだ。
そうして、馬車に揺られること半刻程。
辿り着いたのは、海岸沿いにある巨大な倉庫街だった。
薄汚れた煉瓦の壁と古い両開きの扉が夜闇の中でぼんやりと浮かび上がる。嵌め込まれている硝子窓の奥は暗闇に沈み込み、その中は人がいるとは思えないほどの静けさに包まれていた。
チャリオットは扉を開いて、躊躇うことなく中へと入っていく。視界から消えるか消えないか、そんな距離で振り向くと、彼らを手招いた。
誘われるように歩き出せば、仲間の足音が重なって響き渡った。奏でられる反響音に天井の高さや奥行きの広さを感じることは出来るものの、明かりの無い建物の中は外よりもなお暗く、目を凝らしても瞳は何も映し出さない。
本当にここに将軍が居るのか。問いかけようとした、その時。
「来ましたね」
将軍の声が届いた。
近くには居るようだが、響く声に位置が掴めない。
姿を捉えようと暗闇を眇めた彼らの前で、ぽつりと明かりが灯された。
薄明りにぼんやりと男の姿が浮かび上がる。
橙色の仄かな光に照らされたその容貌は、いっそ人とは思えないほどに美しく、息を呑んだのはきっとイライアスだけではなかっただろう。
その美貌に笑みを乗せ、彼は指を鳴らした。
それを合図にして、次々と灯りが灯されていく。
段々と明るくなっていく建物の中で、海賊たちは目の前に広がるその光景に、言葉を失った。
だだっ広い殺風景な空間。
そこに整然と並べられていたのは大量の船だった。それも、唯の船ではない。
「これは……」
エレクトラが、思わず声を上げる。将軍は頷いて答えた。
「船大工であれば聞いたことがあるでしょう。海上戦において最強を誇ったケンドルオールの戦闘帆船、『沈めるもの』です」
1本のマストに縦帆の帆装を持つ小型帆船。優美な曲線は海の狩人に例えられ、その機動性は未だ他の追随を許さないと言われる優れた船だ。
船首には衝角を装備しており、機動性と相まって、小さいながら特攻での攻撃力は非常に高い。この船がケンドルオールの過去の戦いにおいて勝因となったことは紛うことない事実であった。
それが。
「なんでここに……」
一隻や二隻なら、どこかから手に入れる手段もあろう。しかし、これほどの数を外部から入手することは実質的に不可能に近い。だとすれば、国内で生産する他ないが、この船は強力な兵器。易々と設計図が手に入るはずはない。
「素晴らしい技術も正当に評価されなければ、守られずに廃れてしまうものです。大型船の魅力に憑りつかれてしまったケンドルオールでは、この船の資料も技術者も多くが捨て置かれていますからね。容易に手に入りました」
聞き捨てならない内容に、エレクトラの眉間に皺が寄る。
「船大工にとって垂涎の船だっていうのになんてことを」
「この船の価値を理解している者あれば皆、同じことを思っていますよ。ですが、どれほどその価値を伝えても、今のあの国はそれを認めないでしょう。まあ、実際のところ大型船の造船には莫大な資金と資材が必要となりますからね。他の船を造るだけの余力がないというのが本音なのかもしれませんが」
そう言って、ヴィルヘルムは船に近寄るとその船体に掌を滑らせた。
美しい船だ。
流線型のしなやかなフォルムにバランスよく真っすぐに伸びる一本のマスト。その姿は実に機能美に溢れている。実践で磨き抜かれた船だ。その真価は、ハラヴィナ湾の複雑な海流の上で、遺憾なく発揮されることだろう。
改めてイライアス達へと向き直る。
「ケンドルオールの大船団は確かに強敵です。ですが、対抗する手段がない訳ではない。まあ、使い古された手、ですけどね」
だが、使い古された手と言うのは、使い古されるほど有効であったと言うことだ。
使いどころさえ間違わねば、奇を衒った作戦よりも余程に効果が期待できる。
正確な情報と適切な船さえ準備出来れば、こちらは自国。地の利もあるし、物資に憂いもない。大型船の強みを殺してしまえば、十分優位を保てるだろう。
この国を守るための備えは整えた。
あとは、そう。
「成功させるための小道具は準備した。後はお前たち次第だ。海賊殿」
将軍は灰色の目を細めると、ゆるりと微笑んだ。
****
広げられた手紙を指で弾く。
天候から風向き、海流、潮位、大型船の素材や構造の詳細、船団の規模や物資。今までの海戦記録、指揮官の人となりや得意とする陣形まで、これ以上望むべくもないほどの情報がそこにはある。そして、手足となる船は、この状況にこれ以上適した船はないと間違いなく言える高性能な船だ。ここまでお膳立てされて、将軍の本気を感じない訳がない。
冬狼の異名は伊達ではないらしい。
あの男は、本当にこの国を守護する者。
民を守り、街を守り、そして、前線で戦う騎士たちの命さえ預かり、守ろうとする。
そして、その守るものの中には、どうやらクレメントも入っているらしい。
使い捨てにするつもりならば、これほどの情報や資源を与えるはずがないだろう。
『私は誰一人無駄死にさせる気はない』
あの時の言葉は、嘘偽りない彼の信念なのだ。
無指示の理由さえ、彼らの能力を信じ、制約による不利益を生じさせないためなのだとわかってしまえば。
こちらも、覚悟を決めるしかない。
どんと目に見えない重圧がイライアスの両肩に圧し掛かる。
だが、それが逆に彼を奮い立たせた。
久しく感じることのなかった高揚感に、孔雀色の瞳が凛と輝きを増していく。
クレメントは海賊だ。
将軍が、お手並み拝見というならば。
自分達らしく戦って見せようじゃないか。
イライアスは挑戦的な眼差しで仲間たちを見回した。
「見せてやろうか。海賊の戦いを」
そそのかすような軽い口調に、全員が不敵な笑みを浮かべる。
「だな。一泡吹かせてやろうぜ。…………将軍の驚く顔ってのは、全然想像つかねぇけど」
サミィがそうぼやいて、盃を掲げた。
同意するように苦笑いとも付かない笑いが零れ、次々と盃が掲げられる。
仲間の顔を見て、イライアスも笑った。
グラスを持ち上げ、叫ぶでもなく、ただ力強く告げる。
「蹴散らすぞ」
「「おうよっ!」」
唱和は不遜に、高らかに。
グラスの合さる音とともに、船室に響き渡った。
****
遠望する海上にその威容が現れたのは、晴れ渡る空の下、まだ熱を孕んだ海風が吹き抜ける真昼の頃であった。
陽炎のように朧げであった陰影が、ハラヴィナ湾に近づくにつれて、じわじわと露わになっていく。
白日の日差しに輝く女神像を掲げた船首。
見上げんばかりに、天上高く伸びる太い4本のマスト、幾重にも張り巡らされた頑強なロープ。
海風を受けて膨らんだ大きな白い帆。
船底から甲板まで数層にも及ぶ強堅な船体は、要塞のように物々しい。
正面に白波を立て、威風堂々向かってくるのは巨大な帆船であった。
一隻ですらその威圧感は凄まじい。だというのに、その船影は一つではない。
ケンドルオールの誇る無敵船団、軍団。
荒々しい潮の流れをものともせず、数十にものぼる船が悠々と海原を渡り切り、その脅威をまざまざと知らしめるように、次々とハラヴィナ湾の入り江に侵入すると進行を止めた。
ルクセイアに改めて寄港要請が届いたのは、その1時間後のことである。